上掲の関連語を、
適度な で締め括り、この’適度な’を、
概念の特色:ほどほど/不離不則・つかず離れずの簡略化的表現
と見做すことに致します。
適度は:
てきど
【適度】
ほどよいこと。 適当な程度。
「__に冷ます」 「__な運動」
適度な間(ま)・距離は、程よい間(ま)・距離。 ほどほど/不即不離・
付かず離れずの対人関係性(の奥義)と見て違和感はないと見られ
ます。
本節以降では、語句の簡素化も図って、ほどほど/不即不離・
付かず離れずよりも、適度な を用いつつ、歩を進めて参りましょう。
此処で、暫くの間 ’寄り道’ ’遠回り’を、
荘子の金言 -- 「君子の交わり淡きこと 水の若し」を
ほどほど/不即不離・即かず離れず に絡めて解釈を試みましょうと
いう甚だ無謀なことを考えつきました。
広辞苑に拠りますと、
くんしのまじわりはあわきことみずのごとし
【君子の交わりは淡(あわ)きこと水の若し】
〔荘子(山木)〕 君子の交際は水のように淡泊*であり、
いつも変わることがない。 *イタリック部分は引用者
’淡きこと’とは:
あわい
【淡い】
①(色、味、光などが)うすい。 あっさりしている。しつこくない。
はかない。
「__・い灯」 「____・い恋心」 「__・望みをかける」
② 関心がうすい。 薄情である。
淡泊は:
たんぱく
【淡泊】
①濃厚でないこと。 あっさりしていること。
②欲のないこと。 さっぱりしていること。
➂てらわず、飾らないこと。
てらわず は 衒う:
てらう
【衒う】
(「照らふ」の意)かがやくようにする。 みせびらかす。 ひけらかす。
誇示する。
「才を__・う」 「奇を__・う」
上掲の金言を、私達の対人関係性的文脈関係に’変換’しますと、
君子は、甚だ乱暴と思われましょうが、’人’と捉えましょう。
君子の交わりは、人の(人との)付き合い、交際、
つまり、対人関係性。
更に、このような対人関係性は、’淡きこと’なのです。
この語句を上掲の語釈から掬い上げますと、
その意味内容は:
* 薄い
* あっさりしていること
* しつこくない
* 濃厚でない
* 欲のすくない
* さっぱりしていること
* てらわす、飾らないこと
* ひけらかさないこと
であり、 ’水の若し’と喩えられています。
水は:
みず
【水】
①酸素と水素との化合物。分子式 H₂O純粋のものは無色・無味・
無臭で、常温では液状をなす。 〔以下割愛〕
荘子の金言にある’水’は、
あくまでも不純の物まじらぬ 清水(せいすい)と考えられます。
清水は:
せいすい
【清水】
①すんだ水。 しみず。
②清廉・公正なこと。
君子の交わりの’淡き’は、清水のように、うすく、あっさりして...
いると言うことと解釈されます。
このような’淡さ’は、恣意的な解釈を続けますと、相手の個人的
空間へ無遠慮に踏み込まないこと。 プライヴァシーの遵守。
侵害は、タブー。
換言しますと、 「親しきなかにも礼儀あり。」
したしきなかにもれいぎあり
【親しき中にも礼儀あり】
親密過ぎて節度を失うのは不和のもとだから、親密な中にも
礼儀を守るようにせよ。
イタリック部分を取り上げ、調べますと、
親密は:
しんみつ
【親密】
相互の交際の深いこと。 親しくつき合っていること。
「__な間柄」 「__の度を加える」
深いは:
ふかい
【深い】
①~➂ 〔割愛〕
➃色・匂い・味などが濃い。
⑤~➆ 〔割愛〕
⑧ 交わりが浅くない。親交がある。
⑨ 〔割愛〕
⓾ 低度が甚だしい。
⑪ 男女がなみ以上の関係になっている。
濃いは:
こい
【濃い】
①色が深い。
② 〔割愛〕
➂密度が高い。
㋐液体が¥の濃度が高い。
㋑(味・香・化粧などが)淡泊でない。 濃厚である。
㋒(分布状態などが)密である。 厚4い。
㋓男女の間の交情がこまやかである。 つながりが密接である。
➃ 〔割愛〕
もし、親密過ぎたり、濃く、密度が高ければ、どのような状況に
なるのでしょうか。
例えば、熱愛中の恋人達。
’熱愛2年’ と聞きます。 2ねんも経てば、熱愛の限界に達し、
越え、熱は、逓減、冷却し始め、やがて自然消滅・別離と
なります。
二人の交際は、短命。 命短し、で終わります。
或いは、 過保護、過干渉の親。
2年どころか、何時までも、何処までも続きそう。
子との交わりの密度は、マキシマム。 その結果、子の
ストレスもマキシマムに達し、 子の人生は破壊的状況に。
友情も、
余りにも濃く、細やかだったり、 べっとりと粘着性が
強すぎれば、 やがて、腐敗臭が漂い、腐れ縁にも...
揉め事、争い、トラブルの嵐にも。
更に、
「君子の交わりは ・・・ いつも変わることはない」と語釈されて
います。
’変わる’は:
かわる
【変わる】
❶ 〔割愛〕
❷ものごとの性質や中身が前と相違する。
➀ 変化する。
② 普通と違う。 異様である。
➂ 両者の間に相違がある。 違う。
➃ 異変がおこる。 変動が生ずる。
⑤~➅ 〔割愛〕
’(淡きこと)水の若し’ 或いは、’変わることはない’ と言うことは、
対人関係性においては、人と人の間(あいだ)に相違、移ろいがない
ことを示唆し、2人それぞれを取り巻く環境、状況がどのように変化
しようとも、変わりない態度で、交わりを続ける事が予測されます。
変わらぬ友情はその一例。
そうならば、 そのように論を展開しますれば、’変わらない’は、
’長続きする’境地へ到達します。
ながつづき
【長続き・永続き】
物事が途切れることなく長く続くこと。 永続すること。
「飽きっぽくて__しない」
(君子の交わりは) ’淡きこと水の若し’は、
対人関係性においては、人と人との交際は、うすく、あっさり ... して
いて、深く、濃くならず、密度の高くならないことこそが、長・永続き
を結果すると解釈されてよいでしょう。
では、 と言うことは、
どのような対人関係性が想定されればよいのでしょうか。
言うまででもなく、適度な間(ま)・距離が置かれる交わり。
適度な、つまり、ほどほど/不即不離・即かず離れずの関係性です。
-- 聊か、’我田引水’的ですが ...
縺れ、揉め事、いざこざ、軋轢、悶着‥など 様々な難事を起こさず、
起こさないように、付き合うことは、人と人の間(あいだ)では、最難事。
だから、’君子’のご登場となるのでしょうね。
日常生活世界では、人々は、なんとかかんとか、間(ま)・距離を
置きつつ、対人関係性を長・永続きさせていると見てよいでしょう。
最後に、
日常的な対人関係性の維持、発展の奥義、 ほどほど/不即不離・
即かず離れずの特色は、一寸、お浚いしておきましょう。
<ほどほど> の特色として、
⁂ 適当/いい加減が良い加減;
⁂ 中庸/緊張と緩和の中程;
⁂ 虚/空(から); 投げ入れ禁止;中立色;無色透明。
<不即不離/即かず離れず>は、
⁂ 親密と疎遠の中間;
⁂ くっつき過ぎず、離れ過ぎず。
このような間(ま)・距離の構成の必要条件として、
⁂ 自制/自律;
⁂ 私的・私秘的ゾーン;
⁂ 絆;
⁂ 文化的枠組み を挙げました。*
* 詳しくは、
拙稿、《<間>と対人関係性》を
ご参照下さるように。
「交わりの淡きこと」の此処での文脈関係の解釈は、即ち、
ほどほどの付かず離れずの対人関係性が想定され、それは、
上掲の諸特色を全て網羅することは無く、むしろ幾つかを充たして
いれば、なんとか、維持されると見做されてよいでしょう。
例えば、 虚。
2人の間(あいだ)の間(ま)を空(から)にして、出来るだけ
無色透明な中立性を保つならば、諸々の感情や思いを投げ込ま
なければ、二人の交わり/対人関係性には、淡泊さが生じるで
しょう。
そして、そのためには、即かず離れず、くっつき過ぎないよう、
離れ過ぎないように心配りをしつつ、当事者それぞれに自立/自律
が望まれます。
いずれにせよ、人と人の交わり、対人関係性の”淡きこと”をどの
ように保つかが課題。 其処へなんとか到達、達成する努力が、
世の習い、人生と言えましょう。
遠回り、回り道は、ここまで。 次節へ歩を進めましょう。
Ⅴ 間(ま)・距離の構成過程の所産
今まで、対人関係性における間(ま)・距離について考察、検討を
試みて参りました。
特に、第Ⅱ節では、間(ま)・距離に関する語句、成句を日常生活世界
諸場面から掬い上げ、例解、列挙しました。
例えば、 「間を置く/取る」
「間を開ける」
「間が持てない」
「距離を置く」
「距離がある」
