団野 薫
 団野 薫
  

                     共感 と  自立/自律
 
 
                     目次
 
            
             Ⅰ  共感
                    ーー   ⅰ)  辞典的概念
 
                          ⅱ)  感情移入
                                投入と投射
 
                          ⅲ)  一体感
 
 
             Ⅱ  自立/自律
                      ーー ⅰ)  依存と独立
 
                          ⅱ)  孤独とプライバシー
 
                          ⅲ)  対立
 
                          ⅴ)  そして、成熟した⊰共感⊱
 
             Ⅲ  補遺:関連語句
 
                      ーー ⅰ)  共鳴; 共生; 物のあわれ
 
                          ⅱ)  同情; 同感; 同意; 同調
 
                          ⅲ)  和して同ぜず; 付和雷同;
 
                               野次馬; 烏合の衆
 
 
 
 
                         序             
 
  現代社会では、若い世代の人々の付き合い、対人関係は、浅く、薄い。
 
  泡沫のように、儚い、シャボン玉のように壊れやす・・・ 
 
                        と評されることがあるようです。 
   
                                   多く見受けられます。
 
  コミュニケーションの取り方が、相手への繊細な気遣い、相手を傷つけないように、
 
  傷付けられないようにという細やかな心配りにあることが基調になっているから
 
  のようですが、 このことは、決して、悪い事でもなければ、
 
                               間違ってもいないでしょう。
    
     むしろ、お洒落で、洗練された雰囲気すら感取されます。
 
  それなのに、何か物足りない・・・  と苛立っている向きがあるのも事実でし。
 
  それも、一理ある、その通りと想われるのです。
 
     ”何か”が、欠如、欠落しているからです。 それは、端的に云って、
 
           共感。
 
    若い人々との間で、共感が 十分に、意識、看取されないことが、物足りなさ、
 
  批判の的になっているのでしょう。
 
     対人関係的世界では、
 
   共感は、<間>の根底・基底に存在すると想定され、その成立・継続の契機でも
 
  あると考えられます。 ですから、共感に根差さない<間>は、脆弱。
 
  対人関係上の<間>は、共感 に依って立つ時こそ、成熟・充実したものになる
 
  でしょう。
 
         因みに、
 
         <間>に関しては、既に、たの機会 (前掲拙稿 ≪ <間>と対人関係 ≫
         において、幾つかの角度からその解明を試み、更に、<間>の置き方・
         取り方、或いは、維持・構成の必要要件として呼吸法と気感覚(=超感覚)
         を取り上げ、考察・検討しました (拙稿 ≪ 呼吸(法)と気感覚、そして
         <間>≫ )ので、
 
  本稿では、共感 について ーー 究極的には、私達の主テーマ: <間>の解明を
 
  想定しつつ、歩を進めて行きたいとおもいます。
 
                今一度、お付き合いくださいますように。
         
 
 
 
                      Ⅰ    共感
 
  先ず、共感 の辞典的解釈(語釈)の探索から始ましょう。
 
           広辞苑*に拠りますと:
 
                     ____________
 
                      * SHARP電子辞書(PW-AC920;製造番号
                        OMO144457)に所収。
                         因みに、本稿で使用される辞書・辞典は、
                        全て、同電子辞書に所収されているものです。
                              ご了承下さるように。
                                   ___________
 
 
 
             きょう₋かん
 
             【共感】
 
             (sympatyの訳語)他人の体験する感情や心的状態などを
 
             自分も全く同じように感じたり理解したりすること。 同感。
 
               「__ を覚える」  「__を呼ぶ」  ⇔ 感情移入
 
 
 
  更に、ブリタニカ国際大百科辞典を調べますと、
 
  共感 の項目は、無く、代わりに、共感行動 が記載されていました。
 
 
             きょうかんこうどう
 
             【共感行動】
 
             〔sympathetic behavior;  sympathetic action 〕
 
              対人関係んの交渉場面で、相手と一体感をもち、相手と同一の
           
             感情状態を保ちながら、同一ないし類似の行動をすること。 相手と
 
             の交渉が進み、相手に対する知識が増すことによって、あるいはなんら
 
             の共通のシンボルを媒介とすることによって、このような行動の発現
 
             の程度は、増大する。 特に、群衆が情緒的な興奮状態におかれた
 
             場合、その行動は共感行動の特質を帯びる。
 
 
   以上2種類の辞典の解釈を分析・検討しますと、
 
   共感 の特色として:
 
 
            *  他者との心的状態 (感情・思慮など)の同一性/同一化;
 
            *  同一/類似の行動の表出;
 
            *  一体感の保持
 
            *  共通のシンボルの媒介
 
            *  知識の増加 (と相手への理解)
  
                                  が挙げられます。
 
  ここでは、上掲の特色そのものの浮き彫りを試みるまえに、今少しの間、
 
     共感 を巡る疑義・疑念について考察しておきましょう。
 
  お気付きのように、広辞苑では、共感は、その語釈の冒頭に、(sympathyの訳語)
 
  と注記されています。  ブリタニカ国際百科辞典でも、共同行動 は、ーー 英語の
 
  言語として ーー sympathetic behavior ; sympathetic action と紹介されて
 
  います。
 
    そこで、この言葉:  sympathy をジーニアス和英辞典で調べますと、
 
     
            sympathy
 
                      〔原義:共に(sym)苦しむ(path)こと (y)  cf. antipathy. 〕
 
                      ーー 名〔詞〕
 
             ❶〔人・事への〕 同情。 思いやり ; 悔み
                   
                       (以下割愛)
             
            ❷〔人・事などへの〕 共感、共鳴、; 同意 ; 支持、支援。
 
 
   sympathy の意味説明は、同情から支援まで、いろいろ多岐に渡っていますが、
 
  第一義的には、同情が選択されてよいでしょう。 換言すれば、sympathy には、
 
  同情という訳語が与えられ、一般化・日常化され、良く普及していると云うことです。
 
   けれども、
 
  この言葉は、共感 とは、意味的にも、語感(=ニュアンズ)的にも、少し齟齬が看取され
 
  ますので、ここで、ちょっと飛翔して、広辞苑による 共感 の末尾に注記されている
 
  感情移入 を検索してみますと、
 
 
            かんじょう₋いにゅう
 
            【感情移入】
 
            (einfühlung ドイツ) リップスの心理的美学の根本原理。
 
            対象や他人のうちに自己の感情を投射し、それを対象のものと
 
            みなす構えを指す。
 
 
  ブリタニカ国際大百科辞典では、
 
 
            かんじょういにゅう
 
            【感情移入】
 
            〔empathy ; Einfühlung ; objection of moi 〕
 
            他人の身振りや表情、あるいは芸術作品などの人間の諸表出や自然
 
            対象を把握するとき、自己の内的感情を対象の側に移入し、それが
 
            対象に帰属するものとして体験する場合の心的活動をいう。この活動
 
            が最も純粋で完全な形で行われるのは美的感情移入であり、ドイツの
 
            T.リップス、J.フォルケルトらはこの概念を中心にして感情移入美学
 
            を樹立した。
 
 
   ところで、
 
  上掲のブリタニカ国際大百科辞典の説明冒頭で、感情移入の原語は、empathyと
 
  記載されています。
 
   そこで。改めて、ジーニアス和英辞典へ戻りますと、
 
 
          empathy
 
          〔心〕 感情移入、共感、共感的理解 ;  〔言〕 視点。
 
          用例 : 
      
                            * empathy for the novel 's main charcter
 
                    小説の主人公に対する感情移入
 
                             * in empathy with ・・・
    
                     ・・・ に共感して
 
  少し簡略過ぎるようですので、更に、OXFORD現代英英辞典を見ますと、
 
 
          empathy
 
                   the ability to understand another person's feelings,
 
                    experience, etc.
           
         
                       〔 他の人の感情や体験などを理解する能力 〕*
                             
             (用例)
 
              * the writer's imaginative empathy with his sight
   
                                    〔 書き手の主人公に対する想像的共感 〕
 
                            * empathy for other people's situation
 
                   〔 他の人々への共感 〕
                      ___________
 
                        * 角括弧: 〔 〕 内の和文、つまり、翻訳は、
                          全て、引用者/本稿筆者によるものです。
                          以下では、全て同様です。
                            ご了承下さい。
                                   ___________
 
  
   共感 は、広辞苑、ブリタニカ国際大百科辞典を通じて、sympathy (=同情)を離れ、
 
  感情移入 という訳語を受けて、empathy に至っています。
 
   換言すれば、共感 は、感情移入 /Einfühlung ; empathy と同義語的に、且つ、
 
  同一線上に在ると解釈されますが、本稿では、感情移入 よりも 共感 をempathy
 
   の訳語として位置づけたと想われます。 このことは、追い追い説明する予定ですが、
 
  先ずは、共感 をempathy に相当する用語、或いは、簡明に、共感=empathy と
 
  ご記憶下さい。
 
    ところが、
 
  empathy (=共感 )は、〔他人の気持ちや体験などを理解する能力 (イタリック部分、、
 
  引用者)〕 とOXFORD 現代英英辞典では語釈されています。
 
  では、理解(する) とは?
 
                        広辞苑に拠りますと、
 
          り‐かい
 
          【理解】
 
          ① 物事の道理をさとり知ること。 意味をのみこむこと。
 
             物事がわかること。
 
          ② 人の気持ちや立場がよくわかること。
 
               「関係者の __を求める。」
 
          ③ 〔哲〕 了解② に同じ。  (イタリック、引用者)
 
 
  語釈③(下線部分)に注意が惹かれますので、念のため、了解 を検索しますと、
 
 
          りょう‐かい
       
          【了解】
 
          ①さとること。 会得(えとく)すること。 また、理解して認めること。
 
            諒解。 「__を求める」  「暗黙の__」
 
          ②〔哲〕 (Verstehen ドイツ)  デルタイでは、文化的産物kを
 
           心的生活の表現」と見て、その内的意味を感情移入や追体験
 
           によってとらえること。 精神科学・解釈学の根本方法とした。
 
           了解しつつその可能性を企てていくものと見て、了解を人間の
 
           本質構造として定位した。  理解。
 
 
 
  更に、ジーニアス和英辞典へ進みますと、
 
         
                    りかい 【理解】
 
              understanding
 
                    理解(すること) ; ≪正式≫ 見解。解釈
 
           comprehension
 
                     ⇨ understanding は、言葉、感情、文化などいろいろな物事を理解
 
          することをいい、広く使える。 comprehension は、主に、離されたり、
 
          書かれたりした言葉を理解することを云う。
 
                  〔以下割愛〕
 
 
  ジーニアス和英辞典では、
 
     
          understanding
 
                   ①理解(すること) ; (個人的な) 見解、 解釈。
 
                   〔用例割愛〕
 
          ②理解力、 知性 (intelligence) ; 思いやり
       
             〔用例〕
    
           She showed (a) deep understanding toward me.
 
