∦ I need some space to sort out my life.
∦ leave a space after that word.
∦ He is moderate in drinking 〔speech〕.
彼は酒に節度がある 〔話し方が穏やかである〕.
∦ Moderation in eating keeps your health.
∦ Moderation in all things.
. _________ . _________.
'緊張’ ’中程’ ’緩和’
因みに、広辞苑に依りますと、
なか⁻ほど
【中程】
①期間や場所など真ん中のあたり。
②品質・順位などの、中ぐらいの程度。
「成績は__だった」
と説明されています。
”中庸”は、―― 上掲図に従って ー― 左側へ進みますと、
テンション、つまり、’緊張’が増大して、2人の間 (あいだ)の<間>は、
≺間詰まり≻に。 反対に、右側へは、対人関係性の間の‹距離›が、広がって/
拡がって、’緩和’。 時には, だらけてしまって、≺間伸び≻、≺間遠い≻
ことになって、離れ過ぎ。 <間>には、消滅の危機の生じるでしょう。
ここで、具体的な事例/エピソード⋆を想定し、ご紹介致しましょう。
____________
⋆ ここでの事例/エピソードは、実話ではありません。
実話、そして彼女自身の体験や見聞を参考資料
にして筆者が創作したフィクションです。
このことは、以下の全ての事例/エピソードに
当て嵌まります。
ご了承下さるように。
____________
≶ 積極的過ぎるアタック ≷
出会いの最初の頃、
はやく親しくなりたいと、彼は、テンションを上げて、
積極的にアタックを ―― プレゼント攻撃、携帯でメールのシャワー、
お茶に誘って、お食事も… とエスカレート。
けれども、そんな風にどんどん接近し過ぎると、2人の間(あいだ)の
<間>は、狭くなるばかり。
そうなると、彼女は、押し捲られ、≺間詰まり≻ の状態になって、
もう、辟易。
息苦しくなって、嫌気がさして、遂に、逃亡、雲隠れ。
2人の対人関係には、”中庸”の‹距離›が、取られなかった故に、
破局が訪れることになりました。
別の事例/エピソードを:
≶ 儚い出会い ≷
第一印象は、どちらにとっても、相手は最高、最上。
趣味も同じと分かって、熱くなって語り合い、頷き合って、楽しく、
会う毎に燃え上がって、テンション は上がるばかり。
けれども、こんな甘い’蜜月’の日々は、
あっという間に、終息。
もう会う気もなくなってしまって ――
’蜜月’の時代では、2人の間(あいだ)には、<間>は置かれず、
ぴったりの状態。 それが、 反作用、反発を惹起。
2人の間 (あいだ)は、急速に、お互いに疎ましくなり、≺間遠く≻
なってしまいました。 こんなことになるのなら、最初から、もう少し
”中庸” の‹距離› (= <間>)を置いて付き合うのだったのに …
後悔先に立たず、です。
けれども、そうすれば、あの燃えるような恋の煌めきも
体験出来なかったかもしれないのです。
最初から、”めでたさも、中ぐらいなり” と過不足、過不及 なく、
”中庸” の間隔を置いた付き合いで満足と達観することが、最善
なのでしょう。そして、それが、可能になるのは、多分、何時の
日にかの再会のときの事でしょう。
但し、今度は、最初から、〈ほどほど〉の付き合いを、過去の反省を
踏まえつつ、出来ればのことですが ――。
もっと悲劇的な場合(事例/エピソード)も:
≶ 想い出だけを大切に ≷
彼には、もう ”過去の出来事” なのに、
彼女の方は、まだ、もっと燃えていたい…
彼は、もう冷え切ってしまって、気の抜けたサイダー。
熱情も、情熱も失せてしまっていて、
彼女との‹距離› (=<間>)は、適応な範囲、つまり、
〈ほどほど〉を越えて、どんどん広がるばかり。
でも、彼女は、まだまだ舞い上がっていたくて、
ひとり盛り上がり。
彼女は、なんとか、あのロマンティックだった日々を、と
願って、彼との‹距離›を埋めようと努力 ―― 多分、無駄な ―
― をしました。
けれども、恋の炎は、もう終わってしまったのです。
ですから、彼女は、
<間>(=”中庸”の‹距離› )を、しっかりと置いて、
頭と心を冷やして、過ぎ去った想い出を大切に、
楽しみましょう。
ここで、 再度、
”中庸”の意味付けに立ち還って ――
”中庸”は、中間とも想定できますが、中間点ではありません。
”中庸”は、点ではなく、 中程( なかほど )。 「真ん中のあたり。」
’緊張’ ―― ’緩和’ の中程(なかほど)の領域であり、その位置設定は、
暫定的で、一時的、 固定されず、ですから、不動でも不変なもの
でもなく、膨張・縮小が可能な、自由な領域 と想定されます。
更に、―― またまた、 発想の飛翔を図って ――
〈ほどほど〉の第三義的構成素の解明を試みることに致しましょう。
"虚"
"虚" ( こ、 或いは、きょ ) を想定しました。
この語を広辞苑で引きますと、
きょ
【虚】
(呉音はコ)
①むなしいこと。 中身のないこと。 うつろ。 から。
”虚” の関連語として、更に、上掲のイタリック箇所: うつろ、 から を
引き続き、調べますと、
うつろ
【空ろ・洞ろ・虚ろ】
①中に何も満たすものがなく、からであること。 また
そういう所。うろ。 うつお。
「幹の中は__になっている」
②心がむなしいさま。 精神がしっかりせず、ぼんやりして
いる様子。
「__な目を向ける」
③内容がなく、むなしいさま。 空虚なさま。
〔 以下割愛 〕
から は:
から
【空・虚】
❶着目する範囲になにもないこと。
①内部になにもないこと。 「家を__にする」
「__箱」
②何も持たないこと。「__手」 「__身」
❷真実のないこと。 実質のないこと。 空疎。
「__元気」 「__約束」
”虚”は、’うつろ’ ・ ’から’ を重ね合わせた’空虚’ で特徴付ける
ことが出来るでしょう。
そして、この’空虚’の内容は、「中身のないこと」 「内容のないこと」
「内部になにもないこと」で表示され得ると考えられます。
ですから、
対人関係上の<間>(=〈ほどほど〉)の”虚”の領域は、上掲の’から’ を
含蓄すると想定されます。 というのも、 ’から’ の領域、つまり、
<間>の内部は、投げ入れなど投棄の’禁止区域’。
それは、亦、2人の持つそれぞれの主観 ―― 個人的な意見表明
(主張)、先入観や独断、 様々な濃度の感情(喜怒哀楽)…など、或いは、
より身近にな、2人の間(あいだ)に<間>を置く以前の個人的体験の
中止、差し止め、この領域への投入を差し控えることを意味します。
”虚”の領域は、なるべく、2人のカラー(特色)に染まらないこと。
限りなく’無色透明’に近いことが要件となります。 と同時に、
2人の間で生起・勃発するかもしれない意見/主張や感情の対立・
衝突などの回避も意味しますので、’中立色’ を帯びていると言って
よいでしょう。
更に、
”虚”は、’空き地’ ではありません。
ですから、’空き地’ への ’不法投棄’ ―― も許されませんが ――
のように、知人関係にある2人の一方や双方が、不平不満、意見/
主張、抗議、反論、苛立ち、焦り、嫌悪感…
特に、負の要素をどんどn無思慮に、投げ入れれば、様々な衝突が生起。
激化。 やがて、<間>(=〈ほどほど〉)の消滅、2人の関係も解消
へ向かうでしょう。
”虚” は、 限りなく、’無色透明’ な領域。
そして、このような領域が堅持されてこそ、<間>(=〈ほどほど〉)は、
成立すると見てよいでしょう。
以上を締め括りますと、
<間>(=(ほどほど〉)の特色としての”虚”(= 空(から)) は、
限りなく、’無色透明’で、2人の個人的な主観の立ち入り、衝突を
忌避・回避し得る ’中立色’ 望ましいと想定されます。
ここで、ちょっと視角を変えて ――
”虚” を、日常生活世界で使用される言葉で捉え直しますと、
形容詞・名詞的には、
穏やか 平穏 (無事)
安らか 安穏 安定 平穏
静か 静穏 平静
落ち着いた
長閑な
淡々と … など
更に、
風景で、イメージしましたら:
麗らかな春
澄み切った青空
長閑な海辺
静穏な湖畔 … など
が相応(ふさわ)しいように感じられます。
では、
対人関係性的には、”虚”は、どのような風景が描写されるのでしょうか。
スケッチしてみましょう。
≶ 海辺の二人 ≷
海を眺めている二人
浜辺のテトラポットに、それそれ座りながら ――
二人の間の間隔は、’カップル … と
分かる程度に離れた距離。
一人、ぽつねんと座っているロンリー・ハートではない
ことは、遠目にも分かります。 でも、 寡黙。
時々、一言、二言、ことばを交わしている様子、
振り向いて、顔を合わせるタイミングは、不思議に同じ。
それは、’嵐の前の静かさ’ と言うよりも、
’争いの後の静寂 (しじま)’
’争い’は、人生の争い? それとも、ささいな諍い?
遠くからは、人生の最終章をゆっくりと意図芯でいるような
老境のカップルにも、
薔薇色の人生を夢見ているような若い恋人たちにも、
見えました。
ほっと一息吐いたような安堵の暫く。
海は、春の海 ―― 冬の厳しさが終わりを告げ、
のどやかな春が訪れる頃の、それとも、
夏の賑やかな喧噪を忘れたかのような静かで、
どこかもの寂しい秋の海。
どちらだったかのかも、遠い記憶になりました。
海は、湖だったかも …
”虚” を、1つの語句で象徴すれば、それは、’ 静かで、穏やかな
(海/湖) ’ ということでしょうか。
春の海
終日(ひねもす)
のたり のたりかな
与謝蕪村
この海が、”虚” の理想郷のように感じられます。 ―― が、
とかく、この世は、多事多難。 人間関係性的には、揉め事は多発・頻発。
大風も、大嵐も襲って来ます。
対人関係性的”虚”は、’嵐の前の静かさ’よりも、むしろ、’嵐の後の静かさ’
のような静穏さに落ち着くのが頃合いかしら、 と想われます。
ここで、再び、”虚” (=<間>/〈ほどほど〉)をめぐる 3つの事例/
エピソードを想定・素描してみましょう。
≶ OLの嘆き ≷
OLの彼女。 ちょっと 悲し気。 浮かぬ顔。
’上司は、凄く有能で、仕事熱心。 私の仕事も、
分かり易く説明しながら、指導して下さるの。 でも、
それだけ。
会話は、仕事上だけ。 個人的なものは、殆ど無くて、
退社後も、お茶をご一緒するなんてことは、一度もないのよ。
私は、仕事さえきちんとしていれば、それでオーケーと
ということみたい。
私は、ロボットでも、サイボーグでもないのよ。
血の通った人間なのよ。’
それでよいのじゃないでしょうか。
彼女の上司は、”虚” (=<間>/〈ほどほど〉) を維持・堅持して
いるのです。
”虚”は、ほとんど、’無色透明’ の状態。 色付いていないし、
色付かされていない ―― けれども、 この場合の<間>が、
色付くことになれば、つまり、中間色 (= 中立色) から極彩色
にでもなれば、双方の意見や感情は、交錯、紛糾、揉めて縺れて、
’静かな、穏やかな海’ も、にわかに、
荒れ狂い始めることとなるでしょう。
<間>は、”虚”と共に、消滅。
彼女も、上司との関係が、だんだんと 厭ましく、煩わしく、疎ましく
なって来て、最後には、’もうっ、会社辞めたい!’ 結局、自主退職に
追い込まれることにかもしれません。
彼女も、上司に倣って静穏な ”虚” と<間>(=〈ほどほど〉の保持に
努める方がよいように想われます。
逆の場合も:
≶ 上司の憤懣 ≷
’息子のようだ … ’
それが、新入社員への第一印象でした。
息子に恵まれなっかたこの上司、配属されてきた部下に、
何かにつけて仕事上も、私生活にもいろいろ世話を焼く
有り様。
その割には、部下の態度は、’手応えなし’の反応。
上司の過度のお節介。彼は、部下との間(あいだ)の<間>へ
どんどん侵入しているのでした。
”虚” は、上司のカラー(色) ―― ひょっとしたら、
溝鼠色?!に ’汚染’ されている状態 ――は、 部下に
とっては、’有難迷惑’ な色合い。
周囲の目もあるのです。
露骨な依怙贔屓は、揉め事の元。
気持ち適には、部下は、もう うんざり、げんなり、
もういい加減にしてほしい … けれども、この嫌悪感を、
彼は、直接そのまま、<間>には投入せず、従って、
”虚” を、無色透明に近い、静穏な‹距離›として維持したのでした。
上司には、なるべく当たらず、触らず、差しさわりのない
範囲で、上司の行動を ’柳に風’ と対応していたのでした。
最後に、もう一つの事例/エピソードを:
≶ 夏の日の夕暮れ ≷
暮れなずむ頃、
彼女は、バス停のベンチに腰掛けていました。
こんがり夏色に日焼けした小学生の男の子が、
楽し気な笑顔を見せながら、
スキップするように走ってきました。
なにか話しかけたそう…
彼女も、思わず肥を掛けようとしたのですが、
思い留まりました。
この頃は、小さな少学生が、見知らぬ大人と親しく、楽しく
おしゃべりをした ―― そうだった場合ですが ―― 経験が、
次の機会に再現されれば、とんでもない悲劇を呼ぶ
かもしれない時代。
彼女は躊躇しました。
そして、無色透明な ”虚” の世界は維持されました。
それは、静かで、穏やか黄昏時の小さな湖。
2人は、言葉を交わすことなく、別れて行きました。
すこし物寂しい
夏の夕暮れのことでした。
ところで、
このように特徴づけられる ”虚” (=<間>)には、日常的な
対人関係において、どのような働きを持つのでしょうか。
2種類の効用が想定されます: ’緩衝地帯’ と ’冷却期間’。
日常生活世界の対人関係性的場面では、様々な衝突がも
喜劇・経験されます。
2人の間(あいだ)でも、些細な揉め事、ちょっとした諍い…等、
それらが深刻な大事に発展する場合もあります。 そのような時には、
’緩衝地帯’として、 ”虚” が、友好であり、役立ちます。
”虚” は、衝突する、或いは、そう予測される、2人の間(あいだ)に
置かれて、衝突を和らげたり、 回避、解消、更にh、未然に防ぐ
潜在力(性)を保有しる領域と見ることが出来るでしょう。
ここで、’緩衝地帯’の事例/エピソードを装丁。素描致しましょう。
≶ 仲直り ≷
亜衣(仮名)さんは、ショックを受けて落ち込んでいました。
”お友達の有絵(仮名)ちゃんに、あんなこと云われるなんて、
想像もしかったことよ。
彼女、私の鼻が低いって …
〔 亜衣さんの鼻は、高くて、形よく、その上、賢く、
才色兼備 〕
ですので、自尊心を少しばかり傷つけられたよう。
それでしょんぼりだったのでした。
一方、有絵さんは、
”誤解よ。 私、そんなこと云っていないわ。”
でも、彼女は、直接反論はせず、その内分かるわ。と、
静観の態度を取りました。
’静かな湖面’ は、一方の側から、少し大きな波が
起きましたが、 ”虚” の<間>は、 ’緩衝地帯’ としての
役割(機能)を果たしたのでした。
暫くして、事実が判明。
亜衣さんは、才色兼備、そのせいか、時々、鼻が高く
なる(ように見える)人だったのです。
有絵さんは、”彼女は、鼻が高くなるところがなければ、
ほんとうにいい人なのに … ” と周りの人達に漏らした
ことがあったのでした。
噂は、めぐる間に、’高い鼻’ がひっくり返されて、
’低い鼻’になって、亜衣さんの耳に。
事情が分かって、2人は、仲直り。
2人の間には、静穏な<間>が戻りました。
有絵さんは、”虚” のなかへ自分の気持ち(亜衣さんへの反論や
無念さ)の投げ入れを差し控えたことが、’緩衝地帯’ としての
”虚” を実現させたのでした。
次いで、’冷却期間’ を産み出す”虚” についての事例/エピソードを
素描いたしましょう。
≶ ちょっとした行き違い ≷
彼女は、’憤懣やる方なし’ の様子。
怒り捲っています。
”今度は、クッションを投げつけるだけで終わったけれど、
次は、そうは行かないわ。 だかr、食器の’配置転換’よ。
使い飽きてしまったけれど、捨てるのは、なんだか
勿体無くて、そのまま戸棚の奥にしまい込んでいたのを
前に並べて、’お気に入り’のものを後ろの方へ置き直したの。
だって、ウェッジウッドのティーカップを大喧嘩の最中に、
つい我を忘れて投げつけて、割ってしまうなんて
とてもじゃないけれど、考えられないわ、そうでしょう?
それで、あの時のことだけれど …
もう一度、怒りを爆発させそうになったの、でも、
どうにか、思い とどまって。
〔―― 賢明な選択です 〕
そして、お茶を入れて、 震える手でよ、
暫く休憩、休戦したという訳。
えっ、 夫のこと?