「距離を縮める」 ‥など
上掲の語句、成句の’動詞’の部分、
換言しますと、過程。 置く、取る、開く、在る、縮める‥等それらを、
一括りにして、”構成”と言う形式〔form〕で抽象し、想定したく思い
ます。
間(ま)・距離の構成と言う過程は、多様な側面を含蓄する、
多面的な存在と見えますので、本節でも、状況に依っては,構成よりも
より具体的に、「間(ま)を置く」 「距離を置く」と言う表現が使用される
場合もあると考えられます。
以上を’前置き’とし、念頭に置きつつ、
本節では、
ほどほど・不即不離 -- 簡潔にいえば、’適度な'間(ま)・距離の
構成(過程)の所産としての新しい状況、或いは、特色を考察、検討を
試みます。 それらの特色を列挙しますと:
* ‹クッション›の役目
* ‹冷却化›
* ‹離隔›、‹ゆとり・余裕›
* ‹自立・自律›
* ‹独居/独立›
* ‹個人的・私人的空間›
* ‹客観視›
* ‹自他の分離化›
* ‹他者理解›と‹自己分析(理解)›
* ‹視野の拡大›(新しい世界の出現)
少しランダムな順列ですが、進んで参りましょう。
* ‹クッション›の役目
二人の間(あいだ)で生じた、生じる、生じつつある対立、軋轢、
葛藤‥など、所謂トラブルの緩和、回避のために、「間(ま)を置く」
ことは、それは、間(ま)が当事者間に’緩衝地帯’を造り出し、‹クッション›
の役割を果たし、二人の間(あいだ)の衝突、激突、つまり、トラブルの
回避、解消に繋がるキッカケを造る動機となることが予想されます。
* ‹冷却化›
間(ま)・距離の構成は、二人の間(あいだ)に冷却状態をもたらし
ます。
熱愛中の恋人達。 恋に心を奪われ、周り、つまり、自身を取り
捲く内外の環境を冷静に見る余裕が殆どないようですが、
こんな時こそ、適度な間(ま)・距離を、二人の間(あいだ)に
置くことで -- 2人以外の勢力による強制的な引き離しが
あったとしても、それも‹冷却化›の方法と考えれれますので --
冷静になり、 逆上せ上がった頭と心を冷ますゆとり・余裕も産まれ
る可能性が示唆されます。 冷静さは:
れいせい
【冷静】
感情に動かされることなく、落ち着いていて物事に
動じないこと。「__な態度」 「__に判断する」
「沈着__」
冷静さは、熱愛中の恋人達には、最も相応しい贈り物でしょう。
でも、あまり冷静になると、恋の行方はどうなることか・・・
二人に任せましょう。
* ‹離隔›、‹ゆとり/余裕›
例えば、共生関係性の強い母娘。
何よりもまず、二人の間(あいだ)に距離を置くこと、‹離隔›が
必要でしょう。
りかく
【離隔】
はなれへだてること。また、はなしへだてること。
心理的なレヴェルでの‹離隔›が、無理ならば、喧嘩をしてどちらか
(母か娘か)が折れて、降りて、直ぐ仲直りをし、直ぐくっついて
しまう強い愛着状態。 このような場合の‹離隔›は難しい。
そうならば、物理的な‹離隔›を。別居です。
娘が家を出て一人暮らし。 或いは、家庭内別居。
物理的棲み分け。 娘が、個人的空間の確保、其処は、
どんなに狭小でも、母親の干渉、物理的、心理的、あらゆる干渉を
徹底拒否します。
このような離隔は、二人の間(あいだ)に間・距離を置くことの
所産であり、結果であり、当事者の間(あいだ)に‹ゆとり›や‹余裕›を
産み出すことにもなります。
ゆとり
余裕のあること。 窮屈でないこと。 「__のある教育」
よゆう
【余裕】
①必要な分のほかに余りのあること。 また、その余り。
「時間に__がない」
②精神的にゆったりしていること。 ゆとり。
‹離隔›の産出するゆとり・余裕は、当事者の強度の愛着、癒着に
間隙を齎し、相手の立場、翻って、自身について知るゆったりと
した距離、余地を与え、そのことが、更に、間(ま)の構成結果の
新しい特色を引き出すと考えられます。
* ‹自立・自律›
「適度な間(ま)を置く」 / 「適度な距離を置く」
この場合、間(ま)は、即ち、距離。
そして、この距離は、差、差異を含蓄します。
対人関係性にある2人には、 差異があり、お互いに’違う’存在。
換言しますと、お互いに‹自立›・≴自律›した存在。
’1人と1人’の別々の存在であり、その相互認識、相互尊重
が産まれます。
* ‹独立・独居›
例えば、親子の場合、
子世代世帯は、親の近く、 所謂、’スープの冷めない距離’に
居を構えています。このような場合の、夫々の‹独立・独居›の生活は、
適度な間(ま)・距離の構成によって実現します。
更に、
家庭内別居。 暗い側面、否定的な評価が目につきますが、
効用も。
家族間でも夫婦の場合、 二人の間(あいだ)に適度な間(ま)が、
距離が、間隔が置かれますと、 その結果、’同じ屋根の下で、’
暮らしながら、 それぞれの生活、シングルライフを貫き、
‹独立・独居›を享受することになるでしょう。
* ‹個人的・私人的空間›
間(ま)・距離の構成の所産は:
他者(対人関係性の相手)に煩わされない。
他者から来る不当な、余計な干渉を受け付けない。
適度に構成された間(ま)・距離が自己防衛ための空間
となります。
謂わば、’悠々自適’。
自身のプライバシーの保護。 他者に干渉されず、自身の欲し、
望むように行動し、生きる‹個人的・私人的空間›の確保。
自由な時間・空間。
友好的な関係性。
全て適度な間(ま)・距離を置くことに依って、軋轢、対立、衝突‥
が回避、解消され、可能となるでしょう。
* ‹客観視›
きゃかん
【客観】
① 主観の認識および対象となるもの。
② 主観の作用とは独立に存在すると考えられたもの。 客体。
対人関係性上の適度な間(ま)・距離の構成において、客観視は、
当事者(主観)が、相手(客観・客体)を自身から‹自立・自律›した
存在として捉え、、更に、其処から、相手の立場に身を置きつつ、
相手についての認識、理解を深めること。
いま一つは、 自身と相手を取り巻く環境(客体)や状況の
解明化を意味します。 客体としての環境・状況に対する冷静な、
捕われない、観察や判断が結果することが予想されます。
* ‹自他の差別化/分離化›
適度な間(ま)・距離の構成は、
例えば、依存・被依存の関係性では、 或いは、過度な共生的
癒着状況では、適度な間(ま)や距離は消失しつぃまいます。
適度な間(ま)の構成は、当事者2人の間(あいだ)に、距離を、
差、相違、隔たり、間隔を置くこと。 ‹離隔›することです。
それは、 ‹自他の分離化›へと繋がります。
因みに、依存・被依存の関係は、信頼関係とは非なるもの。
前者は、癒着、後者は尊重が鍵概念。
適度な間(ま)・距離の構成は、差異、隔たりを明かにすること
によって、相手への過剰な縺れを解き解し、‹自他の差別化/分離化›
を齎すでしょう。
* ‹他者理解›と‹自己分析›
適度な間(ま)・距離の構成の結果、‹ゆとり/余裕›、‹客観視›が産まれ、
人には、相手の立場が、以前よりも明確に浮かび上がって来ます。
‹他者理解›が開示されます。
それと同時に、自身の思いや気持、行動、或いは、立場への
分析の試みもより深く展開されことになります。
‹他者理解›を踏まえて -- ‹他者理解›によって獲得した情報と
自らの過去、現在、未来を勘案しつつ、自身のこれからの行動の
行方、立場のあり方を探索することになるでしょう。
熟考の過程の登場とも見えます。
* ‹視野の拡大/新しい世界の出現›
適度な間(ま)・距離の構成が、客観視を伴いますと:
それは、相手を見る目、視野が広がります。
相対する、直面する相手の状態、状況から一歩引き下がって
相手の過去、現在、そして何よりも、将来を眺望することが可能と
なり、それは、翻って、自身を見る目、自身の‹視野の拡大›も
約束されるででしょう。
出戻り娘と母親の場合
離婚後、実家へ戻り、母親と一緒に暮らし始めた娘。
古巣に戻ったという安堵感も手伝ったせいでしょうか、 それに、
彼女も、’一家の主(あるじ’的専業主婦、’だったのですから、
家事を切り盛りする流儀は、確立されていました。
そして、その流儀を押し通そうとしました。
勿論、母親もそう。 専業主婦歴は、遥かに上。
二人は、当然、全ての家事場面で、衝突を繰り返しました。
娘は、この状況をなんとか打破しなけらば、 私は、実家へ帰った
といっても、この’実家’は、母の’お城。’ 彼女(娘)は、自身の流儀を
ちょっと引っ込めねばならない...