                         彼女は、私に深い理解(/思いやり)を示した。
 
          ③〔・・・に関する/・・・するという〕
 
            a)合意、相互理解
 
            b)〔・・・との〕  (非公式な、私的な) 取り決め、協定 ;
 
                 (暗黙の)了解事項 〔with, between〕
 
              ーー 「形」  (・・・に関して) 理解力のある、分別のある;
 
             理解〔思いやり、同情心〕のある (sympathetic )
 
                             用例:【understanding】
 
              * an understanding reply
 
                                 思いやりのある返事
 
              * You're so understanding.
 
                                   君は、ほんとうに話が分かるね
 
              * Your soft spot is that you are too understanding.
 
                                    君の弱点は、物分かりが良すぎることだよ
 
 
  以上の 理解 についての語釈を瞥見しますと、
 
  理解 は、大別して、2種類の意味を内包するとみられます。
 
   第一義のものは、広辞苑に記されていますように、「物事の道理をさとr知ること。」
 
  さとり知ることが、物事の道理の解明と察知であるならば、本稿での関心からは
 
  外れますので、第2番目の語釈が注目されてよいでしょう。
 
   それは、「人の気持ちや立場がよくわかる」 こと ーー 簡潔に云えば、
 
  〈思いやり〉の心です。
 
     そこで、思いやり を、広辞苑で調べますと、
 
   
          おもい‐やり
 
          【思い遣り】
 
          ①思いやること。 想像。
 
          ②気の付くこと。 思慮。
 
          ③自分の実に比べて人の身について思うこと。  相手の立場や気持
 
            を理解しようとする心。 同情。
 
                    「 __ のある人」
 
 
   思いやり の語釈③に、「自分の身に比べて・・・」 と記されていますが、この「比べる」は、
 
  比較や競争を示す言葉/意味ではないようです。 
 
    そこで、 再び、広辞苑を検索しますと、
 
 
          くらべる
 
          【比べる】
 
          ①二つ以上のものについてその差異や優劣をみる。 照らし合わせる。
 
          ②力を出し合って優劣、勝負を試みる。 競争する。
 
          ③(自分の気持ちと相手の気持ち)を繰りあわせるの意から)
 
            心を通わせあい、親しくつきあう。
 
 
  比べる は、ここでの文脈関係では、その意味解釈③が、丁度、思いやり の語釈③
 
  に相当すると見えます。
 
 
  以上の語句・語釈を踏まえますと、
 
   思いやり は、何よりも先ず、相手の気持や意思を、思い、察しながら、それらを
 
  自身の心に通じ合わせる、と云う 感情移入 の心的過程と解釈され、この過程から、
 
  相手の立場や気持を理解しようとする心が浮き彫りされるとみてよいでしょう。
 
   因みに、
 
  英語 (文化)の慣用句に、” put oneself into the other's shoes " という表現が
 
  ありますが、直訳すれば、”他人の靴に自身を置く” となります。
 
   もう少し熟れた翻訳は、と、ジーニアス英和辞典の英和成句検索で、shoe の項を
 
  調べますと、「(人の身になってみる」 と説明されていました。
 
     更に、OXFORD現代英英辞典を覗きますと、
 
 
            shoe
 
                       「IDIOM」
 
                       be in sb's shoes | put yourself in sb's shoes
 
                         * to be in, or imagine that you are in another person's
 
                            situation, especially when it is as unpleasent or difficult
 
                            one
            
 
              〔 「熟語」
 
               対象者の立場にいること | 対象者の身になること
 
                 * 貴方が、他の人の状況にいること、或いは、〔そのように〕
 
                   想像すること、特に、それが深いなものや困難であったり
 
                   する時に。
                           
 
 
   英語の慣用句の” to put yourself into sb's shoe ”(=「他人の身になる」)は、
 
  従って、思いやり のより日常的表現であり、同時に、その根幹を成すものと云える
 
  でしょう。
 
   理解 は、思いやり の心に他ありません。 そして、共感 には、このような 思いやり
 
  が不可欠なことを、ここで、特に、強調・留意しつつ、次の関心事へ移ることに致しま
 
  しょう。
 
   共感 を、empathy の語釈として位置づけた際に、感情移入 という概念を外し
 
  ましたが、共感 の’ 何か(本質) ’ を知ろうとする上で、この概念を度外視する
 
  わけには行かないようです。 何故なら、感情移入 への考察は、共感 を特徴づける
 
  最も有効な方法、そして、共感 の内実そのもの、内容を物語る主要条件だから
 
  です。
 
   このことを詳らかにするために、
 
  もう一度、この概念、感情移入 へ立ち還って、その検討を試みましょう。
 
   そこで、先ず、暫定的に、感情移入を、対象(物/者)に対して当事者が、自身の気持や
 
  思いを投射し、それを対象自身に帰属するものとして感受・把握する心的過程/現象
 
  として再確認しますと:
 
    この過程/現象は、対象へ投射した事故の感情や意思の自己自身への還帰という、
 
  いわば、ブーメラン (boomerang ) 的効果を見せるもの。 極端な見方をすれば、
 
  対象本来の姿を超えた、或いは、離れた、全く異なる色付け、脚色も可能となります。
 
 
     例えば、 路傍に咲く菫(スミレ)さんの場合、
 
      ’ まあ、 こんな処に ・・・ ’
 
  山間の岩陰にひっそりと、ではなく、 車達が轟音を響かせながら、行き交うアスファルト
 
  舗装路の裂け目に、ひっそりと佇んで、可憐な、胡蝶のような形の、紫色の花を
 
  咲かせていました。
 
     ’ 大変ネ・・・ ’
 
   私は、そ本当に健気で、ひたむきに生き貫いている姿に、深く感動し、同情しました。
 
   この同情は、感情移入 のブーメラン的な自己投射 /還帰の型(/タイプ)といえる
 
  でしょう。
 
    私が、そこに咲いている菫さんを、’ひっそりと佇んで、健気に、直向きに・・・ ’
 
  と見ているだけのことですから、これは、私が、私の創作したシナリオに、個人的に、
 
  一方的に感動しているだけ、ということです。
 
    菫さんの側は、どうでしょうか。
 
   ’ 偶々、芽生えた場所が、この舗装路の橋の裂け目で、 仕方がないから、 ここに、
 
  咲いているだけのことなのよ ’ ーー と、冷静な、冷淡な反応かもしれません。
  
  でも、これすらも、私の創作シナリオですから、やはり、自己投射・還帰型の 感情移入
 
  の領域でしょう。
 
    対人関係の世界へ戻れば、
 
  ’人が好い’ 人は、周囲の人々は皆、’人が好い’ と  ーー  実際は、そうとは限らない
 
  にも拘らず ーー  感じる傾向が強いようです。このことは、本人が、自身の性向を、
 
  他人(対象)へ投げ掛け、それを他人に本来的な帰属性として感取している結果生じた
 
  ものといえるでしょう。
 
       他方、 
 
  共感 には、上掲に検討しました感情移入 =ブーメラン的自己投射・還帰型とは、少し
 
  異なった、というよりも、真逆の心的過程/現象が認められます。
 
   共感 は、広辞苑に拠れば、「他人の体験する感情や心的状態、或いは、人の本来の
 
  主張を、自分も全く同じように感じたり理解したりすること (本稿前掲)」 と説明されて
 
  います。
 
   このような語釈を、敢えて、恣意的に解釈しますと、他人(対象)から、つまり、他人
 
  の本来の姿、対象の存在そのもののありのままを、直接自己本人の心へ取り入れる
 
  という把握が出来ると想われます。 ですから、共感は、他人(対象)への感情移入、
 
  即ち、投射 ばかりではなく、他人(対象)から、他人(対象)の意志を自己へ取り入れる、
 
  或いは、投入する心的過程/現象といえるでしょう。
 
      例えば、1つの事例をスケッチしますと:
 
 
             ::  写真家の巨匠のお話  ::
 
 
      ’被写体に惚れなければ・・・ ’
 
   ’惚れる’ と云っても、それは、日常世界のそこここに目撃される異性への思慕や
 
   メロドラマで演じられる根知愛を意味するものではありません。
 
   もっと奥深い心の動き。 感情移入の受動的な投入の型と見做されます。
 
    被写体のありのままの姿を、その被写体を取り囲む環境・背景も含めて、自身
 
  (写真家)の内(心)に取り入れ(惚れて)、それを写真に写し出し、投映し、作品
 
  として制作するということ。  その境地に到達することが、写真撮影の傑作や大家
 
     を誕生させると云うことでしょう。
 
          もう1つの事例を、
 
 
 
           :: とあるギャラリーで ::
 
   
    とあるギャラリーの個展(絵画展) へ、何気なく立ち寄った時のことです。
 
  思わす、「壺が、素晴らしい!」 と云ってしまいました。
 
       ーー  絵そのものよりも描かれている壺の方を褒めてしまったのでした。
 
   「 その壺は、」 と画廊主の方は、「然る高名な陶芸家の作品です。」と 説明
 
  して下さいました。
 
   私の感動は、、その壺のありのままを直接受けた (感動した)印象を語ったもの
 
  でしたし、画家の方も、壺のありのままの素晴らしさに打たれて絵筆を取られたと
 
  想われます。
 
   このことは、感動する絵には、’物語’を創作したり、或いは、潤色・捏造したりする
 
  必要がないことを意味します。 対象を、そのまま、あるがまま、直接自己に取り入れ、
 
  感受すれば、それで、十分なのです。  この時、私にも、そして、多分、画家の方にも、
 
  投入のメカニズムが働いていたと見てよいでしょう。
 
   以上のように考えますと、感情移入 は、その主要契機、移入から、投射が剥ぎ取られ、
 
  投入が登場します。 これらの対照的な2種類の共感的過程/現象を、能動的投射 と
 
  受動的投入 と区別、名付けたいと想います。
 
    つまり、
 
  能動的投射 は、人(B) → 対象(A) → 人(B) と、人から対象、対象から
 
  人へと意識が移し入れられます。 一方、受動的投射 では、意識は、対象(A)
 
