すみれ 【菫】;
ひめすみれ【姫菫 】; のじすみれ【野路菫】;
舗装路の脇に、菫さんは、点 点と 咲いていました。
3、 2、 2 ・・・ と数株ずつ、そこだけ、春の野辺のように、咲いて
いました。
久し振りに、訪れますと、菫さんは、少なくなって、何処となく心もとな気
見えました。
そこは、車が、行き交い、轟音とどろく空間。 しかも、陽が、
容赦なく照り付け、、照り返しの強い処。
でも、そんな逆境にめげる菫さんではありません。
良く見ますと、繁縷(はこべ)さん、オランダ耳菜菜草(みみなくさ)さん、
仏の座さん達や他の野草さんと一緒に、枯草、枯れ葉、砂や土が
吹き寄せられた、小さな、小さな野辺に、
菫さんは、健気に咲き、生き貫いているのでした。
何時か、大きな草原へ、返してあげたい...
そう思わずにはいられませんでした。
そこは、ですから、緑の草原ではありません。
菫さんは、茎を短くして、緑の葉を幾重にも重ねて、
’自衛’しているのね、と感嘆していましたら、
菫さんとは、少し品種の違う ひめすみれ 【姫菫】 さんだ
と知りました。
菫さんとは、菫さんが、葉柄にひれが付いていること、
のじすみれ 【野路菫】さんとは、サイズの 違い。
細長の葉やお花の色、紫の菫色を見ただけでは、全然
区別がつきませんので、
直感的に、気分的に、
菫さんと呼んだり、姫菫さん、野路菫さんと呼んだりしています。
においすみれ(匂い菫)
匂い菫さんは、葉が、ハート(心臓)形。
数10年前、園芸品種として愛されて、あちこちのお庭に彩りを添えました。
もっと広い世界へ行ってみたい、それとも故郷へ帰りたい
(ヨーロッパ、西アジア原産です)
と想ったのでしょうか、
お庭を飛びだして、野性化。
植え込みの下の、こんな処に植えられるはずがないわ、きっと、
飛び出してきたのね、そんな処にも散見するように。
菫さんといhば、あのハート形の葉の匂い菫さん。
昔、よく見掛け菫さんは、何処へ行ってしまったのかしらと思うほど
すごい勢いで増え続けて、
一時は、うんざりしてしまうほど、何処にも
咲いていました。 細長の葉の在来種の菫さん達に、出会うことは、
もう、無いのかしらとすこし悲しくなっていました。
ところが、今は、
あの菫さんは、何処?と
匂い菫さんの姿を見掛けなくなってしまいました。
在来種の菫さんが、勢力を盛り返したのでしょうか。
私にとっては、どちらも大切な野草さん。
仲よく棲み分けながら、ときには、お隣同士で、暮らして欲しい、
と願うこの頃です。
かんさいたんぽぽ 【 関西蒲公英】
たんぽぽさんは、鄙びて、何処か懐かしい風姿ですが、
六甲山麓の蒲公英さんは、モダン。
葉が、神戸の瀟洒な異人館のお庭に咲いているのが似合うような、
一寸お洒落な・・・
上から見ますと、ギザギザの葉達が、レース模様のような繊細さ。
まだ寒さが残る頃、近くの歩道沿いに、次々と、お花を咲かせていました。
暫くして、通り掛かるとお花の姿は、殆どありません。
大雨が降ったので、流されてしまったのでしょうか。
コンクリート舗装の片隅の小さな、小さな吹き溜まりに、咲いている
のですから、 しっかりと根が張れないのでしょう、心が痛みました。
流されて、
関西蒲公英さんは、大好きな、懐かしい故郷、野原へ帰ったのね、
とそう想うことにしました。
数日後、訪れて吃驚しました。
黄色のお花が沢山、点 点と咲いてました。 葉達もレース模様を再開。
たんぽぽさんは、流されていなかったのです。
大雨を避けて、細い葉を折畳むようにしれ、路隅にくっついていたので、
姿が殆どみえなくなっていたのでした。
時は、春爛漫。
たんぽぽさんは、春の陽気のなかで楽し気でした。
しろばなたんぽぽ 【白花蒲公英】
初めて、この野草さんに、出会ったときは、
どうしたの? お花を黄色に染めるのを忘れてしまって
咲いているのかしらと思いkました。
’ たぁ~んぽぽの花はぁ~、黄色いおはなぁ~ ’ と、
歌って上げたいような気がしました。
けれども、この蒲公英さんは、白いお花を咲かせるタイプでした。
知らなくて、御免なさいね。
春先から、 白花蒲公英さんとは、いつも、同じ場所で出会います。
あら、今年は? と捜しますと、少し離れた歩道の片隅に。
大柄なので、すぐ目について、ちょっと安心します。
小柄で、華奢な関西蒲公英さんとは、違った風趣を漂わせて、
秋深くなっても、まだ、咲いていたりします。 春の残り花 ...
やっぱり、春の野辺がお似合いだと想えます。
ほとけのざ 【仏の座】
フリル飾りの付いたストールを幾重にも首に書き付けているような、
葉の形が、一寸ユニークで、きっと、未だ寒さが残っているからなのね、
ーー 真冬にも咲いていることもあるのです、
と、
ひとり頷いていましたら、名前が、、’仏の座。’
そういえば、お地蔵さまの ’涎掛け’ のように見えてきました。
なんだか手を合わせて拝みたくなりました。
春の七種のひとつ。 と思っていましたら、全く別の品種。
しそ科の野草さんで、ヨーロッパ原産。
でも、日本の春には、すっかり溶け込んでいる様子。
暖温な地域を好むそうですのに、ここ、六甲山脈の麓では、
雪のちらつく時、ときには、雪冠しながら、咲き続けているのですもの、
ちょっと、魔訶不思議、
よほど、この地がお気に召したのでしょうか。
それなら、 大歓迎 ...
おにたびらこ 【鬼田平子】
すらりと伸びた茎と蒲公英(たんぽぽ)似の黄色な小花達、
優雅で、凛々しく、野草さんの気品すら感じさせます。
生の終焉に近づいた時も、
小さな帽子の綿毛をとばして、いつの間にか、姿を消して
枯れ姿をしどけなく晒すということはなく …
それなのに、何という命名なのでしょう。
おにたびらこ、漢字では、鬼田平子。
何処が、鬼 なのでしょう。
鬼といえば、赤鬼、青鬼。
この野草さんのどこかに彼らが潜んでいるということ
なのでしょうか。
確かに、美女が、突然、夜叉に変身する物語は
あるようですが ・・・
’田平子’ の意味もよくわからないのです。
田圃に関わりがあるのでしょうか。
何か、古風で、鄙びた響きは、この野草さんのモダンで、
お洒落な容姿とは、重なり合わない気がするのですもの。
では、どんな名前が、いいの、と聞かれても
なかなか思いつきません。
だから、鬼田平子!?、
なんだか落ち込んでしまいそう。
こおにたびらこ 【子鬼田平子】
鬼田平子さんの幼い時期のもの。 
大きくなったら、鬼田平子さんなるのでしょうと想っていましたら、
別の品種でした。
姿、形は、”相似形”そのものですのに。
春の七種のなかで、≺仏の座≻ と詠まれているのは、
古くは、この野草さんを指しました。
葉の並び方、根生葉(ロゼット)が、根元を中心に、放射状に
並んでいる形状が、仏様の台座に見えるからだそうです。*
* 参考文献:
長田武正著、野草図鑑 ④
たんぽぽの巻き (保育社、昭和59年)
p。 44.
今後参考にします文献は、すべて
当野草図鑑シリーズに拠ります。
ご了承くださるように。
早春の若芽は、茹でると、苦味がなく、美味だそうですが、
古(いにしえ)の人びとは、仏様の台座に見立てた野草さんを
食したりして、罰が当たらあなかったのかっしら、と
すこし心配になりました。
私も、小さい頃は、お正月七日は、七種粥でお祝をしました
けれども、罰が、当たった記憶はありません。
仏様は、慈悲深くお許しになったのでしょうね。
仏様の台座といえば、不草津な彫刻が施された、 立派な、
豪華なものを思い浮かべますが、
野辺の台座は、
簡素なもの。
座り心地は如何だったのでしょう。
いまの ≺仏の座≻の方が、よいのではないでしょうか。
―― また、余計な心配を始めてしまいました。
なずな 【薺】
もう 幻の野草さんなのでしょうか。
春の七種 (春のななくさ) の1つに数えられて、親しまれ、そして、
不名誉なことにも、
ぺんぺん草と呼ばれて、人の住まない荒れ放題のお屋敷を、
ぺんぺん草も生えない、 ―― 普通は、ぺんぺん草が生えて
いる荒た家屋ということなのですが、それが一段とエスカレート
して ーー 揶揄されたぐらい、 それ程の強靭な生命力の
野草さんです、でしたのに、 もうなかなか出会えなくなりました。
我が家は、小庭ですが、
ぺんぺん草が生えるような荒れ放題のお庭などと
嘆いたりはしません、
歓迎しますので、たまには、遊びに来てくださいね。
ぐんばいなずな 【軍配薺〕
薺 (なずな) さんが、終焉を迎えかけた頃、
姿形は、そっくりなのに、まるで、鋼鉄で創られたような
硬さと 強靭さを感じさせる野草さんに出会いました。
軍配薺さんでした。
逞しい武者のような、武骨。 花柄(かへい)も茎も骨太で
頑丈。
お花よりも、実が、軍配団扇に似ているからの命名のようです。
野原の何処かでは、
誰かさんが、相撲を取っているのでしょうか。
蟻さん? それとも 紅娘 (てんとうむし) さん?
つくし 【土筆】
昔は、河原の土手に土筆。
今は、用水路際のフェンスの足元。
小さな、小さな土砂や落ち葉の吹き溜まりに、他の野草さん達と
ひしめきあいながら、それでも仲良く、身を寄せあって、
暮らしていました。
広々とした草原に、何時か還れればいいのにネ... と
秘かに想っていましたら、なんとまあ、
我が家の小庭へ。
’小さな、草原’ と云っても余りにも小さ過ぎる
と思ったりしましたが、
お気に召したのでしょうか、
春麗らかになると、
いつも、必ず、姿を見せて、
春を楽しませてくれる、優しい、元気な野草さんです。
土筆さんは、私が食した唯一の野草さん。
若い時が、美味。 ’筆の花’のお浸しは、一口で、独特の、香しい
苦味が拡がります。 でも、若いのばかりでは、
ちょっと苦過ぎ。
’苦味走った’ハンサム・ボーイ’も、あんまり苦味走ると
悪人のように見えますものね。
何事も程々(ほどほど)が良いということでしょうか。
少し薹の立ったのも入れると、程よい円やかさに。
一色(ひといろ)よりも、色々 ―― 若さと老いーー を
混ぜる方が
深みや奥行きが出て来るということでしょうか。
すぎな 【杉菜】
土筆の坊やが、杉菜さんになる、少し哀愁を感じます。
もうすぐ、春ともお別れね...
’あら、土筆さんは、何処に?’
と捜しますと、
近くに、杉菜さんが、杉の葉に似た茎や枝を、 細長くあちこちに
ちょっと支離滅裂気味に伸ばしています。
春は、瞬く間に、足早に過ぎ去っていきます。
杉菜さんとの出会いは、
春愁の時...