彼は、さっさと、自室へ引き上げて行ってしまったわ。
〔―― 彼も、賢明 〕
2人の間に、物理的にも ‹距離› を置くことで
”虚” としての<間>が出現、そして、静かで、
穏やかなお昼下がりの一時が ――。
彼女は、頭を冷やして、気持ちを落ち着けました。
’冷却期間’ は、不幸にも、2人の間に衝突が生じた場合、
”虚” (=<間>)が置 れて、一方(或いは、双方)に精神的、
感情的な高まりを鎮める作用を産み出します。
重ねて云えば、加熱した衝突を衝突を鎮静化して、’考える時間’ を、
つまり、再考と(次の行動への)決断の時間、そして、精神と情緒の
安定化をもたらすのです。
そして、また、2人の対人関係性は、再開。。
そうなれば、
次は、どのような展開が待っているのでしょうか?
::: 〈不即不離〉 = 〈即かず離れず〉 :::
<間>もう一つの主要構成要件について考察・検討を進めましょう。
2人の間の対人関係性的‹距離›(=<間>)において、どの程度、
或いは、範囲のものが、2人関わりにとって有効・有益なのか、
という設問に対する解答は、
―― 日常生活上の経験と直感によりますれば、――
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離›に尽きると想われます。
そこで、再び、広辞苑へ立ち還り、これらの語句の意味解釈を
検索・一部抜粋しますと、
ふそく‐ふり
【不即不離】
①二つのものが、つきもせず離れもしない関係を保つこと。
不離不即。
② 〔 割愛 〕
ちょっと簡単過ぎるような語釈ですので、ジーニアス和英辞典を
覗きますと、 ふそくふり の項目では、
ふそくふりの
【不即不離】
neutral
中立の
∦ … に対して不即不離でいる
remain neutral to
∦ … に対して不即不離の立場をとる
take a neutral stand to ...
続いて、つかずはなれず を広辞苑で調べてみましたら、
つかずはなれず
【即かず離れず】
不即不離の訓読み 「__の関係」
更に、ジーニアス和英辞典を見ますと、 つかずはなれず の
見出し語は、記載されて いましたが、この語句自身の意味解釈はなく、
下記の用例のみでした。
∦ 彼女とは、付かず離れずでいる
〔=適当な距離を保つ〕
I keep my distance 〔a proper distance 〕
from her; I keep her at a proper distance
以上を踏まえましても、いま少し、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の
意味を掘り下げることが大切かと想われます。
そこで、この語句を分解して、’不即’/’即かず’の肯定形、’即く’を
広辞苑で検索しますと、
つく
【付く ... 即く】
❶二つのものあ離れない状態になる。
①ぴったりと一緒になる。 くっつく。
〔 以下割愛 〕
ということで、ここでの対人関係性的文脈関係において解釈しますと、
’不即’/’即かず’ は、2人、私と相手(/他者)が、”ぴったりと一緒に
ならない”、 ”くっつかない” を意味することが看取されます。
他方、’不離’/’離れず’ の肯定形。 ’離れる’ は、
はなれる
【離れる】
①くっついていたものが解けて分かれる。
〔 用例 割愛 〕
②遠いざかった位置にある。 へだたったところにある。
③へだたる。 距離をおく。 遠ざかる。
④関係がなくなる。 超越する。
⑤縁が切れる。 離縁する。
〔 以下割愛 〕
’離れる’ の語釈を概観し、 〈即かず離れず〉 の ’離れず’ に当て
嵌めますと、「距離をおかない」、 「遠ざからない」、 「関係がなく
ならない」 … ことを意味すると見てよいで しょう。
ということは、〈即かず離れず〉は、2人、私と他者は、’ぴったりと
一緒にならない、’ ’くっつ かない、’ けれども、’距離をおかない、’
’へだたらない、’ ’遠ざからない、’ ’関係がなくならない’ … において
意味が深化され、このことは、〈不即不離〉の広辞苑的語釈:
「二つの ものが、つきもせず離れもせず」 に辿り着き、
帰着することを意味すると見てよいでしょう。
ここで、辞典的解釈に終止符を打って、日常生活世界の諸場面へ
立ち還って、いま一度、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉 をめぐる
考察を試みましょう。
⋆ いつも一緒の仲良し;
⋆ 一卵性双生児;
⋆ 兄の後追う弟;
⋆ 友達(にような)母娘 … など
のような
深く、親しい密接な関係から、
⋆ 顔さえ知らない隣人同士;
⋆ バスの隣り合わせ;
⋆ 料理屋の相席 … など
のような
無関心で、疎い、よそよそしいものまで、様々な類型が目撃されます。
<間>も、対人関係性上の<間>の類型も、同様にぴったり、べったりの
親密なもの、つまり、≺間詰まり≻ から、関わりの希薄な、または、
ほとんど関わりは無く、遠ざかった、疎遠なも の、つまり、
≺間遠い≻ものまで、様々に存在します 図で表示しますと、
. ___________________ .
親密 疎遠
となり、
様々な類型の<間>は、横軸の範囲に位置づけられます。
そして、この横軸には4つの開講成素: ‹空間的 ― 時間的› ;
‹物理的 ―精神的› なものが錯綜しながら、絡んで来ますが、
この領域への深入りは、避けて、
ここからは、事例/エピソードの幾らかを素描致しましょう。
まずは、’疎遠’ の場合を,
≶ 無関心 ≷
”さあ、殆ど、顔を合わせたことがないし、
挨拶をしたこともないので… 何も知りませんねぇ~。”
事件の容疑者について取材をされた時の、マンションの
同じ階に住んでいる隣人の方の談話。
メディアを通じて見聞きする、孤独な現代社会に一面、
物理的には近くても、対人関係性も、<間>も、
無に等しい様相を呈しています。
次は、’疎遠’ から ’親密’ への事例を、
≶ ホテルでは __ ≷
ホテルの客室が、偶々、隣り合わせ。
物理的な距離は近いのだから、と心理的接近も期待して、
彼が、「お近づきのしるしに … 」と、
薔薇のブーケを持って、ノックをすれば、――
どうなるでしょうか。
パタンと、鼻先でドアを閉められて、一蹴。 可哀想に、
一気に、’疎遠’の‹距離›に。
それとも、
「まあ、綺麗なお花, 素敵!」 と。
こちらは、一気に、<間> (=‹距離›)は、縮まって、
楽しい出会いの予感が …
さて、どちらでしょうか。
他にも、長距離恋愛中の2人、都会に暮らす息子を案じる母親、
倦怠期のカップル… 等の場合が想像されます。
≶ 彼女は、しょんぼり ≷
”かなり舞い上がっていたのね、 あの頃は。
デートの非が待ち遠しくて、... ”
でも、≺間詰まり≻ の状況。 いろいろな気持ちや想いが
詰まり過ぎて、長くは、続かなかったようです。
” だって、” と、
央華 (仮名) さんは、小さく 嘆息。
” いつの頃か、デートの約束を忘れかけたり、
彼と会っても、公園のベンチの足元で、
ニャ~ン と寄り添って来た子猫ちゃんの方が、よっぽど
気に入ってしまって...
〔だんだんと≺間遠く≻ なっていくようです。〕
そのうち始めた趣味のアクセサリー作りが、楽しくなって
しまって、のめり込んで、珍しく彼から掛かってきた
電話の声が、直ぐには誰なのか気付かなくって、
これって、
ひょっとして、
‹恋の終わり›? ”
〔そのようです。 もう、彼との間の‹距離›は、遥か ’疎遠’。〕
” ちょっと寂しい気もするのよ。
だって、彼、背の高い、ハンサム・ボーイ
だったんですもの。”
ここで、
対人関係性上の〈不即不離〉=〈即かず離れず〉(/<間>)の範囲を
想定しますと、 ’親密’ から ’疎遠’の間の中間に位置すると
見られます。
それは、点、ではなく、その点の周り、辺り。
明確に決定づけられた領域ではないと言える でしょう。
因みに、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の<間>の内容は、〈ほどほど〉と
重なり合う、表裏一体的関係にあり、ですから、その特徴づけは、”適度”、
”中庸” そして”虚” という〈ほどほど〉の主要要素に依ると考えられます。
そこで、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の内容への考察は、
既述しましたので、その範囲の明細化へ進むことに致しましょう。
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の範囲は、少し視覚を変えますと、
’くっつき過ぎず離れ過ぎず’ という表現から浮彫することが出来ると
想われます。
会えば、口喧嘩ばかりの恋人達、喧嘩友達、過保護の親子… 等
――混乱、葛藤が出現。 それらが小さな泡やさざ波の程度で、
そのうち、自然消滅すれば、いいのですが、だんだんとエスカレート。
悪化。 深刻化すれば、’くっつき過ぎ’(=≺間詰まり≻ )で、範囲の外。
勿論、反対の場合もあります。
事例/エピソードを素描しながら、考えてみましょう。
≶ 秋風 ≷
秋風が吹き始めた頃。
” 明日、映画を見に行かない?”
久し振りに出会った彼を誘うと、
’ふぅ ~ん’ と、それだけ。
彼は、彼女の言葉に耳を傾ける気配もなく
落ち葉に目をやりながら、暫く、沈黙。
突然、思い出したように、スマホを取り出して、
熱心に覗きこんでしまう始末。
彼女は、そんな彼を横目で見ながら、’ふ~っ’ と
物憂いそうな、退屈そうな顔。 その内、
彼女もスマホを取り出して、誰かにメールを打って
楽し気。
ベンチに隣合わせに座っていても、もう、心は、別々。
’離れず’、どころか、’離れ過ぎ。’
お互いに相手の存在を考えなくなる、感じられなくなって、
淡々。
冷淡、無関心、無活動、無視、忘却 … などが、2人の間に忍び込んで、
やがて、’赤の他人’状態に。 この場合、’離れ過ぎ、’ つまり、≺間遠く≻ 、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の範囲の外になります。
更に、
このように、くっ付くことも離れることも、過ぎないようにして、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉 の<間>を構成するには、
幾つかの必要条件があります。
一つは、”自制”。
”自制”
”自制” は、ちょっと、’逆の発想’的に捉えますと、依存 という語が浮かび
上がます。
依存 は、広辞苑に依りますと、
い-そん
【依存】
(イゾンとも) 他のものをたよりとして存在すること。
「親に___した暮らし」
つまり、’依存’は、対人関係的にみれば、他の人(=他者)に依る、他者(の
助けを)当てにする(期待する)こと ーー いわば、一般的な/世俗的な
意味での’他力本願を意味するとみられますが、ここでは,
日常生活世界へ踏み込んで、解釈を試みてみますと、
例えば、
⋆ 何かと言えば、口喧しい親;
⋆ 何かにつけて我を張りたがる同僚;
⋆ 身勝手な自己主張を続ける友人 …
等
このようなタイプの人々は、一見、他者を量がする力が溢れているように
みえますが、相手への依存性する傾向が、かなり強いものです。
”自制” には、’依存’の排除、或いは、それからの脱却が必要なのです。
”自制” は、人が、相手に自身の個人的な感情や気持、意図、欲望 などを
押し付けないこと、投げ付けることを差し控えること。 更に、相手からの
様々な圧力(外部影響)も撥ね付けて、自身の確立した’羅針盤’に従って、
或いは、拠り所にしつつ、行動することと云えるでしょう。
因みに、”自制” を広辞苑で検索しますと、
じ-せい
【自制】
感情や欲望をおさえること。 「怒りを____する」
上掲の語釈では、あまりにも簡単過ぎて、少し心許ないので、
OXRORD現代英英辞典へ目を転じて、”自制” の原語、self-
control を引きますと、
self -control
the ability to remain calm and not show your
emotioneven though you are feeling, angry,
excited, etc.
◇ to lose / regain your self-control
◇ It took all his self-control not to shout
at them.
〔 自制
怒りや激昂を感じているときでも、冷静なままで、感情を
露わにせずにいる能力
◇ 自制を失う/取り戻す
◇ 彼等に向かって、〔怒りの〕声をあげないために、彼の
自制 〔心〕のすべてを必要とした。 〕@
__________
@ 角括弧 〔 〕 内の和文は、上掲英文
の対訳で、本稿筆者による翻訳です。
____________
次いで、もう一度、広辞苑に立ち還って、”自制” の関連語として〔見られ
ます〕、’自律’を検索しますと、
じ-りつ
【自律】
自分の行為を主体的に規制すること。外部から支配や制御から
脱して地震の縦た規範に従って行動すること。
ここで、
”時勢”と’自立’にかかわる事例/エピソードを想定し、素描しましょう。
≶ 父親の立腹 ≷
” 大学へ行かせて、就職もさせたのに、息子の奴、不甲斐ない。
親の承諾も無しに、勝手に会社を辞めて、他県へ行って、職場を
見つけて、棲むに着いておる。
親の老後のことをどう考えておるのだ。
まったく頼りにならん奴じゃ。”
と、ご立腹
この場合、父親が、頼り過ぎ、過干渉 ...
息子にべったr、ほんとうは、子離れの出来ない親。仮面子離れの親。
他方、息子は、しっかり、自律。
上掲の’自律’の語釈に照らし合わせても、彼の行動は、’自律’に
当てはまります。
息子の側から見れば、<間>は、十分に取られています。 彼は、父親に
対して、それほど無関心、冷淡でもありません。 そんなに疎遠な‹距離› を
とっているのでもありません。
と云うのも、父親が、手術で入院することになったとき、直ぐに駆けつけ、
担当医の説明を熱心に質問をしながら聞くことをしたのですから。普段は、
〈ほどほど〉/〈不即不離〉 =〈即かす離れず〉の<間>を置いて、必要な
場合に、その<間>を狭めているのですから、それで十分です。
父親は、彼の息子を、いつまでも ’息子(子供)扱い’ しながら、
自分の老後を頼り切ると云う、甘ったれた考えを捨てて、自己中心的な
感情や欲望(過剰な期待や支配欲)を抑制して、”自制” しなければ
ならないということです。
そして、息子の ’自律’ に、父親の”自制” が、うまく噛み合えば、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の<間>は、構成されるでしょう。
―― 至難の業かのしれませんが...
”私人的・私秘的なゾーン”
ところで、”自制”(/’自律’)には、個人の、或いは、個人としての居場所が
必要となります。 この居場所では、個人が、相手とのかかわりを、
一応、断ち切って、地震と相対しながら、例えば、’考える時間’ を
過ごす場所。
既述の”冷却期間” ―― 反省・自制したり、将来の行動を展望したり、
また、感情などの昂りを鎮静化する期間 ―― を過ごす避難所、
休憩の場と言えるでしょう。
”自制”(/’自立’)には、それを成立・機能させるために個人的な空間が
必要です。そして、この場所では、また、プライバシーの保守がなされ
ねばならないと想定されます。
プライバシーを、ジーニアス英和辞典で調べますと、
privacy
①(他人から干渉されない) 自由な私的生活; プライバシー;
隠匿、 隠遁 (いんとん)、独居
∦ an invasion of privacy
プライバシーの侵害
∦ invade her privacy
彼女の私生活を侵害する
∦ preserve one' s privacy
プライバシーを守る
∦ the right to privacy
プライバシーの権利
② 〔 割愛 〕
また、広辞苑では、
プライバシー
【privacy】
他人の干渉を許さない、各個人の私生活上の自由。
「__の侵害」
以上のプライバシーに関する語釈を、対人関係に当て嵌めつつ、解釈
しますと、 ”私人的・私秘的なゾーン” は、相手の侵入・侵害は排して
自由気儘に、亦、自分勝手に振る舞える ―― つまり、世界(/相手)と
自身について恣意的に考え、感じ、見ることが出来る ’私’ のため
だけに開かれた生活空間。 概して、’お気に入り’ の居場所と云えます。
私個人の、私人的なゾーン、或いは、私秘的なゾーン。
2つのゾーンは、表裏一体的に重なり合いますので、ここでは、両者を結び
付けて、”私人的・私秘的なゾーン” と呼ぶことにしました。
因みに、
このゾーンの最も身近な、直近の範囲は、物理的に言えば、
両手を広げて、ぐるりと一回転したぐらい(では、ないでしょうか)。
それからは、特に、心理的・精神的な場合、或いは、
不可視な場合も、延長拡大、伸縮自在。 物理的には、場合に
よっては、避難所(逃げ場)、隠れ家として固定もあります。
ここで、また、1つの事例/エピソードを。
≶ 室内犬、プチ君 ≷
彼は、リビング・ルームの一隅に、木の柵で設けられた自分用の
コーナーを持っています。
彼は、本当は、彼の人間家族とは、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の
関わりの方がよいのですが、人間の方は、彼のことが、可愛いくて、
可愛いくて、ハグや頬擦りなどの身体接触、スキンシップ的な愛情
表現が過剰気味。
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の<間>も、行方不明。
窒息しそうな≺間詰まり≻の状態。 そんな時に、彼が逃げ込むのが、
彼の居場所、木の柵のコーナー。 ここは、人間家族には、’立ち入り
禁止区域’。
つまり、彼の”私人的・私秘的なゾーン”。 この木の柵のお陰で、
彼は、なんとか、人間家族と一緒に、平穏無事な生活を、楽しく
暮らすことが出来たのでした。
ペット・アニマルにも’私人的な、’ ’私秘的な’ 居場所は、
必要ではない しょうか。
次は、 子猫ちゃんの場合を⋆
___________
⋆ この事例/エピソードは、例外的に、
フィクションではなく、私(本稿筆者)の個人的
体験にもとずく素描です。
___________
≶ 人懐っこい仔猫ちゃん ≵
散歩中、
ちょっと立ち止まって、私は、辺りを見回しました。
ここは、何処? 初めての場所。
閑静な住宅がいの一角でした。
”ニャ~ァ、 ニャ~~ァ … ”
可愛い、お尻上がりの、まだ幼い声が ――。
見ると、小さな仔猫ちゃんが、人懐っこく、怖がりもせずに、
私の足元に近づいてきて、
’ねぇ~ ねぇ、 一緒に遊ぼうよ’と、体を擦り寄せて来ました。
その仕草が、あまりにも可愛いくて、思わず手を伸ばして、
その小さな額を撫でようとした途端、
”ギャオ~~”と鋭い警戒音が、
道路の下側から上がって来ました。
下を覗きましたら、そこは、小公園。 滑り台の近くに、
大きな猫が悠然と横たわりながら、私を睨み付けていました。
仔猫ちゃんのママ。
私は、びっくり。
ママからは、仔猫ちゃんが私の足元で戯れようとしている姿も、
私が、手を伸ばしている様子も見えていないのですから。
でも、このときはそんなことよりも、
仔猫ちゃんには、厳然として、”私人的・私秘的なゾーン” が
存在するということでした。誰も侵害してはならない、されれば、
仔猫ちゃんの生命の危機すら招致しかねないのでしょうから。
仔猫ちゃんは、無邪気に、この”ゾーン” から飛び出して
しまったのです。
私も、動物には、動物それぞれの生活空間があって、
この意味でも、<間>を置くことが大切なのはよく心得ている
積りだったのですが、
仔猫ちゃんが余りにも可愛いくて、つい、 仔猫ちゃんの”ゾーン” に
侵入してしまいそうになったのでした。
仔猫ちゃんのママは許しません。
ママの大きな、鋭い瞳は、’〈ほどほど〉の‹距離›、つまり、
<間>を置いて、
―― だから、身体(物理)的接触は、駄目!――
遊ぶのはいいけれど、それ以上、私の息子に近づかなで!’