彼女は、自身のエゴを抑え、母親の流儀を客観的に観察しました。
母親のやり方を観ることは、母親の視野と自身のそれとの差異、
相違を知るlこととなり、それは、母親に対する娘自身の‹視野の
拡大›をすることになりました。
つまり、母親と同居する娘として、 ’一家の主’としてよりも、
母親に対する娘としての分際、分限を見極め、或る程度、母親の
流儀に従う自身の姿勢へ思い至ったのでした。
その結果、彼女には、 --多分、母親にも -- 今までとは
違った新しい状況の幕開けです。
それは、亦、娘と母親の、それそれが分有する‹新しい世界›、
‹個人的・私人的領域›と二人が共有する世界の創出でもあります。
この場合の’世界’は、その都度新しく立ち現れる創出も。
個別の新しい状況の積み重ねが、‹新しい世界›の創出に繋がり
ということです。
二人の視野は、こうして広がりました。
このことは、
間(ま)の構成は、対人関係性にある2人の間(あいだ)参入し、
距離を置き、孤立、個別化の方向へ進むことではなく、二人に
新しい紐帯を約束する可能性を孕んでいることを付加しなければ
ならないでしょう。
Ⅵ 間(ま)・距離の構成過程の具体的な手法
間(ま)・距離の構成を巡る考察、検討の最終段階として、構成の
具体的過程、つまり、手法の想定へと進みましょう。
その前に、今一度、確認しておきたいことがあります。
既に、前節で指摘致しましたが、
間(ま)・距離の構成は、間(ま)を’置く’こと、距離を’置く’ことの
簡潔化した表現に他ありません -- 特に、
間(ま)と距離の微妙な同差、不等価性を考慮に入れれば、少し
乱暴な捉え方に見えるでしょう。 けれども、そのことを含めて、且つ、
踏まえつつ、’間(ま)・距離の構成’という用語を使用して参りました。
これからも、この方向で進みたいと存じます。
ご了承下さるように。
では、
対人的関係性のどのような場合、状況で、 間(ま)・距離の構成は、
必要となるのでしょうか。
振り返りますと、 その理由(何故)の最も際立つ源泉は、
2人の間(あいだ)に生じる軋轢、対立、葛藤、衝突‥などに依って
良好な対人関係性の維持、継続、発展が困難となる過程に現前し、
そして、その困難な局面を打開し、再び良好な関係性を(再)構築
するために、間(ま)・距離の構成が必要とされるのです。
既に示唆、指摘しましたように、
構成される間(ま)・距離は、 究極的には、 適度な、つまり、
ほどほど・不即不離/付かず離れずを内包します。
以上を念頭に、具体的な過程・手法の考察、検討へと進んで
参りましょう。
間(ま)・距離の具体的な構成過程を幾つか列挙しますと:
* 離隔
* 静観
* 無為/無反応/無関心
* 撤退
* 譲歩
* 忖度
* 微調整
* バランス感覚
いずれにせよ、 究極的な構成は、 適度な、つまり、ほどほど・
不即不離の実現であり、その基礎的原理は、「相手の立場に
立つ」心構えにあります。
* ‹離隔›
りかく
【離隔】
はなれへだたること。また、はなしへだてる。隔離。
前節では、間(ま)・距離の構成の所産/結果の特色の1つとして
‹離隔› を取り挙げました。 ‹離隔›は、 所産/結果ばかりでなく、
逆説的になりますが、構成過程それ自身も含蓄すると想定されて
よいでしょう。
其処では、間(ま)を置くこと、距離を置くことのやり方、
どのように置くか、つまり、具体的な手法とは、 が注視されます。
熱愛中の恋人達。
どのように間(ま)・距離を置くか -- 第三者が、強引に
二人の間(あいだ)を引き裂き、間(ま)を置けば、悲劇的な破局が。
冷静を取り戻し、客観的にそれぞれが自身と環境を把握出来る
ように、距離を置くには...
勘案と模索が続けられることになるでしょう。
因みに、‹離隔›の下位過程として‹融通›があげられます。
ゆうずう
【融通】
① 〔割愛〕
② 同上
➂ 臨機応変に事を処理すること。 「__がきく」
あの方法が駄目ならば、この方法。 ‹離隔›の方法を斟酌します。
しんしゃく
【斟酌】
①あれこれ照らし合わせて取捨すること。 参酌。
②その時の事情や相手の心情などを十分に考慮して、
程よくとりはからうこと。 手加減すること。
➂ 〔割愛〕
対人関係性の2人、悶着に巻き込まれている二人にとって
最も簡単な手法の1つは、物理的に離れ、別れて、暮らすこと。
けれども、物理的に接近し過ぎ、‹離隔›が不可能な場合は、
心理的/精神的な間(ま)・距離を置きます。 つまり、‹融通›を
効かせることです。
そして、相手との過剰な関わりを心理的に回避するやり方には、
時には、ネガティブヴに。 無視。 或いは、’馬耳東風’に、
’柳に風’の様に... 等のやり方で、‹離隔›を図ることも考えられます。
* ‹静観›
せいかん
【静観】
①静かに観察すること。 自らは行動することなく、静かに
成り行きを見守ること。 「事態を__する」
② 〔割愛〕
例えば、話し合い -- 雑談やお喋りの場合でも、
相手の思いや気持を気遣い、忖度する必要があります。
そのような時、間(ま)・距離を置くことであり、その具体的な
手法に1つは、‹静観›です。
ジーニアス和英辞典*に拠りますと、
*SHARP電子辞書に所収
せいかん【静観】
静観政策
a wait-and-see polisy
静観する
wait and see
成り行きを見る
watch〔observe) O calmly
冷静に見る。
sit by 〔通例 sit by and watch〕
上掲の語釈から、‹静観›の要素を恣意的に掬い上げますと:
⋆ 自らの行動は差し控えること;
⋆ 事の、或いは、状況の成り行きを観ること;
⋆ 相手の行動の発動を待つこと;
⋆ 事の、状況の成り行きを観ること/成り行きに任せること;
⋆ 冷静に見ること、判断すること。
対人関係性的には、
当事者自身は、あれこれ口出しせず、平静を保ち、 相手の発言、
発話、行動を待ちつつ、、対人関係性の全体的状況の成り行きを
冷静に把握すること。
例えば、混乱する事態の収拾を図って、焦って、’悪足掻き’はしない。
但し、待ち過ぎると、自身のみ均す、相手も不安に陥り、焦燥感に
苛まされることに。
適度な間(ま)・距離を構成すること。
それは、’成り行き任せ’の過程の開示、実現そのものです。
* ‹無為›
むい
【無為】
①自然のままで作為のないこと。 老子で、道のあり方をいう。 ぶい。
② 〔割愛〕
2人の間(あいだ)の差異、隔たりを意図的な、人為的なものでは
なく、自然のままに存在するという認識に立つ。 差異、隔たりを
あるがままに受け入れるということ。
それは、無関心を含意します。
当事者自身が、相手に無関心。 相手の意見、感情をそのまま
に措き、相手もまた同様な場合、 2人の間(あいだ)に、差異、
隔たりが存在するのではなく、 間(ま)・距離の構成が無化され
ます。 間(ま)の概念では捉えにくい状況。
けれども、 何かのキッカケで、2人の間(あいだ)の無化的
状況が、有形的、可視的になれば、間(ま)・距離の構成は
現実を帯びて来ます。 が、
別言しますと、
無理な付き合いはしなくともよいということです。
無理に対人関係性の保持に努めなくてもよい。 努力の放棄。
拒否、拒絶、或いは、絶縁も。
ですから、間(ま)・距離の構成は、成立しない、 無化です。
むしろ、2人の間(あいだ)の差異を認め、隔たりを造る、溝が
出現します。
このような溝の出現は、適度な間(ま)・距離の構成とは、
反対の過程に見えますが、必ずしも否定的評価ばかりとは言い
切れないようです。
長期的に見れば、’無化’、或いは’無関心の関心’は、例えば、
それから‹冷却化›、‹客観化›を誘い、対人関係性の維持、発展に
寄与する可能性も考えられるのですから。
* ‹撤退›
‹撤退›、或いは、身を退(ひ)くこと。
みをひく
【身を退(ひ)く】
①後ろにさがる。
②表立った場所からしりぞく。 これまで関わってきたことから
離れる。
例えば、2人の対人関係性が粘りつくような縺れ、膠着状態に
陥った場合、どちらか一方が、関係性から一時的に撤退、或いは、
身を退くことも、 間(ま)・距離の構成の1つの手法。
身を退くことは、見守ること。
それは、そっぽ向く、無関心な態度を取るのではなく、相手の
様子、行動をその状況のあるがままに観ること。 或る意味て、
‹静観›を含意します。
一歩退くことによって、間(ま)が開かれ、距離を置くことは、
2人の関係性に風通しが良くなり、膠着状態は終息へと向かうでしょう。
或いは、別の場合、
相手が、積極的な、かなり強引な攻勢を掛けて来た場合も、一旦
撤退。
相手のペースに乗せられないように。
相手の立場を考慮に入れつつ、寄り添いながらも、敢えて撤退する
過程。 このような二律背反する、寄り添いと‹撤退›の’匙加減’、
バランス感覚を取ることは、なかなか難しいようですが...
けれども、この過程こそが、適当な間(ま)・距離の構成過程なの
です。
* ‹譲歩›
じょうほ
【譲歩】
①路をゆずって他人を先にいかせること。
②転じ、自分の主張や意見をひっこめて他の説に従うこと。
「やむなく__する」
相手に譲る。
‹撤退›とよく似た手法ですが、‹譲歩›には、「差し控える」、或いは、
「慎む」と言う要素が含意されていることが指摘されます。
さしひかえる
【差し控える】
ひかえ目にする。 遠慮する。 ひかえる。
つつしむ
【慎む】
①用心する。 あやまちがないようにする。
② 〔割愛〕
➂ 同上
➃度を越さないように控え目にする。
相手の立場、立ち位置を考慮/配慮し、特に、相手の望む事、
或いは、望まないことを知り、理解すること。 そのためには、
自身の主張、考え、気持を一時的に留保、差し控えます。
つまり、
自身の思いを押し付け、強引に主張、圧力を掛けることを慎み、
相手に思いのままを吐露させ、傾聴することです。
例えば、物理的な‹離隔›が困難な場合、 特に‹譲歩›が
必要でしょう。
それは、自身の自己抑制/自己制御が、相手に要求する前に、
必要、 相手に要求するばかりでなく、自身も退き、控え目
に行動すること。 その辺りの’線引き’ -- 2人の間(あいだ)
の、どの辺りに‹譲歩›の線を引くかが問題となります。
話し合いによる交渉が想定されます。
2人の力関係は、五分五分が理想とされますが...