はこべ 【繁縷】
珍しくなりました。
出会って、’こんにちは、お久しぶりね’ と覗きますと、
’あら、鶏(にわとり) さんじゃないの?’ と
ちょっと、落胆の表情。
鶏さんんが、’庭(の)鳥’さんだった頃、
農家の軒先の庭や裏庭で、コツコツ啄んでいたのが、
この野草さんだったそうです。
もう’庭鳥’の鶏さんと出会うことのない繁縷(はこべ)さんは、
食べられてしまう相手を失って、
ほっとしながらも、なんだか寂しく感じているのじゃない
のでしょうか。
今では、
枯れて、ベージュ色になりながら、初夏の風に戦いでいる
繁縷(はこべ)さんを見掛けます。
果実もベージュ。、小さく、小さくて、姫小判創(ひめこばんそう)さんに
見紛いほど、 優し気。
立ち枯れの姿に出会うとういことは、鶏さんに啄まれることがなくなって、
繁縷さんは、天寿を全うしているということでしょうか。
おめでたいことなのでしょうね。
なのはな 【菜の花】
菜の花や
月は東に、 日は西に
与謝蕪村
小学校の唱歌にも:
’菜の花畑~に ... ’ と歌いました。
古くから親しまれている野草さんというよりもお野菜。
日本では、春といえば、菜の花さん。
菜の花さんといえば、春と印象づけられていると
想うほど。
ずっと長い間、あちこちの畑で栽培されていたからでしょうか。
野辺でも見かけます。
ちょっと散歩に出かけてみたの、とあっけらかんとした、
屈託のないお花さんです。
イラストの絵は、西洋油菜。 和風菜の花さんは、
出会ったたときに、スケッチをし損ねたのです。
ですから、今度こそは、
と想っているのですが、
出会いがなかなかなくて、スーパーで買った
西洋油菜さんに代役をお願いしました。
ご免なさい...
春の色は、黄いろ、と思う人は、菜の花系。
桜色と思うひとは、桜系。
それでどうということは、ありません。
占いにもなりません。
唯、
どちらの人も、 春を愛でる人ということは、確かです。
ひめうず 【姫烏頭】
あの薬草で、大振りなトリカブト(鳥兜)さんとは違って、
姫烏頭さんは、小さな、小さな野草さん。 超を冠したいほど、
華奢で、繊細。 茎も、葉も、花も、何もかも。
お花は、花柄の先に一輪ずつ。
俯き加減に、花びらを小さく窄(すぼ)めて、
白く、咲いていました。
春の嵐が襲来しました。
次の日、心配になって様子を見に行きましたら、
何事なかったかように、やっぱり、俯き加減に、優し気に、
咲いていました。
大きな樹の庇護もなく、草さん達の蔭にでもなく、
石垣の小さな窪みに か細く、ひっそりと佇んでいるひとが、
どうやってあの大嵐に耐えることが出来たのかしらと
感嘆するばかりでした。
姫烏頭さんは、
’わたし、平気なの ... ’ と云いた気に
春風に、心地よさそうに、吹かれていました。
心配の余りに、 種を、我が家へ持ち帰って、小庭に撒きましたら、
―― こんな心配は、無駄なことよと、思いながらだったのです。
次の春、
姫烏頭さんは、華奢で、可憐な姿を見せてくれました。
それから、毎年、お庭の何処かに、ひっそりと、咲いています。
探すのが、私の春の楽しみ。
見つけ出すと、何故かほっとします。
はるじょおん 【春女苑】
小さな蕾がが、幾つもくっ付き合って、俯いています。
産毛のような毛で毛深く覆われて、
まるで、毛糸の手袋をはめて両手を胸に当てて、
おお、 寒 ... と身を縮こませているような姿です。
桜の花は、もう散っているのに、まだ、時々、
寒の戻りの日があります。
陽射しは、暖かいのに、風は、冷たい。
その風にコートもなく晒されて、葉達も縮んでしまっています。
お花達は、か細い花びらが、振り乱した髪のように、
乱れに、乱れてしまっていて、
この野草さん用の櫛があれが、梳かしてあげたいと
思うほど。
毎年、ああ、また、早や過ぎたヮ、と後悔しているのじゃない
のでしょうか。
春の野に登場するのが早過ぎるのです。
もう少し遅ければ、姫女苑(ひめじょおん)さんや
姫紫苑(ひめしおん) のように暖かい春を満喫できるでしょうに。
ちょっと、せっかち?
早く現れては、寒さに縮み上がっているような風情の
野草さんです。
へらばはるじょおん 【箆葉春女苑】
小さな蕾が、窮屈そうにくっ付き合って、
首を傾げながら付います。
淡紫色のか細い花びらの小花が咲く頃になると、
複数の花柄を、思い思いに伸ばして、
―― まるで、体を寄せ合って眠っていた
仔猫ちゃん達が、それぞれ起き出して、思い思いに
足を延ばして、背伸びをしているように ――
その先の蕾が花開きます。 そして、また、花柄を伸ばして...
という風に、頂上では、小花が高く、低く咲いてます。
女苑 といえば、女の園。
そして、時は春。 といえば、
ボッティチェリの‹春›を想い出しますが、あんなに豪華で、艶やか
ではなくて、どちらかといえば、
春の野に数人の乙女達が、物静かに語らいながら、佇んでいるような、
そんな風姿の、優し気な野草さんです。
そんな箆葉春女苑(へらばはるじょおん)さんが、お気に入りなのでしょうか。
梅雨空が、少し明るく見えた朝、お庭に出て、この野草さんを見ますと、
紅娘 (てんとうむし)さんが、一匹止まっていました。
黒地に朱赤色の小さな星。
3つだったら、害虫 ―― 扱い、可哀想に。
7つだったら、幸せを呼ぶひと、と聞きました。
2つでした。
ので、勝手に7つ星のグループに入れて、
箆葉姫女苑(へらばひめじょおん)さんの幸せを祈りました。
幸せが、訪れますように...
はるじょおん 【春女苑】
―― 続き
谷間側の舗装路を散策していましたら、
姫女苑(ひめじょおん)さんの小さなお花達が、
谷間の空間に見え始めました。
歩いて行くうちに、あちらにも、こちらにも。
葉を見ると、箆葉姫女苑(へらばひめじょおん)さん。
10株ほど群を作って咲いていました。
もすこし歩きますと、
ちょっと薄暗い木陰に、独り佇んでいる春女苑(はるじょおん)さんを
見つけました。
姫女苑さん達の圧倒的な存在に恐れをなしたのか、
遠慮したのでしょうか。 ぽつんと、 何処か寂しげに見えました。
ちょっと違いました。
少し離れた、陽のあたる場所に、春女苑さん達は、三三、五五に、
梅雨の束の間の陽射しを楽しんでいたのでした。
あの独りぼっちの姫さんは、 時には、一人も楽し、と
シングル・ライフを享受していたのかもしれませんネ。
野草さん達の姿を見なくなると、直ぐ、もう出会えなくなると
心配になって、パニックになりそうになります。
野草さん達に優しい環境を願わずにいられませn。
ひめしおん 【姫紫苑】
ちょっと遠い、でもそんなに遠くはない、近くの空き地に
この野草さんが、群生している様子を見たときは、驚きました。
それまで、私の知っていた姫紫苑さんは、淡紫いろの小花を付けた
か細い茎の、小柄な野草さん。
優しく、ひっそりと咲いていました。
ところが、
群生の姫紫苑さんは、背が高くて、草たけは、1メートル以上、
力強そうな茎。 しかも、ここは、私達のテリトリーよ、と
意気軒高。
姫 なんて冠は、吹っ飛んでしまったような、 私のイメージも
吹っ飛んでしまいました。
唯、淡紫色の花びらか細く、私の知っているまま。
やっと、 ほっとしたほどでした。
きっと、冒険好きの蟻ん子ちゃんも驚いたことでしょう。
うわァ~、大きな木、登ってみよう、と ウンコラショ、ヤッコラショと
やっとの思いでてっぺんまで辿り着いたら、
淡紫色の小花さん達が、 お疲れさま、と優しく覗きこんで来たこと
でしょうから。
蜜が、たっぷりあれば、お土産に持って帰ることが出来るでしょうに、
蟻さん達、姫紫苑(ひめしおん)さんの小花に群がっているのを、
見たことはありません。
お土産もなしに、しおしおと、帰って行く蟻ん子ちゃんを想像して、
すっかり同情、可哀想になってしまいました。
姫紫苑さんは、空き地が大好きなよう。
その後も、時々、自然のままに放って置かれた更地に
群れをなして咲き誇っている姿に出会います。
いわにがな 【苦菜】
葉の形が、ちょっとだけ、ユニーク。
ティー・スプーンのような形をして、大小いろいろは方向に向かい、
春風に揺れています。
なんだか、そこだけが、御伽の国のような...
お花は ―― どんなのかしら?
また、どんなメルヘンな世界へ誘ってくれるのかしらと
咲く日を待ち遠しく想いながら、待っていましたら、
蒲公英 (たんぽぽ)さん似の、春の何処にでも見かける、
殆ど、一重の、簡素な黄花。
なんでもない風姿が、どこか人を惹きつけます。
すらりとした花の立ち姿がチャーム・ポイントなのでしょう。
人間も姿勢の良い人は、好印象を与えますもの。
いつ見ても、楽し気で、優し気な野草さん。
清楚で純朴な印象。
それが、どうして、苦菜。
とても、苦味走ったようなところは感じられないのです。
春の野原で鑑賞するにふさわしい野花さん。
’にがな’ なんて、誰か、わざわざ、口にした人あるのでしょうか。
あったようです。
苦菜という命名は、茎から出る乳液が、舐めると苦いから
だそうです。 わざわざ、舐めなくてもいいのに…
そしたら、もっと春らしい、可愛い名がついたでしょうに。
野草さんの命名のデリカシーの無いのには、
時々、悲しく、胸が痛みます。
ひめおどりこそう 【姫踊り子草】
木蔭に物静かに、
空き地にも、そこでは、八重葎 (やえむぐら)さんや
烏の豌豆(からすのえんどう)一緒に、大勢、群れを成して
咲いていました。
春の舞踏会でもあるのでしょうか。
静かに、粛々と咲いていましたけれども。
いつも同じ場所、少しばかり自然がそのままな空間で、
出会います。 木叢の下、木蔭で、春を寿ぐように楽し気に、
大勢で咲いていますが、他で、見掛けることは、
あまりありません。
似たような風姿の野草さんは、仏の座さん、
こちらは、何処にでも。
姫踊り子さんは、遠慮しているのでしょうか。
ヨーロッパからの帰化植物さんにしては、
凄く珍しい。
外来種の野草さんは、異郷にあって、生命力極めて
旺盛で、なかには、嫌われ者になってしまう、
可哀想なひともありますのに。
しろばなおどりこそう 【白花踊り子草】
その一隅だけが、鬱蒼とした雰囲気が残されていて、
道路の側なのに、山の中に迷い込んだような、
そんな木蔭に、他の野草さんが、小振りで、か細く見えるなかで、
ひとり、大柄。
生き生きと、白い唇形のお花達が咲いていました。
お花達は、上唇と下唇を大きく開けて、いまにも、大声で
歌い出しそう。 オペラ歌手を目指しているのかしら、と
思うほど。
でも、名前は、踊り子草。
どんな踊りを踊るのでしょうか。
白いチュチュをつけて、クラッシク・バレー?