  → 人(B) と働きかけられます。
 
   ここで、
 
  いままでの 感情移入 をめぐる考察・検討を概観しますと、
 
  能動的投射 は、従来の 感情移入 と相当します。 ですから、ブーメラン的効果を
 
  有します。自ら、積極的に対象へ働き(感情/意思を移し入れ)、対象と同じになります。
 
  いわば、同一(化)現象。
 
   この時の注意事項は、対象に対して、脚色、潤色、或いは、独り善がりな発想、
 
  想像、幻想、粉飾、フィクション、偽作、等が生じる可能性が危惧されるということです。
 
   思いやりや勘違い の結果、対象の本来の姿 ーー ありのまま ーー との間にも
 
  普及し、やがて、全てが、共感 からは、ほど遠い存在になるといえるでしょう。
 
   他方、
 
  受動的な感情移入、或いは、受動的投入 では、人は、自身の感情/意思を抑制、
 
  心的活動を一時停止し、己れを虚無にし、白紙状態に置きながら、相手の気持や
 
  思いを、そのまま、受け身に感受し、こちら側(の心)に取り入れます。 つまり、
 
  自己への他者の感情(・意思)投入です。
 
    例えば、貰い泣きの場合、
 
  貰い泣きは、「他人の泣くのに誘われて泣く (広辞苑)」 こと。
 
  悲しい体験談を語る人の涙を見て、「思わず、〔貰い泣き〕する (広辞苑)」 こと。
 
   この場合、人は、他者の気持、即ち、悲しみを自身に取り入れ、、自らの悲しみ
 
  として感じますが、その人には、元々、その悲しみの感情は無く、中立的か白紙状態。
 
  それが、相手の悲しみを甘受し、取り込み、相手と同じ悲しみを同じを体験すること
 
  になります。
 
   このような 感情移入 の 受動的投入 の型は、解がの感傷の場合にも認められて
 
  よいでしょう。 つまり、解がの鑑賞に関しては、上掲のように、ブリタニカ国際大百科辞典
 
  で、美的感情移入が紹介されていますが、これは、感情移入 の 能動的投射 タイプ。
 
   けれども、
 
   受動的投入 も、また、絵画鑑賞の際の1つの方法のように想われます。
 
  ということは、それが、鑑賞者が、自身の側から、対象(絵)に対して感情を映し入れる
 
  のではなく、絵画の側から、立ち現れてくる ’何か’ ーー つまり、画家の感情/意思の
 
  表現、或いは、絵画の魅せる雰囲気などを、鑑賞者が、そのまま・ありのまま 感受し、
 
  自身の心に深く、印象づけられるからです。
 
    そして、もし、鑑賞者が、その絵の醸し出す精神世界と1つになることが出来れば、
 
  絵との 一体感 を感取することが出来るでしょう。 更に、一体感が達成された場合、
 
  共感 の出現を俟つことが出来ます。 その結果、絵は、鑑賞者にとって、名画となる
 
  ことでしょう。
 
   ところで、
 
    美術作品は、絵画であれ、壺であれ、じっと眺めていますと、
 
  楽しい時には、楽しそうに、また、悲しい時には、悲しい気持に、その表情や雰囲気を
 
  変化され、こちら(鑑賞者)の喜びや悲しみを共に分かち合ってくれる、と云う体験談・
 
  感想を見聞きしますが、このような心的過程/現象は、従来的な感情移入のそれと
 
  見てよいでしょう。
 
   ですから、美術鑑賞には、感情移入 の 能動的投射、或いは、受動的投入 か、
 
  という二者択一的選択肢は、不必要。  その作品と鑑賞者のその時々の状況に
 
  よって、どちらの方法でもよく、多分、より適切な方法が採用されれば、結構なことと
 
  云えるでしょう。
 
       もう1つの事例を、
 
 
            ::  マネの絵 : 《 草上の昼食 》  ::
 
 
   マネ(Manet, Edouard;1832~1883 )の≪草上の昼食≫をご覧になった
 
  ナポレオン三世(Napoleon III;1808~1873)、
 
    ’ なんという恥ずべき、けしからん絵だッ ’ と激怒なさったとか。
 
  それは、水浴みの後の若い娘が、何故か、一人だけそのままの姿で、草上に
 
  座って着衣の紳士方と昼食を取っている姿が描かれたものだったのでした。
 
   ナポレオン三世は、多分、≺受動的投入≻型の感情移入の故に、絵の中の若い
 
  娘のそのままの姿を、ありのまま感受、自己投入なさって、それが、皇帝の羞恥の
 
  感情を激しく刺激、激怒なさったのでしょう。
 
    時代は下がって  ーー
 
                   米国の某月刊誌に載っていました’笑い話’。
 
   《草上の昼食》 の絵の前て、暫く眺めていた小さな坊や。
 
    「 ママ、ピクニックの時って、いつも誰か、忘れ物をするんだね!」
 
            ーー 確かに、若い娘は、着装すべきドレスを’忘れ物’したようです。
 
  この坊やの感嘆は、能動的な感情移入、即ち、能動的投射。 彼は、自分で
 
  ピクニックの物語を想像・創作して、それを絵に移し入れ、関心、首肯したのでしょうから。
 
 
   上掲の事例は、どちらも 共感 が作動したようには、見えません。 絵と鑑賞者の
 
  間に一体感の欠如 が、指摘されてよいでしょう。
 
   そこで、これから、この’一体感’についての探索に入りたいと思いますが、その前に、
 
  追体験 について、この概念は、感情移入 と関わりを持つと推察されますので、
 
  いま少し検討しておきましょう。
 
      
           つい‐たいけん
 
           【追体験】
 
           (Nächerleben  ドイツ)
 
           他人の体験をあとからなぞり、自分の体験のようにとらえること。
 
 
  ジーニアス和英辞典では、
 
 
           ついたいけん
 
           〔追体験〕
 
           「派」  追体験する
 
            relive
 
                      (過去の時代・体験などを) 再び経験する。 (想像によって)
 
            追体験する。
 
 
    更に、 OXFORD現代英英辞典を調べますと、
 
 
            relive
 
                      to experience sth agai especially in your dreams
 
                        * He redlives the horror of the crash every night 
 
                           in his dreams.
 
                       〔特に、想像であること・ものを再び体験する。
            
              * 彼は、毎晩夢の中で、衝突の恐怖を追体験した。〕
 
                            
    追体験 は、個人的なものと対人的なものの2種類が区別され得るようです。
 
  前者は、個人の体験の記憶を呼び覚まし、それに従って、その体験を自らに再現
 
  する場合、例えば、子供の頃の楽しい、懐かしい情景を回想し、心(想像)の中、
 
  再体験する等。  けれども、これは、個人が、個人内的に、過去の出来事を再現、
 
  再体験する追体験であり、感情移入 の範疇には入らないと考えられます。
 
    感情移入 と同様に見做され得る追体験は、その対象として相手 (=他者)が
 
  存在すること、つまり、対人的であること。
 
    人は、自身の体験ではなく、他者の体験を、想像しつつ、倣い(ならい)、 真似
 
  (まね)ながら、自身の体験として再現する心的過程・現象として捉えられます。
 
  この場合、人は、他者が感じるように感じ、見るように見て、考えるように考えます。
 
  ということは、他者の心を自身の内に取り入れるということなので、感情移入 の
 
  受動的投入 と見てよいでしょう。
 
 
     閑話休題
 
   追体験への寄り道には、終止符を打って、ここで、もう一度、共感 の意味内容に
 
  ついての考察・検討を概要して置きましょう。
 
    共感 は、感情移入 と同義語的訳語と捉え、更に、能動的投射型と受動的投入型
 
  の2種類に区分・分類しました。 前者は、人が、自身の感情/意思などを相手(他者)
 
  に投げかけ、相手に帰属するものと感受する心的過程・現象。 後者は、相手の心的
 
  状態を、ありのまま、そのまま、自己に受け取り、取りいれるものと想定、その根底には、
 
  思いやり (’他人の身/立場になる’ 心)が、息づいていると想定しました。
 
   因みに、
 
  共感 と 感情移入 は、語訳的には、不分明、明瞭さを欠き、かなり曖昧な印象を与え
 
  続けている感があります。そこで、改めて、共感 に纏わる意味解釈・訳釈を再吟味、
 
  整理し、よりふさわしい選択を求めたいと思います。
 
    重複するようですが、
 
  広辞苑を振り返りますと、
 
  共感 は、その語釈の冒頭に、(sympathy の訳語)と記載されています。
 
  ブリタニカ国際大百科辞典でも、同様に、
 
  共感行動 の項目の下に、〔 sympathetic behavior ; sympathetic action 〕
 
  とあり、どちらも、共感=sympathy という捉え方がされています。
 
   けれども、他方、
 
  共感 は、広辞苑を見ますと、その語釈の末尾に、矢印 ⇨ と共に、類語として
 
  感情移入 が付記されています。
 
   感情移入 の原語は、広辞苑では、 Einfühlung.
 
   ブリタニカ国際大百科辞典では、 empathy; Einfühlung; objcetion de moi の
 
  順で、empathyが最初に揚げられ、更に、ジーニアス英和辞典では、empathyの
 
  見出し語の下に、感情移入、共感、共感的理解と連なります。
 
   共感 は、ですから、
 
  共感=sympathy として翻訳・訳語され、それから、共感、或いは、類語として、
 
  感情移入 として紹介され、その原語は、empathy= Einfühlungとして括られます。
 
   これらの概念を sympathy ー 共感 - 感情移入 - empathy=Einfühlungt
 
  として整序し、さらに、簡略化して、sympathy, 感情移入, Einfühlung を除外して、
 
  共感=empathy として把握出来ると考えてよいでしょう。
 
    感情移入 は、心理学/精神医学的専門用語として落ち着き、sympathy は、その
 
  訳語を 共感 ではなく 同情 として市民権を獲得したようです。
 
  一般的に見ても、日常世界は、共感 の方が、感情移入 よりも、より親しまれ、気軽に
 
  使用されているように見受けられます。
 
 
 
             ::   ハリウッド映画  ::
 
 
    古く、懐かしい映画を鑑賞する機会を得ました。
   
  オードリー・ヘップバーン主演の≪パリの恋人≫(パラマウント社、1957) です。
 
  見覚えあるシーンは、2つ、3つ。  見た筈なのに、見なかったのかしら・・・
 
  と心細くなるほどの’記憶喪失’ 振りには、我ながら、驚き、呆れましたが、けれども、
 
  それ以上に驚いたことは、
 
    オードリーとフレッド・アステア (相手役) の会話の中でempathy という言葉が
 
  噴出し、さらに、耳慣れない empathist という言葉までもが飛び出していたという
 
  ことでした。 しかも、映画のストーリーそのものが、このempathy の概念を軸に展開
 
  され、empathists の集合の場面は、カルト (cult ) 風の雰囲気を漂わせていました。
 
   1950年代のアメリカでは、empathy という心的現象が、一部の人々を魅了して
 
  いたらしいことを改めて知りました。
 
    字幕では、empathy には、共感。 empathist には、共感主義者の訳語が
 
  流れていました。
 
    
  以上の寄り道をも踏まえて、
 
   本稿では、共感=empathy で考察・検討を進めて行きたいと想います。
 
  共感 という訳語は、日本人の精神性/心情に、何故かぴったりな感じがあり、まさに、
 
  適訳といっても過言ではないでしょう。 けれども、empathy (=共感)の接頭語、
 
  em は、〔in, into; ~の中に、へ〕 を原義として、今まで不問に付していたこの
 
  共 について、暫く、吟味してみましょう。
 
    共 は、広辞苑に拠れば、
 
 
           とも
 
           【共】
 
           ①いっしょ。 同時。 同一。
 
 
 次いで、関連語句、ともに、 と、 一緒  も調べますと、
 
 
          ともに
 
           【共に、 倶に】
 
          ①ひとつになって。 いっしょに。 相連れて。 同じく。
 
          ②同時に
 
 
           いっしょ
 
           【一緒】
 
            (ひとまとめの意)
 