* ‹忖度›
例えば、距離感 -- どのような距離を置いてよいのか、
距離の置き方が感取出来ない状況にぶっつかる場面が在ります。
その時は、何よりも、‹忖度›が望まれます。
相手を忖度し、知ること。
そんたく
【忖度】
(「忖」も「度」も、はかる意)他人の心中をおしはかること。
推察。 「相手の気持を__する」
相手の -- 此方から見れば、理不尽な要求も、行動も、
相手の立場に立てば、その何故、理由が(自ずから)明白になる
場合があります。
そうなれば、此方の側も、相手の立場を考慮に入れることで、
どのような距離を置けばよいか、その距離感を掴めるように
なるでしょう。
もし、相手に接近し過ぎて、相手の‹個人・私人的空間›へ踏み
込み、プライヴァシーを侵害するならば、‹距離感›は鈍く、事態は
混乱、混沌とし、‹忖度›は、充分に機能しないことになるでしょう。
逆に、
相手から遠ざかり過ぎますと(過度の‹離隔›は)、‹距離感›は、曖昧と
なり、ぼんやりに。 と言うことは、相手を思い遣る気持、≺忖度›
の程度も低くなります。
どちらの場合も、‹忖度›が、有効に機能しなければ、距離、そして
間(ま)の構成は、危機に陥るでしょう。
* ‹微調整›
対人関係性にある2人の間(あいだ)には、考え、気持に差異や
ずれが生じます。このことは、むしろ、恒常的。
差異やずれの解消のため、ひいては、適度な間(ま)・距離の構成、
再構成に向かって、不断の努力をしなければなりません。
それは、‹微調整›。
びちょうせい
【調整】
より完全にするためのわずかな調整。
‹微調整›は、状況の変化に対応しつつ、2人の関係性を僅かづつ
調整、或いは、修復する過程であり、 この手法は、試行錯誤を
伴います。
しこうさくご
【試行錯誤】
(traial and error) 新しい状況や問題に直面して
解決する見通しが立たない場合。 いろいろ試みては
失敗を繰り返すうちに、偶然成功した反応が次第に確立されて
行く過程。
2人の間(あいだ)で、意見の衝突や気持の縺れに遭遇しながら、
その修復のための試みや失敗を重ねながら、より良い方向へ
少しずつ調整すること。
このような‹微調整›は、 更に、状況依存的、状況次第であること。
2人の間(あいだ)に間(ま)・距離が構成されることは、
一定普遍の状況が継続するわけではない、つまり、間(ま)・距離
の構成過程は、可変性を孕みます。
ですから、‹微調整›が必要なのです。
それは、2人を取り巻く ’生ける環境’ 個人の過去・現在・未来
に関わる状況と差し当たっての状況の変化次第に依る状況依存性
を意味し、柔軟性が要請されます。
じゅうなん
【柔軟】
やわらかなこと。 しなやかなこと。 「___に対応する」
状況のその都度の変化に、しなやかに、柔らかに即応・対応し、
修正する可能性を秘めていることが必要とされると考えられます。
* ‹バランス感覚›
2人の間(あいだ)の距離感を掴むことが難しい...
どのぐらい近づき、どのぐらい離れればよいのかが分からない。
接近と疎遠(離隔)との兼ね合い、‹バランス感覚›を保つには、
不即不離/付かず離れずを規定、決定する難しさでもあります。
接近(即) _______・______ 疎遠(離)
どの辺りで:
中程、中芯ではなく、中芯の辺り
設定点は、いわば、’不偏不党。’
どちらの立場、接近(即)にも、疎遠(離)にも偏らないこと。
それは、2人の関係性が、不偏と言う特色を担い、2人の一方に
引き摺り込まれない、偏らない、均衡、均整の取れた過程で
あることを意味します。
2人にとって、100%納得の行く、均衡のとれた≴距離感›を達成
出来ることは、むしろ、稀。 このくらい、この程度... 2人の間
(あいだ)に’意見の一致’点を見出し、落ち着くことが想定されて
よいでしょう。
以上、
間(ま)・距離の構成の過程を巡る具体的な手法を、ランダムに
列挙し、若干の考察、検討を試みましたが、そこに一貫して流れる、
底流する基礎的観念は、<ほどほど・不即不離>のそれであり、
各過程/手法は、状況依存性と不断の達成努力を孕んでいると
見做すことが出来るでしょう。
Ⅶ 間(ま)・距離の相互/共同主観的構成
前節では、間(ま)・距離の構成をめぐり、その具体的な過程/
手立ての様々を取り挙げて参りましたが、
1つの共通項は、それらを括るアプローチの方向性が。
一方的、 一方の側から、つまり、‹私›から‹他者›への、
対人関係性の当事者自身から相手への対応の過程でした。
けれども、
dyad(ダイアド)的対人関係性は、2人で成立する過程。
間(ま)・距離の構成も、‹私›と‹他者›の両方の側からの、即ち、
双方性的なアプローチが注目されねばならないでしょう。
そこで、本節では、
2人の対人関係性における間(ま)・距離の構成の双方性の過程
についての探索、若干の考察を試みることに致しましょう。
ところで、
対人関係性的状況において、一方の側の当事者が、’一方的’
に行動する過程 -- 間(ま)を置きたい、距離を置きたい...
と言う場合、 そのような時に、
いわば、’独断’で、 間(ま)・距離の構成を実行しようとする場合、
現実には、難しい。
’相手があるのですから。’
特に、縺れている場合、2人の間(あいだ)に、軋轢、葛藤、対立、
抗争‥などが出現する場合、 其処には、2人の思い、考え、意見、
主張などの間(あいだ)に、相違、齟齬、ずれが存在していると
いうことです。
そうい
【相違】
たがいに違っていること。 一致しないこと。 ちがい。
「証言と__する」 「あんに__する」 「___点」
そご
【齟齬】
(上下の歯がくいちがう意)くいちがい。 ゆきちがい。
「__をきたす」
ずれ
①ずれること。 位置や時期や考え方などのずれた状態。
特に、くいちがい。 「感覚に__がる」 「時間の__」
② 〔割愛〕
如上の相違、齟齬、ずれは、対人関係性的2人の間(あいだ)に
認識・認知上のくいちがい/食い違いが生じていることであり、
2人の間(あいだ)で間(ま)・距離の構成に対して各人の主観的
過程、つまり、見方、考え方の齟齬、ずれ、 或いは、
’意見の不一致’が認められということです。
2人の間(あいだ)に、’意見の不一致’がある場合、
そのまま放置しておけば、2人の間(あいだ)は、どんどん
拡がるか、 軋轢、葛藤、対立、抗争が激化、間(ま)も距離も
構成されず、2人の関係性は破綻、破局。
そのような危機を回避する最も有効な手立ての1つは、
’意見の一致’の解消への努力、試みです。
此処にこそ、私達は、相互/共同主観性の登場に立ち会うこと
になるでしょう。
重言しますと、
対人関係性における間(ま)・距離の相互/共同主観的構成は、
間(ま)・距離の構成についての2人の間(あいだ)での考え方、
見方の相違、齟齬、ずれ、或いは、食い違い、換言しますと、
’意見の不一致、’ その解消努力の過程に見出されると想定され
ます。
では、相互/共同主観性の過程とは ーー
まず、相互主観性の語釈(広辞苑)から:
そうごしゅかんせい
【相互主観性】
➡ 間主観性に同じ。
かんしゅかんせい
【間主観性】
〔哲〕 (Intersubjektivität ドイツ) フッサールの用語。
自我のみならず他我おも含めた共同的な作用によって成り
立つ主観のありかた。 自然的世界も文化的世界も一個の
主観の私有物ではなく、多くの主観の共同物である。 この
事態を間主観的現象といい、そこにおいて統一的な客観的な
世界が成立する。 のちにマルセルはこの概念を実存論的に
深め、主体は共同主体性に根づいてのみ成立しうるとした。
相互主観性。共同主観性。
次いでに、主観性 を調べますと、
しゅかんせい
【主観性】
〔哲〕 (subjectivity)
①主観であること、また主観に依存していること。主観の所産
であること。
②個人的・歴史的・社会的な条件に制約されたある主観に
主観に依存しており、普遍性が乏しいこと。 ↔客観性。
主観は、
しゅかん
【主観】
①〔哲〕 (subjectの西周(にしあまね)による訳語)客観に
たいする語。語源的には流動する作用・性質・状態を担う
自己同一的な実体。 基体(subjectumラテン)を意味する。
近世以後意味を転じ、対象の認識を構成する自我や意識の
意となった。 〔中略〕
カント以後は、単に認識主観にとどまらず、実践的能動性と
自由の基体として主体とも呼ばれる。↔客観。
②自分ひとりの考えや感じ方。 〔割愛〕
本節のテーマに従えば、
主観は、対人関係上の当事者2人が、それぞれ抱く自我、意識。
狭義には、当事者各個人の考え、感じ方、 或いは、’知情意。’
主観性は、そうである状態、各個人主観が考えていること、感じて
いることに落着すると解釈されます。より具体的には、間(ま)・距離
の構成について考え、感じている 個人の主観性、主観的過程と
見做されてよいでしょう。
翻って、