それとも、和風? といっても、盆踊りは賑やか過ぎ、
日本舞踊は、豪華過ぎ...
どんな踊りを披露してくれるのでしょう。
観賞したいと思うのですが、もう、白花踊り子さん達には
会えないでしょう。
辺りは、広大なお屋敷跡だったのですが、整備されて、
マンションが、次次と建ち始めていましから。
自然が、小さな、小さな自然さえもが、壊され、
野草さん達に会えなくなるのは、ほんとに淋しい・・・
ほんとうに残念です。
へらばおおばこ 【箆葉大葉子】
アーモンド形の小さな穂が、スラリとした立ち姿の茎の先で
風に戦いでいました。
どんなお花かしら、やっぱり、可愛い、白い花びらが、
5、6枚? それとも、ピンク、薄紫の・・・
いろいろ、楽しく想像を巡らせていました。
そして、お花が咲いた時、 ーー それが、お花かどうかも
よく分かりませんが、――
ひらひらと、そよ風に揺れているのは、小さな、小さなスプーンの
ような、なんだか不思議な形。
U. F. O . の世界?
それとも、野草さん達の仮想舞踏会用のお帽子?
草花さんは、奇想天外なお花を咲かせて、
吃驚させてくれるものですネ
むらさきかたばみ 【紫酢漿草】
紫?
一見、淡桃色なのですが、
よく見ますと、少し青味ががっていて、お花の咲く場所 によっては、
薄紫に見えることもあるからでしょうか。
花冠の中心から花びらの下の筒状の部分が、白色なことも
涼やか、時には、淋し気に見えるからかもしれません。
遠い昔、物知りの遊び友達が、茎を渡して、
’ちょtっと、噛んでみて...
ちょっと、噛んでみますと、
酸っぱいィ~
ちょっと、野草味の酸っぱさ。
小さい頃の ’酸っぱい’思い出...
紫酢漿草(むらさきかたばみ)さんは、蓚酸を含むので、
酸っぱいのだそうです。
昔は、≺すいすい≻と呼んでいました。
きゅうりぐさ 【胡瓜草】
勿忘草(わすれなぐさ)さん とばかり思っていました。
疑いもなく・・・
花壇から、野原へハイキングに出掛けて、そのまま、そこに
棲みついてしまったのかしら、と 想ったりしていました。
綺麗な水色の、
ちょっと首を傾げているような蕾の塊が、
だんだんと開いて、次次と、小花を咲かせる姿も
ほんとうによく似ているのです。
葉を擦って、嗅ぐと、
胡瓜の匂いがするので、きゅうり草と命名されたとか。
もうすこし、ロマンティックな名前はないのかしら、と探してましたら、
田平子 (たびらこ)
ますますどうしてこの名前が、冠されたのか訳が分からなくなる命名、
と云う気がして、ギヴ・アップ。
きらんそう 【金瘡小草】
薬草:
別名は、地獄の窯の蓋 (じごくのかまのふた)。
「地獄の窯にふたをして病人を追い返す」* ということが
由来だそうですが、
* 長田武正著、野草図鑑 ⑤ (前掲書)、
p. 125.
地獄は悪人が握行の裁きを受ける処。
病人は、悪人なのでしょうか。
なにはともあれ、
この野草さんは、グランド・カヴァーのタイプで、
地面に一分の隙もなく、びっしりとはりついて繁茂し、
その凄さましじさは、地獄の窯も多い尽くしてしまうほどだから、と
字面から勝手に想像して、魂消ていましたら、
昔は、民間薬として、人びとの病気を治すために、健気に
活躍していた野草さんでした。
花の色は、綺麗な濃い紫。
花びらは、唇形。 下唇の花びらの中央がくびれて、
逆ハートのような形。
横臥した茎には、葉と一緒に濃紫色お花が、群れて
くっついていて、その風姿は、豪華というか、
暑苦しいと云うか・・・
春には、良く出会う機会がありました。
この頃は、すっかり姿を消してしまったようで、
残念です。
つるじゅうにひとえ 【蔓十二単】
金瘡小草(きらんそう)さんの別名、地獄の窯の蓋さんの 立ち姿。
ほんとに魔訶不思議なめいめいの仕方。
’立てば、芍薬、座れば、牡丹、歩く姿は、百合の花。’という
喩えがありますが、
’立てば、蔓十二単、 這えば、地獄の窯の蓋’というのは…
蔓十二単さんが、そのまま横臥して、ロゼット状に茎を
葉やお花達と一緒に這ったのが、地獄の窯の蓋さん。
地獄の窯の蓋さんが、茎を蔓のように延ばして
立ち上がった姿が、 蔓十二単さん。
ああ、ややこしい・・・
お花は、小さな、濃紫の唇形。 地獄に窯の蓋さんと
見極めがつきません。
お二方は、どんな親類付き合いなのでしょうか。
たねつけばな 【種つけ花】
小さな、小さな白色の菜の花のようなお花を咲かせる野草さん。
あんまりお花が小さいので、スケッチするのが、難しいほど。
このお花を見ていると、
英語の ‹little› には、小さいというだけでなく、
可愛い という意味があることが、良く分かります。
繁縷(はこべ)さんと仲良しらしく、繁縷(はこべ)さんに混じり
込んで、守られているように、咲いていたり、
花壇の隅にそっと咲いていたりする、優し気な野草さんです。
ゆきのした 【雪の下】
古くから有名な漢方の生薬と聞いていましたので、
古臭くて、黴臭いような... とばかり想っていました。
お洒落、で優雅。
何処かエギゾティック風姿。
特に、お花はエギゾティッ=異国風というより異星風。
異星人からのプレゼントかしらと想ったほど、
不思議な風姿をしています。
宇宙の何処かの星に、
こんなお洒落で、優雅なお花達が咲き乱れている花壇が
あるのでしたら、直ぐにでも飛んで行ってみたい気がします。
でも、そこで、
あの蛸のお化けのような火星人さんやエイリアンさんに
遭遇するのなら、止めて置きましょう。
蛸さんは、ユーモラスな感じがあって、なんとか我慢できても、
火星人さんやエイリアンさんは、やっぱり気持ちが悪い...
酷い偏見でしょうか。
やぶにんじん【藪人参】
色々な野草さん達の密生する場所、笹薮のすぐ近くで、
出会いました。
藪の傍に生えて、葉が、人参似だから、
藪人参(やぶにんじん)なのでしょうか。
なんて素っ気ない命名なことでしょう。
お花は、小さな、小さくて、 白色の可愛い、愛らしい、
藪虱(やぶじらみ)さーー この名付けも、めちゃくちゃ酷い ――
と同じような頭頂花。
テーブル・クロスの縁取りにできるのなら、
どちらのお花にしようかしら、と迷いに迷って、結局、
両方を使って、2枚創ることになるでしょう。
葉も、繊細で、お洒落。
わざわざレース糸で編まなくても、この葉を合わせることで
十分楽しめます。
ティー・パーティをして、
どなたかを招待しましょうか。
ひめびじょざくら 【姫美女桜】
バーベナ(美女桜)よりは、ちょっと、自己主張の少ない、
優しい気な野草さん。
濃桃色の花びらが5枚。細く、華奢。
花壇でも美女桜さんが、姿を消してから、咲きはじめて、
何処か遠慮勝ち。
意外な場所で見掛けます。
ちょうど、花壇と野辺の境目のような空間に。
花壇から抜け出してみたけれども、あんまり遠くへは、
冒険に出掛けられず、
近くで満足しているように見えます。
でも、ご自身は、のびやかな性格らしくて、
時々、茎をにゅうと出していて、
夏の到来に備えているのか、真っているのか...
朱夏には耐えられなっかたのでしょうか、
いつの間にか、姿を消していました。
ちどめぐさ 【血止め草】
お庭の一角、 いつも、じめじめ湿った石の蔭や、
牡丹の木 の下に、地表にへばり付くように、
葉を少し重ね合わせながら、生えていました。
いつも苔さん、名前の分からない苔さんと一緒に。
ふたりとも陰気な湿地がこの実のようでした。
小さい頃、
‹ちどめぐさ› と呼ばれていることは知っていました。
どういうわけか、‹蛭(ひる)›さん ―― 野山の小さな吸血鬼 ――
を連想してしまって、
小さな傷をして血が出たときは、なるべく知らん顔をして、
大急ぎで、通り過ぎました。
我が家の小庭に、現の証拠(げんのしょうこ)さんが、いつも
あちこちに咲いていたのに、今年は、姿を見ないわね…
何処へ云ってしまったのかしら、と探していましたら、
’まあ、血止め草さん!’
ずいぶん久し振りの再会でした。
やっぱり、同じ苔さん、あの名前の分からない苔さんと
一緒でした。
不思議なご縁の野草さん達です。
とうだいぐさ 【灯台草】
名を知らないので野草図鑑 (前掲書)を調べましたら、
’あら、これね、
ねこめそう(猫目草)。
素敵な名前根、と楽しくなってしまいましたのも、
束の間、でも、葉の形がちょっと違うみたい。
もう少し図鑑を繰ってみますと、離れた場所に、ぽつんと 独り、
特徴がぴったりの野草さんが、載っていました。
この野草さんの名は、その姿形を、
昔の灯台に見立てたからの命名。
葉は、萌黄色、お花、黄色。
春の景色の片隅を彩る野草さん。
新しい野草さんとの出会いは、春の野原の宝物を見つけたような、
密やかな興奮に包まれます。
みやこぐさ 【都草】
古(いにしえ)の都大路に咲いていたのでしょうか。
都人は、都草さんを見て、春を寿いだのでしょうか。
それとも、やっぱり、 春は、梅、桜。
お花見に打ち興じたのでしょうか。
都草さんは、独り、どんな春を迎えたのでしょうか。
今でも、京都では、
この野草さんが咲いているそうです。
そして、 ちょっと吃驚。 近くのマンションの躑躅(つつじ)の植え込みの
側で、のんびりと日向ぼっこをしている都草さんを見掛けました。
都忘れさんになったのでしょうか。
つめくさ【爪草】
‹爪切り草›と呼んでいました。
葉が、 爪切りで切った爪の形に似ています。
三日月さんを、もうすこし細くして、もっと、もっと、小さくしたような形。
遠い昔、
お庭の飛び石の際に、隠れるように、三日月形の葉を幾重にも
合わせながら、生えていました。
特に好きな野草さんではなかったけれども、小さい頃は、
よく見掛けることがありました。
いつも同じ場所。
懐かしい... でも、
もう出会うこともないのでしょうね、と想っていました。
近くの道路を歩いていた時の事。
何か、誰かに呼ばれたような気がして下を見ると、
爪切り草さん...