警告しているようでした。
勿論、私は、ママの主張に従い、
暫くの間、、仔猫ちゃんと、<間>を置きながら、
遊んでから、
”さようなら、ママによろしくね。’
と、別れを告げました。
ところで、
このような”私人的・私秘的なゾーン” の決定は、本人以外の誰かが
―― 2人の対人関係に2人のどちらかの”ゾーン”。 心理(精神)的、
または、身体(物理)的に足を踏み入れますと、そのことが他者からの
干渉として主観的に認識され、’プライバシーの侵害’ と認識される
空間なのです。 極めて、主観的、恣意的。
しかも、物理的に可視的な場合は、この”ゾーン” は、プライバシーも
含めて、防御/守護し易いのですが、精神(心理)的に限定されている
場合、気が付くことが難しいことが、多々あるように見受けられます。
そして、気付かれずに侵入・侵害すれば、例えば、上司と部下(女性)の
関係では、もう、
最悪。 セクシュアル・ハラスメント的行動と誤解を招くことになるかも
しれません。
相手の”私人的・私秘的なゾーン” をしっかりと見極めることが、
よい対人関係性の基本・基礎であり、鉄則であるとみてよいでしょう。
最後に、人間達の場合を;
≶ 公園のベンチで ≳
緑陰の下で、彼女は、ベンチに腰掛けていました。
束の間の憩いを満喫していたのでした。
辺りは、彼女一人。 一人だけの”私人的・私秘的ゾーン” に
なっていました。
そこへ、一人の若者が現れ、つかつかとやって来て、
大きなバッグを、ドサッと彼女の隣りに。
確かに、ベンチは、二人掛け用。もう一人が座る余裕はある
のですが、
こんな場合は、目に見えなくても、彼女の”ゾーン” を感知、
察知して、邪魔になるかもしれないと遠慮するとか、それとも、
僕にも、このベンチに座って、緑陰の下で憩う権利があると
主張したいのならば、
彼女に、ちょっと挨拶すべきではないでしょうか。
挨拶抜きは、礼儀知らず。彼女の個室へノックをせずに押入る
のと同じ事。彼女の”私人的・私秘的なゾーン” を侵害しています。
彼女の方からは、どんな反応が ―― 。
さっと、ベンチから引き揚げ、退場。 そうなれば、、
”ゾーン” も、〈ほどほど〉=<不即不離〉=〈即かず離れず〉の
<間> も何もかも姿を消してしまいます。
或いは、彼女は、
笑顔で対応。
’何よ、この人は!’ と思わず睨み付けたら、
彼は、かなりのハンサム・ボーイ。 しかも、超元気。
勢い余っての、ちょっと乱暴な振る舞いが、彼女に、ひどく不作法に
見えただけのことでした。
彼女は、すぐに、彼女の”私人的・私秘的ゾーン” を縮小。
(心理的で、不可視な”ゾーン” は、伸縮自在です)
彼の法も気づいて、自らの無礼を率直に詫びて、そして、控えめに
彼自身の”ゾーン” をを設定、そのなかに身を置きました。
2人の間には、楽しいお喋りが始まったでしょうか。
それとも、ちょっとぎこちない沈黙?
いずれにせよ、
双方に、”私人的・私秘的なゾーン” が確保されましたので、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉〉の‹距離›、つまり、<間>も、確保された
のでした。明確に線引きされていません。
むしろ、ぼんやりとして、曖昧。 各々の保有する”ゾーン” は、状況次第。
状況に応じて、その都度、伸縮自在に展開されます。
<間>は、”私人的・私秘的なゾーン” があってこそ、存在するのですから。
―― 押しの強い個人は、<間>の領域へ難なく越境・侵入。
ですから、<間>は、狭小になり、を起こし、様々な衝突、困難が
予想されます。
<間>は、 壊れやすく、繊細。
対人関係上の2人が、それぞれ地震の”私人的・私秘的なゾーン” を
しっかりと”自制” (+’自律’)をこめて、確保することが、〈不即不離〉=
〈即かず離れず〉の‹距離› ―― つまり、
<間>を生かすことになると云えるでしょう。
”絆”
<間>の内容:〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の解明を試みて、2つの
主要な(下位-)要自制”(+’自律’)と”私人的・私秘的なゾーン” について
考察を進めましたが、更に、目下の考察を進展させるためには、これらの
下位-要素とは、’二律背反’ 的な、2つの要素が検討されねばならないでしょう。
一つ目は、”絆”。
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉という慣用句には、既に、相反する2つの意味:
’即く’ と’離れる’ がからんでいますが、、2人の間の<間>では、何処か(で)
繋がっている、結びついている状況が感受・看取されます。
そうでなければ、’即かない’ けれども ’離れない’ のでは、なんだか弱い、
脆弱。 直ぐに、バラバラになってしまいそうな脆弱さが露呈されそうな感じが
します。 やはり、なんらかの繋がりが想定されます。
そこで、再び、広辞苑」へ立ち還って、 先ず、繋がり を調べますと、
つながり
【繋がり】
①つながること。 また、そのもの
②きずな。 連携。 関係。 「血の__」
次いで、きずな を;
きずな
【絆・ 】
①馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。
〔 用例割愛 〕
②断つにしのびがたい恩愛。 離れがたい情実。 ほだし。
係累。 「夫婦の__」
ちょっと、’情緒纏綿’過ぎる漢字もしますので、ジーニアス和英辞典で、
きずな を引きますと、
きずな
【絆】
tie
つながり、きずな、縁; (国家間の) 関係、提携
∦ トムはジョンと友情の絆で結ばれている。
Tom is bound to John by ties of friendship.
bond
〔~の間の〕 (愛情などの)きずな、結束 《tie より強く、一体
と感じられる結びつき。》
∦ 愛情のきずな
a bond of affection
∦ 友情のきずなが2人を結びつけている
Bonds of friendshio unite kthe two men.
kot
(特に夫婦の)きずな、縁
▶共に苦労したことがその家族のきずなを強めた
Common hardships knitted the family together
対人関係性的な<間>における解釈では、”絆”=bond と想定して、当事者者、
精神(心理)的・感情(情緒)的に繋がり、結合する要素として意味づけましょう。
因みに、
”絆”=bond は、<共感>、或いは、一体感に根源的に根差すると考えられ
ますが、そこからの派生素、対人関係性的な<間>の次元では、それほどに
強力でもなく、また、鋭利、過激でもなく、―― 例えば、サッカーの試合で生じる、
熱狂的な、燃えるような一体感’とか、深い悲しみへの共感/同情というような、
深刻で、深奥なものではなく、どちらかと云えば、なんとなく、そこはかとなく、
超-皮膚感覚的な、第六感的に感受される雰囲気/ムードのようなもの。
穏やかで、柔らか、温和 … 無くては存在不可能な、空気のような要素で、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の<間>の基底に横たわっていると想定されます。
時々、耳にする諺: ’お金の切れ目が、縁の切れ目’ に倣って云えば、
”絆”への切れ目が〈不即不離〉の切れ目’ と云うことになるでしょうか。
―― ちょっと、’字余り’な感じ … ?
ここで、再び、事例/エピソードのスケッチに入りましょう。
≶ 再会 ≷
学生時代、第の親友だったクラスメート。
ひとりは、寿退社して、直ぐに、結婚。
専業主婦で子育てに専念。
もう一人は、仕事に生き甲斐を。 充実感に満たされて、
キャリア・ウーマン街道まっしぐら。
それぞれの生活スタイルの違いから、だんだんと接触も、出会い
の機会も少なくなって、お年賀状の交換も、途切れがちに …
2人に間の‹距離› (=<間>)は、’去る者は日々に疎し’ 状態。
嘗て、強かった”絆” も細くなって、途切れんばかり、ですから、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離› も、ずっと離れていまって、
疎遠になりました。
歳月は流れて ――
専業主婦だった菊乃 (仮名)さんは、子育て卒業。
もう一人の恵 (仮名)さんも、
我武者羅な時代を通過して、余裕をもって、LOHASな生き方を
暮らすように。
久し振りに、2人は、再会。
楽しい再会でした。
というのも、
2人の友達の間は、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉よりも、ずっと離れて
いましたが、それでも、2人の”絆” は、途切れそうになりながらも、なんとか
維持されていたのでした。
どれほどか細くなっていても、2人は、どこかで、繋がり、結び合っていた
のです。
再会後は、お互いの人生(の歩み方)を尊重しながら、2人の”絆”
と〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の関係性を程よく維持することに
なりました。
’私達も大人になったわねぇ~’ というのが、
2人の親友達の感想と実感でした。
日常生活世界の諸場面では、”絆” は、切れそうで切れない場合が
多く存在・目撃されるようです。
”文化的枠組み”
”絆” に加えて、”文化的枠組み” とその’相互了解’ が、対人関係的な
<間>を維じじする、いま1つの下位-構成素として挙げらてよいでしょう。
”文化的枠組み”とは、所謂、もの・ことの見方、感じ方、考え方 ――
つまり、知・情・意と行動の依り処となる枠組み、 たとえば、習慣、慣習、
礼儀作法、規範、価値〔観〕世界観… などを含蓄します。
’相互了解’ は、日常生活世界では、潜在的で、’暗黙の了解’裡に
存在するものと考えられますが、けれども、異文化間は勿論、同一
文化圏内に暮らしていてさえも、一般的な枠組みは、同じでも、
地域性や個人的な主観に」おいて2人の間に食い違いやずれ、
齟齬があれば、状況は、複雑になり、様々なトラブルやな味の発生が
懸念されます。
ここで、また、1つの事例を:
≶ 図々しい男子 ≷
彼は、突然、 ドカッと彼女の隣に腰を下ろしたのです。
出会いの最初は、普通、社会的礼儀作法として、身体的にも、
物理的/空間的にも、むやみに近づかないこと、会話をする
としても、 〈ほどほど〉=〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の
‹距離› を置いて、という ”文化的枠組み” が厳存します。
ですから、彼女も、この”枠組み” に基づいて、〈不即不離〉=
〈即かず離れず〉の維持を、彼に期待していたのですが、これは、
彼女の個人な自己了解に過ぎなかったようでした。
彼は、〈ほどほど〉の‹距離› も置かず、まだ”絆” も生まれ
ない状態なのに、ただ、ただ強引な押の言ってで、彼女の
”私人的・私秘的なゾーン” に侵入したのです。 彼は、
一般的は”文化的な枠組み”を無視。当然、当事者間の相互
承認は、不成立。 彼は、個人的な感情、嗜好を優先させて、
彼女へ積極的に接近。つまり、物理的な間隔を狭めて、それ
どころか、殆ど、身体的な接触までエスカレート、直ぐ隣に座って
しまったのです。
親愛の情の表現、そのパフォーマンスと言っても、ちょっと露骨過ぎ。
それでは、<間>も詰まり過ぎ。
侵害された彼女が、’嫌~ネ’ と、眉を顰めれば、<間>は、その
存在を失ってしまい、当事者達も、関わりも、終焉を迎えることに
なるでしょう。
もう一つの事例/エピソードを、
≶ お正月は … ≷
”お正月のお祝い膳は、
丸餅に白味噌のお雑煮よ。”
”何云ってんだよ。 雑煮は、澄まし汁に
決まってんだよっ!”
年の瀬、大晦日も近づく頃、若いカップルの間で、論争が、
始まりました。 大衝突の勃発が予感されます。
一触即発の危機。
2人とも譲らないのです。
彼女は、京風。 彼は、江戸前。
2人は、それぞれそだった環境が、東西に分かれていて、
”文化的枠組み” に相違が、ありました。
カップルの間は、だんだん険悪に。もう普通の会話も、喧嘩腰。
<間>も、どんどん詰まって、テンションは、揚がるばかり。
〈ほどほど〉も〈不即不離〉=〈即かず離れず〉も何処へやら。
穏やかなお正月の朝を迎えるには、―― 二者択一的に、
どちらかの主張 (京風か江戸前 ) を受け入れるか、或いは、
折衷案、江戸前雑煮の京風仕立て、とか まあ、かなり危い
新メニューを創作するとか …
いずれにせよ、
お正月のお祝いを巡って新しい仕来り(”文化的枠組み” )が、
2人の間に、それについて相互承認に基づく 合意が形成され
れば、暴風雨寸前の波風も鎮まり、
’初春の穏やかな海’ のような<間>が出現することでしょう。
因みに、
このような”文化的な枠組み” は、決して厳格に規定されては
いないとと考えられます。柔軟性や融通性を含蓄します。
修正も可能。
ですから、”枠組み” に対して独り善がりな了に満足せずに、
差異や齟齬によって変容・偏重をきたしていないか、をいつも
検討する必要があることが指摘されます。
Ⅲ <間>の維持
前節では、<間>の内容 ―― <間>の主要構成素の1つ、
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉とその下位-構成素、”自制”、”私人的・
私秘的なゾーン”、更に、”絆” や”文化的枠組み” について幾らかの
考察を試みました。
では、このような<間>は、どのように維持されるのでしょうか、
本節では、その過程(/手続き)について検討を進めていくことに致し
ましょう。
≶ ’投げ入れ禁止’ ≷
<間>=〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離›を
維持するための方法の1つは、’投げ入れ禁止’。
<間>は、”虚”、 ’空’。 そして、限りなく’無色透明’、’中立色’ である
ことを想定、望ましいと考察されました。ですから、
このような状況を実現するためには、何よりもまず、個人の主観、
’知情意’ に関わる心理的諸現象、例えば、意見(主張)、先入観、
独断、期待、懸念、不安、苛立ち、怒り、恐怖、焦燥感… などや
強引な身体的接触、や暴力...など個人の実際的行動を何もかも
”虚” には、投げ込まないこと。
’投げ入れ’は、”虚”(/<間>)への、謂わば、’不法投棄’。
<間>への、個人からの侵入・侵害。 個人の精神-物理的なもの
の投入は、飽くまでも、何処までも、思い止まり、遠慮すること、慎み、
差し控えること。 そして、お互いに、自制しし合い、投げ入れない
ことが、相互不投棄の区域を創出し、<間>(=”虚” )の維持を実現
します。
けれども、もし、対人関係性における2人の位置の一方が、意図的に、
或いは、気付かないで、不用意にも、”虚” の区域へ’投げ込み’ を
行った場合、、その行動を阻止・中止させること。
そのためには、先ず、軽く、小さなサインを出して注意を喚起。
’投げ入れないで… ’ と警告します。
この時、相手が、気付いて、投げ入れを慎み、差し控えれば、でしょう。
そして、当事者が、お互いの’投げ入れ’を注意、遠慮し合えるのならば、
猶のこと。更に、お互いが、’投げ入れ’の自粛と相手へ’禁止’の注意・
警告を、その都度繰り返しつつ、 ’投げ入れ禁止’ の’微調整’ する
ならば、<間>は、一層、維持されるでしょう。
ここで、また、事例/エピソードをご紹介しましょう。
≶ 盛り上がり過ぎると… ≷
” すごく同情してしまって… ”
香(仮名)さんは、少し疲れ気味。 最近、友達になったばかりの
沙奈(仮名)さんの打ち明け話に同情し過ぎて、精神的に
苦しくなったようでした。
次の出会いでは、沙奈さんの例の話をやんわりと制して、
” 今日の青空、すごく綺麗わね。”
沙奈さんは、’ 私の打ち明け話が、香さんには負担になったのね…’
と気付いて、趣味の話へ、話題を変更。
今度は、香さんが自分の趣味の話にかなり熱が入って、逆に、
沙奈さんが、ちょっとうんざり顔。
”あら、ご免なさい。 私ばかりお喋りして。”
香さんは、自分の趣味の話を引っ込めました。
暫しの静寂。
2人は、黙りこくって、お茶を飲んでいるのでした。
2人は、彼女たちの間の”虚” へ、それぞれの私情 ―― 個人的な
思い、気持ち…の’投げ入れ禁止’ をお互いに言葉や顔の表情で
サインをだしながら、訴え、要請 しました。 このような振る舞いは、
〈ほどほ’ど〉=〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離› (=<間>)
の維持を実現させることでしょう。
2人の間に生じた’暫しの静寂’ がその証し。
彼女達は、少しぎこちなさを感じたかもしれません。でも、暫くすれば、
この’静寂’ は、お互いへの気遣いから、心の触れ合い、交流を
深め、ぎこちなさよりも、むしろ、”絆” を深める契機になったと
想定するに難くはないでしょう。
’成り行きまかせ’
昔、観た外国映画のシーン。
大の男2人が、突然、激高。 華々しく口喧嘩。 鼻をくっつけ合って、
―― 高い鼻同士ですのでくっつけ易い! ―― 罵り合い。
仲が良過ぎるということでしょうか。
どちらにせよ、2人の間(あいだ)の<間>は、詰まり過ぎ。
緊張度も、親密度も、最大級。 〈ほどほど〉+〈不即不離〉=
〈即かず離れず〉の‹距離›は、もう、吹っ飛んでいます。
こんな場合、<間>の維持は、どうすれば、よいのでしょうか?