相互主観性〔/間主観性〕は、 対人関係性的な当事者2人(自我
と他我)の’共同作業。’ 個人主観の個別な過程ではなく、2人の
共同行為の所産。
相互主観性を、日常生活世界場面へ立ち還り、より平易に
解釋しますと、 お喋り、とりとめも無い、たあい無い雑談。
いずれにせよ、対人関係性的2人の間(あいだ)に生じる
言葉のキャッチボール -- 言語的、時には、非言語的レヴェル
の遣り取り。 換言しますと、相互主観性は、
2人の主観の間(あいだ)でお互いに交換される行為(見方、
考え方、感じ方)において成立する相互行為の過程と想定され
ます。
ところで、 一見とりとめ無い雑談の際にも、 当事者2人は、
何かについて 話し合っている場合が多々見受けられます。
この状況は、相互主観性と次元を少し違えた 間主観性の過程、
つまり、共同主観性の萌し/きざしと読み取らねばならないでしょう。
その萌しは、対人関係性の当事者個人主観の、’何かについての’
意識、即ち、志向と想定されます。
志向とは:
しこう
【志向】
① 〔割愛〕
②〔哲〕(Intention ドイツ)(「指向」とも書く) 意識は常に
具体的な何ものかについての意識であり、意識がその何もの
かに向かっていることを云う。
志向は、対人人関係性にある2人が、両人の間(あいだ)で抱く
「何ものかについての意識」、「何かに向かう意識。」
「何ものか」は、客観、或いは、対象。 2人の志向は、対象に向かう
意識、対象意識、つまり、対象志向と見られます。
共同主観性においては、
対人関係性の当事者、2人が、個々に抱く立場、見方、感じ方、
考え方の主観的過程(主観性)において、それぞれが志向する対象、
志向対象の共有、が、その(挙動主観性)の第一義的要件として
挙げられます。
きょうゆう
【共有】
①二人以上が一つの物を共同して所有すること。
「秘密を__する」 「__物」
② 〔割愛〕
きょうどう
【共同】
①二人以上の者がちからを合わせること。
②二人以上の者が同一資格でかかわること。
「台所__で使う」 「__経営」
共同主観性は、
対人関係性の当事者による志向の共有、志向の共同。
換言しますと、 同一対象についての同一志向であり、
それは、即ち、(同一志向への)志向の共有、共同志向を意味し、
当事者の間(あいだ)に相互の確認と承認が要請されます。
同一志向の共有、或いは共同(化)は、同一対象について
同じ様に志向していることを、当事者が、お互いに確認し、承認
する主観的過程と想定されます。
より具体的には、 本節のテーマ -- 間(ま)・距離の構成の
解明 -- に従って解釈しますと、
志向される同一対象は、間(ま)・距離の構成について当事者
2人の主観的過程〔主観性)によって共有、共同される状況と考え
られます。 重言しますと、
同一志向への同一対象は、ここでの文脈関係では、間(ま)・距離の
構成ついて当事者双方の立場、見て、感じ、考える主観的過程の
相互確認、相互承認を伴うという想定です。
しょうにん
【承認】
①正当また事実・真実と認めること。「事実として__する」
② 〔割愛〕
かくにん
【確認】
①たしかにそうだと認めること。 また、はっきりたしかめること。
② 〔割愛〕
相互承認と相互確認は、 此処に限りますと、
当事者がお互いに、同一志向の共有、共同をそれぞれ(個々に)
事実として認識すること(承認)を指し、且つ相互に承認した事実、
つまり、共同志向を、思い込みや思い入れ等の誤認が無く、確かに
その通りと、お互いに確かめ合うことを含意します。
更に、 続けますと、当事者自身が相手の立場 --見方、感じ方、
考え方を考慮に入れつつ、(他者)理解を試みようとし、相手もまた、
当事者自身に対して同様の主観的過程を展開し、そこに相互承認と
相互確認が伴われ、その結果、2人の立場、主観性が合致しました
ならば、主観性の合致は、合意、或いは、’意見の一致’と再解釈され
ます。
それは、取りも直さず、共同主観性の出現。
と同時に、相互主観性から共同主観性への飛翔が目撃される
と言ってよいでしょう。 というこどは、相互/共同主観性の用語から
相互が外されることが、何よりも、指摘されます。
Ⅷ 間(ま)・距離の共同主観的構成の力動(1)
前節では、共同主観性の概念化を図りましたが、それは、また、
間(ま)・距離をめぐる共同主観的構成の内容、或いは構造に
明確化であり、静態分析的アプローチとも提言出来るものでした。
けれども、
日常生活世界へ立ち還って見ますと、
いつも、同一対象への志向の共有、共同が実現されているとは
見えないでしょう。 既述しましたように、対人関係性的状況下では、
当事者2人の間(あいだ)には、差異、齟齬、ずれが生じます、
生じています。
つまり、対象志向について2人の間(あいだ)にそれぞれの立場
-- 間(ま)・距離の構成についての見方、感じ方、考え方
-- に食い違いが出現する蓋然性は、非常に高く、差異、齟齬、
ずれは頻繁に生じています。
2人の間(あいだ)で、いつも、同じ主観的過程が展開されている
ことは、むしろ、稀。
ですから、
対象志向が共有、共同されず、つまり、2人の立場/主観性に
食い違いが在り、それが相互に承認、確認される場合、 2人の
間(あいだ)で2人の立場、別言しますと、意見が一致しない
こと、’意見の不一致’を知ることを意味します。
ということは、逆に、
当事者2人の間(あいだ)で、どの位/どの程度の間(ま)・距離を
置くべきか、構成されるべきか、と言う課題、’意見の一致’
へ向かう模索が指摘されます。
当事者が、この位/この程度と間(ま)・距離の構成範囲を想定
しても、相手が、当事者の距離感には頓着せず、相手自身の望む
範囲--間(ま)・距離の置き方を巡る--を設定、押し進めてくれば、
2人の対人関係性は、頓挫します。 混迷を深めます。
ですから、
2人の間(あいだ)で、どのように、 どのような 間(ま)・距離を
構成すべきかの探索が要請され、それは、2人の立場 -- 主観性/
主観的的過程、狭義には、意見の差異、 齟齬、ずれ、つまり、立場・
意見の食い違いの解消を意味します。
このような食い違いは、間(ま)・距離の共同主観的構成の為に、
延いては、対人関係性の維持、発展のためにも、是非とも、
解消されねばならないでしょう。
意見/立場の食い違いは、即ち、意見の不一致であり、その解消は、
意見の一致の(再)形成であり、この過程こそが、共同主観性の構築、
即ち、達成過程を指し、間(ま)・距離の共同主観的構成の動態分析
的アプローチに他ありません。
念のため、一致 と 合意 を調べますと、
いっち
【一致】
①二つ以上のものが、くいちがいなく一つになること。合一。
「意見が__する」 「言行__」
②心を同じくすること。 合同すること。
③ 〔割愛〕
ごうい
【合意】
意志が一致すること。 法律上は、契約当事者の意思表示の
合致をいい、契約の成立要件となる。
「両性の__」 「__に達する」
一寸、不充分な感じですので、ジーニアス和英辞典を調べますと、
いっち【一致】
ーー 一部のみ抜粋
agreement
〔意見などについての〕一致、調和〔on,upon,about〕;
〔・・・との〕同意、合意〔with〕(↔disagreement)
consensus
(意見・感情などの)一致
用例
∦ その問題については意見が一致する
reach 〔achieve〕 a consensus on the
matter
∦ 意見の一致
the consensus of opinion
ごうい【合意】
agreement
〔意見などについての〕一致、調和;〔・・・との〕同意、合意
(↔ disagreement)
settlement
(紛争・問題などを)解決(すること); 決着、合意
consensus
(意見などの)一致、 コンセンサス
意見・感情などの一致も、合意も語釈的には近似、大差は無い
ように見えます。
ですが、本節でのテーマに照らして再解釈しますと、
一致・合意には、同意と是認、及びその相互性が必要。
どうい
【同意】
① 〔割愛〕
② 同上
➂他人の意見に賛成すること
ぜにん
【是認】
よしと認めること 「__しがたい」
対人関係性の当事者の間(あいだ)では、意見の一致・合意は、
当事者それぞれがお互いに同意し、是認すること、それは、
当事者2人が、間(ま)・距離をどのように構成するかについての
相互是認・同意を意味し、そして、その達成に向かって努力する
過程が、取りも直さず、間(ま)・距離の共同主観的構成の力動、
動態分析の要(かなめ)となると見てよいでしょう。
反芻しますと、
間(ま)・距離の共同主観的構成は、’意見の不一致’の解消過程
であり、それは、一致/合意の(再)構築、つまり、達成過程。
2人の間(あいだ)に差異、齟齬、ずれが生じた場合、それぞれの
立場(見方、感じ方、考え方)、或いは主観性に食い違いが生じた