まあ、こんな近くに。
’そうよ、私達、ここに暮らしているのよ’ と云いた気でした。
人に踏まれそうな、路傍と云うより、歩道の真ん中辺りの、
ちょっとした隙間に、誰にも踏まれることなく、元気に、
濃緑の三日月形の葉を茂らせて、繁縷(はこべ)さん似の
白い小花を咲かせていました。
野草さんの生き抜くための、逞しく、涙ぐましい奮闘振りには、
いつも、感動してしまいです。
長い間忘れたままだったのに、
急に思い出して、即、会えるなんて、不思議なご縁。
ひょっとしたら、私が、気付かなかっただけ、かもしれません。
いずれにせとよ、
爪草さんとの思わぬ再会には、
楽しい、幸せな気分になりました。
めのまんねんぐさ 【雌の万年草】
小さな、それでも、艶やかな深緑いろで、多肉質な細身の葉達を
一斉に広げて、春の陽射しの中で、日光浴を楽しんでいるようでした。
お花は? と楽しみにしていましたら、
小さな、可愛い黄色の小花でした。
5弁の花びらと無数の雄蕊(おしべ)の小花達が集まって
咲乱れるよ雄は、黄色の小さな、小さな絨毯を敷いたよう。
蟻さん達が、休憩するのに丁度良いような...
春の野辺に咲くのが、よく似合いそうな野草さんなのですが、
実際に出会ったのは、舗装路の脇。
それも、少し残っている自然からはみ出して来るように。
故郷の岩場を想い起こさせるのでしょうか、
びっしりと葉達を連ねて、やがて、黄色い小花で、
埋め尽くされました。
可愛らしいのに、繁殖力が強くて、ちょっと嫌われたりするようです。
気な気に生き抜いているだけなのに、
胸が痛くなります。
おのまんねんぐさ 【雄の万年草】
山地の岩の上に自生する野草と書かれています。
野草図鑑⑧ (前掲書)
ここは、石垣ばかり、岩場は、もうとっくになくなっています。
雄の万年草さんは、石垣を岩場に見立てているのでしょうか。
彼方此方の石垣の’岩蔭’や、窪みに群れて生えていました。
葉は、多肉質。 ふっくらとして、’松葉の水太り’のよう。
色は、白味がかった緑。
花は、小さく黄色。
満開時は、葉も茎も多い尽くすほどに咲いて、
茎は、重いいのでしょうか、腰折れになって、横臥していますが、
小花達は、居心地の良いソファと想っているのでしょうか、
その上に楽しそうに座って、
明るく、微笑んでいるように咲いています。
あまり歩くことのない、寄り道することなりますので、坂路を、
久し振りに歩きますと、
石垣から、雄の万年草さんが、逆さになってぶらさっがて、
生えていました。 石垣のあちこちに、垂直に。
朱夏の熱暑、35度超、に耐えられなかったのでしょうか。
石垣の下は、蓬さんの世界。 暑さを凌ぐ場所は
なかったようです。
葉は、草色。 枯草にはなっていません。 ですから、
多分、手頃な避暑法なのでしょう。
人間にも、逆立ち健康法というのがありますものね。
早く、朱夏が終わって欲しいと祈るばかりでした。
雌の万年草さんと雄の万年草さんについて1つ可笑しな事に
気が付きました。
野草さん達には、’類は友を呼ぶ’といえるような現象を
散見します。 例えば、蓬さんと豚草さん。
春先の若葉は、全く見分けがつかないほどよく似ていて、
ー- 間違って、豚草さんで蓬餅を作ってしまった方がおられるほど、
仲良く、隣合って生息しています。
ジャンル(属・科)の違う場合も、
小菊さんと菊葉野老(きくばどころ)さん。
菊葉野老さんが、小菊さんのはが茂っている近くのフェンスに
蔦を絡ませていました。 葉が、良く似ていました。
それなのに、
雌の万年草さんと雌の万年草は、 葉もお花もよく似ているのに、
別行動。
それぞれ、別々の場所に、住居を構えて暮らしています。
相互不干渉主義なのでしょうか、
それとも、自由を満喫したいタイプ?
いずれにせよ、シングル・ライフを楽しんでいるようです。
では、人間の場合は?
と考えている内に、
雌と雄の万年草さん達が、混在している姿に出会いました。
仲良くなのか、喧嘩をし合いながらなのでしょうか、
どうなのかは知る由もありませんが…
メキシコまんねんぐさ 【メキシコ万年草】
初夏の日差しを浴びながら、
びっしりと隙間なく、林立。 小さな虫さんが見れば、木立のように
見えるでしょうね。
でも、メキシコ万年草さんは、メキシコ原産。
メキシコでは、
カクタス/サボテンの側で、’林立’しながら、
テキーラを飲んで、メキシカン・ハットを被って、ぎたーを
奏で、歌いながら、お祭りを楽しんでいる、
容器なメキシコの人々を眺めていたのでしょうか。
こちら、神戸では、
石垣や道路の端に残っている僅かな自然を見つけて、
透き通るような若草色の、多肉室の葉達を、すっきり立ち上がる
茎に、他の万年草さんと同じ黄色の小花を、咲かせています。
異郷で、逞しくく生き抜く姿には、
感動してしまいます。
他の外来種の野草さん達に対する時と同じように...
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のばら:のいばら 【 野薔薇:野茨】
その異人館は、神戸し・諏訪山の中腹に、ぽつんと、
忘れられたように、建っていました。
木造の、白い壁、屋根と窓の縁取りは、オリーブ・グリーン。
長い間、風雨に晒され、剥げ落ちて、
お庭も、木木や草草は、茫々、荒れ果てていました。
でも、そこからの眺めは素晴らしく、神戸港が一望できます。
往時、
この館に住む佳人は、二階のヴェランダに出て、港に出入りする
船舶を、望郷の思いで、眺めていたのかしらと、
想像したりしました。
異人館の野薔薇:野茨(のばら:のいばら)さんは、
二階のヴェランダの手摺や柱に絡みつくように、
枝、枝をを伸ばしながら、
一重の白色の小花を咲かせていました。
私の‹エギゾティックな神戸›の想い出の1つです。
野薔薇さんかと想っていましたけれども、もしかしたら、
蔓薔薇(つるばら)さんかもしれません。
想像力は、続きます。
もしかしたら、
この館の佳人にお庭に植えられた 蔓薔薇さんは、
もう、愛でてくれる人が誰もいなくなっても、
独り、
毎年、初夏になると、白い小花達は、可憐に咲かせながら、
母国へに還ってしまった佳人を待ちわびながら、
ずっと待ち続けていたのでしょうか。
そう想うと、なんだか胸が痛くなってきました。
我が家の近く、まだ小さな自然が残る一角に、
初夏の頃、野薔薇:野茨さんの白いお花が
咲き乱れます。
そして、葉が茂る頃、枝をあちこちへ
ゆらゆらと長く伸ばして、何処か絡みつく手がかりは ないかしら、
と探しているように見えます。
―― 蔓薔薇(つるばら)さんかもしれません。
でも、 異人館の野薔薇さんは、たぶん、野薔薇さんでしょう。
白色と渋緑色の瀟洒な館には、この野草さんが似合っていました。
物の哀れを感じさせるひと。
だからでしょうか。
あの異人館の白い野薔薇さんの、
何処か物狂いしたような風姿を
今も、ありありと想い出します。
からすのえんどう 【烏の豌豆】
’幼馴染み’さん といった感じ。
幼い頃、何時も、何処でも出会っていた野草さん。
でも、あんまり好きではありませんでした。
顔を合わせたくなくて、わざわざ、遠回りをして、
帰ったりしました。
どうしてあんな風だったのかしら?… と考えて、
暫くして、あっ、そうだわ、思い当たりました。
あの葉達の並び方。
百足(むかで)さんを連想してしまって、怖かったのでした。
指先に噛みつかれたことがあったのですもの。
今は、神経が図太くなったのでしょうか。
ユニークな形ね、と感心出来るようになりました。
年を重ねるということは、
悲観、悲嘆することばかりではないようです。
すずめのえんどう 【雀の豌豆】
烏の豌豆さんと相似形。
葉も、茎もお花も... 姿形は、同じ。
違いは、サイズ。 烏の豌豆さんは、大柄。
雀の豌豆さんは、小柄で、華奢な感じ。
もっと千賀藍が分かるのは、お花の付き方。
葉と茎の腋から、可細い柄をぐっと突き出して、
その先に、小さなお花達を、5つ、7つ、時には、3つ。
仔猫ちゃんが、前肢をにゅうと突き出したり、
パァーとてを広げたりしているような様子が、
違っていて、 ユニーク
’そうよ、ここが違うのよ’ と云いた気。
個性を主張しているのでしょうか。
かすまぐさ
‹烏の豌豆›と≺すずめの豌豆›の間に位置づけられるような
野草さん。 ですから、
‹烏›の「か」と‹雀›の「す」 を採って、その間、「ま」の八総さんと
いうことで、‹かすまぐさ›。
’えっ、ほんとなの?’聞き返したくなるような、
呆れるような、なんだか、荒っぽい命名の仕方に思えます。
もう少し、
心を込めて考えて下さることはできなかったのでしょうか。
デリカシーがなさ過ぎます。
両方にですが、少しづつ違っています。
葉は、先がちょっと尖ったナイフ形の細葉で、
烏の豌豆さんや、雀の豌豆さんのように、あの細長い、
ハート形の中央の括れに、細い髭のようなつるが付いている、
ユニークなタイプではありません。 普通の葉。
お花も形は、同じですが、
小花が、葉の付け根から細長い柄の先に、
ちょこんと、1輪、2輪、付いています。
まるで、やんちゃ坊主たちが、枝(柄)いぶら下がって、
遊んでいるように見えます。
今にも、飛び降りて、春の野原へハイキングに出かけそう。
けれども、
お行儀よく、ちゃんとぶら下っていて、
小さな、小さな莢の中で、小さな、小さな豌豆豆似の
実に成熟するのです。
ほんとに、お利口さんね…
かたばみ 【酢漿草】
酢漿草さんは、茎が、地を這って、横に伸び、
枝が茎のように、ちょっと立ち上がって、葉やお花を付けます。
ところが、
茎の立ち上がった酢漿草さんを見つけました。
’あら、ここにも…’
彼方此方に見つけました。
途端に、 樹上生活をしていた人類の祖先が、
草原に降りて、直立二足歩行を始めた姿を想い浮かべた
のですけれど、この発想は、ちょっと突飛過ぎると気付いて、
中止しました。
酢漿草(かたばみ)さんもほっとしたことでしょう。
野草図鑑 (前掲書)⑥で、‹エゾカタバミ›の項を見つけました。
エゾは、蝦夷、北海道。 深山に生えるそうです。
ここは、神戸。
深山とは、ほど遠いようですけれど、
私の住む処は、’神戸の秘境’と揶揄されたことのある山麓
というよりも、もとやまの中腹の造成地の一角。
冬は、零下の世界になることがあります。
ですから、酢漿草(かたばみ)さんは、地面の冷たさに
驚いて、思わず立ち上がってしまったのでしょうか。
でも、この野草さんが、姿を現すのは、
春闌(はるたけなわ)の頃。
それなのに、すらりとした姿で立ったまま。
春なのですから、のんびりと野原に寝転んで、
縦横に伸びをすればいいのに、
そうしているお仲間も、いるのですから。
どういう訳か、立ったまま。
頑固というにか、融通が利かないというか...