’成り行き任せ’ にすることで、それで、十分。
こんな激高の場面は、そんなに長くは続かないものです。 1時間も
経てば、2人共、へとへと。疲労困憊、エネルギーも枯渇して、頭も、
気持ちも落ち込んで、’鬱’状態。
席を立って、退場。座っていても、心理的には、もう、無反応、無関心。
お互いにそっぽ向いたまま。
2人の間には、大きな穴、洞が生じてしまっています。
けれども、実は、この ’穴’、’洞’ こそが<間>を構成し、且つ、
その維持に貢献するのです。 静穏なひととき。
過激な行動は、過激な落ち込みを惹起して、プラス+マイナス=
ゼロ(中立)。そういうことならば、最初、当たり障りのない ――
つまり、’ほどほど’の世間話をして、軽くあっさりとした’即かず離れず’
の付き合いにしておけば、よいのに… と想いますが、
そんな’明鏡止水’ な世界は、地獄。 いえ、地獄よりも退屈?
それでは、人生楽しめないということなのでしょう。
では、どうぞ御随意に。
このご両人、多分 ―― 翌日は、何事もなかったかのように、顔を
合わせて、仲良くビールを飲んで、
それから… は、もう、成り行きに任せましょう。
’押されたら、押し返す’
先ず、’押す’ について検討しましょう。
対人関係性的には、’押す’ということは、’腹八分’ を含蓄するということに
尽きると想定されよいでしょう。
’腹八分’ の意味内容を広辞苑で調べますと、
はら-はちぶ
【腹八分】
腹一杯で食べず、八分目くらいの控えておくこと。
腹八分目
ジーニアス和英辞典では、
腹八分にする 〔=ほどほどに食べる〕
eat moderately
上掲の ’腹八分’ の語釈を、対人関係 的に解釈しますと、
’押す’ は、100%エンジン全開で、押し捲るということではなく、80%
の辺りで、踏み留まって、押すこと。 そうすれば、その分、相手側にも
余裕が出来て、その結果、お互いに押し合わず、(’押し問答’ にも
ならず) 静穏な<間>が、現れることでしょう。
もう少し、分析しますと、
2人の対人関係性を、平等と想定した場合、平等は、別減すれば、
半々、5分5分。そうしますと、対人関係性では、2人それぞれの’押し’の
可能な範囲は、全体を折半して、半分=50%。 ’腹八分’ は、個々人の
全体(半分=50%)の80%。 ですから、40%。 この40%の辺りが
、個人が押してもよい ’押し’ の可能な範囲と想定されます。
そんなに強くは押せない、ということですね。
何事もほどほどに…
ところが、
それなのに、彼女は、――
≶ ’押し’の強い女子 ≷
彼女は、気が強くて、お喋り好き。
しかも、独り善がりで、’一人舞台’。 相手の相槌を待つ間もなく、
一人で頷きながらのお喋り。テンポが速く、喋り捲り、押し捲り。
<間>を取らない、‹距離›を置かない、≺間合い≻は、どんどん
狭くなる一方。
彼女は、〈ほどほど〉+不即不離〉=〈即かず離れず〉の
<間>を無視するばかりか、相手側の”私人的・私秘的な
ゾーン” へ無遠慮に、何の躊躇もなく、踏み込んで、這入り
込んでしまっているのです。
こんな場合、どうすれば、良いのでしょうか。
’押し返す’ こと。
ちょっと嫌な顔をするとか、観振りや動作、或いは、言葉で、
” ちょっと待って、今の話の意味よく分からなかったヮ。 もう1度、
ゆっくりと 説明してくない?” ―― 軽く、やんわりと。
でも、彼女の方は、無視、拒絶。 それどころか、”私(の話)に、何か
不満でもあるの? 何処が気に入らないの? ”
眉毛まで吊り上がって来そうな気配。
でも、 不満が一杯あるのです。
彼女の話は、自慢話ばっかりで、うんざり、退屈。 それに、一人喋り
も気に入らないのよ、と、こちら側も高圧的な態度に出ることも予想され
ますが、そんな時は、辛抱強く、粘り強く… ’低音’ で。
彼女の過度の一人喋り、 彼女の’押し’ は、’平等の精神’ からすれば、
ちょっと、アンフェアー、規則破り、 とそれとなく訴えて、彼女が、
彼女の’越権行為’ から、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉
の‹距離› へ引き返すように、押し返すこと。
そして、一度の試みで、彼女に通じなくても、あっさり諦めて、
引き下がらずに、もう一度と、或いは、幾度も、繰り返すことも、
時には、有り、かもしれません。
ところで、
’押し返し’に必要な要件は、上述のような辛抱・忍耐と、もう1つは、
’時機/タイミング’
広辞苑を調べますと、
じ-き
【時機】
適当な機会。 ちょうどよい時。 ころあい。 おり。
しおどき。「__をうががう」 「__到来」
タイミング
【timing】
適当な時を味はからうこと。 時宜を得ること。 また、ちょうど
よいころあい。 「__がずれる」
’押し返す’ ためには、上掲の語釈に従えば、適当な機会 (時機)、
ちょうどよい時;ちょうどよい頃合いを窺うこと、見ること、待つことと言えます。
では、どのような時機/タイミングで’押し返せば ――
直ぐには早急。 拙速は避けなければ、<間>が、詰まり過ぎて、状況は、
むしろ、もっと、悪化しかねません。かと云って、待ち過ぎるのも、≺間延び≻、
≺間遠い≻ ことになって、 ’押し返す’ 時機を失ってしまうことにも。
ある程度まで、彼女の歩調・波長に合わせてながら、その時、機会をみて、
判断します。
例えば、彼女が、ふっと、一息入れた時とか、期の緩みが見えた時とか、
ちょっと、’押し返す’ ―― 息継ぎの時(期)は、絶好のチャンスかも
しれません。
こうして、彼女が、自分の不作法 ( ’押し捲り’ )に気付いて、一歩譲って、
これまでの態度を改めるようになれば、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=
〈即かず離れず〉の‹距離› は、自然に、維持されることになるでしょう。
けれども、なかなか上手く行きそうになかったら、ーー その時は、
別の方法を選択しましょう。
’退場 ’
ここでの対人関係性的<間>では、’引く’ は、、’牽引する’、’引っ張る’ と
いうような意味合いよりも、’身を退(ひ)く’ といった場合の’退く’ (=
’引く’ )を想定、意味します。
因みに、広辞苑で検索しますと、
みをひく
【みを退く
①後ろにさがる。
②表立った場所からしりぞく。 これまで関わってきたことから
離れる。 「政界から__」
このように見ますと、
<間>の維持のための’引く’ (/’退(ひ)く’ )には、’撤退’、或いは、
’退場’ が、近似しているように考えられます。 そして、この考えには、
’一時的に’ という条件が付帯しています。
そうなれば、<間>は、‹間遠い≻ ことになり、<間>どころか、2人の対人
関係も、やがて、消滅してしまうでしょうから。
≶ 姉妹の’シェア・ハウス’ ≷
姉妹は、別々にマンション暮らしをしていました。
ところが、不況続くで、給料カットに遭い、やむなく、共同生活を
始めることになりました。
今まで、勝手気儘なシングル・ライフ。 直ぐには、慣れなくて
―― お互い自己主張が強く、些細な事にも、いちいち対立・
衝突する有り様。
例えば、’家庭菜園を作りましょうよ’ という提案には、どちらも
異存はないのですが、けれども、
姉は、’野菜がいいわ。 パセリ、、レタス、トマトは、ハート型の
があるのよ。’
妹は、’なんといっても、薬草、ハーブよ。 マリーゴールド、
バジル、セージ…色んなハーブ・ティーを作って、素敵な午後を
楽しみたいの。’
趣味と意見の衝突は、次第に、モデレートからアレグロ。
もう、喧嘩になりそう。
そうなりますと、
姉妹は、急いで、それぞれの部屋へ、一旦、 ’退場’。
一時的’撤退’ です。
≺間詰まり≻状態を、物理的な距離、間隔を置くことで解消を
試みるということでしょう。そして、そのためには、精神/心理的な
距離の確保も大切なのです。
この場合は、姉妹は、反目が長引きそうな気配を感じ取ると、
自室から出てきても、目を合わさず、言葉も交わしません。無視も、
時には、有効な手段。 自室から出ても、それぞれの”私人的・
私秘的なゾーン” は、保持されたまま。
ひとまず、’退場’/’撤退’ して、”ゾーン” に引き篭もることは、
2人の関わりを中断し、その結果、衝突で≺間詰まり≻だった
<間>の片づけ、清掃をして〈ほどほど〉+〈不即不離〉=
〈即かず離れず〉の‹距離›を開放。 ”虚”を実現します。
そうすれば、麗かな春の訪れも…
他方、”私人的・私秘的なゾーン” では、姉妹とも、それぞれ
頭を冷やして気を鎮めるように。 この鎮静化の期間
(’冷却期間’ )には、精神・心理的にも、物理・身体的にも、
接近は、不要。 接近は、無駄な努力。
’退場’、’撤退’ が、最適な方法です。
そして、状況が、落ち着くまで待つことです。
待つ間に、<間>(の維持)が回復することでしょう。
’黙り戦術’
≶ 妻の不満 ≷
彼女の不満は、食事時、”夫との会話が全然なくって…
まるで、石像相手に一人ぽつねんと’弧食’をしているみたいで
寂しいの。”
深く同情した友人は、彼女の夫に、”お食事中には、お話し
なさらないに? と尋ねると、”そう言われても... ”
気のない返事。
或る日のこと、ご夫婦の食事風景を垣間見ることがあって、
彼女は、吃驚、 びっくり。
”あれじゃ… ” と絶句してしまいました。
食事中は、彼女(妻)の独壇場。 独演会。 彼女一人が、喋り
捲り。 夫が、一言でも話せば、舌鋒鋭く、数々の言葉、雑言の
雨霰。
”これでは、もう、’黙り戦術’しかないわね … ”
ひたすら、ただ黙々と食事を続ける夫に、すっかり同情してしまい
ました。 が、もし、ぞんな感想を口にすれば、今度は、彼女相手に
集中口撃が始まりそう。 彼女は、賢明にも、沈黙を守りました。
彼女もまた、’黙り戦術’ を決め込んでのでした。
言わぬが花。
沈黙は金、雄弁は銀。
言わずもがな。
ということでしょうか。
いずれにせよ、
口を利けば、修羅場。
そうとは云え、尽黙を押し等洗馬、確かに、<間>は、彼女(妻)に
完全に占拠されてその維持は、無理にます。 けれども、もし、夫が
彼の”私人的・私秘的なゾーン” をなんとか維持すれば、その内、
彼女も食事を終えて、デザートにアイスクリームを、ということになれば、
彼女のテンションも低下。
食卓には、何事もなかったかのような、平穏無事な世界が蘇って、
〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離›、つまり、
<間>が、―― 多分、束の間のこととは 思いますが、――
維持されることでしょう。
沈黙は、このように、<間>の維持のための有効な手段。
でも、黙っているだけでは、不十分。 辛抱強く。
辛抱することが、大切。
南太平洋は、イースター島のモアイ像のように泰然自若に。
或いは、水仙のように、春の訪れを、静かに、辛抱強く待つ気持ち。
沈黙は、何より、忍耐、辛抱を含蓄するのですから。
’柳に風と受け流す ’
≶ 気の弱い夫 ≷
”結婚する前は、真面目で、仕事熱心だったの。
それが、半年経ったら、お酒を飲み始めて、
一年後には、仕事も辞めて、一日中酒浸り、乱暴も、DVよ、
するようになって、とうとう息子2人を連れて離婚したの。”
彼女は、フルタイムのウオーキング・ウーマン、勝気で、
我が強く、自尊心も強い。 そして、口調が、ちょっときつい…
夫婦喧嘩を擦れば、彼女の圧勝。
〔聞かなくても、分かります。〕
多分、年収も彼女の方が、かなり上。
”しっかり 働いてよ” と叱咤激励。
〔彼女も、しごとに、育児に、疲労が蓄積。 ストレス解消もあって、
夫に八つ当たり気味だったのかもしれません。〕
意識上は、どこまでも、夫のためを思っての言動でしたが、それは、
余計に、気弱な夫を、ますます追い詰めることになり、
彼は、逃げ場を失って、お酒に逃避。 彼女より年収の少ない
仕事にもやる気を失ってしまったようでした。
彼女の夫は、’聞き流し’ が出来なかったのでしょうか。
生真面目、攻撃され易い性格が、ハイ・ピッチ、ハイ・トーンで繰り
出される彼女の一言、一言を ―― ですから、<間>の間隔は、
狭くなるばかり、余裕がなくなり、テンション/緊張は増すばかり ――
そのまま、まともに 受け留めてしまい、心の傷を深めて行ったのでしょう。
ちょっと音響効果の悪い雑音・騒音型のBGM とぐらいに感じて、
やり過ごせば、良かったでしょうに…
夫に相手にされない状況が続けば、彼女も、音声が落ちて、やがて、
諦めモードに。 彼への過度な関わり(’叱咤激励')から身を引いて、
ストレスの捌け口を他に見つけたのではないでしょうか。
そうなれば、
彼女に侵入・侵害され続けていた彼の”私人的・私秘的なゾーン” も
確保され、彼女も、また、彼女の”ゾーン” へ’退場’ することで、
<間>の維持も可能になったように想えます。 彼女が、〈ほどほど〉+
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離›を保ちながら、
穏やか話し合いをするようになれば、ひょっとすれば、否 ―― 多分、
彼は、再び、結婚前と同じ様な、真面目で、仕事熱心な働き者に
立ち戻ったことでしょう。
残念なことでした…
ここで、また1つ、エピソード/事例の素描をしましょう。
≶ 新入社員の心得 ≷
子育て中の彼女。 仕事は、フルタイム。
夫は、単身赴任中。 週一回の帰宅時には、ゲームに熱中。
’子育ても、家事も、私一人に任せっきり、’
とフラストレーションは、募るばかり。
そんな時のことでした。
新入社員のA君が、優しく接してくれて、
’もしかしたら、私の愚痴や不満を聴いてくれるそう … ’
と彼女は期待しました。
” ’大変ですねぇー’ と優しく相槌を打って、頷いて、さり気なく
席を立って、気が付けば、何処かへ行ってしまっているの。
なんだか、上手にはぐらかされてしまっている感じ。
私、いま、ひどく不安定。 精神的な支えが、甘えられる
誰かが、すごく欲しいのに…
彼女も、’孤軍奮戦’ で、大変なのでしょうけれど、A君の側から見れば、
彼女の甘えは、’柳に風’ と受け流し、彼女との‹距離› ――
つまり、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の<間>、を
堅持して先輩女性との関わりを、友好、且つ、良好に保つよう心掛ける
ことが、新入社員としての心得。
彼女は、やはり、夫と相対、対話の時、場を設けて、自分の気持ちを、
彼に吐露すべきでしょう。
因みに、 ’柳に風’ を、
広辞苑を調べますと、この諺の見出し語はなく、代わりに、
やなぎにかぜとうけながす
【柳に風と受け流す】
すこしも逆らわずに巧みに受け流す。 「柳に風」
「柳に受ける」とも。
と説明されています。
説明が比喩的レヴェルのものだけなので、文字通りの語釈 (直訳)も
望ましいと想われますので、故事ことわざ&四字熟語辞典へ進みますと、
やなぎにかぜ
【柳に風】
「意味」 しなやかな柳がなよなよと風になびくように、相手に
逆らわず、さらりと受け流してあしらうことのたとえ。
「注釈」 「風に柳」 「柳に風と受け流す」ともいう。
「類語」 馬耳東風
上掲の語釈を踏まえますと、
'柳に風’ とは、相手の’押し’ ―― 例えば、無理強いな発言や強引な
主張などの行動で、時には、相手の’押し’がきつくて、ちょっと手痛い傷を
負うことがあっても、大きく反応せず、穏やかに対応して (’押し返して’ )、
自分の思い通りに行動することが、やはり、最良であると云うことを
意味すると云えるでしょう。
更に、’柳に風’ に類似した、他の諺、’暖簾に腕押し’ を、広辞苑で
調べますと、
のれんにうでおし
【暖簾に腕押し】
相手に対するとき、力をいれても手ごたえがなく、
張り合いのないことのたとえ。 「糠(ぬか)に釘」 と同義語。
更に、ここで、事例/エピソードを、もう1つ。
≶ 何を考えているのやら ≷
”ほんとにわからないわ、うちの息子のことよ。
だって、何を聞いても、生返事しか返ってこないんですもの。
今日、学校 どうだった?