          ①区別のないこと。 同一。
 
          ②行動を共にすること。  相伴うこと。 連れだつこと。
 
          ③時を射お同じくすること。 同時。
 
 
  更に、ジーニアス和英辞典では、
 
 
           ともに 【共に】
 
           ①〔一緒に〕
 
              together
 
                           共に。 一緒に。  協力して。
 
              with
 
                          〔随伴、同伴〕 ・・・と共に、  ・・・ と一緒に ;  〈人〉の家に
 
              together with O
 
                            ・・・ 共に;  ・・・に加えて
 
               along with O
 
                            〈人〉といっしょ  
 
                      〔以下割愛〕
 
           ②〔同時に〕
 
               with
 
                             〔同時・同程度〕  ・・・と同時に、 ・・・につれて
 
                「派」 共にある
 
               remain
 
                            〔人と〕 共にある  〔with, to〕 共にする。 参加する 〔in, with〕
 
 
   with が、頻出していますので、念のため、この前置詞をジーニアス英和辞典で引き
 
  ますと、
 
             with
 
                    ①〔随伴・同伴〕 ・・・と共に、 ・・・と一緒に ;  〈人〉の家に
             
               〔以下割愛〕
 
 
  共に に関連する語釈は、上掲のみで、ジーニアス和英辞典と同じものでした。
 
    以上の瞥見から、共に という語句・語釈の意味合いには、同じ/ 同等/ 同時など
 
  同一性 が浮き彫りされますそればかりではなく、注目すべき点は、共に が
 
  いっしょに( 一緒に ) ーー 英単語では、 with, together  を含蓄すること
 
  です。
 
   ということは、共感 は、亦、「いっしょ(一緒)に 〔在る〕 」 と感じることを意味するに
 
  他ならないと見てよいでしょう。 そして、一言付け加えますと、今日では、この 共に
 
  が、一緒に という意味の印象/語感によって親しまれ、この意味で、共感 が、殊更、
 
  使用される傾向があるように見受けられます。
 
    それから、もう一言。
 
  共感 の 共 の意味内容を検討しました際に、同じ、つまり、同一性、或いは、同時生
 
  という特色が浮き彫りされましたが、この特色は、sympathy の接頭語、sym に
 
  関わり、その語訳、 同情 は、また、適訳と思われます。
 
   一般的にも、sym-pathy, 即ち、 同情 と理解されているようです。
 
     
       ここで、一つの提案をさせて下さい。
  
  共感=empathy を、co-pathy と表現する方が、より適切、相応しいのではない
 
  かしらと想われることです。   如何でしょうか?
 
   因みに、
  
  より詳しく co- と」いう接頭語をジーニアス英和辞典で調べますと、
 
  
           co-
 
                     共同 (の、で)、  共通 (の、に)、  相互 (の、に);
 
           同程度 (の、に) 《主に母音、h、gn、wの前で使う → com≫
 
 
   更に、OXFORD現代英英辞典で検索しますと、
 
 
          co-
 
                   prefix ( used in adjectives, adverbs、nouns, and verbs )
 
                   together with
 
                    * co-produced
 
                    * cooperatively
 
                    * co-auther
 
                    *  co-exist
                      
 
                       〔 共-
 
              接頭語 (形容詞、副詞、名刺、そして動詞において用いられる。)
 
                * 共同生産
 
                * 共 〔協〕 同的に
 
                * 共同執筆者
 
                * 共存する  〕
 
  つまり、
 
   co- は、 共 を率直に意味づけていると見えますので、共感=empathy ではなく、
 
  共感=co-pathy として把握することも一案ではないか、と想われるのです。
 
    とはいうものの、
 
   実際に、共感=empathy を、 共感=co-pathy に置き換える勇気は無く、
 
  結局、従来通りに、共感=empathy で歩を進めて行くことに致しましょう。
 
 
    閑話休題
 
  本稿の最初の節で、
 
   共感 の ’何か (本質) ’  を問うために、諸辞典を検索し、そこで採取した語釈を
 
  頼りにしつつ、その解明を試みた際に、 一体感 に辿り着きました。 この心的
 
  過程・現象は、いうまでもなく、共感の主要特色であり、主要構成素の1つとして想定
 
  されます。 そこで、これから、この 一体感 を巡って、いま少し、詳察して参りましょう。
 
   そのために、
 
   ちょっと煩わしい事かも知れませんが、亦、暫くの間、感情移入 の再吟味へ立ち還る
 
  ことに致します。
 
   先ず、感情移入 の原語/原義を再考しますと、
 
   Einfühlung の Ein は、1。  Fühlung は、感情。 1 は、1体、或いは、一体tも
 
  解釈出来ます。1 (=一体) + 感情=一体感情、即ち、一体感 と直訳・意訳
 
  出来ると想われます。
 
      先ず、一体 という語から探って見ましょう。
 
                      広辞苑に拠りますと、
 
       
          いっ‐たい
 
          【一体】
 
          ①一つのからだ。  同一体。
 
          ②一つになって分けられない関係にあること。  同類。
 
              「家族が__となって働く」  「渾然__」 「__化」
 
              「三位__」
 
                      〔 以下割愛 〕
 
 
  渾然一体(イタリック部分)を、特に、注意を引きましたので、調べて見ますと、
 
 
          こんぜん‐いったい
 
          【渾然一体】
 
          〔朱喜、太極図解〕 あらゆるものが完全にまざり、解け合って
 
           一つになっているさま。 「__となる」
 
 
  因みに、 渾然 を見ますと、
 
 
          こんぜん
 
          【渾然】
 
           ①異なったものがまじりあって、とけ合っているさま。 混然。
 
               「__たる融合」
 
           ②  〔割愛〕
 
 
   更に、一体 の関連語の幾つかを検索しますと、
 
 
           どう‐たい
 
          【同体】
 
          ①同じからだ。 一体になること。  「一心__」
 
           ② 〔割愛)
 
 
          いっしん‐どうたい
 
          【一心同体】
 
          異なったものが一つの心、同じ体のような強固な結合をすること。
 
               「夫婦は__」
 
 
          どう‐しん
 
           【同心】
 
          ①同じ心。  同意。  
 
               〔引用例割愛〕
 
          ②心を同じくすること。 心をあわせること。 また、その人。味方。
 
               〔以下割愛〕
 
 
          いたい‐どうしん
 
          【異体同心】
 
          身体は別でも心が同一なこと。
 
 
  一体 という語は、その関連語の語釈を加味・吟味しますと、少し恣意的な解釈になり
 
  ますが、「一つになる}、乃至 同一性 が識別・抽出されます。
 
   同一性 を取り挙げますと、  広辞苑に拠れば、
 
 
 
          どういつ‐せい
 
          【同一性】
 
           (identity)
 
                    ①一般に、二つ以上の相異なる事物をその性質の共通性の故に、
 
            その点では相互記別できないこと (質的同一性)。
 
           ②狭義では、事物がそれ自身に同じであること (自己同一性・
 
            数的同一性)。  特に、人格が自己として一貫することをいう。
 
 
 
  ジーニアス和英辞典では、簡単に、同一性 identity とのみ記載されているだけでした。
 
  それで、ジーニアス英和辞典を調べますと、
 
 
           identity
 
           ①本人であること。  同一物であること ; 自己同一性
 
             帰属意識、(自己の)存在証明、いきていた(ている)証(あかし);
 
                  〔以下割愛〕
 
           ② (割愛)
 
           ③〔・・・と)同一である 〔類似している)こと、
 
              一体性、〔・・・との〕同一性〔with〕 ; 一致点。
            
                 〔以下割愛〕
 
 
   個々での関心 ーー 一体 の概念解明 ーー と照らし合わせますと、
 
  この英単語 identity の語釈は、選択肢①よりも、③が該当すると想われます。
 
   ということは、同一性/同(類)似性/一体性と等価的、或いは、同義的に連鎖すると
 
  解釈されてよいでしょうので、一体 は、同一性/同似性 と意味づけることが出来る
 
  でしょう。
 
   注目すべき点は、同一性/同似性です。
 
   そして、ここでの 同一性 は、同時性 を含蓄するということです。 それは、
 
  例えは、一卵性双生児のように、寸分違わぬ一致ではなく、むしろ、同様性 が
 
  指摘されます。
 
   広辞苑では、共感 は、「他人の体験する感情や心的状態、あるいは人の主張などを
 
  自分も全く同じように感じたり理解したりすること (イタリック部分引用者)」と語釈
 
  されています。 同じように は、同様に ということであり、全く は、 完全に、
 
  或いは、完全な一致 ではなく、同様性 を強調する語句と考えられます。
 
   他人が考えるように考え、他人が感じるように感じること。  このような 同様性
 
  (/同似性) の心的過程・現象が、一体性 の第一の構成素といって差し支えない
 
  でしょう。
 
   一体性 は、このように 同様性 を内包していますが、更に、既に指摘されて
 
  いますように、 融合 も意味します。
 
                  広辞苑によりますと、
 
 
           ゆう‐ごう
 
           【融合】
 
           ①とけて一つになること。  とかして一つになること。
 
           ② 〔生〕
 
            ㋐ 細胞・核などが合一すること。 核融合・細胞融合など。
 
            ㋑ ⇨ 合体と同じ。
 
 
           がっ‐たい
 
           【合体】
 
           ①二つ以上のものが一つになること。 合同すること。
 
              「公武__」
 
           ②心を一つにすること。
 
                〔以下割愛〕
 
 
  更に、関連語を調べますと、
 
   
           とけ‐あう
 
           【解け合う】
 
           ①互いにへだたりがなくなる。 互いにうちとける。
 
           ②   (割愛)
 
 
           とけ‐あ‐う
 
           【溶け合う】
 
           2種類以上の物質がとけていりまじり、一つになる。
 
 
  融合 は、2種類以上のものが、隔たりをなくして、一つになることと括ることが出来る
 
  でしょう。
 
   対人関係の世界に移調しますと、
 
  融合 は、自身と相手(他者)との間 ーー 自他の間の隔たり、或いは、差異/相違の
 
  壁が消滅・消滅した 自他の融合 を意味します。 そして、 その結果、「一つになる」
 
  のです。
 
   融合するのは、心。 自身と他者の心、 つまり、心的融合 せす。
 
  一体性 は、この 心的融合 を含蓄すると見てよいでしょう。* 
 
  
              _____________
 
               * この意味で、一体性 は、一心性 と表現した方がより
 
                 相応しいようにもみえますが、この場合の 一体 の 体は、
 
                 人間の身体を指すのではなく、むしろ、「かたち。 形式。
 
                 形態。(広辞苑、たい【体】 の語釈 ②)」 と見做されます。
 
                  つまり、一体は、一つのかたち/形式/形態 という 一体
 
                 といっても差し障りはない、と想われます。
 
                              ____________
 
 
  ところで、
 
   融合には、身体と身体の精神的融合が考えられますが、
 
  物理的/身体的結合ならば、1(身体)+1(身体)=2 (身体)となります。
 
   一方、精神/心的融合は、1(心)+1(心)=1(心)となります。  1となるのは、
 
  心と心が、解け合い、溶け合い、融合するので、1(心)となるのです。
 
    「一つになる」心的世界の出現です。
 
  ここで、
 
    「一つになる」 とは、どういうことなのかを検討して見ましょう。
 
  一つ、即ち、ひとつ とは、
 
                    改めて、広辞苑をひいてみますと、
 
 
          ひと‐つ
 
          【一・一つ】
 
          ❶数としての1.  いち。
 
               〔以下割愛〕
 
          ❷物事を一体としてとらえていることを表す。
 
           ①二つ以上のものが一緒になって区別できないこと。
 
                    〔引用例割愛、以下同様〕
 
           ②すべて。 全体。
 
           ③同じであること。
 
           ④共にすること。
 
 
  「一つになる」 の 一つ:ひとつ の意味説明では、❷-① の語釈が、最も端的に
 
  物語っていると看て取れます。
 
   では、
 
      「一つになる」の なる は、どうでしょうか。
 
           引き続き、広辞苑を調べますと、
 
 
          なる
 
          【生る・成る・為る】
 
          現象や物事が依然に変化して息、そのものの完成された姿をあらわす。
 
          ❶ 無かったものが新たに形ができて現れる。
 
           ①動植物などが生ずる。 うまれる。
 
           ②草木が実を結ぶ。
 
           ③  (割愛)
 