自然には、不可解な事柄が、ほんとうに多い。
解ること、解っていることのほうが、遥かにすくない、と
見た方がよさそうです。
クローバー 【clover】
白い花冠で花冠(ティアラ)を造りました。
小さい頃の、素朴な遊び。
どうして造ったかは、もう憶えていませんが、
きっと、手が 憶えていて、クローバーの花束を手にしたら、
どんどん造っていくことでしょう。
クローバーの咲く野辺に座りこんで、
もう一度、造ってみたい... そんな想いがしますけれども、
ティアラが造れるほどたくさんのクローバーさんが
咲いている野辺は、もう長い間、見掛けたことがありません。
ほんとに残念...
ながみひなげし 【長身雛罌粟】
時々、 立ち止まって覗いてみる洋品雑貨のお店、
ショウウインドウの奥に渋い柿色の雛罌粟を染めたお皿が、
飾ってありました。
それが、長身雛罌粟さんとの初めて出会いでした。
どな風に咲いているのかしら、
ヨーロッパの何処かのようだけれど…
多分、決して出会うことのないでしょうと想いながらも、
時々、夢想していました。
或る春のこと。
’まあっ!’ 吃驚しました。
あの渋橙色の花びら4枚の、長身雛罌粟(ひなげし)さんが咲いて
いるの見つけたのです。
’私、神戸でも咲いているのよ’
私を驚かせて、ちょっとおかしそうに微笑していました。
うれしくって、スキップをしたくなるような出会いでした。
それから、春の訪れと共に、あちこちで見かけるようになりました。
地中海原産。
船に揺られて、大海を渡って来たのでしょうか。
時々、故郷を想い出して、ホームシックにならないかしらと
心配にもなったりしますが、
神戸は、地中海的気候、だから、気に入ったのでしょうか。
大小様々な ―― 大は、直径約4センチ、小は、約1センチ――
花冠の花を咲かせています。
我が家の小庭にも訪れてくれています。
長身雛罌粟(ながみひなげし)さんに、
毎年、何処かで出会えるのが、
春の楽しみの1つ...
つるにちにちそう 【蔓日日草】
蔓桔梗(つるききょう)さんと呼ばれていました。
秋に咲く桔梗さんとは、お花も、葉も、姿形も全然似ていないのに、
花の色は、淡青紫色。 それだけ。 そんなことで どうしてなの、
と首をかしげていました。
‹蔓日日草›という命名の方が頷けます。
’日日’とは、’一日花’のこと。 一日毎にお花が咲き替わります。
春を過ぎる頃、
風車のような形の青紫色のお花を次々と咲かせて、
繁殖力は、旺盛。 それで、ちょっと向きになって、
刈り取とってしまうと、向こうも、向きになってでしょうか、
繁殖力を増強します。
もう、手に負えない...
せめて、お花が白色なれば、
花色が、青紫系、葉は、濃緑色。何となく、寂しく、陰鬱な
ムードが感じられるのが、嫌なのです。
白い斑入りの葉の、蔓日日草さんもあって、
この草花さんは、涼やか。
何時の頃からか、我が家の小庭にも姿を見せていますが、
繁殖力はそれほどでもないよう。
遠慮気に、ひっそりと 同じ淡青紫色のお花を咲かせています。
なんだか、応援したくなりました。
げんぺいぎく 【源平菊】
雛菊さんの小さな、小さな...
といっても、観賞用の和風の小菊さんよりもシャスタ―・デイジーさんや
マーガレットさんに近いような花形の草花さん。
ほんとに可愛い、可憐なひと。
でも、意外なほど、勇ましい。
大きな石垣の全面に姿を見せ、其処彼処に、三々五々、
それも、1輪や2輪ではなく、数え切れない程が群れて
咲き乱れる様子は圧巻です。
春から初夏にかけて、自然が綾なす障壁画。
1輪、1輪は小さくても、大勢が集まると、大きな勢力になって、
凄い迫力を見せるのね… と感嘆して、見入ってっしまいますが、
でも、やっぱり、優し気に、可憐に咲いているのが、
愛らしい。
風姿は、ちょっと瀟洒、 モダンな感じも。
外国産のように見えますのに、‹源平菊›とは、和風な、というよりも
古風な。 どういうことのなのでしょう。
野草図鑑(前掲書)全巻を探しましたが載っていない野草さん。
ひょっとして、お花の色の移ろいの故?
咲き初める頃は、綺麗な白色。 それが、盛りを過ぎますと、
渋い紅色に移っていきます。
源平合戦では、平氏は、紅旗、源氏は、白旗を掲げて、
戦さをしました。。 そのことに因んで、この野草さんの
花色が、白と紅なので、 ‹源平菊›と命名?
可愛く、可憐で、優し気な野草さんが、
鎧兜に身を固めて、戦さに出かけるなんて、
とてもじゃなけれども 想像をするのは無理なこと。
なんとか、別の名を考えて頂けないでしょうか。
おおまつよいぐさ 【大待つ宵草】
何時の頃からか、彼方此方で、見かけるようになりました。
舗装路の傍、石垣の窪み、そして、フェンスの向こうの
小さな空き地にも。
4枚のはーとハート形の花びらが、ちょっと重なり合って咲いている
黄色いお花。草丈は、20~30センチ位。 お花を大きく感じます。
月見草さんとは、違います。
よく間違えられるようですが、私も、月見草さんではないと
ちょっとがっかり。 月見草さんは、名前の語感がロマンチック
ですもの。
でも、考えてみますと、待つ宵草さんもロマンチック。
’宵を待つ’ のですから。
‹宵待ち草› とも呼ばれています。
歌でも歌われていました。
でも、どうして’宵を待つ’のかは、よく分かりません。
一日花だからでしょうか。
宵に咲き始めて次の朝は、萎むという, 儚いお花です。 が、
毎日、次々と、1輪、2輪づつ、お花を咲かせて、初夏から
朱夏の太陽の下でも、頑張っています。
あんまり無理をしないでね、と声を掛けたくなりました。
めまつよいぐさ 【女待つ宵草】
初夏が過ぎた頃、我が家小庭で、
ハート形の花びら4枚の黄色い小花達が、次々と、
咲き始めました。
その内、
茎がどんどん高くなって、屋根まで届きそうになりました。
小花も大きくなって、その中で、蜂さんや蝶々さんが、
お昼下がりのパーティーを楽しめる程になるのかしら、と
想っていましたが、小さいまま。
それでも, 小花の数はどんどん増えて、
まるで、真夏のクリスマス・ツリーのようになりました。
大木(たいぼく)のようになった女待つ宵草さんは、でも、
大嵐に見舞われて、倒れてしまいました。
或る日、むっくり起き上がって、今度は、
樫の樹のように、強く、聳えるということは、無く、
横になったまま。
それでも、柄を空に向かって伸ばして、また、可愛い小花達を
咲かせていました。
秋が過ぎますと、お花も、葉も枯れて茎だけが残りました。
茎も枯れて、でも、何処か芸術的雰囲気を漂わせていました。
なにか記念のオブジェが造れないかしら、と
想ったのですが、結局、何も造れずに
終わってしまいました。
芸術は難しい... という感想を得ただけでした。
こまつよいぐさ 【小待つ宵草】
あたらしく空き地になった処。
長身雛罌粟(ながみひなげし)さんや昔姫蓬(むかしひめよもぎ)さん
他の野草さん達が追い茂る、そんななかで、
いつの間にか、ちょうど、舞台の中央でパーフォームするかのように、
大きく両手を広げて、’ 私も、此処に居るのよ、’と 自分の
存在を、一生懸命アピールしている野草さんが、
小待つ宵草さん。
め待つ宵草さんのようには、とても背は高くならず、小柄。
地を這うような感じで、茎や葉を伸ばすようにして、
広げていました。
お花も、大待つ宵草さんのように大きくなくて、小さいのです。
或る日、夕方に通り掛かりましたら、
例の、ハート形の花びらが4枚の黄色い小花達を一生懸命
咲かせていました。
頑張り屋さんね… そんな野草さんです。
あつみげし (渥美芥子)
’あら、この芥子さんは?…’
突然すがたを現した姿をあらわした野草さんでした。
すっかり、馴れ親しんで来たポピーさん、虞美人草さん、それから
長身雛罌粟さんとは、違っていていました。
特に、花びらの色調。
薄桃色が青味がかって薄紫に見える不思議な色、というか、
罌粟/芥子さんでは初めて見る色。 そして、
お花の底紅の紅が暗渋紫色というのも初めてでした。
通りすがりの2か所で出会いました。
その何処となく神秘的で、妖し気な雰囲気に魅かれて、
見る度に胸をときめかしていましたら、なんと、我が家の小庭にも
一輪、姿をみせてくれました。
不思議さが漂う花びらが散った後、吃驚しました。
これこそが、’芥子坊主’ ネ。
あの、見慣れた肢の長い、ワイン・グラスに似た果実ではなく、
丸く、そして、大きく、逞しい...
カンナ(canna)さんの実 ―― アメリカ流命名、Indian's shot
(インディアンの弾丸) ―― を思い出しました。
カンナさんの実よりももっと、もっと、大きな弾丸。
また、思い出しました。
何時か、写真で見た、吃驚するほど大きく、危険な香りのする
芥子の果実。 遠い異国の地で、 阿片/モルヒネを採取するために
栽培されていたものでした。
‹渥美芥子›という命名は、wikipediaによりますと、
日本で、1964年、愛知県渥美半島の沿岸部で始めて帰化が
確認されたことに由来しているそうです。 一般の栽培は、禁止
されています。
それなのに、どうして、此処に? ここは、神戸東部。
どんな風にしてやってきたのでしょう。
もしかしたら、この野草さんは、渥美芥子(あつみげし)さん似の
人間には無害なタイプかも… 私が、渥美芥子さんと思い込んだ
だけ。
渥美芥子さんだって、唯、綺麗なお花を咲かせて、子孫繁栄の
ために結実しているだけでしょうに。 それを、悪魔のプレゼント
のように扱うなんて、 何時の間にか、渥美芥子さんに
憐憫の情を抱いていました。
次の春、もう一度、渥美芥子さんの訪れはありましたが、
それからは、もう出会うことはありません。
自らの身上を慮って、姿を消してしまったのでしょうか。
あの何処か人を惹きつけてやまない、魅惑的な風姿を、
時々、思い出しています。
えのころぐさ 【狗尾草】
‹狗尾› の意味は、犬仔・犬児・狗児 (広辞苑)。
ちょっと、驚き。
日本では、≺猫じゃらし›と呼ばれます。
犬と猫。 何処で想像力が違ってきたのでしょうか。
夏には、もわもえとした、長い穂を垂れます。
この長穂の見立ての違いから?
仔犬のお尻尾に見たり、猫の尾に見たり。
それで、仔猫ちゃんの前で揺らすと、戯れきたということ?