うふ~~~ん
ちゃんと勉強した?
うふふう~~ うう~〰 ぅうう ~
この間あげたお小遣い、あれで、ちゃんと参考書買った?
えっ あはぁ 〰〰 ふぅ~
受験、何処の大学にするの?
ふぉ~~ん ふ~ぁ ... ...
ママが薦める志望校は、嫌なの?
ふほぁ~ ん へㇹ~はぁ ~~
そんな調子じゃ、間々は兎も角、ガールフレンドが出来ても
すぐに嫌われるわよ、
と云っても、
はぁぁ かぁ ふう ~~ ふぉ~~~
とこんな調子なんだから、
えっ、息子の身長? 180㎝ よ。 体重?
ふぉ 〰~ ふあぁ ~ よ。
あの子の将来を考えると、心配で、心配で、’夜もおちおち
眠れない’とは、まさに、私の今の心境そのものよ。
ほんと、どうしてこんな風なのかしら …
この場合、 母親が、押し過ぎ。 過保護、過干渉。
’暖簾に腕押し’ といっても、これでは、暖簾を布製から鋼鉄製に変えねば、
息子は、到底、防戦できないでしょう。
ですから、 息子は、鋼鉄製の暖簾の代わりに、’馬耳東風’ を決め込んだ
のでした。 彼は、もし鋼鉄製の暖簾を盾に母親に対抗すれば、
母親は、腕をきっと骨折することになるかもしれない、 そのことを気遣って、
’ふㇹ~~~ん ふはぁ~~~ ’ を 繰り返したのでした。
心優しい息子… です。
彼女が、強引な’腕押し’ を差し控えれば、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=
〈即かず 離れず〉の‹距離›、即ち、<間>は、維持されます。
そうすれば、
2人、母親と息子の間には、’真面な’ 会話が成立することになるでしょう。
後日談 ――
息子は、身の程に合った大学を受験、合格。 親元を離れて、 一人暮らし。
可愛いガールフレンドにも、めぐりあえて、学生生活を楽しく享受しました。
過保護、過干渉気味の母親の危惧は、杞憂でしかありませんでした。
因みに、
’馬耳東風’ は、 広辞苑に依れば、
ばじとうふう
【馬耳東風】
〔 李白、答王十ニ寒夜独酌有懐詩 〕 (馬のみみに東風の吹く意。
春風が吹くと人は喜ぶが馬は何の感動も示さない) 人の意見や
批評など、心に留めずに聞きながすこと。 馬の耳にかぜ。
いずれの諺も、’心に留めず、受け流す’ という意味解釈が、一義的には、
少し、無責任な響きも看取されますが、<間>( /〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉の‹距離› ) の維持には、非常に有効な方法の1つ。
真正面からの正統派的な攻撃 ( アタック )、対応も大切でしょうが、
ちょっと外した’サイド・アタック’ ( 側面攻撃 )も、ときには、いいので
はないでしょうか。
’逃げるが勝ち ’
≶ エリマキトカゲさんの場合 ≷
TV のCM で観ました。
手強そうな相手に出会って、スカーフを畳んだような襟飾りを、まるで、
’大風呂敷を広げる’ように広げて、威嚇。 相手が怯んだ隙に、
超蟹股の後ろ脚だけでたちあがったまま、バタバタと逃ゆげ行く姿が
ユーモラスで、可愛いくて、―― ご本人は身を守るため真剣そのもの
なのでしょうが ―― このCMの映像を見る度に、
噴き出してしまいました。
’逃げるが勝ち’ です。
対人関係的な<間>の維持も、’逃げ’ は、大切な方法の1つ。
逃げて、逃げて、 その間に<間>は、どんどん広がりますが、
その広がりの間隔が、エリマキトカゲさんの場合にいは、餌食にされない
ための、ほどよい<間>と云えるでしょう。
’逃げるが勝ち’ です。
因みに、 広辞苑に依りますと、
にげるがかち
【逃げるが勝ち】
強いて争わずに逃げる方が勝利に至る道である。
関連する成句に、’三十六計逃げるに如かず’ があります。
広辞苑を調べますと、
さんじゅうろっけいにげるにしかず
【三十六計逃げるに如かず】
〔南斎書(王敬則伝〕〕 「敬則曰く、檀公の三十六策、走(に)ぐるは
是レ上計なり」逃げるべき時には逃げて、身の安全をはかることが、
兵法上の最上策である。 困った時には逃げるのが得策である。
故事ことわざ&四字熟語辞典では、
さんじゅうろっけいにげるにしかず
【三十六計逃げるに如かず】
「意味」 計略もさまざまあるが、不利な状況に追い込まれた
ときには さっさと逃げるのが最良の策である。
逃げるということも重要な作戦の一つだということ。
〔 以下割愛 〕
上掲の語釈を踏まえながら、事例/エピソードを。
≶ 趣味のサークルで ≷
彼女は、一念発起して、退社後の自由時間を有効に楽しみましょう、
と趣味のサークルに参加。
ヴェテラン会員の方が、初心者の彼女 を優しく手ほどき、
お陰さまで、彼女は楽しいひと時を過ごしました。
ところが、
一年ほど経つと、その会員の方の態度が、急変。
嫌がらせが始まりました。 他愛もないことに、例えば、お化粧の
仕方がどうとか、スカートの丈が長過ぎるとか…
最初は、気に掛けないことにしていたのですが、
執拗に続くと、彼女もうんざり。
さっさと、趣味のサークルを退会しました。
彼女(ヴェテラン会員)は、無分別にも、―― ひょっとして、意図的に、
彼女との間に<間>を置かずに、押し入ってきたようです。こんな場合は、
<間>の維持に努めるよりも、解消を。 そして、関わり を解消することも、
1つの選択です。
因みに
嫌がらせの原因は、彼女の作品が、高い評価を受けるようになったこと。
それが、ヴェテラン会員の気に入らなかったことのようでした。 だからと
云って、サークルに残りたいと望む積極的な理由も、特に、見当たりません。
ですから、彼女(ヴェテラン会員)と良好な対人関係性を何とか続けようと、
あれこれと気遣い、思い悩むのは、エネルギーの無駄使い。
不毛の浪費。
'趣味のサークルは、他にもあるのだから、また、探せばいいわ。’ と
云うことになりました。
こうなりますと、まさに、エリマキトカゲ戦法。
彼女は、遠慮せずに、退会を即断しました。 さっさと逃げ出したのでした。
「兵法上の最上策」を採用したのでした。
人間は、磯の岩肌に固着している磯巾着(イソギンチャク)でもなければ、
岩礁に固着している藤壺(フジツボ)でもなく、海底に固着している珊瑚
(サンゴ)でもありません。
動物、’動く物’ なのです。移動可能。 自由です。
この長所を最大限に活用して、さっさと逃げましょう。
’逃げるが勝ち’ ということは、試合をして勝ち負けを決めることでも、
雌雄を決することでもなく、勝負を競うことでもないのです。また、
外部環境界(勢力)に屈服して、’負けて、逃げる’ ことではないのです。
その前段階で、状況の不利をしっかりと看破して、自らの意志
と決断を拠り所に、’逃げる’ つまり、退却するのです。
<間>の維持は、不可能、無理、無駄な努力、不必要… と見做せば、
<間>も、対人関係的な繋がりも、潔く思い切ること。
あれこれと理由を挙げ連ねて、うじうじと未練を残さず、執着心を捨てて、
躊躇うことなく、あっさりと、断念すること。 ’断念’こそが、’逃げる(が勝ち)’
の含蓄する処であり、対人関係性の世界の更なる、或いは、新しい発展の
発条(ばね)となると云ってよいでしょう。
’ 追い詰めない ’
この方法は、’(押されたら、)押しかえす’ 戦略とは、二律背反的なもの。
相手を、とことん、何処までも、追い込まないこと。 窮地へ追い詰めないこと。
弱い相手だからと言って、徹底的に打ちのめさないこと。
その一歩、二歩手前で、自制・抑制、自己-抑制すること。
ここで、念頭に浮かんだ語句が、
’武士の情け’
時々、耳にしますが、あまり関心がなく、武士の礼儀作法なのか、
兵法・戦略の1つなのかも定かでなく、それで、広辞苑で調べますと、
意外にも、この語句の見出し語は見つからず、ちょっと吃驚しました。
そこで、
故事ことわざ&四字熟語辞典を調べますと、
ぶしのなさけ
【武士の情け】
「意味」 武士が自分より弱い者に与える恩恵。 転じて、
強いものが弱いもののほどこす恩恵。
と説明されていました。
対人関係性的にみますと、 つまり、<間>と云う文脈関係からみますと、
上掲の’恩恵’ は、 ―― あくまでも、筆者の個人的な解釈ですが、
―― 喜捨やお布施など、(物的な)恵みを与えるという意味ではなく、
弱いもの/相手を最後まで追い詰めず、相手に、逃げる余裕を与える
ような寛容さを指すと想定されます。
そうでなければ、’窮鼠、猫を噛む’ 事態になるでしょう。
この諺を、広辞苑で調べますと、
きゅうそねこをかむ
【窮鼠猫を噛む】
追いつめられた鼠が猫にも食いつくように、絶体絶命の窮地に
追いつめれれて必死になれば、弱者も強者を破ることがある。
更に、故事ことわざ&四字熟語辞典で調べますと、
きゅうそねこをかむ
【窮鼠、猫を噛む】
「意味」 追いつめられると、どんな弱いものでも、死にものぐるい
になって戦うから、とうていかなわないと思われるような相手でも
倒すことがあるということ。
追いつめれば、相手との<間>は、その〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉の‹距離›は、消滅。精神的にも、物理的にも余裕を
失うと、追い詰められた側は、我慢、忍耐を越え、更に、生命の危機を
感じるようになると、逆襲へ。 つまり、’窮鼠猫噛む’状況へ。
≺作用ー反作用≻、≺攻撃ー反撃≻ の原理/原則を弁えておかなければ、
予期せぬ結果を招致することになるでしょう。
ですから、
相手に対して、”逃げ道” を開けておくこと。相手の反撃を恐れて、
逃げ道を塞いで、粉砕してしまえば、とことん押し捲って場外に
押し出してしまえば、<間>の維持どころか、2人の対人関係も、
相手本人すら失ってしてしまうことになります。
何もかも、すっかり失うことになるでしょう。
ですから、
”逃げ道”は、不可欠。
この”逃げ道” の先にあるのは、”私人的・私秘的なゾーン” です。
逃避、休憩、休養、そして、傷心であれば、治癒の場。 そこには、
今一度、相手に対応するための準備、充電の期間。 こちら側も、
深追いはせずに、、一旦、休戦。焦らずに相手の再起を待つこと、つまり、
≺間詰まり≻を起こさないように、しっかりと‹距離› を置くこと。
’追い詰めない、’ ’追い詰められない’ の状況が成立すれば、そこには、
〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の≺距離› の維持が
実現することでしょう。
ここで、亦、1つの事例/エピソードを素描しましょう。
≶ 夫婦喧嘩の果ては… ≷
”もうっ! 私の話なんか全然聞いてくれないのよ。
〔彼女は、教育熱心な専業主婦、パート・タイムの仕事
をしています。〕
”そうなると、こちらも向きになって、つい声高になると、
向う (夫)は、折れるどころか、同じ様に、ピッチを上げて、
歯向かって来るんですもの。
大喧嘩よ。 でも、なるべく声は、低くよ。
だって、ご近所には迷惑でしょうし、子供たちにも聞かせ
たくないし ... ”
〔 喧嘩は、どんどん加熱、エスカレート。〕
”もう離婚よ! 実家へ帰るわ。”
’もう、離婚よ’ は、彼女のいつもの ’決め台詞’。 時々、子供達を
連れて実家へ遊びに帰ることはあっても、離婚は、気配すらありません。
周りの人々は、皆、彼女は、幸福な家庭生活を送っていると
信じています。
彼女は、喧嘩の後は、いつも、ちょっと反省。 けれども、喧嘩が
始まると、喧嘩に専念してしまって、折角の反省を、忽ち忘れてしまう
のですが、反省の気持ちは、何処か彼女の脳裏に留まっているようでした
反省は喧嘩の抑止力。
一歩踏み留まって、舌鋒鋭く ―― 彼女は、かなり理論的に畳み掛ける
タイプですが、―― 彼を、とことん追い詰めることは、しないのでした。
いつも、幾らかの<間>を置いて、例えば、窓を開けに行ったり、
クッションを背にしてソファに座り直したりして、喧嘩の間合いを考え
ながらの喧嘩なのでした。
夫の方も、毎回懲りることなく、彼女の言動には、血気盛んに応戦して
いるのですが、彼女の休戦のサインやパフォーマンスには、素直に
応じているのでした。 その上、
彼は、彼女と華々しい喧嘩を発条に、つまり、新しいエネルギー源として
有効活用して、仕事に、趣味に、人生を楽しんでいました。
2人は、追い詰めず、追い詰められず、何とか、〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉の‹距離› を置いて、<間>を維持。
―― なんとか、そう出来れば、よいのじゃないでしょうか。
Ⅳ <間> の構成
夫: そんなこと、今更、謂わなくとも、分かっている筈だ。
妻: (私が) 何も分かっていないのが、貴男には、全然
分かっていないんだからっ。
熟年カップルのちょっと頓珍漢(とんちんかん)な会話。
2人の間の思いや気持ちの食い違いが、いつの間にか、深刻になって
きました。
このままエスカレートすれば、2人の間の<間>(=〈ほどほど〉+〈不即
不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離›)は、消滅。長年培われた夫婦の間柄にも
大きな亀裂が、そして、破局も…あり得るでしょう。
こんな時に取り交わされる言葉は:
”とにかく、しっかり向き合って、じっくり話し合ってみたら?