場合、’意見の不一致’が出現。
その際の課題は、どの位/どの程度の間(ま)・距離を構成するか
についての’意見の一致、’ 合意への努力、到達・達成への試みが
必然であり、其処には、相互承認、相互確認、更には、相互是認・同意
が要請され、その結果、間(ま)・距離の共同主観的構成が成立する
ということになります。
最期に一言:
’意見の不一致の一致’と言う場合があります。
対人関係性にある2人の間(あいだ)に、当事者夫々の立場、主観性
の間(あいだ)に、越えがたい深遠が存在する場合、2人の主張が
全く相容れない状況では、無理、無理強いは禁物。
そのような場合は、そのままに。
’多様性’の論理に従って、それぞれ相手の個(別)性、個別な意見の
差異、齟齬、ずれをそのままを互いに認め合うこと。 相互是認、
相互同意を決行することです。
つまり、’不一致の一致。’
それは、不一致の内実が、相対し、相反する意見についての
不一致を意味します。 この不一致の認識が、亦、2人の間(あいだ)
に、どのような間(ま)・距離を置くか、更に、どのように 構成するか
の模索へ導くことにもなると想定されます。
Ⅸ 共同主観的構成の力動 (2)
-
前節では、 間(ま)・距離の共同主観的構成は、対人関係性的
当事者の’共同制作’ -- 相互的所産であるよりも --である
ことを掲げ、それは、志向対象の共有、共同、即ち、同一対象への
同一志向についての相互承認、相互確認を意味し、内実は、’意見
の一致、’ 或いは合意を含蓄します。
上掲の世界は、静態的。
けれども、間(ま)・距離の共同主観的構成は、決して平坦な道程、
過程ではありません。 極めて力動的。
当事者2人の間(あいだ)には、夫々の立場、主観性に差異、齟齬、
ずれ、つまり、意見の食い違い、’意見の不一致’が往々にして生じます。
このような’意見の不一致’を解消し、共同主観性の再構築、’意見の
一致’、或いは、合意へ向かう努力、試みが、間(ま)・距離の共同主観的
(再)構成の達成過程と想定されました。
本節の課題は、どのように達成するか、に尽きます。
以降では、達成過程の具体的な過程、手法について考察、検討を
進めて参りましょう。
先ずは、 «話し合い»。*
* 話し合いの他に、対話、対談、会話なと
が挙げられますが、本節の主旨 --
一致、合意の達成過程の解明 --に
最も即しているとの判断から、話し合い
を選択、落ち着きました。
«話し合い»は:
はなしあい
【話し合い】
理解を深めたり問題を解決したりするため、はなしあうこと。
相談。交渉。 「__を持つ」
はなしあう
【話し合う】
①互いに話す。「和気藹々(あいあい)と__・う」
②相談する。「__・って決める」
相談は、
そうだん
【相談】
互いに意見を出して話しあうこと。 談合。 また、他人に
意見を求めること。「対策を__する」 「__を持ちかける」
上掲の語釈を踏まえた上で、間(ま)・距離の共同主観的達成過程を
捉えますと、それは、既述しましたように、どの位/どの程度の範囲の
間(ま)・距離を置くかの設定から、 どのように、を巡って当事者2人
の間あいだ)でお互いに‹意見の表明、表示、表現›が行われるという
ことです。
表明は、
ひょうめい
【表明】
考えや決意をあらわにして明かにすること。
「賛意を__する」 「所信__」
ひょうじ
【表示】
①外部へあらわし示すこと。 「賞味期限を__する」
「意思__」
② 〔割愛〕
ひょうげん
【表現】
心的状態・過程または性格・志向・意味など総じて内面的、
精神的・主体的なものを、外面的・感性的形象として表す
こと。また、この客観的・感性的形象そのもの、すなわち
表情・身振り・動作・言語・作品など。 表出。
「作者の意図がよく__されている」 「__力」
以上の語釈を恣意的に解釈しますと、
«話し合い»は、対人関係性にある当事者が、自身の立場/主観性
(見方、感じ方、考え方)を外部、つまり、«話し合い»の相手に
はっきりと表すこと、 それは、日常生活世界の諸場面では、
言語的表明・表示・表現が中心であり、往々にして、非言語的な
パフォーマンス:表情、身振り、動作などを随伴します。
そして、自身の‹意見の表明・表示・表現›は、なによりも、相手に
自身の考え、気持を訴えるということです。
うったえる
【訴える】
① 〔割愛〕
②事情を申し述べる。言上する。
➂(支持・同情・救助を得るために)不平や苦痛を告げる。
「腹痛を__・える」
➃ある手段によって解決を求める。「腕力に__・える」
➄感覚または心にはたらきかける。「視覚に__・える」
「誠意に__・える」
対人関係性において、訴えること、‹訴え›は、直接行うことが
望ましい。 相手への直接的な訴えによってこそ、«話し合い»は
軌道に乗り、可動することでしょう。
そして«話し合い»は、双方的。
一方の側からの‹意見表明・表示・表現›、つまり、‹訴え›では不発に
終わります。相手にもそのチャンスが与えられねばなりません。
相互性の尊重。
‹意見の交換›、‹意見の遣り取り›、に繋がります。
こうかん
【交換】
①とりかえること。 やりとりすること。
「物々__」 「意見を__する」
② 〔割愛〕
➂ 同上
やりとり
【遣り取り】
①物をとりかわすこと。 交換。 贈答。
② 〔割愛〕
➂言葉をとりかわすこと。口論をまじえること。
「手紙で__する」 「激しく__する」
‹意見の交換›は、当事者2人が、それぞれの立場から、お互いに
‹意見の遣り取り›をすること。 その際、率直さと冷静さが要請され
ます。
そっちょく
【率直】
かざりけなく、ありのままなこと。
「__に言う」 「__な感想」
れいせい
【冷静】
感情に動かされることなく、落ち着いていて物事に動じない
こと。「__な態度」 「__に判断する」 「沈着___」
如上の要請: 率直さを欠きますと、当事者の相手、或いは、
お互いに、’疑心暗鬼’となり、 冷静さも欠きます。
そうなれば、‹意見の交換›、‹遣り取り›は、言葉の応酬、口喧嘩状態
となり、やがて、’売り言葉に買い言葉。’話し合い’は、’果し合い’となり、
とても話し合いの出来る状況ではなくなります。
ですから、
«話し合い»には、更に、スムーな‹意見の交換›が必要です。
スムース
【smooth】
なめらかなさま。 物事や動作が円滑に進むさま。
「話が__に進む」
そのためには、話し合いの第二義的要請の1つとして、‹傾聴›に注目
しましょう。
けいちょう
【傾聴】
耳を傾けてきくこと。 熱心にきくこと。
「__に値する意見」
対人関係性の当事者が、どれぐらい、どれほと、率直に、冷静に、
自身の‹(意見の)表明・表示・表現›しても、或いは‹訴え›でも、相手が、
五月蝿(うるさ)気、取り合うとしない... これでは、«話し合い»は進み
ません。
やはり、相手も、当事者の真摯な態度に対して、’聞き巧者’に
なって対応しなければならないでしょう。
ききごうしゃ
【聞き巧者】
相手が話しやすいようにうけ答えして、たくみにその人の話
を聞くこと。 また、その人。 聞き上手。
聞き巧者は、対人関係性にある2人の両方に要請されます。
お互いに、’聞き上手’であること。
そのためには、なによりも、相手を‹理解›すること。
りかい
【理解】
①物事の道理をさとり、しること。意味をのみこむこと。
物事がわかること。 了解。
「文意を__する」
②人の気持や立場がよくわかること。
「__のある先生」 「関係者の__を求める」
‹理解›には、‹思い遣り›が必要。
‹理解›と‹思い遣り›は、’同じコインの裏表’と想定出来るでしょう。
おもいやり
【思い遣り】
①思いやること。 想像。
②気のつくこと。思慮。
➂自分の身に比べて人の身について思うこと。
相手の立場や気持を理解しようとする心。同情。
「__のある人」
おもいやる
【思い遣る】
①思いをはせる。 はるかに思う。
②おしはかる。推量する。
➂人の身をおしはかって、同情する。
「友人の悲しみを__・る」
理解することは、対人関係性的状況では、相手の立場に立ちつつ、
相手の思いや気持を推し量り、推察すること。 相手を‹思い遣る›ことは、
相手への‹理解›を深めます。
それは、翻って、当事者自身への‹理解›の深耕も。 相手の立場に立つ
ことによって自身を省みれば、自身を客観化が可能となり、自身への
理解と共に、他者[相手)理解を一層押し進めることになるでしょう。
以上、話し合いの考察、検討を重ねて参りました。
話し合いの基礎的要素として:
⋆ 意見の表明・表示・表現、及び、訴え;
⋆ 意見の交換;意見の遣り取り、
その際に必要な、率直さ、冷静さ、スムースさ;
⋆ 傾聴
聞き巧者;
⋆ 理解と思い遣り、 を列挙しました。
上掲の話し合いの基礎的要素を下に、対人的関係性の当事者、
2人は、«話し合い»のより具体的な過程/手法を思案し、試みます。
どのような、そして、どのように...