それで、‹ねこじゃらし›
じゃぁ、と
お庭に生えている猫じゃらしさん:狗尾草さんを抜いて来て、
猫ちゃんの前で左右に振ると、
本当に戯れついてきました。
それにしても、‹狗尾草›は、仔犬のお尻尾に見立てた野草さん。
猫ちゃんが、仔犬ちゃんの尾に戯れるなんて、きっと、
仔犬ちゃんもくすぐったい、と嫌がるでしょうから、
実際には、あんまり考えられないヮ... と思っていましたら、
そのせいか、、猫ちゃんも、直ぐに、飽きてしまったようで、
つまらなそうな顔をして、何処かへ行ってしまいました。
やっぱり、毛糸の玉の方がよいのでしょうか。
シャスタ・デイジー 【shasta daisy】
10代の頃は、春を過ぎて初夏にかけて、お庭に咲いている
シャスタ・デージイさんを眺めていました。
ですから、ずっと馴染み深い草花さん。
野草さんではなく、観賞用:園芸用として作られた、
フランス菊と浜菊の交配種です (広辞苑)。
フランス菊さんは、ヨーロッパで牧草地など何処にでも自生
している野草さんで、
フランス菊と云う命名は、物の本で読んだことがあります、
パリ留学中の日本人がパリの公園でよく見掛けたからだとか。
(多分、ヨーロッパの人びとには、通じないでしょう。)
浜菊さんは、
東日本、本州北部の太平洋岸地域で自生(広辞苑)。
ですから、神戸では、出合ったことはないような気がします。
写真で見ますと、お花は、シャスタ・デイジーさんと同じ、というより、
厳密には、シャスタ・デイジーが浜菊さん似、
ということでしょう。
いつの間にか、シャスタ・デイジーさんの姿を見なくなって、
随分、年月が経っていました。
こちら、六甲山麓、いえ、中腹に近い住宅街、
シャスタ・デイジーさんが、2、3輪、近くの側溝に咲いているのを
見つけました。 何処かのお庭から逸出したのでしょう。
枯れた後の種子を、我が家の小庭へ来てね、と播きました。
耕やさずにそのまま、野草さん達が生い茂る上に。
野草さん達は、新しい仲間を受け入れるために、スコップを
持ち出して、土地を平したりしないでしょう?
ですから、自然のまま。
’根性を出してお花を咲かせてね…’
次の年、シャスタ・デイジーさんは、
’根性と根を、しっかり出して、’ あの可愛い、一重のお花を
咲かせてくれました。
それからは、毎年、春の終わりに再会しました。
或る春、我が家の小庭は、一面シャスタ・デイジーさんで、
埋め尽くされるほどでした。
そして突然、姿を消してしまいました。
ショックでした。 あんなに咲き誇っていたのに…
どうしてなのか分からないのですもの。
きっと、私には計り知れない、自然の理由があったのね、
独り納得しました。
けれども、’総引き揚げ’ではありませんでした。
’あら、こんな処に!’ 毎年、我が家の小庭の何処かに、
数輪、姿を現してくれます。
優しい野草さんです。
やぶじらみ 【藪虱】
お花屋さんで見かけるレース・フラワーさんよりも、
繊細で、優雅。
白い小花の塊を1つ、1つ、縁飾りにして、
テーブル・クロスを造れば、素敵な午後のティー・タイムが、
楽しめそうです。
藪虱さんの‹藪›は、この野草さんが、藪が好きだからのよう。
そういえば、笹薮の傍で、細い枝を彼方此方に伸ばしながら、
咲いていました。
‹虱›は、実の形が、虫の’虱’に似ているからだそうです。
ほんとに似ているのでしょうか。
たとえ似ているとしても、この繊細で、優雅な野草さんの
呼び名にすることはないと想いますけれども...
本当に、どうして?
もう少し、自然の風趣を分かって下さいなと
云いたくなります。
時々、野草さんの命名には、嘆きを通り越して、
腹が立ってしまうことがしまうがあります。
悲しくなってしまいます。
ごまな 【胡麻菜】
小さな、小さなマーガレット似の可憐な白色の小花達が、
沢山くっつき合った頭花は、
そのままブローチにして胸に飾りたいような...
どんなドレスが似合うのでしょうか。
ドレスの色合いは?
デザインは?
優雅で、シンプルなのがよさそうでしょうネ。
しゃが 【射干】
花びらの咲きが細く裂けて、ヒラヒラと、フリルのよう。
明るく、淡い藤色に黄色が配色されている、
優し気な野草さん。
遠い昔。 疎開をしていた頃のこと。
’えっ、おじいちゃんが、竹の子堀りに!’
いつも’孤高の人’的に聳え立っている祖父。
薔薇の選定も、一本の古木にピンクの大輪の花を、
1つ残すだけと云うような...
吃驚して、皆と一緒に、
祖父私有の小さな、小さな竹藪 ――元々は、曾祖母が茄子の鴫焼きを
つくる時の竹串用、これは、男衆さんがつくります、のもの、と聞いていました
―― へついて行きました。
祖父は、鍬を担いで、意気軒高。
竹の子を見つけると、大上段に構えて、ガツ~ン。
TVの取材で見たことがありました。
京都の高名な竹の仔の産地。
土は、ふわふわと柔らかく盛られて、竹の子ちゃん達は、
羽毛布団を掛けられているようでした。
ほんの少し、土表の割れた処に、独特の道具を使って、
優しく、優しく、まだ眠ったままのような幼芽が、
掘られていました。
祖父の小さな、小さな竹藪は、そのまま打ち置かれて、
自然のまま。 色々な野草さんや落ち葉もそのまま。
竹藪の土は、黒っぽい腐葉土のようになっていました。
そんな中で、
射干(しゃが)さんは、彼方此方に、お花を咲かせて
優しく、悠然と構えていました。
竹の子は、ぐんぐん成長して、地上50~60センチ位。
それを、祖父が、勢いよく、ガッツン。 なのですから、
射干(しゃが)さんも驚いたことでしょう。
小さかった私は、もっと吃驚していたかもしれませんが…
スペアミント 【spearmint】
突然、我が家の小庭に出現しました。
可愛い唇形の小花を茎と葉の腋に咲かせます。
愛らしい...と眺めていました。
葉は、少し揉むと、芳香を放ちます。
’これって、薄荷(はっか)さんの匂い?’
でも、ちょっと違うような感じ。
ヨーロッパ原産のスペアミントさんでした。
他の外来種の野草さん達と同じで、生命力が強い。
最初は、小さな、華奢なお花達なのに凄いわネ、と
想って、感心していたのですが、その内、
感心ばかりしていられなくなりました。
薄(すすき)さんの側に身を寄せて、遠慮気でしたが、今は、
薄さんが、押され気味。
お隣りの、龍の髭(りゅうのひげ)さんも ―― この野草さんの名の
意味を知れば、怯んだでしょうが、まだ、日本語には、弱いようで、――
全然おびえる気配もなく、直ぐ側に陣取り、
銀水引き(ぎんみすひき)さんを、絶滅寸前まで追いやって
しまいました。
そして、可愛らしい、優し気な小花達を、一杯咲かせる
のですから、とても憎ず、
唯、遣る瀬ない思いだけ… という心境です。
おおいぬのふぐり (大犬のふぐり)
昔日、春になると、見掛けました。
青色の鮮やかな、可愛い小さなお花。
青空のかけらがお花になったような...
愛らしく、楽し気に、春の野辺に咲いていました。
どんな名前なのかしら、と 野草図鑑⑦(前掲書、p.119;p.121)を
調べますと、‹おおいぬのふぐり›。
いくらなんでも、こんな可愛い、それにちょっとお洒落な感じの
お花に、と独り、憤慨してしまいました。
実が、似ているからだそうです。
実は、偏円で、縦に凹が在り、2個のように見えます(広辞苑)。
別名は、‹ひょうたんぐさ (瓢箪草)›、或いは、
‹てんにんからくさ (天人唐草)›。
こちらの方が、余程、好ましいと想いますが、ちょっと、重たい。
欧米国では、bird's eye (小鳥の瞳),
或いは、cat's eye (猫の瞳)と
呼ばれているそうです。
ふさわしい名前ネ やっと安堵しました。
嬉しくなって、また、スキップしたくなりました。
因みに、小柄の小鳥の瞳/猫の瞳さんが、やはり、春に姿を現します。。
風姿は、全然変わらず、唯、お花の色が、すこし淡く、 空色。
‹おおいぬのふぐり›を‹猫の瞳›に、
小柄の‹いぬのふぐり›を‹小鳥の瞳›に
是非、ぜひ、改名されますように...
のびる 【野蒜】
造成を免れた山間部。
覗きこめば、下は、川のせせらぎの音が聞こえそう。
草草が樹木の下に追い茂って、山深さを感じさせるような、
舗装路際の一隅に、
すらりと、茎を伸ばして、頭上には、
苞を被っていました。
どんなお花かしら... と、と咲く日を楽しみにしていました。
暫くして、様子を見に行きますと、
苞は萎れて、暗紅紫色の小さな珠の塊が、目に入りました。
’これが、お花なの? なんだか変。’
と思いながら、そのままになっていました。
別の時、別の場所。
こちらは、草草に初夏の陽光が降り注いで、草原を
想わせるような、そんな空間に、
スラリとした茎が伸びやかに揺れていました。
清楚で、どこか大人びた雰囲気の小花達が、
苞から伸び出して、咲いていました。
あちら、こちらに、
すらり、すらりと咲いていました。
これが、野蒜(のびる)さんのお花達との出会いでした。
お花が散ってしまうと、暗紅紫色の小珠の塊が結実します。
’暫くして’、野蒜さんと出会ったあの時は、この時期だったのです。
お花の時期は、もうとっくに過ぎていたのでした。
何事も、タイミングが大切なよう。
病弱な私は、良く逃してしまいます。
残念なことですが...
すずめのやり 【雀の遣り】
10センチ位の花径の先に、
淡い、クリーム色の花びら6枚の小花が、チョコレート色の珠形
になって、ひしめくようなて、咲いています。
夕方に見ますと、あらっ、もう散ってしまったの?と
ちょっと、驚きましたが、そうではありませんでした。
次の日には、また、咲いていましたから。
珠形のお花の風姿は、簪(かんざし)のよう。
でも、珊瑚の簪のような贅はありません。
素朴で、地味。’野辺の簪’というところでしょうか。
雀の槍さんは、小さな簪を、彼方此方に、咲かせながら、
束の間の春を楽しんでいるようでした。
雀さんは?
この野草さんを頭に挿して、春の空を飛ぶのでしょうか。?
そんなことはありません。
’雀’の意味が違うのです。
‹犬鬼灯› と呼ばれている野草さん。
この場合の’犬’は、「ある語に冠して・・・、 卑しめ軽んじて、
くだらないもの、むだなものの意を表す語」(広辞苑)に相当します。
雀の槍さんの場合も同じ。
他に、烏、狐、蛇などが使われています。
野草さんに、’くだらないもの、むだなもの’なんてありません。
皆さん、一生懸命、時には過酷な生育環境に在っても、
ひた向きに、健気に生き抜いているのです。
人間は、どうしてそんなに心無い、
情けの無い命名が出来たのでしょうか。
にわぜきしょう 【庭石菖】
初めて出会った時、夜空から芝生へ零れ落ちた、
スター・ダスト(星屑)のようね、と想いました。
清楚で可憐。
薄紫の6枚の花びらは、はっきり、くっきりとした、
シャープな輪郭の容姿の野草さんです。
女人だったら、どんな人かしら、と想いを巡らせたりしました。
それにしても、なんて堅苦しい漢字の並ぶ命名なこと。
中国系かしらと思っていましたら、北アメリカ原産。
どんな名前で呼ばれているのでしょう。
学名は、sisyrinchum atlanticum.
sisynchumは、ギリシャ語で、‹豚の鼻›という意味。
「どこが似ているのだろうか」
野草図鑑の著者の方のご感想です。(野草図鑑②、前掲書、p.84.)