           ❷別の物・状態にかかわる。
 
           ①以前と違った状態・内容にかかわる。
 
           ②ある状態に至る。
 
           ③行為の結果、完成する。
 
                 (以下割愛)
 
 
   以上の語釈から考慮しますと、ここでの関心、 心的融合 に関わる限り、
 
  「一つになる」の なる は、 成る が採用されてよいでしょう。 その意味内容は、
 
  変化 (する); 完成 (する)という2つの契機が含蓄されているようです。
 
   生る (なる) も、融合からうまれるとみても差して違和感はありませんが、
 
  語義・語釈:「動植物などから生ずる (広辞苑)」 ということからみれば、
 
  「一つになる」ことは、 成一性 ーー 恣意的な造語ですが ーー  と把握しても
 
  よいと想いました。 そして、ここで、 成一性/「一つになる」ことの意味内容についての
 
  吟味は、一先ず、為し得たと考えましょう。
 
   そうしますと、融合=成一性 を、心的過程・現象と捉えてきていますので、次には、
 
  心 とは? という難問が浮上してきます。
 
                広辞苑に拠りますと、
 
 
          こころ
 
           【心】
 
          (禽獣などの臓腑のすがたを見て、コル(凝) またはコルルといった
 
          のだ語源か。 転じて、人間の内臓の通称となり、更に精神の意味
 
          に進んだ)
 
          ❶人間の精神作用のもとになるもの。 また、その作用。
 
           ①知識。感情。意志の総体。 「からだ」に対する。
 
               (引用例割愛、以下同様)
 
           ②思慮。 思惑。
 
           ③気持。 心持。
 
           ④思いやり。 なさけ。
 
           ⑤情趣を解する感性。
 
           ⑥特別な考え。 裏切り、あるいは晴れない心持。
 
          ❷  (比喩的に用いる)
 
                〔割愛〕
 
          ❸ ①心臓。 胸。 むなさき。
 
           ②ものの中心
 
 
  こころ (心)の語釈は、少し多岐に渡り過ぎているようなにので、もう少し簡潔な
 
  解釈を、と探しますと、ジーニアス英和辞典のheart の見出し語の下に;
 
 
          heart
 
                   ①心臓; 《文》 胸部  《外来形容詞 cardiac》
 
          ②a)(喜怒哀楽などの感情の宿る)心《知性・理性の宿る心は
 
             mind, 魂の宿る心はsoul 》、 感情、気持、精神;
 
             魂 《形容詞は、hearty, cordial 》
 
                 (以下割愛)
 
 
   心的融合 の 心 は、
 
  heart の語釈②-a)、 つまり、「(喜怒哀楽などの感情に宿る)心」に落ち着くと
 
  見てよいでしょう。そして、広辞苑の語釈では、❶の②~④のそれらに該当すると
 
  想われます。
 
   端的にいって、それは、”他の人と同じように感じる、他の人が喜べば、喜び、
 
  悲しめば、悲しむ”という成文に、最もよく表現されていることが指摘されます。
 
  同情、同感 も挙げられます。
 
   一方、
 
  mind としての 心は、「知性・理性が宿る心」 として説明されています。 ので、
 
  このタイプの 心的融合 は、認識や知識、思考や思想などに関わる心的成一性
 
  と考えられます。 例えば、意見/主張の一致、思想の一致などを意味します。
 
  熟語としては、同意 を挙げておきましょう。
 
  ということは、
 
   心 は、mind よりも、heart を包含すると結論づけられてようと考えられます。
 
  けれども、この結論に達した途端、躓きを覚えました。
 
  というのも、これまで吟味してきました 心的融合 は、 heart ではなく、mind を
 
  想定したものだったことを覚醒したからです。
 
   そこで、急いで、OXFORD現代英英辞典へ立ち戻り、mind と heart の違い
 
  がどのように解説されているか、を調べましたら、
 
 
          heart
 
                  【PART OF BODY】
 
          1 the organ in the chest that sends blood around the body,
 
                     usually on the left in humans.
 
                    
            〔【身体の部分】
 
             1 体中に血を送る、胸の内にある期間で、人間では、普通、
 
               左側にある。〕
                       
 
            【FEELINGD AND EMOTIONS】
 
             3 the places in a person where the feelings and emotions
 
                           thought to be , especially those connected with love
 
                              * She has a kind heart.
 
                              * Have you no heart?
 
                              * He returned with heavey heart ( = sad ).
 
                              * The story captured the hearts and minds of a
 
                                 generation.
 
                                    〔以下割愛〕
 
              
                〔 【感情と情動】
 
                  人のなかで、感情や情動が在ると考えられている処、
 
                  特に愛情に関して。
 
                   * 彼女は、優しい心の持ち主だ。
 
                   * あなたは心があるの?
 
                   * 彼は、重い心(=寂しい思いで)戻ってきた。
 
                   * その物語は、世代の心と気持を捕らえた。 〕
 
                           
           一方、mind を検索しますと、
 
     
            mind
 
                     【ABILITY TO THINK】
 
           1 the part of a person that makes them able to be aware of
 
                        things, to think and feel
 
                          * the conscious / subconscious mind
 
                          * She was in a distubed state of mind.
 
                          * I could not have complete peace of mind before
 
                             they returned. 
 
                            
                             〔 【考える能力】
 
                 1 物事に気づき、考え感じることができる、人の部分
 
                  * 意識的/無意識的な心。
 
                  * 彼女は、動揺した精神(心の)状態にあった。
 
                  * 私は、彼らが帰ってくるまで、とても穏やかな気持
 
                   (/心)でいられなかった。〕
 
                           
            2 Your ability to think and reason ; your intelligennce ;
 
                       particular way that sb. thinks
 
                          * to have a brilliant / good / keen mind
 
                          * I've no  idea how her mind works.
 
                          * He has the body of a man and the mind of a child.
 
                     〔用例は一部のみ抜粋〕
                      
 
                        〔2 思考し、推論する能力; 知性; 主体の考える特定の方法
 
                          * 輝かしい、良い、鋭い心〔知性〕
 
                * 彼女の考え方が全く分からない。
 
                * 彼は、身体は大人だが、精神は子供だ。 〕
 
                         
 
                     【INTELLIGENT PERSON】
 
           3 aperson who is very intelligent.
 
                           * She was one of the greatest minds of her generation.
 
                    4  Your thoughts, interests, etc.
 
                           * Keep your mind on your word.
 
                           * Her mind is completely occupied by the new baby.
 
                           *  The lecture dgragged on and my mind wandered.
 
                                   〔以下の用例割愛〕
 
          
 
             【知的な人物】
         
             3 非常に知的な人物。
 
                * 彼女は、彼女の世代の最も秀でた精神〔心〕の持ち主です。
 
             4 思考、関心など
 
               * 仕事に集中せよ。
 
               * 彼女の心は、完全に新らしい赤ちゃんで占められていた。
 
                  〔夢中になっていた。〕
 
               * 講義は、だらだらと長引き、私の心は、取り止めがなくなった。〕
 
 
<address>            【MEMORY】</address>
 
             5 your ability to remember things
 
                            * when I saw exam questions my mind went blank.
 
                              (= I could'nt remember anything.)
 
 
                            * Sorry ― your name has gone right out of mind.
                        
             
 
             〔 【記憶】
 
              5 物事を記憶する 〔想い出す〕能力
 
                * 試験の設問を見たとき、頭が真っ白になった。
 
                * ご免なさい ーー 貴方の名前を全然想い出せない。〕
 
 
 
    以上のOXFORD現代英英辞典の語釈/用例から抽出できる結論は、heart と
 
  mind は、 ジーニアス英和辞典における語釈、つまり、 「heart は、感情に」、
 
  「mind は知性・理性に宿る」というそれに相応するとみられ、heart では、感情・
 
  情動が、 mind では、思考力、意志、知性や記憶が優勢になるようです。
 
   けれども、
 
  それ以上に、heart  と mind の意味内容は、重なり合い、相互に混同され、
 
  その相違は、判別し難いと云わざるを得ないように想えます。 ですから、
 
  本稿では、心 の内容を、heart  と mind を合わせた精神状態として想定する
 
  ことにしました。
 
      心 = heart + mind  ということです。
 
 
   閑話休題
 
  ちょっと回り道をしてしまいましたが、本題に立ち還って、これまでの考察・検討を
 
  踏まえますと、
 
   一体感 の 一体(性) は、心 という精神的次元の 同一性/同似性 の構成素から
 
  成立していることが明らかにされました。 が、この理解に加えて、更に、もう一つ
 
  の要件 ーー 必須ではなく、つまり、それがなくとも、一体感 は生起・出現はします
 
  ので、いわば、随伴的なものなのですが ーー 物理的次元の身体的動き、身体的
 
  接触が指摘されてもよいでしょう。
 
   ということは、いままで 心 (heart ; mind)に、心を奪われ過ぎて来た感がある
 
  ということですので、このような精神的な 心的融合 に対して、身体的な動き、例えば、
 
  動作、仕草などが大きな役割を果たすことを見逃してはならないということです。
 
   具体的な事例として、猫の兄弟の場合をスケッチしてみましょう。
 
 
            ::  弟猫ちゃん  ::
 
   
    弟猫は、何かといえば、お兄ちゃん猫の後追いをします。
 
  鳴き声は、お兄ちゃんと同じ調子。 声の質も音域も違っている、にも拘れず、です。
 
  (お兄ちゃんは、バリトン、 弟は、ハスキー・ヴォイス。)
 