話し合うことが、一番よ。”
これは、日常生活世界でよく使われている常套句。
対人関係に支障を来す、いろいろな困難やトラブルを解決・解消するには、
―― 別言しますと、そのための<間>(=〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉)の‹距離›)を構成するには、⊰話し合い⊱ が最も有効な
方法と想定されます。
本節では、⊰話し合い⊱について考察・検討して行きましょう。
先ず、
この語句をめぐる広辞苑の語釈を、連鎖的に、検索 (一部抜粋)し、
列挙しますと、
はなし⁻あい
【話し合い】
理解を深めたり問題を解決したりするため、はなしあうこと。
相談。 交渉。 「__を待つ」
〔 イタリック箇所は引用者、以下同様 〕
そう⁻だん
【相談】
互いに意見を出して話しあうこと。 談合。 また、他人に意見を
求めること。 「対策の__をもちかける」 「人生__」
「__事(こと)」
だん-ごう
【談合】
話合うこと、談じ合うこと。 相談。
〔 以下割愛 〕
こう⁻しょう
【交渉】
①相手と取り決めるために話し合うこと。 かけあい。 談判。
「値引きを__する」 「__が決着する」
②かかりあい。 関係。
「隣近所と__がない」 「__を待つ」
かけ⁻あい
【掛けあい】
①互いに掛け合うこと。 「水の__をする」
②両軍の兵力が正面からぶっつかること。
〔用例割愛〕
③話し合うこと。 談合。 談判。
また、また、語釈の’堂々巡り’ に突き当たったようですので、広辞苑に
おける語句の検索は、打ち止めにしましょう。
そして、今までの検索結果として、⊰話し合い⊱ の関連語、―― イタリックで
照明した者達、相談; 談合; 交渉; 掛け合い の全てに ⊰話し合い⊱
という語釈が含蓄されていることが看取されます。
この意味でも、⊰話し合い⊱ の対人関係性上の重要性は深く認識され
ますが、では、この ⊰話し合い⊱ の具体的な内容は? ということになり
ますと、明快な答えを辞典的には見出すことが出来ませんでした。
そこで、 仕方ありません。 少し強引かと思いますが、また、また、
創造の翼を羽ばたかせて、この内容について恣意的な考察を試みること
にしました。
その前に、一言付け加えさせて下さい。
⊰話し合い⊱は、<間>(=〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の
‹距離›)を構成を構成するための過程、第一義的要件として想定されて
いますが、反転して、⊰話し合い⊱の過程(成立)のためには、その’潤滑油’
として、<間>が、必要要件に他ならないということ。
⊰話し合い⊱ と<間>は、相互入れ替え可能な二十抗争が内在していると
いえます。
換言しますと、対人関係性上の ⊰話し合い⊱ は、2人の間にいろいろ困難や
トラブル ―― 意見の衝突や感情的対立・・・ などが生じて、<間>の
維持に支障を来すようになった場合、その再構成(修復・再生) のための
ものであると同時に、この⊰話し合い⊱ のために、何よりもまず、<間>の
維持が望まれるということです。
ちょっと、ややっこしいお話しですが、
何はともあれ、
⊰話し合い⊱ を、<間>の構成のための過程としてとらえて考察を進めて
参りましょう。
⊰ 話し合い ⊱
⊰話し合い⊱ の具体的な手続き/戦略には、’意見表明’; ’聴き上手’;
’意見の交換’; ’譲歩’; ’妥協’ が挙げられてよいでしょう。
’意見表明’
<間>の維持のために、前節では、どちらかと言えば、消極的な方法
―― ’黙り戦術’; ’柳に風’; ’逃げるが勝ち’; 等を検討しましたが、
それは、多くの場合、<間>が、何とか維持されれば、良し、とする発想・
考えから、なるべくなら現状を破滅的に損なわない穏やかな、謂わば、
事勿れ主義的な遣り取りが想定されたことを意味します。
ここでは、より積極的な方向転換を図って、’意見表明’ に照明を当てる
ことにしました。
’意見’ の語義は、包括的であり、認識、認知、思考、感情、情緒、意志…
など、‹知情意› 的意識現象の多岐に渡ります。
このような’意見’を表現する際は、はっきりと、明快、明確に。
独り善がり、一人合点、独り言するような目前の相手を等閑、疎かにしつつ、
行う’意見表明’は、不可。 ことらの思いが伝わるような、自分自身の立場を
明確にする発言こそが、第一です。
意見は、’主張’ より ’表明’ が妥当と云えるでしょう。
’主張’ は、ともすれば、2人の間で、先鋭化し易く、―― 例えば、
’売り言葉に買い言葉のように、衝突し、波瀾を呼びます。 ですから、
’意見表明’ は、’押し’。 この’押し’ は、’全力投球’ではなく、’前節で
既に考察・検討しましたような、腹八分目 の力。 つまり、当事者の’押し’
の可能な範囲の80%。 2人の間の力関係を平等 (五分五分) と想定し
ますと、1人につき、50%なので、×80%=40%の力の’押し’ が妥当。
⊰話し合い⊱ での’意見表明’ は、対人関係性上の<間>の世界では、
意見を表明すると云っても、40%の範囲に収められる行動を指します。
”ほどほど”が望ましいといってよいでしょう。
この”ほどほど”=40%の範囲で、効率のよい’意見表明’ をすることが、
<間>の構成にとっては、重要な鍵と云えるでしょう。
’何事もほどほどに’
moderation in all things
です。
’聞き上手’
相手の意見や言い分を聴覚的に受け取るやり方には、2種類あります。
’聞く’ と ’聴く’
’聞く’は、あまり意識せず、注意せず、無為、無策に聞こえる、聞こえてくる
ものを聞くこと。勿論、聞き流すことが、大切な場合もあります。
けれども、相手の意見を聞くということは、意識して、注意して、耳を
傾けることを意味します。
因みに、広辞苑を検索・一部抜粋しますと、
き-く
【聞く・聴く】
❶原語・声・音などに対し、聴覚器官が反応を示し活動する。
〔以下割愛〕
①聴覚器に音の感覚を生ずる。声・音が耳に入る。
〔用例割愛、以下同様〕
②人の言葉をうけいれて意義を認識する。 聞き知る。
③他人から伝え聞く。
④聞き入れる。 従う。 許す。
⑤よく聞いて処理する。
⑥注意して耳にとめる。 傾聴する。
⑦(「訊く」とも書く)尋ねる。問う。
更に、’聴く’ に絡んで、’傾聴’ を調べますと、
けい-ちょう
【傾聴】
耳を傾けてきくこと。 熱し御にきくこと。
「__に値する意見」
’聞く’・’聴く ’は、主として、’聞き知る’、’よく聞く’、’聞き入れる’ ことと
云う風に語釈されており、’傾聴’ は、’耳を傾けて聞くこと’ を意味すると
解釈されますが、それだけでは、 不十分。
”そんなこと、云っても ( 云わなくでも ) ... ”
”そんなことぐらいで、いちいち ... ” 等と
相手の意見を、押し返したり、切り返したりせずに、特に、相手に対する
否定的な評価は、抑制・自制して、’虚心坦懐’に聞く/聴くこと。’聞き上手’
の心得です。
そして、’聞き上手’ になるには、思いやり の心が必要です。
広辞苑に依りますと、
おもいやり
【思い遣り】
①思いやること。
〔用例割愛、以下同様〕
②気のつくこと。 思慮。
③自分の身に比べて人の見について思うこと。
相手の立場や気持ちを理解しようとする心。 同情。
「__のあるひと」
思い遣り は、配慮。
それは、相手の気持ちや立場に想いをめぐらすことであり、相手の身
について理解しようとする心。英語の成句、<put oneself into 〔in 〕
O 's shoes > = 〈人〉の身になってみる ―― ジーニアス英和辞典
より ―― ことを意味すると捉えてよいでしょう。 念のため、OXFORD
英英辞典で調べますと、shoe の見出し語の下、
shoe
〔IDMの項で〕
be in sb' s shoes | put yourself in sb's shoes
to be in, or imagine that you are in, another person's
situation, especially when it is unpleasent or difficult one..
______________
〔対象〔相手〕の立場に立つ | あなた自身を対象の立場に置く
他の人の状況にある、または、あなたがそうであると想像する
こと、特に、それ〔状況〕が、不快だったり、つらいものであったり
する時。 ーー 翻訳、 引用者 〕
__________
より平易にいえば、他の人が、見るように、見、感じるように、感じ、考える
ように、考えること。 相手と同じ様に、見て、感じて、考えることです。
謂わば、‹自他同一化›。 思いやり は、この‹自他同一化›に依拠して
います。
けれども、 ’聞き上手’は、このような‹自他同一化›的 思いやり と共に、
更に、‹自他客観化› が必要です。 自他の区別をしなければなりません。
そのために、前節で考察・検討しました”虚” の世界へ戻りましょう。
2人の間に、”虚” (/<間>)を設けることで、一体的な自他は、分離・
分断され、’客観化’ が生じます。そうすれば、状況、つまり、相手の立場
の客観的把握が可能になることでしょう。
長引かせず、出来るだけ速やかに、相手との間に、”虚” の世界を作り
出し、<間>を置いて、自分の世界、”私人的・私秘的ゾーン”へ引き揚げる
こと。 一旦、退場・撤退。
そして、この”ゾーン”でこれまでに(相手の ’身になって’ )獲得した
情報 (相手の思い、意見、など)を整理・吟味することが、(状況の)客観化
の第一歩と想定されます。
’聞き手’ は、 なによりも、傾聴 を試みること。
傾聴することは、’思いやり(自他同一化)’ と’自他客観化’ から成り
立ちます。 そして、傾聴 は、<間>(/〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉)を構成するための方法のひとつです。
’意見の交換’
対人関係にある2人が、⊰話し合い⊱ をする場合、意見は、単に、表明される
だけではなく、交換されます。
このことは、意見(表明)は、一方的な(意見の)押しつけ ―― 例えば、
独り善がりな発言、独白のような呟き、或いは、独壇場的演説のようなもの
ではなく、双方的、相補的、互換的であることを含蓄します。
’意見お交換’ は、相手からの発言に対して、その発言を踏まえながら、
こちら側から、更に、それ(相手の意見)へ調整・修正を加えながら、返す、
返答する過程。
この過程は、‹作用ー反作用›の過程と想定することが出来るでしょう。
この意味で、意見は、相互的に表明されますが、また、同時に、フィード・
バック的な意味を持ち、ですから、環=ループ状的とも見られるでしょう。
この環状の過程が、一回生起ではなく、連鎖的・継続的であれば、
螺旋状になります。
<間>(=〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉)の‹距離› は、
対人関係性上の2人の間で相互的、相補的に交わされる意見(表明)の
環のなかにあると云ってよいでしょう。
”ちよっと待って、
そんな早口で説明されては、なんのことか分からなくなってしまう ...”
”えっ、私、そんなに早口で説明しているの?
じゃあ、もっとゆっくり話すわね。”
瀬奈(仮名)さんの最初の発話、’早口はやめてね’ は、即ち、<間>
(/”虚” )を取るのに、良い機会。あのままでは、どんどん≺間詰まり≻を
起こして、苛立ち、いろいろな波瀾を呼んでしまうでしょう。 ですから、
瀬奈さんは、ストップをかけたのでした。
一方、空絵 (仮名) さんは、反省。 熱く話していたところを、少し冷静に
なって、自分の行動を修正・調整し、ピッチを下げて、静かに説明し直しました。
と云っても、
いつも、この環状型の過程が、円滑に、滞りなく作動するとは限りません。
むしろ、稀でしょう。 大体は、暗礁に乗り上げてしまうようです。
特に、⊰話し合い⊱の初期は、
相手の様子 (人物像や環境など) が、分からず、過度に遠慮したり、
躊躇したり、逆に、こちらの意見を押し付けたり ... 相手の発言にも
誤解することが多く、手探り状態の困難な時期。試行錯誤と軌道修正、
つまり、’微調整’が必要となります。
例えば、
”どうしたの? 一体 ...
私の話したこと、全然分かってもらっていないじゃないの?”
この場合、
’私の云いたいことは、つまりね ... ’ ともう一度、説明、意見表明のやり直し。
誤解を解いて、理解を得るという’微調整’ と、更に、試行錯誤を加えながら、
’意見の交換’を続行します。
この間も、2人の間の<間>は、狭くなったり(詰まったり)、広くなったり
(遠くなったり)。伸縮自由な<間>が、展開されます。 つまり、2人の間で、
相互の意見交換の’微調整’と<間>の構成が行われるということです。
”譲歩”
いままで、<間>の構成を、特色づける過程として’意見表明’ と’意見の
交換’について考察を試みましたが、それを、より建設的に進めるためには、
’譲歩’が想定されてよいでしょう。
広辞苑へ戻って、先ず、譲る を検索しますと、
ゆずる
【譲る】
①自分のものを他に与える。 謙譲する。 「子供に家をーー・る」
「老人に席を__・る」 「土地を安く __・る」
②自分のことを他に任せる。 〔用例割愛〕
③自分は退いて他を先にする。 譲歩する。 「道を__・る」
「一歩も__・らない」
④辞退する。 〔用例割愛、以下同様〕
⑤へりくだる。 謙遜する。
⑥他の機会にする。
次いで、譲歩 を調べますと、
じょうほ
【譲歩】
①道をゆずって、他人を先に行かせること。
②転じて、自分の主張や意見をひっこめて他の説に従うこと。
上掲語釈を、ここでの文脈関係に絡めて、一言で括れば、’自分は、
身を退いて、相手に機会を与える’ ということでしょうか。
では、日常生活場面での2人の対人関係性での’譲歩’ とは?
事例/エピソードを素描してみましょう。
≶ 花瓶はどれにすればいいの... ≷
お客様を迎える日の朝のこと。
お花を生ける花瓶は、どれにしようかしら、
と彼女は悶々としていました。
〔お洒落な花瓶は、2つしかないのですが、決まらないのは、
数の問題ではないのです〕
’ね~ェ、どっちにすれば、いい?’ と夫に聞いても、
’分からん’ と、ボソッと、一言。
そんな時、’あなたは、
いつも、そんな風に非協力なんだからァ~ もうっ ’ と
突っかかって行くよりも、一歩退き下がって ―― つまり、
’譲歩’ して、<間>を置くことが、大切。
暫く、ソファーに座って、トイ・プードルの縫いぐるみを抱きながら、
お庭の景色を眺めていれば、心も落ち着いてきて、周囲の景色
も違って見え始め、どの花瓶がふさわしいか、
自然に分かってくることしょう。
’譲歩’は、必ず、一歩、譲ることからはじまります。
’一歩、譲る’ ということは、一方的に ’押し’の攻勢を掛けることとは、
反対に、強引な、強硬な意見表明・主張は、差し控えて( 自制しながら)、
少し、身を退いて、つまり、相手に譲って、相手との間に ‹距離›(=<間>)
を置くこと。 その際の ’少し’ が、一歩。 即ち、’譲歩’ の一歩。
けれども、この ’一歩譲る’ の ’一歩’ の明確化が難しい ...
どの程度の ’一歩’ が、適当なのでしょうか。
譲り過ぎると、相手の意見/主張は、巨大化して、こちら側に甘えて、
どんどん迫って来ることに。 そなれば、2人の間の<間>は、狭くなる
ばかり。 ≺間詰まり≻ を起こします。
≺間詰まり≻ は、衝突、紛争、紛糾の元。
逆に、お互いに、遠慮や躊躇が先に立って、譲り過ぎると、2人の間には、
‹距離› は、置かれますが、置かれ過ぎ。 それでは、≺間遠く≻ て、
いつまでも、他人行儀のままで、折角の’譲歩’ が実りません。
’一歩’ 以上でもなく、 ’一歩’以下でもない、謂わば、頃合いの ’一歩’
と云えるでしょう。
≶ 本物のプレイボーイは、 ≷
青春時代、人気があって、数々のガールフレンドと楽しく過ごした
という、元二枚目のハンサム・ボーイ。
”それで、そんなに次々と遊び相手をかえて、
よく揉めたでしょう?”
”いや、 そんなこと、無かったな。 いつも僕の方が、
振られてたもん。”
遊び上手は、振られ上手。
彼は、もてる、もてると舞い上がらずに、冷静に一歩引き下がる、
退くこと ーー つまり、’譲歩’を敢行することの大切さを熟知して
いたのでした。
彼女との付き合いは、もうこれで十分満足、と感じ始めると、
ちょっとはぐらかす。 例えば、デートの時間に間に合わなかったり、
〔勿論、仕事が忙しくて ... と、しっかり謝ります。〕
彼は、しっかりと<間>を置いたのでした。
こんな風に、彼女には期待外れな行動を数回も取ると彼女の
気持ちに変化が現れます。熱が冷め始めるのです。
そして、’酸っぱい葡萄’ 反応が ――
’私の云うことを何でも聞いてくれる、優しい王子様だと
想っていたのに... 始めだけよ、今は、すっぽかされて
いるばかり。 あんな人、外観だけよ。
つまんない! もう付き合いの止めにするっ!!
〔 つまり、負け惜しみから諦めへ。〕
彼女の方が、もてもての二枚目のハンサム・ボーイを振ってしまったのです。
見事に振られた彼は、次の新しいガールフレンドの元へ、
楽しく ホップ、ステップ、ジャンプ だったようです。
でも、彼は、そんなに薄情なタイプではありません。
彼女から一歩退きながら、――‹距離›(=<間>)を置いて、彼女の自尊心
が傷つくことのないように気を遣い、彼女に思案と決断の時が持てる
ように計らったのですから。
恋人達の別離が縺れるのは、相手の自尊心への配慮が欠ける、
この一事に尽きるのじゃないでしょうか。
少し身をひく( 引く;退く )、 一歩譲る、ということは、’痛み’
―― 別言すれば、マイナス(不利益)を伴うことがあります。 ですけれど、
何事も、プラス(利益)の効果ばかりを狙って収穫・蓄積に励むと、やがて
’どんでん返し’ が起きて、大きな火傷や、時には、致命傷を負うことになり
かねません。
彼、二枚目のハンサム・ボーイはの場合、 ―― 振られています。
このことは、彼にとっては、痛み=マイナス(不利益)。 二枚目の誇りは
傷つけられてます。
けれども、そんなことを恐れ、怖がって、嫌がるようでは、’譲歩’ は
出来ません。 彼は、大きな器量をもって、少し痛みを伴い’譲歩’を敢行
したのでした。
’譲歩’には、’清濁併せ呑む’ ような感じの器量が必要なのです。 そして、
結果が、大切。
過程よりも、結果。
’譲歩’は、’譲歩’ した側にとって、最終的には、好ましい、望ましい結果で
あれば、有意義であり、大成功なのですから。 但し、その場合でも、
大きく、或いは、多くは望まないこと。
高望みは、禁物。
’成功の甘い香り’ も、腹八分目 が、適当という所でしょうか。
ここで、’譲歩’ について、もう少し、スケッチを交えながら、考察して
みましょう。
≶ 整理は、誰の仕事 ≷
娘の部屋は、クローゼットから衣類やバッグ、アクセサリー ... など
が溢れ出して、部屋を占拠、やがて、部屋のドアが閉まらなくなって、
廊下、階段へ、最終的には、階下のリビング・ルームにまで進出。
母親は、とうとう堪忍袋の緒が切れて、
’もう! いい加減にしなさい よっ。 さっさと、片付けなさい。’ と
角を生やして、大声で叱り飛ばしたいところをぐっと我慢。 つまり、
一歩引き下がって、’譲歩’して、
’あなたのもの、何とかしてほしいんだけれど... ’
と優しく懇願。
娘も、’そんなこといわれたって、私だって、いろいろと忙しいだからぁ~’
と声を荒げたい処を、一歩引いて、’私も、何とかしなければ、とは
思っているの。’ と低く目のトーン。
片づける気はあるのね、と娘の’譲歩’ を引きだした母親は、
’そうね、確かに、仕事はやり甲斐があるけれど、超忙しいと云って
いたわね’ と理解を示して、一歩、’譲歩’ 。 更に、
’そんなこと云って、どうせ片づけたりしないんでしょっ!’
と高飛車には出ず、 一歩、下がって、
’どぉ、ママも少し手伝うから、片付けしてみない?’