ほんとうに困惑します。
お昼寝をしている豚さんのお鼻に、この小さなお花をピアスしても、
目を覚まして、’これ、何じゃ!’
あの特徴あるお鼻で、ブオ~とひと吹きされれば、吹っ飛んで
しまうでしょうし...
あの清楚で、華奢のお花と豚さんのお鼻に、
一体、どんな関係があるのでしょうか。
ききょうそう 【桔梗草】
にわぜきしょう 【庭石昌】のお仲間とばかり想っていました、
一緒に咲いていましたから。
他の野草さんに混じり合って、紫の桔梗似のお花を咲かせて
いるのですが、これが、もう、大変...
鬩ぎ(せめぎ)合って咲いている感じなのです。
朝のラッシュ・アワーの混雑の大変さが良く分かる
野草さんじゃないかしら、と想う程。
他の野草さんに押されて、斜めに茎を伸ばしながら、
―― これは、この野草さんの習性のようです――
身を支えつつ、お花を咲かせているように見えました。
余程、’人込み’、 いえ、’野草込み’ =草叢が好きなのかしら、と
首を傾げていましたら、
舗装路の脇、土がほんの少し溜まっている隙間に
独り、ぽつんと咲いていました。
”まあ、こんな処に...” と、
ちょっと可哀想になるほどの、侘しい空間でしたが、
桔梗草さんは、凜として、清々しく咲いていました。
何処か満足気...
と見えました。
ままこのしりぬぐい 【継子の尻拭い】
なんて酷い命名なのでしょう。
葉と茎を覆っている綿毛が、硬く尖っていて棘のように鋭く、
ちょっと触れただけでも、引っ掻き傷が出来そうな、
ですから、’継子の尻’を拭って、’いじめっこ’をするのに丁度よい
ということでしょうか...
酷すぎます。
優しい義理のお母様も多くいらっしゃるでしょうに。
命名した人の顔こそ拭いたい!
顔を拭って ―― 普通は、’顔を洗って、’だと想いますが――
もう一度命名を考え直してほしい...
お花も、可哀想。
お花は、愛らしく、白色の先っぽが、淡紅色。
小さな、小さなとんがり帽子が集まったような、
金平糖(こんぺいとう)のような花頭。
お干菓子にして、お茶でおもてなしをしたくなるような、
ひょっとしたら、継親子の方達も、春の午後に、
このコンペイトウ似のお花を集めて、おままごとのティー・パーティーを
楽しんでられるかも… と想像が膨らみます。
葉や茎は、俯きの、硬い、鋭い棘で覆われて、しかも、茎の途中で、
環を付けているのは、蟻さん達が、お花まで、辿り着けないように、
という防衛策のよう。
そんなこといわずに、蟻さん達とお昼下がりの
ティー・パーティーは、 如何でしょうか。
おおきんけいぎく 【大金鶏菊】
‹兎菊›と聞いていました。
違ったようです。
名前の由来は、花びら。
先端が、大小、様々な裂れ込みがあって、その形を、
鶏さんの鶏冠(とさか)を連想させるからということでしょうか。
花色は、濃い黄色。山吹色に近くて、暑苦しい...
春の花壇には、個性が強すぎる印象。
北米原産の多年草。
園芸用として栽培されているのですが、花壇の外が好きなよう。
飛び出して、用水路の脇に楽し気に咲いていました。
でも、ちょっと鬱陶しい… と想っていましたら、数年後には、
姿を消してしまいました。
今度は、逆に、ちょっと淋しいと想っていましたら、
花壇に戻って来ている大金鶏菊(おおきんけいぎく)さんに再会。
フェンスの網の目の間から、顔を突き出して、
春風に揺れていました。
やっぱり、花壇の外へ飛び出したいのでしょうか。
もう、10数年前のことです。
にら【韮】
可愛い白色の小花をいっぱい咲かる頭状花を持つ、
すらりとした茎の野草さん。
野草さんの逞しさは、しっかり受け継いでいて、
モーター・プールの小さな割れ目、土の吹き寄せのような空間に
繁縷(はこべ)さんに少し遅れて、
フェンスと縺れるように咲いていました。
それにしても、あの匂い...
’韮(にら)、大蒜(にんにく)、にぎりっぺ’ は、
古くから、臭いものに数えられている’御三家’。
韮さんはその筆頭に揚げられている野草さん。
それにしても、何のためにあんな匂いを放っているのでしょう。
’昆虫除け’? ’動物除け’?
でも、人間除けは、失敗のようです。
だって、韮さんを、わざわざ畑で栽培して、色々にお料理して、
美味しい、美味しいと召し上がる方達が
大勢いらっしゃるのですもの。
人の味覚と嗅覚は別、ということを分からせてくれる野草さん。
食欲は、嗅覚を越えるということでしょうか...
春の心地よい日、のんびりと咲くことで満足な野草さんだとばかり
想っていましたら、
どういうことでしょう。
異常気候で日本列島は、熱波に襲われ、
ここ、神戸の山麓でも35度以上の猛暑日の連続。
モーター・プールの縁へも、太陽は容赦なく降り注ぎ、
前のアスファルト舗装路からの照り返しも厳しいなか、
韮(にら)さんは、緑の細長い葉を伸ばし、
信じられないことには、頭に苞をつけた茎までも、
そして、白い小花達が、伸び出すようにして顔を覗かせていました。
辺りをよく眺めますと、
狗尾草(えのころぐさ)さん、小鬼百合(おおにゆり)さん、切れ葉野葡萄
(きれはのぶどう)さんの姿も。
野草さん達は、皆さん、猛暑に殊の外強い’猛者’のようでした。
すずめのかたびら 【雀帷子】
可哀想な野草さん...
草むしりをすると、一番最初に抜かれてしまいます。
野草さんではなく、雑草。 雑草の中の雑草。
長い間のお馴染みさんなのに、名前も知りませんでした。
雀さんが、夏に着る一重の衣のことでもなく、
’雀’とは、つまらない、しょうむない...ものを表す意味で、
それで、冠されているだけ。
ーー 雀さんにも失礼ネ、と思いますが。
つくづく観察しますと、
お花は、白色、風に吹かれると、今にも零れそうに想えるほど、
儚く、繊細な、そして、優し気です。
100年も経てば、植物、野草部門の世界遺産100種に
選ばれるかも…
目のに敵するのは止めましょう、拔のは止めましょうと
想いつつも、また抜いてしまう、
ほんとうに、可哀想な野草さんです。
**************************
芋酢漿草
紫酢漿草(むらさきかたばみ)さんと葉も花も姿形もよく似ています。
濃桃色で、中心はより濃い色。 華やかで、楽し気、陽気なムードを
漂わせています。
そして、ちょっとお洒落な・・・
それなのに、’ 芋... ’ なのでしょう。
どう見ても ”芋” には、見えないのですもの。
ひょっとして、地下のこと?
” 茎根 ” を作るのだそうです。
そうなの ・・・ と納得しました。
それなら、この茎根が、ルビーやサファイア、ダイアモンドだったら、
どんなに素敵かしら、と思います。
そしたら、
‹宝石酢漿草› とか ‹ジュエリー・カタバミ› と云う名が、冠されるでしょうから。
茎根が、宝石なら、直ぐにでも掘り起こして、指輪か、首飾りにするわ、ですって。
全然 駄目!
掘り起す前に、、あっという間に、”芋” に戻ってしまいますから。
欲張らないで下さいね。
いずれにせよ、 ”芋” は、似合わな野草さんに思えてなりません。
紫酢漿草
気が付くと、クローバーに似た、ハート形の小さな葉が、ぱっと咲いた
ように広がっていました。
そして、 暫くすると、俯き加減の蕾を幾つもつけて茎がすっと
立ち上がって来ました。
淡桃紫色のお花が、次々と咲き出して、艶やかな風姿というよりも、
どこか控えめな佇まい。 瑞々しい、というよりお、水水しいと云った方が、
似合うような、一層寂しさを感じさせる野草さんでした。
お里、故郷が、南アメリカと知って、吃驚。
だって、思い出すのは、
サンバやタンゴ、リオのカーニヴァル、アマゾンのアナコンダ...
どんな風に繋がるのか見当がつきませんもの。
遠い昔、物知りのお友達が、’ ちょっと噛んでみる?’
ちょっと噛んでみると、酸っぱい・・・
ちょっと野草味の酸っぱさ。
酢漿草さんは、蓚酸を含んでいるからだそうでした。
幼き日の ”酸っぱい” 思い出。 ” 甘酸っぱい” ではなく、
唯、酸っぱいだけの...。
黄花酢漿草
竹を棕櫚網で編んだ、今はもうすっかり珍しくなった垣根から、
道路へ落ち零れそうに、咲いている黄色いお花達が目に
入りました。
どんなお花かしら ... と思って、近づいてみますと、
形は、酢漿草(かたばみ)。 大きな形。
始めての出会い。
それまでは、濃桃色の花酢漿草(花かたばみ)さん。
道路へ競うように身を乗り出しているので、何かそんなに興味を
惹かれることがあるのかしらと辺りを見渡しましたが、
人々が時々行き交う完成な住宅街の一隅なだけでした。
別の年のことです。
昔、時々登った浦山が懐かしくなって、ちょうど貯水池のフェンス
の裾の処にある空き地、草原のように様々な芝草系の野草さんが
生い茂っている中で、皆さんと一緒に、というより、彼方此方に、
群れて咲いていました。
’ こんな処が、お気に入りなのね ... ’
熱い夏が来る前に、早々と、避暑地を見つけての
お引越しのように見えました。
雀瓜
しばらくして、通り掛かったときに見ますと、
2輪だったのが4輪に、それも道路近くに、
嬉しくなりました。
でも、お花達は、向こう向き。 日光の加減なのでしょうか。
夜中に咲く ”一夜花。” 向日葵 (ひまわり)さんとは反対の方向に
向かうのかしら、と想うのですが、向きは、南向きなので、
やっぱり同じね。
歩道は、北側。 向こう向きの背中を見ているだけなのでした。
ことら側の、咲いている姿を見たい...
御簾の陰で想いを馳せるほうがロマンチック。
夜露にキラキラ輝く白い姿は、星の雫が白いお花に化したような
お星さまの化身...