以下で、順次、 考察、検討して参りましょう。
先ずは、‹交渉›。
--話し合いの語釈に挙げられいます。
こうしょう
【交渉】
①相手と取り決めるために話し合うこと。 かけあい。
「値引きを__する」 「__が決裂する」 「団体__」
②かかりあい。 関係。 「隣近所と__がない」
‹交渉›をジーニアス和英辞典で調べますと、
こうしょう【交渉】
negotiation
(条約・商談などの)交渉、話し合い、折衝、談判
〔以下割愛〕
negotiate
<人が>〔人と/・・・のことで〕交渉する、協議する;(合意に向けて)
話し合う 〔一部のみ抜粋〕
念のため、折衝を:
せっしょう
【折衝】
〔詩経(大雅、緜、伝〕(敵の衝いて来るほこさきをくじきとめる
意から)外交その他の交渉での談判またはかけひき。利害の
異なる相手と問題を解決するために話し合うこと。
更に、かけひきを:
かけひき
【駆け引き・駆引き】
①戦場で、時機を見はからって兵馬を進退させること。
②芸能・売買・交渉などで、相手の出方を見て態度を変え、
有利になるように処置すること。 「__がうまい」
‹交渉›は、対人関係性においては、
当事者2人が、お互いの立場(見方、感じ方、考え方)に身を置きつつ、
間(ま)・距離の構成の範囲(どの位/どの程)を設定する際に、折衝、
駆引など行いつつ、2人の合意〔形成〕に向かって取り決めを図る、
«話し合い»の具体的な過程/手法。 ‹交渉›は、話し合いの基本的
要件と想定されます。
‹交渉›のより具体的な過程、或いは、下位過程には、‹歩み寄り›が
が挙げられてよいでしょう。
あゆみより
【歩み寄り】
折れ合うこと。 双方の条件・主張を近づけ合うこと。
歩み合い。
対人関係性の当事者は相互に、相手の立場を理解しつつ、相手
の意見、主張を、自身のそれらと考慮しながら、勘案し、合意へ近づく
べく、歩み合います。
その際、決して高圧的ではあってはなりません。
‹譲歩›を伴う‹歩み寄り›が示唆されます。 双方、2人共出来る限り
相手の望みに沿うように模索します。
‹譲歩›は:
じょうほ
【譲歩】
①道をゆずって他人を先に行かせること。
②転じて、自分の主張や意見をひっこめて他の説に従うこと。
「やむなく__する」
対人関係性の2人に立場、意見や主張の差異、齟齬、ずれが存在し、
2人が、それぞれの意見を主張して止まないならば、合意も、’意見の
一致’も実現は不可能でしょう。
やはり、 当事者各人が、自身の意見や主張を引っ込め、‹譲り合い≻、
相手の立場を尊重しなければなりません。そうでなければ、共同主観
的合意は形成、達成されないでしょう。
そして、‹譲り合い≻は, ‹折れ合う›を含蓄します。
おれ・あう
【折れ合う】
ゆずり合う。 譲歩しあい。 おりあう。
「双方__・って話がまとまる」
おり・あ・う
【折り合う】
対立した同士が譲り合って解決をつける。 妥協する。
おれ合う。 「値段が__・わない」
‹譲歩›が、一方の側からの、一方的行動では、適度な間(ま)・距離の
共同主観的構成の実現は、最難事。 不可能と云ってよいでしょう。
あくまでも、双方向的な動きであること。
つまり、譲り合うこと。 譲歩の相互性が望まれ、其処にこそ、
‹折り合い›が要請される所以があるのです。
以上の‹交渉›の下位過程、‹歩み寄り›、‹譲歩›、‹折れ合い›は、
集約しますと、‹妥協›が、浮かび上がってきます。
だ・きょう
【妥協】
対立している双方(または一方)が折れ合って一致点を見出し、
事をまとめること。 おりあい。
「__の余地はない」 「__案}
だきょうて・ん
【妥協点】
双方が互いに歩み依って一致できるところ。 おりあいのつく
ところ。
‹妥協›は、対人関係性の当事者2人が、間(ま)・距離の範囲(どの位/
どの程度)を置くかについて、双方の間(あいだ)に’意見の一致、’
或いは、合意の形成、達成を模索する過程。 妥協点への到達過程
と言えるでしょう。
妥協点への到達は、間(ま)・距離の構成に対する当事者2人の間
(あいだ)の’意見の一致’/合意を意味し、此処に、間(ま)・距離の
共同主観的構成の力動、動態分析が認められます。
以上の«話し合い»を巡る考察、検討を締めくくりますと、
«話し合い»に基本的過程は、‹交渉›。
そのより具体的な下位過程には:
⋆ 歩み寄り;
⋆ 譲歩(/譲り合い)
⋆ 折れ合い
⋆ 妥協 が提示されます。
勿論、
«話し合い»の具体的過程では、その各段階で、悶着が生じ、縺れた
まま、足踏み、停頓。 次の段階への進展は疎(おろ)か、殆ど不可能、
破局へ向かう可能性も充分あり得ます。
いずれにせよ、
«話し合い»は、間(ま)・距離を、どのような範囲で構成し、更に
どのように構成するか、を対人関係性の当事者2人の間(あいだ)
で行われる探索の過程であり、その共同主観的構成過程では、
2人の間(あいだ)に可能な’意見の一致’、或いは、合意の形成への
模索過程が課題となります。
究極的には、それは、適度な間(ま)・距離の構成の実現にあり、
適度な間(ま)・距離の範囲とは、ほどほど/不即不離・即かず離れず
の範囲であることを改めて指摘しておきましょう。
本節を終幕する前に、«話し合い»を例解するエピソードを1つ。
娘は、結婚を希望。 真剣に考えています。
付き合っている彼氏がいるのでした。
父親は猛反対。
二人の間(あいだ)には、深刻な意見の差異、齟齬、ずれが
噴出、錯綜。 テンションは上がり、ストレスも上がり放し、
どうしても、間(ま)を取り、距離を置くことが必要な状況です。
では、どのように ーー :
娘は、結婚をしたい、 彼とは一生に一度の出会い。 運命の人よ!
父親は、父親としての言い分を。 彼(氏)の学歴(高校中退)、職業(
非正規)、趣味(バイク乗り)全てが娘の結婚相手として相応しくない
と見ています。
二人は、夫々、自身の‹意見の表明・表示・表現›を展開し、強く
‹訴え›ます。 互いに意見を主張し、譲ろうとしません。
これでは、間(ま)・距離の置き処を掴む気配りも、余裕もありません。
平行線を辿るばかり。
‹意見の交換›は、絶望的。
けれども、«話し合い»には、‹意見の交換›が必要。
そして、意見の交換には、‹冷静さ›が大切。 娘は冷静さを取り戻し、
父親の気持に耳を傾け、つまり、‹傾聴›を心掛けるようになりました。
そして、父親の気持を思い遣り、理解しようと試みるように。
確かに、お父さんの言う通りかもしれない。 娘は、‹率直›に認めます。
世間的に見れば、彼と私は少し不釣り合いかも…
因みに、娘は名門女子大卒。
父親も、やっぱり、娘の言い分を聞かねば、と娘の言葉に耳を
傾け、娘の心中を‹思い遣り›ます。
此処で、間(ま)が少し開きます。 二人の間(あいだ)に、距離が置か
れるようになりました。 今までは、それぞれお互いに、’自己主張’が
激しく、冷静さを欠き、率直過ぎ、テンションは上がり放し。
距離は近か過ぎ、 間(ま)は取れませんでした。
娘は、父親に理解を求め、‹率直›に話します。
彼は、確かに、高校中退よ。
彼は、大柄。 高校の教室の机と椅子が小さくて、窮屈で...
我慢ならなくて、飛び出して、バイクでツーリング。
日本一周をしたの。
でも、今は、ちょっとぐらい勉強すべきだったと通信教育での
大学進学を考えているのよ。 娘は、理解を求めます。
’ふ~ん、そうか。’ 父親は、少し態度を軟化させました。
娘の話を傾聴し、娘の恋人に対するイメージを徐々に変化させます。
少しですが、二人の間(あいだ)に、‹歩み寄り›の兆しが見えて
来ました。 間(ま)も、距離も姿を現し始めました。
‹歩み寄り›の気配。
娘も、結婚は、父親の承諾を得て祝福されつつ、にするヮ、と譲歩。
ほんとは、駆け落ちをしてでも、と聊か古風なパフォーマンスを考えて
いたのですが、やはり、父親の気持を思い遣り、少しでも理解する
ようになりますと、私も、父親に歩み寄らねばと思うようになりました。
一方、父親は、’駆け落ち’とは、なんとロマンチックな、と秘かに、
想いましたが、いや!とんでもない。そんなことで日和ってはいかん。
ますます許せん、と居丈高。
これでは、間(ま)も、間にあいません。
とは言うものの、父親にとっては、大切な愛娘の将来、幸福を願っての
反対ですから、父親の居丈高な態度は、そう長くは続きません。
娘は、父親の態度の軟化振りを把握して、なんとか、‹話し合い›を
を続けたいと思うようになりました。
現状打開を望むのは私ですもの、私が、なんとかしなければ...
父親も、もう少し娘と話し合わねばな、と考えるようになり、
此処で、より具体的な場面の開示が。
つまり、より具体的な過程・手法:‹交渉›が導入されます。
娘は言います。
とにかく一度会ってほしいの。
会えば分かるわ、彼のことが。
'うん、まあな’ 父親は、渋々顔で同意。
娘も、もう彼女自身の人生を歩み出している、 いや、歩いているんだ。
ついこの間まで、’パパァ~’ と腕の中に飛び込んで来たというのに、
今は、その俺を、突き飛す勢いで、
going my way (我が道を行く)か…’ と感慨にふけっている場合
ではないようです。
やれやれ... 父親は、胸の内の複雑な思いを暫く横に措いて、娘と
対峙することを決意しました。 ‹折り合い›、‹交渉›の具体的な手法の
1つ、の始まりです。
父親は、冷静になって、気持を鎮め、
’まあ、その若いの(娘の恋人)に会ってみるか’
娘は、切望していたのですから。
とにかく、彼に一度会ってよ。 会って話し合えば、
きっと、彼が真面目で優秀、誠実で実力充分な、将来有望な
人材なことが良く分かるから。
(娘は、ちょっとばかり、恋人を売り込み過ぎ?!
いずれにせよ、
父親は、渋々ながら、娘の彼(氏)に会うことを約束しました。
父親は‹譲歩›。
娘も父親を振り切って、結婚を強行することは止めた(譲歩)の
ですから、二人の間(あいだ)には、相互譲歩ばかりではなく、
‹歩み寄り›、‹折れ合い›そして、‹妥協›が認められます。
此処で、次の場面が準備されます。
‹妥協›の過程では、二人が歩み寄り、折れ合って、二人の間(あいだ)
に一致点を見出すことです。 一致点、或いは、妥協点の模索です。
どの位/どの程度の範囲の間(ま)・距離を置くか。
それに、会うと言っても、何時、何処で。
娘と父親の間(あいだ)で話し合い、‹交渉›が持たれました。
娘は、何処かお洒落なレストランで、
父親は、和風の料亭の方が、
でも、高いわよ、 うん、まぁ~な...