  歩き方も、歩く姿勢が同じ。 同じ歩調。 体型は、お兄ちゃんは、がっしり、 
 
          弟猫は、細身なのに、です。
 
   動作も、ちょっと振り向く仕草、何気なく立ちどまる姿は、まるでお兄ちゃんそのもの
 
  のよう。  何もかも、お兄ちゃんの真似でした。
 
   といっても、よく見れば、お兄ちゃんの動きと’完璧な一致’ではなく、飽くまでも、
 
  弟猫は、似たような、同じような、 同似性、同様性 の行動の重複をしているのでした。     
 
  けれども、それは、外観上だけの 同似性、 同様性 ではなく、弟猫は、 
 
  お兄ちゃんの動作や仕草の真似を通じて、お兄ちゃんと 「一つになって」 いた
 
  のでした。 お兄ちゃんと心を一つにしてお兄ちゃんになったように感じているように
 
  みえました。
 
   心的融合 は、物理的身体的次元の行動模倣で、一層強化されたと想われます。
 
  他にもあります。
 
       人間世界の事例を挙げましょう。
 
 
 
           ::  ステージ と 客席  ::
 
 
   ’ ステージと客席が、ウァ~ と湧き上がって、一つになる、あの一体感は、
 
  譬えようようもなく素晴らしい・・・ ’  舞台に立つ歌手、役者の方達の、このような
 
  感動・感想をメディアを通して見聞きします。
 
     TVの映像で見ました。
 
  一体感 を盛り上げるためでしょうか。 歌手は、大きく音頭を取って、言葉で、動作、
 
  客席を鼓舞しますと、また、彼の音頭に調子を合わせて、彼と同じように手を振り、
  
  リズミカルに足を踏み鳴らし、身を揺らせていました。
 
   このような一連の動きが、繰り返されるうちに、歌手と客席の障碍は消え、溶け合い、
 
  「心が一つになる」 瞬間(とき)が訪れ、会場は、熱狂の坩堝と化しました。
 
   歌手の手振り、身振りの呼び掛けに、客席が手振り、身振りで呼応し、皆で、
 
  会場全体が同じ身体的/物理的動きを繰り返すことが、精神的な 心的融合 を
 
  成立させる重要な契機となっているとみることが出来るでしょう。
 
   更に、別の例解を:
 
 
           ::  人馬一体 ::
 
  
   この成句の人と馬が、一体 になって駆けるという意味は、人が馬上の鞍の上に
 
  乗っているだけではなく、馬と共に、 ーー  馬と気を合わせ、呼吸/息を合わせ、
 
  人と馬の心が解け合い、「一つになる」 ことを意味すると想われます。
 
   このような≺一体性≻ は、身体の触れ合い、手で撫でる・・・ 等の 触覚/皮膚感覚を
 
  通じて、更に、超皮膚感覚 も動員されて、生起すると想われる物理的次元からの
 
  ものと云えるでしょう。
 
   昔、物の本で読んだことがあります。
 
     米国西部のどこかの田舎町。
 
   カウボーイの時代は、もうとっくに終わりを告げ、車社会。
 
  元カウボーイのご老体が、彼の車を指しながら、’こいつが、ガソリンを欲しがる
 
  もんで ・・・ ’  とまるで愛馬と話をしているかのようだったという一文を目に
 
  しました。
 
   私は、愛馬と暮らす ’古き、よき時代’ を失った老カウボーイの哀愁を深くしました。
 
    でも、今では、愛馬も愛車も、根底では同じなのかも・・・ と想っています。
 
  どちらの場合も、一体感 で結ばれているということですでしょうから。
 
    いわゆる、’車好き’の人々は、運転中は、’人車一体’ の心境を体験するようです。
 
  人が、車との 一体感 に浸れるのは、車への濃やかな世話(整備・修理)が大切
 
  な動機となっているように見受けられます。 車は、最早、単なる無機質な鋼鉄の
 
  部分品の塊(全体)ではなく、有機的な、何よりも、人間的な存在に感じられ、
 
  心的な関わりが展開されことになって、其処には 一体感 が生まれ、’人車一体と
 
  なる’ と云えるでしょう。
 
     ところで、
 
   いままで、一体感 の 一体(性) について考察・検討して来ましたが、
 
  最後に、一つ疑問が残りました。
 
    一体感 の 感 は、何を指して意味しているのでしょうか。
 
        このことについて暫く考察・検討を続けてみたいと想います。
 
  感 には、感情 と 感覚の 感 が想起されます。
 
  振り返りますと、感情移入 の原語、ドイツ語のEinfühlung の  Fühlung は、
 
  感情 を意味しますので、この線からすれば、 一体感は、一体感情 と把握されても
 
  よいはずです。
 
    そこで、 感情 を、広辞苑で調べてみますと、
 
  
          かん‐じょう
 
          【感情】
 
          ①喜怒哀楽や好悪など物事に感じて起こる気持。
 
                「__ を害する」  「__がたかぶる」
 
            ② 〔心〕 精神の働きを知・情・意 にわけた時の情的過程全般を
 
              指す。 情動・気分・情操 などが含まれる。
 
                   〔以下割愛〕
 
 
  感情 は、知情意 の 情 に関わるという説明ですので、一体感情 は、情緒的な
 
  意味合いが、より強く感取されます。
 
   他方、もう一つの 感 の意味する 感覚 から、 一体感 を、一体感覚 として
 
  捉えて見ますと、先ず、 感覚 は:
 
   
          かん‐かく
 
           【感覚】
 
             (sensation ; sense )
 
          ①光、音や機会的な刺激などを、それぞれに対応する受容器が受けた時
 
            に経験する心的現象。視覚・聴覚・味覚・嗅覚・皮膚感覚・運動感覚・
 
            平行感覚・内臓感覚などがある。
 
          ②物事を感じとらえること。  また、その具合。 
 
             「美的___」  「__が古い」のような感じである意。
 
          ③(接尾語的に) あたかも・・・ のような感じである意。
 
               「 ゲーム__で学習する」
 
 
  一体感覚 の 感覚 は、上掲の語釈のなかの②と③に関わると想われますが、
 
  今少し漠然としていますので、更に、ジーニアス英和辞典で、 sense を調べますと、
 
 
          sense
 
             ❶感覚、(五感の各) 感覚 《形容詞はsensitive 》
 
                  〔用例割愛、以下同様〕
 
          ❷〔a/the~〕 〔・・・という〕   感触 (sensation)
 
 
                    ❸〔に対する〕認識力、判断力、センス、・・・感 〔of 〕 《形容詞は
              sensible》
 
           ❹〔する〕 良識、思慮分別 〔to do 〕 ( cf. common sense,
 
                         horse sense )
 
                    ❺〔one's ~s〕 正気、意識、本心
 
           ❻〔通例 a ~〕 (語・文など) 意味、意図、趣旨
 
           ❼〔しばしば否定文で〕価値、意味、効果
 
           ❽《正式》 〔the ~ of 〕 (集団/会などの) 意向、見解
 
 
   sense の語釈は、5官的 感覚 から始まってかなり広範囲に渡ってリスト・アップ
 
  されていますが、此処での関心からみれば、❷~❹の項目が注視されます。
 
   一体感 は、情緒的色彩の強い、一体感情 を超えて、知・意のそれにまで包み
 
  込み、網羅していると想われます。 この意味で、一体感情 の方が、一体感 を、
 
  より適切に表現しているとも考えられますが、原語 のEinfühlung 〔=一(ひとつの)
 
  感情〕 に倣って、一体感情 を優先させるべきかもしれません。
 
   いずれにせよ、一体感 は、 一体感情/感覚 という感じで収めてよいと想われます。
 
  大雑把に云って、情緒的色彩が強ければ、 一体感情 として、知・意 が勝る場合は、
 
  一体感覚 として把握され得ます。
 
     換言しますと、
 
  感情 と 感覚 のどちらが強調されかは、その都度の状況・環境に依るということであり、
 
  一体感 は、どちらの意味・内容も包含し得ると想定されますので、これからも 一体感
 
  の用語を採用して行きたいと想います。
 
 
   以上で、
 
   一体感 をめぐる考察・検討に一先ず終止符を打ち、本稿の主題: 《 共感 とは 》
 
  へ立ち還って、この概念、或いは過程・現象を概観することに致しましょう。
  
      共感 は、、先ず、感情移入 の 能動的投射 と受動的投入 の2つの種類が
 
  分類され、特に、後者を軸に展開されると考えられました。 つまり、対象(他者/
 
  相手)の精神的や物理的受胎や動きを、ありのまま、 そのまま、感受し、自身の内側
 
  に取り入れ、その際、生じる 同一性 ( 同似性 ・ 同様性 ) から「一つになる」/
 
  成一性 が出現すること。 それが、 一体感 と想定されました。
 
   特に、注意すべきは、
 
  このような心的過程・現象は、共有によって可能になるということです。
 
  つまり、共感 は、その主要構成素、 一体感 の他に、もう一つ、 共有 という
 
  構成素を保有していると考えられます。
 
    そこで、
 
  また、暫くの間、共有 について考察・検討を進めて見ましょう。
 
   この試みに先立って、一言付け加えますならば、 共有 は、共感 の必要要件
 
  ですが、’ 逆は必ずしも真ではない’  ーー  共感 を必要としない、随伴しない 
 
  共有 が存在するということ、です。
 
   以上を指摘しました上で、 共有 を 広辞苑で調べますと:
 
 
           きょう-ゆう
 
           【共有】
 
           ①二人以上が一つのものを共同して所有すること。
 
               「秘密を__」  「__物」
 
 
           ②  〔割愛〕
 
 
  ジーニアス和英辞典を引きますと、関連する派生語の中で、 共有する が、目下の
 
  関心に該当するように見えました。
 
 
           きょう-ゆう
 
           【共有】
 
            「派」
 
           share
 
                     〈 利害・仕事・感情・考えなど〉 を 〔人と〕 (公平に)分かち合う。
 
           〈物〉を分けあう。 (分け隔てなく)一緒に使う 〔with 〕
 
 
 
    次いで、ジーニアス英和辞典を調べますと、最も関連性の高いと想われる語釈❶は、
 
  上掲の和英辞典と同じ内容が記載されていました。 自動詞の語釈としては:
 
 
 
           share
 
                    ー 「自」 〔SV(M)〕 〈人が〉〔・・・を/人と〕 分担する、共にする;
 
           共有する、 分かち合う 〔in/with 〕
 
 
  更に、 
 
       OXFORD現代英英辞典へ進み、一部のみ抜粋しますと、
 
 
           share
 
                     【FEELINGS/IDEAS/PROBLEMS】
 
           4 ~ (in ) sth/ ~sth ( with sb )
 
                     to have the same feelings, ideas, experiences, etc. as
 
                     sb else
 
                          * They have common interest in botany.
 
                          *  People often share their views with their parents.
 
                          *  a view that is widely shared
 
                          *  I dinn't really share her love of animals.
 
                          
                〔 4 何か (を) ~ 〔共有〕 | (相手と)何かを~
 
                〔共有する〕
 
                相手と同じ感情、アイディア、体験などを持つこと
 
                 * 彼らは、植物学で共通の関心をもっている。
 
                 * 人々は、しばしば、彼らの両親と見方を共有した。
 
                 * 広く共有されている見方
 
                 * 僕は、とても彼女の動物愛を分かち合えなかった。
                        
                                                      
 
             5 ~sth (with sb ) to tell other people your experiences,
 
                         and feelings
 
                            *  The two friends shared everything  ーー they had
 
                                 no secrets.
 