儚くて、一夜の命(いのち)、 でも、こんな想像には、一輪じゃないと、
4輪は、多過ぎ、 と
妙に現実的になってしまいました。
やっぱり、もう一度出会ってみたいという想いが募って
とうとう或る朝、朝ぼらけの頃、会いに行きました。
お花は、咲き終わった後でした。
多分、もう少し早く、’ 未だ、明けやらぬ’ 頃までの生(いのち)
だったのでしょう。
ふと見上げると、歩道の側の崖、小さな自然が残っていました。
ちょっと恐ろしい感じ。 自然もそのままだと恐ろしくなる程、
蔓草や樹木の枝が絡み合って、
鬱蒼として、薄暗く、薄汚さすら感じます。。
そんななかで、垂れ下がっている実を見つけて、吃驚。
’ 雀瓜(すずめうり)さんの実... ’ 枯れて、萎れたお花の姿から
そう覗えました。
’瓜’ と呼ばれる訳ね、
西瓜の條に似た模様、それ以上に、太めのふっくらした楕円形が
猪の”瓜坊”ちゃんを想い出させました。
来年また会いましょうね、と云って別れました。
烏瓜
あの真っ白な、綺麗な、幻想的な蔓 (大烏瓜)さんにもう一度
会いたいと長い間、想っていました。
或る夏の日、引越し先の未だ小さな自然が残っている処で、
葉蔭に見覚えのある蔦さんを見つけました。
再会を楽しみに足を運びました。 5回。
でも、お昼下がりには、もう萎れていました。
月の雫を受けて、朝露に濡れて、輝いているのさしらと、
朝早く出かけても、もう萎れていました。
6回目、 夕方、あの真っ白いお花は、
ぼうっと、夕闇のなか浮かんでいました。
ちょっと寂しかったのは、お花は、あの豪華なレース模様の縁飾りを
つけていなくて、簡素なものだったこと。
でも、ご本人は、そんな悲劇のヒロインの風情はなく、
何処かおっとりとした、可憐なお譲ちゃまのムードでした。
いつの間にか、枇杷の樹が大きく、深緑のはを茂らせていました、。
下は、笹むら。 この辺りに、仙人草(せんにんそう)さんの妹のような
蔓さんが、お花を咲かせていたのだけれど… と探して始めると
白い何かが、
’何かしら …’
目を凝らしてよく見ると、烏瓜さんのお花!
思い掛けない再会でした。
咲き始めでした。
時刻は、黄昏時。
朱夏の涼を求めて、夕べの漫ろ歩き、なんて想いは、ロマンティック。
けれども、実際は、無理。
日中の熱暑にぐったり、 窓を開けて涼を取るぐらいのこと。
濃藍の夜空を見上げながら、 秘かに、静かに咲く
烏瓜さんの真っ白いお花に想いをはせることだけにしました。
黄烏瓜
ナツのお昼下がり、
もう、随分昔のこと。
小さな西洋人形が、真っ白いフレア・スカートに絹糸のような細い、細い
レースで編んだ縁飾りをヒラヒラさせながら、舞っているようなお花を
見て一瞬、夢幻の世界へ誘われました。
黄烏瓜(きからすうり)さんと名付けていることを知ったのは、また、
随分後になってからのことです。
なんて鄙びた名なのでしょう。
無粋な感じ...
果実も、お花の綺麗さ、優雅さとは、大違い。
びっくりするほど無粋で、大きな瓜のような形。
中の種は、’結び文’ に似ているので ‹結び文葛›とも云うのよ、
と聞いて、この方が、ロマンティックな雰囲気。 ずっと素敵と感動
したのですが、 それは、烏瓜さんのことのよう。
黄烏瓜さんの種は、普通。と云うより、扁平で、面長で、何処か
蟷螂(かまきり)さん似のような... やっぱり、無粋。
毎年、同じ場所に咲きました。
以前の我が家の小前庭の小さな棕櫚の木に、
よほど気に入ったのでしょうか、硬い葉にしっかり巻き付いて、
真っ白い、幻想的なお花を、一輪、 また、一輪と咲かせていました。
引越しをしてしまって、もう出会いことがなくなってしまいました。
もう一度、と想いは、募るばかりでした。
黄烏瓜さんとの再会を切望しながら、
野草探索とスケッチに身近な自然を彼方此方見つけ出しながら、
さ迷っていた時、昔馴染みの裏山の麓まで来ますと、
それぞれの蔓が茫々に腕を伸ばしている野草さんが見えました。
近づいてみると、白いお花が、 それも、花片の先が絹糸のように
繊細で、華奢に空を舞っているように見えました。
’ こんな処に... ’
黄烏瓜さん。 の幼い姿。 だから、まだ、絹糸のような裂が
少ないのね、と思いました。
けれど、別種のようでした。
花弁は、フレアスカートの様でなく、はっきりと5弁に分かれて、
違うのでした。
でも、黄烏瓜さんとの再会が果たせず、すっかり傷心を抱いて
いた私には、とても癒され、慰められました。
この葛さんは、何気なくそこに咲いたのでしょう、けれども、
私には、自然からの贈り物のように想えました。
自然は、優しいのね、 そう思いました。
片栗
片栗(かたくり)さんのお花と聞いても、’ どんなお花なの?
と興味を持つことすらありませんでした。
”根は、きっと、ジャガイモ系の、凸凹した醜い塊 …
実際は、鱗形、百合根のようなちょっとお洒落な地下茎なのに、
酷い想像しかしていませんでした。
ですから、片栗さんのお花と知った時の驚き。 ほんとに吃驚しました。
花びらは、細長、先細りで、華奢。 外向きに大きく跳ね返っています。
何処かエギぞティック。 でも、異国風的お越えて異星風で優美。
風に吹かれていないのに吹かれているような動きのある
不思議な風姿。
ロマンティックでした。
遠い高原では、春に、片栗さん達が咲き乱れるそうです。
きっと辺り一面薄紫の霞に包まれた、幻想的な世界が広がっている
ことでしょう。
一度見に行ってみたいと想いますが、夢想するのも、
秘かな楽しみの一つです。
我庭の一隅に、2、3輪、秘かに咲いてくれた想い出があります。
松葉うんらん
線路脇の空き地、人の手が入らないせいか、野草さん達が、ちょっと
我が物顔に、 ここは、私達の世界よ、と言いたげに、伸び伸びと
暮らしているなかで、
独り、3,4輪群れて咲いていました。
隅の方に... 何処か遠慮勝ちに。
蔦葉うんらんさんが、立ち上がったような風姿。
地表ばかり這いまわっていて、飽きてしまって、ちょっと立ち上がって
少し高見から世界を眺めて見たくなったのかしら、
とも想いたく なりました。
どんな世界が見てたのでしょう。
北アメリカ原産。 太平洋戦後の帰化植物。
花壇や寄せ植えのコンポートで、もう出会っていました。
淡い藤色の、唇形の花びらの奥の方は、色が落ちたのかしらと想うほど
白色に近く、水彩画のような、あっさりとした風姿。
バター臭くなく、これが北米産のお花? と目を疑いたくなるような。
それなのに、
何故か、人目を惹くような存在。
だから、気に入られたのでしょうか。 野辺で繁茂する前に
花壇に引き取られて、愛でられるという、野草さん。
野辺か、花壇か、どちらが幸せなのでしょう。
頻繁に通過する列車の、その度にけたたましく轟音にもめげずに、
たの野草さん達と、小さな自然を守っています。
健気なひとたち...
何時かは、北アメリカの草原に帰りたいと想っているのかもしれません。
胸が痛みます。
野芥子
それにしても、魔訶不思議な葉が、野に咲く芥子(けし)さんにということで、
野芥子(のげし)さん。
でも、薊(あざみ)さんにそっくり。
ずっと、薊さんだとばかり思っていました。
そして、どんな薊さん似のお花が咲くのかしらと、楽しんで心待ちに
して、その日の来るのを待っていましたら、
蒲公英(たんぽぽ)さんの小さな妹みたいな黄色のお花。
春、夏、秋の組み合わせ。蒲公英、芥子、薊の混合種に
見紛う、摩訶不思議な野草さん。
春のあちこちに、そして夏にも、秋にも、時々は冬にさえも、
見掛けるお馴染みさんです。
春野芥子
雀さんが、ガリガリに細く針金細工のようになって、道路に飛びおりて
何かを啄んでいるのを見た日、
この野草さんが目に入りました。
夏に入った頃、春野芥子 (はるのけし)さんは、もう少し
ふっくらして質量感はありましたが、やっぱり、細く、シャープ。
葉の形は、切れ込みがあって、モダンなムード。
春にのんびりと暮らすだけではく、猛暑の打ち続く朱夏にも
耐えています。 何処か春らしい爽やかな風姿で...
鬼野芥子
葉が、凄い。
まるで、
鮫のジョーズが、大きな口を開けてたまま、お昼寝をしている間に、
あのギザギザの鋭い”鋸歯”が、野原に飛び出して、野草さんに
変身してしまったような...
鋸歯が、鋸葉に。
お花、もひょっとしたら、鬼野芥子(おにのげし)さんお恐怖に駆られて
逃げ出してしまうような強面のお花が咲くのかしら、と
恐る恐る見守っていましたら、
”まあ… ”
蒲公英 (たんぽぽ)さんの妹のような、
野芥子さんの従妹のような、
小さな、淡いクリーム色のお花が優し気に、可愛く咲いていました。
少し拍子抜け。
ガブッと噛みつかれて、呑み込まれないように、
近くを通るときは、大きな木鋏を携帯しなければならないのかしら、
なんて、ちょっと赤頭巾ちゃんの気分になっていましたから。
忍冬
漢文読みでは、’にんどう。’
’ ふゆしのぶ’ と読んでいました。
和語では、’すいかずら’。
どちらも、すごくロマンティックな響きがあって、
どんなロマンティックなお花が咲くのかしら、
と夢想していました。 随分 長い間 …
未だ、自然が少し残っている隙間に、
なんだか間延びをしたような長形のお花を咲かせる葛さんを
見つけて、’馬面葛(うまずらかずら)’さんと、秘かに呼んでいました。
その葛さんが、なんと、’忍冬/すいかずら’ と冠されていることを
知りました。
暫くの間、ショックが尾を引きました。
お花の咲き始めは、白色。 それから淡いクリーム色に、そして
濃い色へと、変化(へんげ)します。
もしかしたら、
小さな虫さん達や妖精さん達が、
雨の日には、雨宿り。
お昼下がりには、微睡をする隠れ家に...
そんな風に想像しますと、 お花が、優しく、可愛く
見ててるの来ました。
夕方からは、薔薇の香りに似た芳香が、漂うそうです。
傍で、 目を閉じれば、ロマンチックな世界が広がるのでしょうね、
未だ、試したことはありません。
楽しみは、残して置くの、も楽しみ方の一つ。
そうでは、ないでしょうか。
父子草
春先から、父子草(ちちこぐさ)さんは、花穂の萌しを見せます。
蕾がくっつき合って、塊りになっていたのが、やがて、頭を擡げて、
夏至になるころには、 花穂が、コーヒーブラウン、濃茶色に
染まって行きます。
よく見ますと、
茎も、葉も、銀白色の綿毛に被われて、地味な雰囲気、
ですけれど、どこか、エギゾティックなムードを漂わせるように。
春のそれとは、花穂も、茎も、よく伸びて、少し垢抜けして、
大人びた感じに。
我が小庭を気に入ったのでしょうか、
うんざりするほど生えてきます。
花韮
白く、藤色の花冠。
中央の細い線条は、裏側の紫が透かし出されているようで、
花びらは、空を見上げて、身を反り返らせるように精一杯広げています。
薄紫が、時々、灰色がかって見えるせいか、
どことなく、憂い顔の感じ。
花言葉は、’憂愁の夜’
-- これは、私の勝手な創作。
星空の下では、青白く輝いて、妖しげな芳香を放っているのかも ...
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