娘の方も、’ほんとは、ママには片付けをされたくはない (彼女
の‹私人的・私秘的ゾーン›への侵入・侵害と感じられるのです)、
自分の手でやりたいのだけれど、でも、現実は散らかしっ放し。
偉そうなことは、云えないわ。’ と、自制しながら、一歩、譲歩。
このように母娘は、試行錯誤 ―― 相手の思いや気持ちをおもいやり、
気遣いながら、自身の思いや気持ちを修正、調整しながら、次の行動を
想定・実行するフィード・バック (環状/螺旋状的)過程を展開するなかで、
’一触即発’ 的状況から、だんだんと穏やかな ⊰話し合い⊱に。
2人の間には、お互いに、一歩ずつ、譲り合って、≺間詰まり≻ を回避、
解消し、
冷静に考える余裕を持てる、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉を
構成することとなり、 娘の部屋は、家中も、すっきりと蘇りました。
” 妥協 ”
’譲歩’ ばかりを、お互いに繰り返していれば、最終的には、相互の視野から
姿が消え しまうことでしょう。
対人関係性上’譲歩’ には、歩み寄り が内在します。
上掲の事例/エピソードでは、母娘は、お互いに少しずつ、つまり、
一歩ずつ、譲り合いながら、他方では、歩み寄って、2人の間の<間>
(/〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離› ) を構成した
のでした。
’譲歩’ は、’妥協’ と同義語的に解釈されます。 このことは、'妥協'
という言葉の語釈を広辞苑で検索しますとよく理解出来ます。
だ-きょう
【妥協】
対立している双方 (または一方)が折れ合って一致点を
見出し、事をまとめること。 おりあい。〔 イタリックは引用者注 〕
「__の余地はない」 「__案」
次いで、関連語, 妥協点 を調べますと、
だ-きょう-てん
【妥協点】
双方が互いに歩み寄って一致できるところ。 おりあいのつく
ところ。 「イタリックは引用者注 〕
イタリック箇所: 折れ合う 、 歩み寄り を取り挙げますと、
前者は、’譲り合う’、’譲歩しあう’、 ’おりあう’。 後者は、’双方が近づき
合う’ と解釈され、‹妥協›は、’折れ合う’ → ’歩み寄り’ と連鎖すると
見られ、更に、簡略しますと、 '妥協' /歩み寄り と把握出来るでしょう。
もう少し詳しくみますと、
’妥協’/ 歩み寄り は、は、対人関係性上の2人が、お互いに ―― つまり、
相互に、相互補完的に創出する過程であり、この相互性は、既に、‹譲歩›を
めぐって想定したものと同様と見てよいでしょう。
’妥協’は、2人が、一歩ずつ前進させるもの。 途中で折れ合いながら、
一致点を探る過程。大きな一歩、或いは、スライドは、他の機会と人々に、
―― 例えば、陸上競技... などに譲って、対人関係性の<間>の構成
には、ほどほどの幅、一歩ぐらい、が適当と云うことでしょう。
ところで、
歩み寄り は、その最も大切な要素として 折衷 という意味合いを含蓄
すると想定されます。 広辞苑の語釈に依りますと、
せっ-ちゅう
【折衷】
あれこれと取捨して適当なところをとること。 「__案」
「和洋__」
折衷 は、1つの物 (事)を折半して、その真ん中、中央部分を選ぶのでは
なく、複数のもの・ことのよいところを摘み取る、つまり、取捨選択する、という
意味を含蓄するようです。
因みに、取捨選択 を広辞苑で調べますと、
しゅしゃ-せんたく
【取捨選択】
想いものや不用なものを捨て、良いものや入用なものだけを
選び取ること。
対人関係的に、 取捨選択 を捉えてみますと、
⊰話し合い⊱ 或いは、’意見の交換’に際して、2人間の意見の良し悪し/
善し悪し、要不要/用不用をめぐる 取捨選択 は、それが2人にとって、
どれほど友好・有益かが、基準となるでしょう。
更に、捨てられるもの、残すものに優先順位をつけること、 このことは、
第一義に必要ですが、そのためには、 ―― 歩み寄り は、双方的ですので
―― 相手の意見/立場を尊重し、考慮に入れることが出来る柔軟な発想、
態度、が望まれます。あまりにも、行為者、各人が自己の利得に拘り過ぎ
ますと、‹歩み寄り›は、不可能となってしまいます。
’何事も、ほどほどに ...’
ところで、
’妥協’ には、具体的に云って、どのような過程/手続きがあるのでしょうか。
3つの種類/タイプが考えられます:
a 玉虫色型
b ’我が道を行く’型
c 取引き型
それぞれのタイプを事例/エピソードを素描しながら、明かに致しましょう。
≶ 玉虫色のケーキ ≷
ケーキ作りを習い始めた2人。
一度、私達だけでケーキ作りに挑戦してみない?
そうね、 と意気投合。
それぞれが材料を持ち寄りました。
沙奈 (仮名)さんは、豆乳。 詩穂 (仮名)さんは、ミルク。
”どうする? どっちを使う?”
”貴女の好きな方を、どうぞ。”
〔この時、2人の間の‹距離›(=間>) は、かなり開いたまま。〕
結局、お互いに相手を尊重して、豆乳とミルクを半分ず計量して、
生地作り。
〔お互いが譲歩しながら、一歩歩み寄った、小さな折衷案で、
<間>は、少し緊張が解けて縮まったよう。〕
”チョコレートを使ってもいい?” と沙奈さん。
”あら、私も持ってきたのよ” と詩穂さん。
2人は、’同じネ’と思わず顔をあわせて、ニッコリ。
〔考え/意見の一致を見て、2人の間の<間>も、
ほどよい‹距離›に近づき始めました。〕
チョコレートを砕いて、生地に混ぜて、マーブル状の土台/
スポンジを作って、ホイップド・クリームを塗って、それから
―― どんな飾りつけを?
2人の持ち寄ったのは、ブルーベリーと苺。
そこで、’ソースを作りましょう’ ということになりました。
〔沙奈さんは、ブルーベリーだけを、詩穂さんは、苺だけを使いた
かったのですが ここで、それぞれが、自分の嗜好を主張すれば、
<間>は、 繊細。 2人の間で折角築き始めた<間>は、
忽ち、崩れてしまって、今までの努力が水の泡。
2人は、賢明にも、また、譲歩して、新しい提案、つまり、折衷案を
出しました。〕
” ソースをつくりましょう。”
ブルーベリー風味の苺ソース? それとも、
苺風味のブルーベリー・ソース?
”ちょっと、分からないけれど、面白そう。 作ってみましょうよ。”
作ったソースをスポンジ/ケーキに掛けて、残りのブルーベリーと
苺をケーキの周りに飾って、最後にバジルの葉を添えて、完成。
このファンシー・ケーキを頂くには、なんだかかなりの勇気と度胸が
いりそうな仕上がりでしたが、2人の間には、なんとなく暖かい(穏やかな)
<間>が構成されたようでした。
上掲の事例/エピソードは、玉虫色の’妥協’。
2人は、それぞれの色合い(意見や趣味など)を強く主張し合わずに、
少しずつ、折れ合いながら、’譲歩’と 歩み寄り を繰り返し、2人の意見を
調整しつつ、新しい色合い=折衷案を作りだす、或いは、創り出す過程/
手続きと云えるでしょう。
その際、それぞれの見方によって、相手の見方とは異なることが納得
出来る、自分に都合の良い解釈が出来るような折衷案が作/創られた
場合が、まさに、玉虫型。 適度な<間>に落ち着き、お互いの満足度が
高ければ、成功と云えるでしょう。
もう1つの事例/エピソードをご紹介しましょう。
≶ ’我が道を行く’ ≷
2人の出会いの最初の頃は、お互いが、譲り合って、相手の趣味や
関心事には、興味深げに、楽しそうに頷き、でも深入りはせず、
〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離› (=<間>)を
維持しました。
ところが、
デートを重ねるうちに、つまり、2人の間の<間>の間隔が親密に
なるに従って、齟齬が生じるようになりました。
彼女は、都会派。 瀟洒なマンションに住んで、お洒落なショッピングを
楽しみたい。
彼は、田園派。鄙びた民家を改造して、裏庭で採れた有機野菜で、
友達を和風料理でもてなすのが夢。
日常に起きるちょっとした事柄、趣味のこと等には、適当に譲歩、
或いは、歩み寄れるのですが、それぞれの生き方/ライフ・スタイル
ばかりは、2人とも、どうしても譲れない ’最後の砦’。
幾度話し合っても、平行線のまま。 <間>も悪化の一途。
結論は:
それぞれお互いの人生観を尊重して、ですから、別々の人生を選択
―― 彼女は、都会に。 彼は、田園暮らしを。
けれども、あまり都心近くではなく、あんまり草深い田舎でもなく、
所要時間1~2時間程度の範囲内にそれぞれ居を構え、時々、
2人のスケデュールを照合・調整して、都合の良い日時に会いま
しょう、と云うことになりました。
それが、2人の精一杯の‹妥協›の結果としての折衷案でした。
ゆっくりとした‹距離›を置いて、新しい<間>が、2人の間に再構成
され、維持されることでしょう。
’妥協’ は、そして、折衷 も、対人関係性の<間>に関しては、2人が同じ、
1つの過程を共有しなければならないことは、ないのです。 何処かで、
一致点を見出せれば、よいのです。
’妥協’ を、いま一度捉えますと、
それは、2人の出会いの当初、むしろ、思いや気持ち、意見の相違や祖語など
から対立、葛藤が生じますが、このような対立・葛藤をお互いの’譲歩’ と
歩み寄り で合意(意見の一致)を捻出、案出する、つまり、妥協点を探り
出す過程/手続きと想定されます。
ここで、再度、この過程の後半、合意と妥協点について、そして、この過程に
生じる<間>の構成・維持について、事例/エピソードを交えつつ、
もう暫く考察を進めて参りましょう。
≶ 娘の家出 ≷
” ’夜9時過ぎに帰って来るなんて、遅過ぎるでしょうが。
我が家の門限は、6時よ。夕食に間に合うようにって、いつも
云ってるでしょう。 それに、この頃、夜は、物騒なんだから。’
とカッカしたら、娘、家出をしてしまったの。”
”それで?”
”一晩まんじりともせず明かして、でも、その間に、ちょっと冷静に
なって、私も、ちょっときつく言い過ぎたわ、と思うようになって…
でも、無事帰ってきたので、ホットして、また、鬼の形相になりそうに
なったけれど、ぐっと我慢をして、
’門限のことだけれど、6時は厳しい?’とソフトに話し掛けて、’
でもあの日夜遅くまで、何処で、何をしていたの?’ と聞いたわけ。
そしたら、まあ、映画を観に行っていたっていうの。
受験勉強ばっかりで息抜きをしたくなったというのよ。
でも、9時帰宅は、いくらなんでも遅過ぎるから映画を観たいのなら、
ママを誘って。
そうよ、ママのお気に入りは、歌舞伎役者だけれど、
月乃 (仮名―娘の名前)の好きなスターは、誰?
じゃぁ、彼主演の映画を観に行きましょう。
その代わり、門限は、やっぱり、きっちり6時よ。
’そんなァ~、せめて7時にしてよ、もう子供じゃないんだから’
’子供じゃないから、心配なのでしょうが。
門限に関しては、ママは、一歩も譲りませんからネ。
何ですって?
そしたら、また家出をするですって。そこで、
’あの日、一体、家出をして何処へ行っていたの?’
と改めて、聞くと、
’ママに叱られて、むしゃくしゃsて、お友達の家へ遊びに行って、
お菓子を食べながら、お喋りに夢中になっていて、気が付いたら、
12時を回っていて、夜道が怖くて帰れなかったので、お友達の家に
泊させてもらって、家出したことになったの … ’
’いい? そんな時は、早い目に必ず、ママにスマホで連絡するの。
遅くならないうちに迎えに行ってあげるから、分かった?’
’えぇっ、私、家出中なのよ。
家出中に、スマホするの?’
’当たり前でしょう、家出中だからこそ、連絡が欲しいのよ、
そうでしょう。 それにお友達のお母さまにも、’娘がお世話になります’
と一言ご挨拶しておきたいし。’
’それは、そうかもしれないけれど、家出中に、いま、何処にいるって
連絡する娘なんている?’
’一人ぐらい居たって構わないでしょう。’
’分かったわ。今度からちゃんと連絡するから、だから、
門限は、7時にしてね。’
’ 駄目! 絶対にダメ。 門限は6時よ。だって、今は、もう冬で、
6時でも、外は、もう真っ暗なのよ。’
―― 〔未完〕
上掲の事例/エピソードの母娘の場合、’妥協’は、’寄せては、返す波’のように、
2人の間で’譲歩’ と 歩み寄り を繰り返しつつ、自分の意見を主張する
という小さな合意を積み重ねながら、 ―― けれども、同意出来ないものは、
撥ね付けて―― それぞれにとって、より望ましい状況の模索をすることでした。
そして、この間にも、否、ここにこそ<間>(=〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉の構成・維持が展開されているのでした。 もう少し、
詳しく検討してみましょう。
より遅く帰宅した娘に対して母親の怒りの声。
この場面では、母と娘の間の<間>は、緊張/テンションはかなり高く、
‹距離› も狭く、緊密で、≺間詰まり≻ の状態。
娘は、逃亡 (家出)。
これで、母娘の間は、物理的、精神t機にも、‹距離›が置かれて、二人とも、
少し冷静さを取り戻します。そして、娘の無事な帰宅に母親は、穏やかに
対応。 この態度は、<間>が、新しく誕生するキッカケになりました。
更に、母娘は、穏やかに⊰話し合い⊱を続けたので、<間>が維持され、
彼女の”私人的・私秘的ゾーン”へ逃げ込んで娘も警戒心を解いて、
自分の考えや気持ちを語り始めました。
そして、映画鑑賞の場面では、母親が、譲って(’譲歩’ )し、娘の好きな
スター主演の映画を見るということ(’妥協’ )で、娘は、少しゆったり、
<間>もゆったり ―― と想ったのはほんの一瞬、 門限6時厳守という
母親の強硬な主張で、逆戻り。
束の間の’緊張緩和’は、瞬く間に終わりを告げ、母娘の<間>は、
また、また、緊張を孕むことになりました。
娘は、苛立って抗議。門限7時を主張。 母娘のあいだの‹距離› は、
ますます緊張度を高め、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の
<間>は、姿を消してしまいました。 母親の拒絶で、’妥協’ の余地も
なくなり、娘は、家出を口にして、猛反発。
母親もめげず、挫けず、彼女の意志と信念:’門限6時’ を貫こうとしました。
2人のそれぞれの主張は、真向から対立、妥協点も見つからないまま、
最悪の事態に。
その時です、娘が、少しトーンを下げました。‹譲歩› と ‹歩み寄り›の
気配です。 <間>が、また、垣間見えて来ました。
’ 家出中に連絡するの?… ’
娘の呆れ顔は、何処か余裕とユウモアを漂わせていました。
母親も自分の些か支離滅裂な態度、ちょっと可笑しいことを認めて、
苦笑い (‹譲歩›と‹妥協›)。 ここで、再び、緊張が解れて、<間>が
出現し始めました。 の主張を却下。のですが、娘の諦めない主張(門限
7時)に、また、母親が、態度を硬化。 娘の主張を却下。 <間>は、再び、
姿を消すことになりました。
緊張度の高い‹距離› が、取って代わり、母娘の間は、≺間詰まり≻。
2人の間には、まだ、まだ、一波瀾も、二波瀾も続きそうですが・・・
人間関係性、 揉めるの世の習い。 けれども、長い目でみれば、
この母娘の場合、いつかは、’一件落着’ となる日が来ることでしょう
―― と望まれます。
’妥協’ には、上掲の事例/エピソードのなかに看取さえますように、
2人の意見の綯い交ぜや混合から新しく創り出したもの、2人の意見の
中間点を採用したもの、双方の’譲歩’/歩み寄り で成立するもの等、
少なくとも3つタイプが挙げられますが、いずれにせよ、
その内容は、’腹八分目’ が、適当なようです。
そして、留意すべき点は、妥協点は合意/一致の点ではなく、範囲。
或いは、程度。
―― ’この辺りで’ と言う感じが頃合いなようです。
更に、そのばで、早急に決めなくてはならないものではないこと、むしろ、
そうであれば、諸々の衝突、相克、葛藤、抗争を惹起し、’妥協’ は、
遠退くでしょう。
’急がば、回れ’ 時間をかける方が、<間>もしっかりと置かれ、より良い
効果がえられることでしょう。
≶ 雄猫、都羅君 ≷
雄猫、都羅君は、彼の人間家族のアトリエも隅に置かれでいる
ラグの上に、そっと横たわりました。
彼女は、絵の制作に夢中。と云うよりも、気の利の発想が、途切れて
頓挫。 ああでもない、こうでもないと悶々。 とうとうフロアの上に座り
込んで、萎れ込んでしまいました。
都羅君が、お庭から飛び込んで来たのは、丁度、そんな時でした。
彼は、彼女の元へは、直行せずに、<間>(/〈ほどほど〉+〈不即不離〉
=〈即かず離れず〉)を開いて、部屋/アトリエの隅に、身を置いたのでした。
暫くして、
彼女は、彼女の中に、’意欲’ を感じるようになりました。