                             *  Would you like to share your experience with the
 
                                 rest of the group?
 
                       
             〔 5 貴方のアイディア、体験を他の人々に告げるために、何か
 
               あるものを(相手と)~〔共有する〕
 
               * 二人の友達は、全てを分かち合った ーー 彼等には、
 
                  秘密はなかった。
 
               * グループの人達とあなたの体験を分かち合って
 
                  頂けますか?
 
 
  共有 は、端的に云って、人々が、何か を 分かち合う / 分かち合う ことを含蓄
 
  すると把握されますが、
 
     では、この 何か とは、何でしょうか・
 
  何か は、 共有 の対象。  そして、この 対象 は、一般的には、物・事、 それから、
 
  人。 共有 は、先ず、その対象との関わり、或いは、対象への 志向 から始まります。
 
   因みに、関わり は、「関係。 つながり。 『事件との__』 (広辞苑) 」。
 
  この語釈では、少し物足りない気がしますので、 ちょっと飛躍を試みて、 志向 へ
 
  移調して、広辞苑で調べますと、
 
 
           し‐こう
 
           【志向】
 
           ①心が一定の目標に向かって働くこと。 こころざし向かうこと。
 
              また、こころざし。
 
           ②〔哲〕 (Intention ドイツ) (「指向」とも書く) 意識は常に
 
              具体的な何者かについての意識であり、意識その何ものかに
 
              むかっていることを云う。
 
 
   志向 は、意識が何かに向かっている心的状態、と理解されます。
 
  共有 に関する ”対象との関わり” は、この 志向 的な意味合いを含蓄すること
 
  を指摘させて下さい。
 
   対象への関わり、 即ち、指向 は、2種類のタイプが分類されます。
 
  無媒介的 と 媒介的。
 
   無媒介的なタイプの 共有 は、 対象は、人そのもの。 人の心 (感情/意思など)。
 
  感情移入 の場合のように、直接、相手(対象)の心的状態をそのまま感受し、取り込み、
 
  自他2人の間で、例えば、喜怒哀楽の感情を分かち合います。 ’共に喜び、共に
 
  悲しみ ・・・ ’ ということです。
 
   自他2人の間の分かち合う (= 共有する ) 媒介物は、不要、無用。 介在物の
 
  入り込む余地は、ありません。 無媒介的で、直接的関わり(/志向)と想定されます。
 
   対象が、人ではなく、人的所産 ーー たとえば、小説、映画、劇画 などでも同じ
 
  です。 主人公に嵌って、あたかも主人公とその場面/シーンを共有し、「一つに
 
  なった」ような気分に浸る時、対象 (主人公) との関わりは、 直接的で、無媒介物
 
  的、また、一方的。  但し、この場合、 共有 は、対象の受動的投入のレヴェルの
 
  関わりと云った方がよいかもしれません。
 
   もう一つの 共有 のタイプは、媒介的、或いは、間接的なタイプ。
 
  自他2人の間に、2人の志向する対象 (=媒介物)が第三極的に存在することが
 
  認められます。
 
   更に、このような 志向 は、双方向的であり、相互性を含蓄します。
 
  ということは、共有  ーー 志向 を内包する 共有 は、何よりも、自他2人が、
 
  それぞれ、同一の対象に志向しながら、その同一対象志向をお互いに認め合う
 
  と云う 相互承認 の心的過程/現象を含蓄します。
 
   相互承認 は、例えば、同じ考え、発想、思想などの持ち主であることをお互い
 
  に気付いている場合、’秘密の共有’も、亦、同じ対象に志向、或いは、分かち合い、
 
  分かち持って、そのことを相互に招致・認識しています。 ここから生起する 一体感
 
  は、強い結束と絆の友情となったり、時には、腐れ縁になったりします。
 
      意気投合の場合も、同じと想われます。
 
 
 
           いき‐とうごう
 
           【意気投合】
 
           気持が合って仲良くなること。  
 
              「初対面で二人は ___した」
 
 
  統合 も調べますと、
 
 
          とう‐ごう
 
          【統合】
 
          二つのものが互いにぴったり合うこと。  一致すること。
 
 
  意気投合は、簡潔に云えば、2人の気持の ’ 調和と一致 ’  と見られますが、
 
  後者の 一致 には、2つの種類が判別されます。
 
   1つは、2人の志向対象、例えば、考えや発想、仕事などが同じであること。
 
  対象志向に 同一性 (/ 一致) を認め合うこと。 意気投合 を伴う 共有 は、
 
  2人の気持が、通い合い、心と心が 「一つになって」 心的融合 を生じる時、
 
  実現します。
 
   共有 の (Ⅱ) タイプの、同一(対象)志向の 相互承認 は、時には、その志向
 
  対象が、潜在的であることがあります。 志向対象の潜在性。
 
    2人の悲しみを分かち合う (=共有)する場合、
 
    この悲しみは、 何か についての悲しみですが、 何か、 すまり、志向対象は、
 
  悲しむ2人の意識(/志向)からは、遠退き、意識下に沈潜し、潜在化して、2人の
 
  悲しみの 相互承認 のみが、大きな比重を占めます。
 
    このような志向対象の潜在化は、悲しみばかりでなく、喜怒哀楽すべての感情
 
  に通じるといえるでしょう。
 
   この種類の 共有 は、共有 のタイプ(Ⅰ)のそれと近似していますので、そこに
 
  編入されてもよいでしょう。
 
   志向対象が顕在的なものも多くあります。  既述のような2人の間で同じ趣味・仕事
 
  などを分かち合う(= 共有 する)場合、志向対象は、顕在です。 分かち合い人数が、
 
  2人以上でも、基本的には、同じ。
 
   愛玩動物の場合、家族全員で、情愛深く、可愛がって暮らすのでしたら、その家族の
 
  志向対象は、そのペット。 顕在的であり、一家の絆を強める役目を果たすでしょう。
 
   スポーツ観戦で、ひいきのチームの奮戦に一喜一憂。
 
  この場合、選手とゲーム(の展)の両方が、観衆にとって、共有 の顕在的な志向対象
 
  となります。  そして、観戦する間に、観戦者/観衆同志が互いにその熱狂振りを
 
  相互承認 し始めると、やがて、全てが、共有感覚的な雰囲気のなかで、「一つに
 
  なる」 と云えるでしょう。
 
    共有 のタイプ(Ⅱ) ーー 同一志向の相互承認 ーー  には、不完全なもの
 
  があります。 つまり、人それぞれが、同じ対象へ関わるだけで、お互いに認め合う
 
   相互承認 が、不在する場合。
 
    例えば、
 
   劇場で映画鑑賞をする時、映画 (志向対象)との関わりは深まりますか、その深化
 
  と共に周囲との関わりは、消失して来ます。 鑑賞者は、映画との 一体感/共感 の
 
  世界に浸ってしまい、鑑賞者同志の 相互承認 は、闇に沈みます。
 
    ですから、友達と一緒の映画鑑賞の場合でも、 相互承認 が、消失するならば、
 
  共有 のタイプ (Ⅱ) の志向対象は、存在せず、 分有 という型になるでしょう。
 
   分有 は、「分けて所有する (広辞苑)」 ことと語釈されてしますので、映画鑑賞
 
  の場合のように、対象が、物理的に分割可能な物ではなく、不可能な、鑑賞と云う
 
  心的過程である場合、映画を観る人びとがそれぞれ独自に志向(鑑賞)するという
 
  意味で、「分け〔合っ〕て所有する」 ということになります。
 
   けれども、
 
     鑑賞者は、 一緒、或いは、共に、映画をみているのでから、この限りにおいて、
 
  不完全とはいえ、(志向)対象の 共有 は存在していると見てもよいかもしれません。
 
  また、映画鑑賞の後に、観想を語り合って、頷き合って・・・ という風になれば、
 
  そこには、 相互承認 が発生し、共感 が正立することはあり得るでしょう。
 
     不完全な、と云うよりも、不在と云う事例をご紹介しましょう。
 
 
            ::  ルミナリエの鑑賞  ::
 
                  ーー  このエピソードは、筆者の個人的な体験です。
 
        
    或る年、 12月も半ば、誘われて神戸・三ノ宮へルミナリエの鑑賞のため、
 
  寒い夕闇に包まれて、街路に佇んでいますと、
 
       急に、大歓声。  ルミナリエの光輝。
 
    それは、イタリアの陽光が降り注いできたような、 赤と緑の電飾/イルミネーション
 
  の興宴でした。   歓声の後は、静寂の訪れ。
 
    人々の集まりは、密集でした。 にも拘らず、喧噪はありませんでした。
 
  不思議な時・空間 ・・・  群衆のなかの一人。 独りぼっち、一人っきり。 
 
  人々は、押し黙ったまま、
 
       煌びやかルミナリエに魅入っていました。
 
   人々の間には、関わりがないのです。 相互承認 も勿論無く、共有 や 共感
 
  の輪は、拡がる気配すら感じない不思議な体験。 人々は、感動を、一人、ひとり
 
  の心のなかに潜め、閉じ込めたまま。
 
    ルミナリエの輝きと煌めきの中で、孤独感は無く、むしろ、一人だけの勇気づけ
 
  られた時・空間。 そして、同時に、それは、鎮魂と祈りのためのものでもありました。
 
  対人関係的世界には、 相互承認 や 共有 そして 共感 すら、必ずしも、なくても、
 
  不在でも、人々は、存在するということでしょう。。
 
 
   相互承認 には  ーー  やはり、不完全なものですが、もう一つの形/ヴァージョン
 
  が認められます。 自他2人の志向対象が不同一、別々 (相違する)のに、2人の
 
  間には、志向の同一性/一致が、 相互承認 される場合。
 
    「 同病相憐れむ 」  という成句を、時々、耳目にします。
 
 
            故事ことわざ&四字熟語〔辞典、SHARP電子辞書所収〕に拠りますと、
 
 
          どうびょうあいあわれむ
 
            【同病、相憐れむ】
 
            「意味」 同じ悩みや苦しみをもつどうしは、互いのつらい気持が
 
            よくわかるから、同情し合うのだということ。
 
            「注釈」 同じ病気を患っている者どうしは、その苦痛が理解できる
 
            ので互いに憐れ合うの意から。
 
            「出典」 呉越春秋
 
 
  上掲の成句を、ここでの関心に絡めて解釈を試みますと、
 
  同じ病気を患った人々は、確かに、同一対象 (同じ病気)の体験者ですが、その
 
  体験は、それぞれ、別々。個別の、個人的なものです。 けれども、その苛酷な
 
  体験、苦痛、辛さ‥等は、体験者の間で 共有 されると云えるでしょう。
 
    何故なら、お互いに、お互いの体験に耳を傾け、語り合うことによって、
 
  相互承認 が導く出されるだろうからです。
 
   或いは、他者の苦痛を目の当たりにして、自身の過去(同病の体験)を想起・重ね
 
  合わせて、同じように痛み、苦しむ場合、また、他者の悲哀を自身には未経験
 
  ながらも、想像しつつ、同じように悲しむ場合にも、 相互承認 は、 生じるで
 
  しょう。
 
   とはいえ、このような心的過程・現象は、むしろ、 感情移入 や 追体験 の次元
 
  での次元での類似的、疑似的な 相互承認 とみられるかもしれません。 やはり、
 
  明白な 相互承認 には、顕在的な対象と志向が必要であり、この要件が、 共有 を
 
  生み出す契機となると想定されます。
 
   ということを以て、共有 に関する吟味は終わりとさせて下さい。
 
  これからは、
 
   前掲事例/エピソードを踏まえつつ、 ーー  前掲拙稿: 《 <間>と対人関係 》
 
  及び 《 呼吸法と気感覚 》 で素描・例解しました事例の幾つかを取り挙げながら、
 
  共感 と対人関係 そして<間> について再考察・再検討を試みたいと想います。
 
                 引き続き、ご通読下さい。
 
 
 