結局、自宅のリヴィング・ルームで、と落ち着きました。
夫々が、我(エゴ)を、自身の’主義、主張’を引っ込め、第三の選択肢
採択するのも、‹妥協›の1つの手法です。
意外に速く、二人は、一致点、妥協点に到達しました。
案ずるよりより産むが易し。
でも、油断はなりません。
これから、父親と娘の恋人の’真剣勝負’が始まるのですから。
娘に紹介されて、二人は、出会い、いえ、見合いました。
彼(娘の恋人)は、緊張し過ぎ、コチコチ。
最初から、お茶をがぶ飲み、お煎餅をバリバリ。
父親よりも、娘のほうが、呆気(あっけ)にとられてしまいました。
でも、どういう訳か、
父親は、元気があって、いいなぁ~。
羨ましいよ、破顔一笑。
あんなに渋顔だったのに、と娘は呆れながらも、ほっとしました。
男同志の間(あいだ)の間(ま)・距離は、程よく、適度に置かれた
ようでした。 阿吽の呼吸かツーカーの呼吸の結果かは、定かでは
ありませんが、二人は、すっかり意気投合。
次は、何処で合うか、また家へ来るか、などと話し合っていました。
ともかく、二人(父親と未来の婿殿)の間(あいだ)では、一応、
意見の一致、合意の形成が達成され、’談判決裂’にはならず、
第一回目の会合は、無事終了しました。
娘の方が、外されてしまったような...
一寸おかしな共同主観的構成過程になりましたが、
娘と父親の話し合い、‹交渉›は、 三人目(娘の恋人)の登場と
相俟って、これからも紆余曲折を辿りつつ、続けられて行くことでしょう。
そして、三人の間(あいだ)で、二人間で、間(ま)・距離の設定の
模索が始まることでしょう。 お互いに、どのように、間(ま)を取り、
距離を置くか -- それによって、これからの付き合いの過程、且つ、
その内容も定まって行くのですから。
重言しますと、
一致点/合意点を模索し、達成することは、対人関係性の当事者二人の
共同主観的構成の過程、それは、«話し合い»、より具体的には、‹交渉›、
その内容についての’意見の一致’、合意形成過程を含蓄し、この過程は、
同時に、間(ま)・距離の共同主観的構成を意味します。
つまり、共同主観的構成過程には、二重の、或いは、二元的構成が
透けて見えることが示唆されてよいでしょう。
最後に:
対人関係性の当事者、或いは、ダイアド関係性の2人の間(あいだ)には、
往々にして、意見の差異、齟齬、ずれが生じ、更に、悶着、軋轢、葛藤、
対立、相剋などが噴出します。 そうなれば、対人関係性の維持、発展
ためには、その解決、解消に向かわねばなりません。
最も有力な解決、解消の手立ては、’間(ま)を置くこと’、’距離を置くこと’。
そのような間(ま)・距離の構成は、 一方的に、当事者個人の主観性に
よることでは不充分。
相手の立場、見方、感じ方、考え方を考慮に入れ、且つ、相手にも同様の
主観的過程が想定され、相互性が強調されます。
このような主観性の相互性には、そこに、当事者2人に共通の目標、つまり、
同一対象への同一志向が現れ、それは、間(ま)・距離の範囲に対する
相互承認、相互確認の過程であり、間(ま)・距離の共有、共同(化)を
意味します。
それは、’意見の一致’、或いは、合意を模索する過程を指し、
«話し合い»とその具体的過程/手法、歩み寄り、譲り合い、折れ合い、
妥協が想定されます。
ところで、
このような共同主観的過程は、暫定的。 一時的。
絶え間ない修正が要請されます。それは、共同主観的構成が状況
依存性を含蓄するからであり、状況(の変化)に応じて修正を余儀なく
されるからと云えるでしょう。
間(ま)・距離の共同主観的構成は、結果ではなく、過程。
それは、継起的達成の過程であり、いつも変容、変化に晒されている、
生ける過程。 力動の過程です。
それにしても、その扱いは、どうしても、難しい。
踏み入れば、踏み入む程、”迷宮入り”の感が強くなります。
でも、<間>非常に興味深い概念、
皆さま、是非、お試し、ご挑戦を。
補遺
社会的距離/Social Distance
社会的距離は、 Wikipedia, the free encyclopediaに
拠りますと (引用者の抄訳、意訳)、
社会的距離は、社会の異なる集団(different groups)の間(あいだ)
のそれであり、場所的な、空間的な距離とは相容れないもの。
ですから、この概念は、社会階級、人種、民族性、ジェンダー性差
などにおける差異を包括する、と解釈されます。
社会心理学的・社会学的文献では、
ⅰ) 情緒的な社会的距離/affective social distance;
有名なBogardus式 Social Distance Scaleは、
社会的距離の主観的-情緒的距離の概念化の調査です。
例えば、集団の成員がどれほどの同情を他の集団に
感じるか等、情緒性に焦点が絞られています。
ⅱ) 規範的な社会的距離/normative social distance
規範的カテゴリーに視点が置かれます。
’身内/insider'と’余所者/outsider・foreigner’の
区別に関する規範、或いは、’us/我等’と’them/彼等’
による社会的距離(の尺度)、つまり、社会的距離の
非-主観的、構造的側面に着目します。
ⅲ) 相互行為的な社会的距離/ interactive social distance
集団間の相互行為、或いは、社会的距離は、集団の成員が、
他の集団の成員と相互行為すればするほど、親しくなると
いう相互行為の頻度(frequency)と親密さ(intencity)
に関して仮定、実証されます。
ⅳ) 文化的な、習慣的な社会的距離/cultural and
habitual social distance
人々が保有する資産/capitalによって決まる社会的距離
などについての調査。
以上、
社会的距離を巡るWikipedea上に記載の論文(一部抄録)の概要
ですが、この概括を瞥見する限り、私達の主題、<間(ま)と距離>に
直接的な関連性は、殆ど認識されないような感じを拭い去ることは、
難しいように見えます。
そこで、少し、視角をずらしての考察、検討を試みることに致しましょう。
つまり、それは、上掲の社会的距離への第三番目のアプローチ:
相互行為的な社会的距離へのアプローチへの注目を意味します。
このアプローチを、敷衍しつつ、捉え返しますと、つまり、
集団のレヴェルを個人のそれに置き変え、社会的距離を個人と個人
の相互行為のそれと想定しますと、 相互行為の頻度と親密度は、
2人が、コンタクトを持てば持つほど、会えば会うほど、2人の間
(あいだ)は、親しくなり、社会的距離の頻度と親密度は増大すると
想定されます。
頻度とみ増大し、マキシマム/最大限にまで達した時、
どうなるでしょうか。
例えば、恋人達の喧嘩。 会えば、会うほどコンタクトの頻度が増す
程、親密さはその限度を超え、喧嘩は、華々しくなって行くようです。
状況は、反転します。 悶着、軋轢、葛藤、対立...
あれ程恋い焦がれ、楽しかったのに...
そして、疎遠の訪れ。
好きなのに、一緒に居ることが重く感じる、疲れ、鬱陶しい、
もう会いたくない。
コンタクトの時間が減り始めます。 相互行為(社会的距離)の頻度が
減少し、その分親密さも減り、 結果として二人の間(あいだ)は、
疎遠となります。 付き合いは、ますます遠退き、親密さはいつの間
にか、疎遠から無感動、無関心へ、
対人関係性は終焉を迎え、別離の時が...
以上の状況下では、
そのような状況の解決、解消の方法として、<間>の概念、延いては、
間(ま)・距離の構成過程の想定の導入は、如何なものでしょうか。
2人の間(あいだ)での相互行為の頻度と親密さが過剰になり過ぎた
場合、或いは、その反対の場合、
いずれにせよ、今までとは異なる次元の社会的距離の想定、即ち、
間(ま)・距離の構成、間(ま)を置くこと、距離を置くことが、’焦眉の
問題’となるでしょう。
間(ま)・距離の構成には、様々な手法があり、本文(«<間>と距離»
の第Ⅵ節、間(ま)・距離の構成過程の具体的な手法)において、提示
されています。 曰く(仔細は)、離隔、静観、無為、撤退、譲歩、忖度、
微調整‥など。
例えば、恋人同志の場合、
その相互行為の頻度と親密度が、過剰であれば、離隔と言う手立て
が必要となるかもしれません。
‹離隔›が行使されますと、 本人に依る場合であれ、第三者の介入であれ、
二人は、暫くの間、直接会わない、顔を合わさない、直接的な接触を
避ける、連絡を絶つ -- これは亦、‹無為›、‹無化›の手法です。
このことは、社会的距離の尺度(測定)から見れば、頻度と親密度が
マキシマムからミニマムへの移行を意味し、且つ、社会的距離(の尺度)
に、’間を置く、’ ’距離を置く’こと、即ち、間(ま)・距離の構成が必然的
成り行きとなるでしょう。
その結果(所産)として、‹冷却化›が生じます。
‹冷却›は、二人を、自身と相手の行動を見詰め直し、、‹客観化›へ
導き、新しい未来の開示を可能にするでしょう。
それは、二人の間(あいだ)の相互項をリセットし、新しい社会的距離
の設定を示唆します。 つまり、相互行為の頻度と親密度の測定
で云えば、適度な頻度と適度な親密度、 <間>の概念から云えば、
その究極の姿、<ほどほど/不即不離・付かず離れず>の距離を
意味します。
ですから、 相互行為の二人は、
適度な
によって、悶着、軋轢、葛藤、対立‥などから解放され、平穏な、
平和な世界が訪れることでしょう。
多分、一寸、退屈な。
心配無用です。 これは、嵐の前の静けさ。
又候(またぞろ)、波瀾の幕開け。
人と人との付き合い。 対人関係性は、生き物。 力動的過程。
<間>の概念で再想定される社会的距離は、そのための不断の努力
を伴います。
2人は、新しい次元の社会的距離の登場に立ち会うことになり、
そして、又候...
以上が、筆者の社会的距離を巡る私見です。
聊か、’我田引水’に過ぎる感じで、大変恐縮ですが、
如何でしょうか。
。
」
*
。