都羅君が、’猫パワー’ を送信し始めてくれたからです。 これは、
十分な<間>が取られていたからこそ、出来たこと。
もし、彼女が、都羅君を抱き上げて、抱き絞めようとすれば、実際、
彼女は、そんな風な親密な接触で癒されたいと想っていたのですが、
そうすれば、その親密さを嫌って、彼は、逃げ出そうともがきます。
この’もがき’ に彼の’猫パワー’ は、殆ど費やされて、彼女を奮起させる
ことは出来なかったでしょう。
<間>が、維持されていたので、都羅君は、彼女に向かって、強力に、
’猫パワー’ を送り続けることが出来たのでした。
彼女は、突然、閃きを感じて、悶々状態から脱出。
なんだか、素晴らしい作品制作の予感。 彼女は、気力が漲って来る
のを感じました。彼女は、すくっと立ち上がって、カンヴァスに向かって、
大胆に構図を描き直し始めました。
〔 新しい着想(視界)、新しい世界(絵)の出現・創作です。〕
都羅君は、そんな彼女を見届けて、彼のお気に入りの場所、お庭の
樫の樹の下へ戻って行ったのでした。
’ 都羅君、 どうも有難う … ’
樫の樹の下で、今はもう、のんびりと寛ろいでいる都羅君を眺めながら、
彼女は、そっと呟いたのでした。
作品は、’最高傑作’ とまでは行かなかったのですが、
’でも、私は、大満足、、最高 … ネ’ と彼女は、至極、
楽し気でした。
≺ 新しい世界(観)の出現 ≻
⊰話し合い⊱では、振り返りますと、
私が、相手/他者に思いや気持ちを表わし, つまり、’意見表明’を試み
ながら、’意見の交換’ を図りつつ、同時に、相手の言葉に耳を傾け (’傾聴’)、
この時、思いやり の心 ( 相手の身/立場になること )を忘れずに、相手
への理解を深めるという過程が、’紆余曲折’ を通して、<間>(/〈ほどほど〉
+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉)を構成・維持していくと想定されました。
そして、ここでの注目は: このような<間>の構成・維持の結果、新しい
世界(観)―― 人生に対する視点、もの見方、感じ方、考え方等が、2人の
間にそれぞれ、別々に、或いは、共に(共有さながら)、出現すること
にあります。
新しい世界(観)は、必ずということでは、無く、時に、出現するということの
ようですが、それは、<間>の構成・維持の成果、効果と考えてよいでしょう。
ここで、また、事例/エピソードを素描しましょう。
≶ 幼い息子の生きる知恵 ≷
彼女は、食事用の椅子に座って、息子、数斗くん(仮名)の動きを
ぼんやりと眺めました。
数斗くんは、マイ・ペース。
母親が金切り声を張り上げようと、知らん顔。
まだ3歳になったばかりなのですが、大人 (ママ)への対応の仕方は、
熟知している様子。 悠々とお気に入りの玩具で、遊んでいます。
食卓に、頬杖をつきながら、座っているママとは、少し距離があって、
丁度、恰好の<間>が保たれていました。
ママは、反省モード。 ’ 私も、数斗くんを少し見習った方がいいのか
もしれない... ’
彼女は、周囲に気を遣うタイプ。 と云うよりも、遣い過ぎて、帰宅後は、
精神的疲労感でぐったり。 時には、幼い息子へ八つ当たりのストレス
解消。
’ もう少し周りに (余計な)気遣いをせずに、マイ・ペースを貫ければ、
私だけじゃなくて、他の人達も、ゆっくり出来るのだわ … ’
彼女の前には、幼い息子との間の置かれた<間>、即ち、 〈ほどほど〉+
〈不即不離〉=〈即かず離れず〉の‹距離› のお陰で、彼女の対人関係性
世界に対して新しい視界と未来が拡がっていくように想えるのでした。
≶ 2人は共働き ≷
2人は、共働き。
職場も、職種も別々、仕事が忙しくて、すれ違いの生活。
2人の間の<間>は、’即かず、離れず’ どころか、離れ離れで、
≺間遠い≻ 日々。
あまつさえ、顔を合わせると、お互い相手の思いや気持ちが、分からず、
それでも、自分の事(立場)は、分かってくれている筈、分かって欲しい、
と焦って、つい口調がハイ・ピッチに。
きつくなって、喧嘩腰になることも、屡々。
それでも、2人の間で、決定的な爆発が起きなかったのは、2人共、
仕事が面白く、遣り甲斐を感じていたので、負のエネルギーを仕事に昇華
させることが出来たからでした。
ところが、突然の悲劇が ――
夫が、リストラに遭って、失職。
’ いいわよ、いいわよ、 私が頑張るから。’
と妻は、ちょっと余裕の、意気高揚な気分になったのですが、
程なく、彼女の方も、 失業してしまいました。
けれども、’禍を転じて福となす。’
この2人は、件名にも、’プラス思考’ で難局の打破を図りました。
以前のすれ違いから、今は、一日中、一緒のくっつき過ぎの共棲。
それも、慣れるまでは、何かともたついて、些細な事で衝突や、対立、
葛藤もあったのですが、2人で過ごせる貴重な時間 ―― つまり、
<間>として把握しました。 このことは、〈ほどほど〉+〈不即不離〉=
〈即かず離れず〉 の‹距離›の誕生を意味します。
そして、この<間>は、2人が、お互いに、自分自身と相手について
話し合い、理解し合う良い機会になりました。
特に、今まで、仕事一辺倒だった生活を反省、見直して、今後は、
もっとゆっくりとした生き方を楽しみましょう、という結論に到達した
のでした。 新しい世界(観)の出現・創出です。
そして、幸運にも、彼女の方が、再就職に成功。 続いて、彼も。
ゆとりのある人生を祈りましょう。
bon voyage !
ここで、新しい世界(観)の出現について、もう少し考察致しましょう。
新しい世界(観)は、’自ずと’ 出現するものと想われます。
広辞苑によりますと、
おの-ず-と
【自ずと】
ひとりでに。 自然に。 おのずから。
「年をとれば__分かってくろ」
ですから、’自(みずか)ら’ ではなく、 ’おのず(自ず)から’。
おの-ず-から
【自ずと】
《名・副》 (「己(おの)つ柄(から)」の意。 「から」はそれ自身の
在り方の意味)
①もとからもっているもの。 ありのままのもの。
〔 用例割愛 〕
②もとからもっているものの (在り方の)ままに。 ひとりでに。
自然に。 おのずと。 「事は__明らかになる」
③ 〔 割愛 〕
上掲の語釈をここでの関心に合わせて、解釈しますと、
こちら側の働きかけは、無用。 むしろ、邪魔。 じたばたせずに、’虚心
坦懐’ に。別言すれば、”虚” のような状態。
限りなく、無色透明な、静穏な湖のような心境で、’静観の構え’ をとりながら
<間>(/〈ほどほど〉+〈不即不離〉=〈即かず離れず〉)に相対していれば、
新しい視野が、’自(おの)ず’ と立ち現れるということに他ならないでしょう。
こうして、出現する新しい世界(観)は、 多種多様。
対人関係的には、当事者、2人と2人を取り巻く状況に依って違ってくる
のです。
’状況に依って’ とは、状況毎に別々に ( ’状況次第で’ )、出現するということ。
ですから、内容的には、色々、様々。 限定・特定は不可能。無限大に近い
と見てよいかもしれません。
このような新しい世界(観)は、亦、変容、変更、つまり、変化を含蓄します。
新しい見方の出現は、それまでとは違った、或いは異なる、見方の誕生なの
です。
と云っても、2人の対人関係性そのものは、概して、そのまま。 同じ状態に
ることが多いと云えるでしょう。
けれども、見方が違ってくると、そこに立ち現れる世界も、また、違ってきます。
新しい見方が、新しい世界(観)の出現を実現します。
見方の変容・変化も、また、様々。
見る’角度’ は、いろいろ。 蜻蛉のように複眼のようにも、空を飛んでいる
鳥の鳥瞰図も可能でしょう。角度は決められていません。何処からでも自由。
程度、規模も様々。
大から小まで。大きな過激な変化から、 ’逆の発想’ もその一つ、から、
小さな変更まで。 対人関係性の2人の間では、むしろ、この後者のより小さな
変更の積み重ねが、新しい世界(観)の出現を呼び起こすと云えるでしょう。
この変更には、取捨選択の自由が想定されます。 一旦、獲得した見方
だからと云って執着・死守する必要はなく、当初の予測や期待とは裏腹に、
状況に遭わないと分かれば、放棄して、’試行錯誤’ を繰り返しながら、
新しい見方を模索することを意味します。
結語
最後になりましたが、ここで、本稿の主題: 《 <間>と対人関係性 》 を巡る
これまの考察・検討を総合的に振り返っておきましょう。
第Ⅰ節では、
<間> とは? ―― この概念の探求のために、広辞苑の語釈を切り口に、
そ関連語を連想手繰り寄せて、連鎖させて、あいだ 【間】 ―― へだたり
【隔たり】―― きょり【距離】 と展開しつつ、更に、ながさ 【長さ】 とひろがり
【広がり・拡がり】と くうかん 【空間】も加えて、考察・検討しました結果、
最終的に、<間>=‹距離›に落ち着きました。 そして、本稿での‹距離›は、
専ら、空間的」なものに限定されたことを付け加えねばならないでしょう。
第Ⅱ節では、
<間> (=‹距離›)の特色についての考察・検討を試みて、特に、その2つの
主要構成素として 〈ほどほど〉 と 〈不即不離〉=〈即かず離れず〉 を想定し、
それぞれの内容徴・特超の明細化を試みました。
前者、〈ほどほど〉の内容/特色には:
ⅰ) ”適当” ―― ’ いい加減が、良い加減 ’ という発想。 ’程のよさ’/
’よい程合い’を含蓄し、この意味での曖昧さに積極的な評価を与えました。
ⅱ) ”中庸” ―― 緊張と緩和の中程。 中間。 けれども、中間(地)点ではなく、
’真ん中の辺り’ を指し、不偏性も含蓄します。
ⅲ) ”虚” ―― ”空(から)” であること。 それは、個人的な気持ちの
’投げ入れ’は、中止、中断、禁止。 無色透明、中立色の境域を意味し、
静穏さで特づけられます。
後者、〈不即不離〉=〈即かず離れず〉は:
意味内容的には、≺間詰まり≻ と ≺間遠い≻、或いは、≺親密 ― 疎遠≻
という対照的 な要素の組み合わせを特色とし、そこへ編入される(下位)
要素には:
ⅰ) ”自制” ―― 依存 の反対語。 他者を他よりにする 依存 からの
脱脚、自律 を含蓄します。
ⅱ) ”私人的・私秘的ゾーン” ―― 当事者自身(用)の居場所。
休息のばであり、一時的な避難所。 プライバシーの保持・保護が
要精されます。
ⅲ) ”絆” ―― 根源的には、共感、他者と’共に’、’一緒に’ 在ること
ーー に根差し、切れそうできれないものとも解釈されます。
ⅳ) ”社会/文化的枠組み” と相互了解 ―― ”枠組み” は、人びとの
’知・情・意’ とその具体的行動の基準/規準となるもの。即ち、
慣習、仕来り、礼儀作法、常識、価値・規範、世界観 … など。
相互了解 は、このような”枠組を基盤とした相互承認を拠り所
とします。
第Ⅲ節に入りますと、
<間>(=‹距離›)は、日常生活世界の諸場面で、どのように維持されている
のか、が問れ、その実際的な、実践的な過程/手続きの幾つかが、列挙・
検討されました。
それらは:
’ 投げ入れ禁止 ’
’ 成り行き任せ ’
’ 押されたら、押し返せ ’
’ 退場 ’
’ 黙り戦術 ’
’ 柳に風と受け流す ’ ( ’ 暖簾に腕押し’;’ 馬耳東風 ’)
’ 逃げるが勝ち ’
’ 追い詰めない ’ (’ 武士の情け’;’ 窮鼠、猫を噛む’)
であり、その含蓄、根底の発想には、云う間でもなく、<間>を特色づける
2つの主要構成素:〈ほどほど〉と〈不即不離〉=〈即かず離れず〉が貫かれて
います。
第Ⅳ節では、
<間>の構成過程へ眼を転じて、この過程のためには、⊰話し合い⊱ が、最も有効
であると想定の上、どのように、⊰話し合い⊱がなされる中で<間>が構成されるか ――
つまり、どのように、<間>は、置かれるか、その具体的な過程/手続きの明確化を試みま
した。 それらは:
ⅰ) ”意見の表明” ―― はっきりと、’腹蔵なく,’ つまり、当事者自身の意見を
明確に主張するこt。 この主張は、100%の’押し’ではなく、40%ぐらい。
’ 何事もほどほどに … ’ ということ。
ⅱ) ”聞き上手” ―― 相手の意見に真摯に耳を傾けること。 傾聴。
傾聴するためには、”自制” をし、’虚心坦懐’に。更に、思いやり と客観化
( 自他分別 ) が、必要条件として考えられます。
ⅲ) ”意見の交換” ―― この場合の交換は、双方的、相補的; フィードバック型を
含蓄し、行為者が、自身と相手が意見を試行錯誤の中で、修正と微調整を
繰り返しながら、より良い関係性を目指すことにあります。
ⅳ) ”譲歩” ―― 行為者は、自身から身を引いて、相手に譲ること。 相手の意見
に、一歩退くことですが、この’一歩’ は、大き過ぎず、小さ過ぎず、’頃合い’
の一歩を意味します。 プラス(利益)を得るためには、マイナス(不利)を恐れ
ずに、敢行する一歩であることです。
ⅴ) ”妥協” ―― ⊰話し合い⊱ の当事者は、お互いに折り合うこと。折り合って、
2人の意見の一致点を見出すこと。 折り合いは、換言すれば、歩み寄り。
そして、それは、折衷 と 取捨選択 を含蓄します。
更に、’妥協’と の下位過程/手続きが挙げられ、具体的には、㋐ 玉虫型;
㋑ ’我が道を置く’型; ㋒ ’取引’型が 事例/エピソードの素描と共に、考察・
検討されました。
ⅳ) ”新しい世界(観)の出現”―― この世界(観)は、’自ずから’ 現れるもので、
多種多様。 特定・固定されず、その都度、状況次第で、変容、変更する
可能性を孕みます。 概して、小さな変更と試行錯誤を繰り返しながらの、
これまでとは異なる、新しい地平の模索・開示を意味します。
以上が、対人関係性上のの概念を巡る本稿の考察・検討の概要ですが、
最後に、ここでの理解では、
<間>は、構成され、’潤滑油’ として作用し、対人関係性の維持・発展・存続に
貢献と同時に、<間>も、また、対人関係性によって、生命を吹き込まれる、
ということを一言付け加えたうえで、本稿を閉幕とさせて頂きます。
<間> は、生きもの。
<間> は、ユビキタス/ubiquitous.
偏在し、時空自在。 何時までも、何処でも出現。
<間>は、蜃気楼のような … 儚く、捉え難い、捕らえ処のない、
本当に、魔訶不思議な存在、創造物。
しかも、神の、ではなく、日本文化の ――
日本文化が創り出した独自の概念。
知ろうとすればするほど、迷路、迷宮に入り込んでしまうような …
‹。
でも、無事にかえって来たのっで、ホットして、亦鬼の形相になり
そう
≶ 娘の家で ≷
” ’夜9時過ぎに帰って来るなんて、遅すぎるでしょうがぁ。
我が家の門限は、6時よ。 夕食に間に会うようにって、
いつも言っているでしょう、 それに、この頃、夜は、物騒
なんだから。’
と、カッカしたら、娘、家出してしまったの。”
”それで?”
”一晩中、まんじりともせず過ごして、でも、その間に、ちょっと冷静
なって、私もちょっときつく言い過ぎたわ、と思うようになって …
でも、無事に帰ってきてくれたので、ホットして、また、鬼の形相
になりそうになったのだけれども、
ぐっと我慢をして、
’門限のことだけれど、6時は厳しい? とソフトに話し掛けて、
でも、あの日、よる遅くまで、何処で、何をしていたの’ と
聞いたわけ。
” そしたら、まあ、あの娘ったら映画を見に行っていたと
云うのよ、 受験勉強ばっかりで息抜きをしたくなったの
ですって。 でも、9時帰宅はいくらなんでも遅すぎるから、
映画を見たいのなら、ママを誘って …
そうよ、ママのお気に入りは、歌舞伎役者だけれど、
月乃(仮名)の好きなスターは、誰?
じゃぁ、彼主演の映画を見にいきましょう。
その代わり、門限は、やっぱり、きっちり、6時よ。
そしたら、娘、
’そんなぁ~ せめて7時にしてよ、 もう子供じゃないんだから。’
ですって。
もう子供じゃないから、心配なのでしょうが。
”門限に関しては、ママは一歩も譲りませんからね。
’
先ず、’意志表明’ から考察・検討致しましょう。
’意志表明’
ち、
弱い相手だからと言って、徹底的に打ちのめさないこと。
その一歩、二歩手前、自制・抑止すること。
因みに、ここで、念頭に浮んだ語句が、 ’武士の情け。’
時々、耳にしますが、あまり関心がなく、武士の礼儀作法なのか、それとも兵法・戦略
の1つなのかも定かでなく、広辞苑で探しましたら、この語句の見出し語は、見つからず、
ちょっと吃驚(びっくり)、 驚きました。
そこで、故事ことわざ&四字熟語を 調べますと、ことらは、
逃げて、逃げて、その間に、<間>
会社では、しんにゅう
ひきこもることは、2人の関わりを、中断し、その結果、衝突で、≺間
なった
「
、
絞れば、
仔猫ちゃんの
もしかして、
”
このような”虚” (=
ノいい