           ::  恋人達  ーー  傷心の娘の嘆き  ::
 
   
   ’ 最初の頃のデートは、ほんとうに楽しかったのに ・・・’
 
   何時の間にか、秋風が吹くようになり、落ち葉が舞い、ころころと転がり散って行く
 
  ように、あれほどぴったり寄り添っていた2人の心も、どんどん遠ざかって行って
 
  しまって、寂寞としたムードに。
 
   この場合、 共感 は、’ 落ち葉と共に散りぬ ’ ということでしょう。
 
  共感 は、2人を結びつける絆の根底にあるもの。  けれども、決して揺るぎない、
 
  不動のものでなければならないものでも、堅牢なものでもありません。 むしろ、
 
  繊細で、儚く、壊れやすい・・・  気が付いた時には、後の祭り。 全て、もう遅すぎ。
 
   ’熱しやすく、冷めやすい ’ 出会いは、其処での 共感 も同じ運命。
 
  もし、そうでなければ、つまり、 共感 が、どんな ’ 艱難辛苦 ’に会おうとも、
 
  2人の間で維持されるならば、恋人達は、一時的な熱愛から、成熟した大人の
 
  (恋の)関係に発展して行くでしょう。
 
 
 
           ::  級友=旧友 との再会  ::
 
   
    彼女達は、学生時代の親友。
 
  一緒に、楽しい時を過ごしました。 勉強に、遊びに、お喋りに、バイトに ・・・ と。
 
  卒業後、夫々別々の人生 ーー キャリア・ウーマンと専業主婦 ーー  を選択
 
  しました。
 
   歳月は、流れ、親友2人の関係は、疎遠になるばかりでした。 
 
  が、或る日、彼女達は、再会。 それは、人生の折り返し点を過ぎようとした頃でした。
 
  2人は、直ぐに打ち解け、昔話に花を咲かせました。 
 
  学生時代、共に過ごした想い出での日々へ戻るのに、時間はかかりませんでした。 
 
  殆ど、あっという間の事。
 
   それは、 共感 が、彼女達2人が、一緒に/共に過ごした想い出と共に、2人の
 
  心の深奥に ’細々と’ ーー  それがどれ程のものなのかは、知る由もありませんが
 
  ともかく ーー  息づいていたからと想われます。
 
     絶えることなく、そして、意識されることも無く・・・
 
  共感 は、 2人の旧友の再会中も、特に意識されることは、ありませんでした。
 
  共感 は、潜在的。  それは、余りにも当たり前なことですので、当事者には、
 
  無意識、或いは、意識下で生じている心的過程・現象でしかないのです。
 
 
 
          ::  同居した姉妹  ::
 
   
   姉妹といっても、別々の人生、別々の暮らしを送っていました。
 
  それが、長引く不況のせいで、やむを得ず、同居する羽目に。
 
   お互いの我(が/エゴ)が、顔を出し、時には、突き出て衝突、小さなトラブルの続出
 
  となりました。 例えば、≺窓際の過程菜園› の件もその一つです。 そこで、何を
 
  育てるかで姉妹の主張は、違いました。
 
   姉は、野菜を、妹は、ハーブ系を、それぞれ提案。 
 
  提案は、強い主張となり、気が付けば、衝突へエスカレート。 危うく全面戦争に。
 
  という一歩手前で、姉妹は、各人の個室へ逃げ込み (退場し)、 激突を回避し
 
  ました。 
 
   衝突は、幾度となく繰り返されましたが、それにも拘らず、修復不能な仲違いに
 
  至らなかったのは、2人の心の奥底に、共感 に依拠する処が大きいと云えるで
 
  しょう。
 
   姉妹の対人関係は、表面的には、刺々しく、話し合いの余地のない程に対立が
 
  昂じても、 共感 は、しぶとく、或いは、健気に生き抜いていたといえます。
 
  この意味で、 共感 は、強靭にもなり得るのです ーー  但し、’ 時には、’ とか、
 
  ’状況によって’ と付帯条件がつきます。 必ず/いつまでも、と云う訳ではない、
 
  ということです。
 
     
 
                         ::   妻の不満・不平  ::
 
 
    妻の一方的なお喋り。  時には、辛口も加えて、止まる処を知らず、
 
                                       延延と続きます。
 
     他方、夫は、‹ 黙んまり戦術 ›。 それで、2人の食事は、当たり前のように
 
   続いているのですから、摩訶不思議、といえば、その通り。
 
    けれども、それは、2人の間に、何ほどかの 共感 が、看取・保持されている
 
  からと想われます。 過去の楽しかった出来事/体験  ーー そんなの今更、
 
  想い出す気にもなれない・・・  と口では、強気の発言でも、’拒絶反応’が強くても、
 
  意識下では、記憶の奥底では、その楽しかった出来事・体験の 共有 が、夫婦の間で、
 
  しっかりと沈潜しているとか、或いは、妻の圧倒的なお喋りの最中にも、夫への気遣い
 
  が見え隠れし、夫の側も、それを、ちゃんと把握しつつ、妻に心を寄せている部分が
 
  あるとか。
 
   いずれにせよ、この場合は、2人の間に 共感 が、顕在・健在 しているようですので、
 
  結果としては、食事は、当たり前のように、平和裡に続けられているのでした。
 
 
 
            ::  呼び込みの声  ::
 
 
     ” いらっしゃい!  いらっしゃい!”
 
   呼び込みの店員の威勢のよい掛け声と賑やかな手拍子に、
 
  人々は、引き寄せられ、店頭に並ぶ商品にあしを止め、店内に吸い込まれるように、
 
  入って行くのでした。
 
   この時の呼び込みと通り掛かりの客達の間には、 共感 とまでは呼び得ないと
 
  しても、一種独特の 一体感 のようなものものが生じていると想われます。
 
  人々は、呼び込みの調子に載せられて、瞬く間に心を奪われ、「心が一つになる」
 
  ようなムードに嵌って、呼び込みの思いのまま行動します。
 
   逆に、呼び込みに失敗した場合、このようなムード作り、つまり、 共感 を呼ぶ
 
  ことに失敗したということになるでしょう。
 
 
 
            ::   離婚した夫妻  :: 
 
 
   妻は、フル・タイムの社長秘書。  いわゆる ’ 手八丁口八丁.' 
 
  家族も、過程も、自分g取り仕切らずには収まらないタイプ。  典型的なかかあ天下。
 
  夫は、気弱で、強気の妻に、押されっ放し。お酒に逃げて、溺れて、真面目に働いて
 
  いた仕事も放棄、結局、破局を迎えることになりました。
 
   2人の間に、 共感 が、たとえ途切れそうになってもなんとか維持されていれば、
 
  そうにはならなかったと思われますが、妻には、夫と 「心を一つにして、」 ’共に
 
  生きて行く’ 心構えが、少し希薄だったようです。
 
   萎えて来る夫への励ましの言葉も、共感 を呼び覚ます処か、彼には、そのまま
 
  心に突き刺さる、辛辣な批判としか聞こえず、ますます落ち込むばかり。 夫妻の
 
  間は、冷たく冷え込み、最終的には離婚ということになりました。
 
    共感 は、最早、何処にも見当たらず、 その姿は消失してしまっていたのでした。
 
 
 
             ::  喧嘩友達  ::
 
 
   2人は、幼馴染みの喧嘩友達。
 
  会えば、暫くの間、談笑していますが、その内、口論・口喧嘩になって、火花を散らし
 
  ます。 もう、’怒り心頭に発す’ の状態で、決裂。 別々の方向に立ち去って行く
 
  のでした。
 
   けれども、次に日には、何事もなかったように顔を合わせ、談笑・歓談。 そして、
 
  亦、その内 ・・・ いつもの ’儀式’が始まります。 2人の間には、顕在的ではないの
 
  ですが、仄かにとは云え、 共感 が健在していると考えられます。
 
   幼い頃、一緒に遊び、悪戯に興じたことなど、色々な思い出、様々な体験(の共有 )
 
  が、 共感 を生み、2人を、心の奥底で深く結びつけているに違いありません。
 
    口喧嘩の最中は、全く姿を消しているかのように見えますけれども、終われば、
 
  その内、顔を出します。
 
    喧嘩疲れには、 ビールやワインが欲しくなるでしょうが、そのような物質的なもの
 
   必要でしょうが、友達関係には、特に、共感 のような精神的な癒しも必要。 この精神的
 
  な癒しを得るには、’心の絆’を取得・回復することです。 この時、必要なのが、 共感。
 
  ’心の絆’は、共感 に在ってこそ成立するのですから。
 
   共感 があれば、例え、どれ程口論に明け暮れても、2人の対人関係=友情は、
 
  いつまでも変わらず維持されるでしょう。
 
   もし、 共感 が姿を現さなかったら、口論は、口喧嘩。そして、一層華々しく過激に
 
  なりやすく、やがて、友情は、決裂へ。 そうなれば、関係修復は、極めて困難。
 
  感情的なしこりのみが残り、何時までも残響したり、また、時間と共に増幅することも
 
  稀ではないでしょう。
 
   共感 を、2人の関わりの何処かにほんの少しでも見出せれば、肯定的な展開も
 
  期待できますが、もし出来なければ、それは、2人の関わりの終焉。
  
       友情には、終止符を打つほうが、賢明です。
 
   そうしなければ、対人関係は、悪化のまま (継続)。 そこには、’犬猿の仲、’ 
 
  ’腐れ縁’ などという最悪の事態が待っていることでしょう。
 
 
 
         ::  有能な演説家  ::
 
 
  有能な演説家は、自信に満ちた態度で、彼の主張を強く訴えます。
 
  言葉や声ばかりでなく、ここぞとばかりに腕を振り上げ、時には、拳を突き上げたり
 
  します。
 
   聴衆は、彼の動作、パフォーマンスや調子/リズムに段々引き摺りこまれ、言葉の一つ、
 
  一つに頷き、首肯し、呼吸を合わせ、心まで合わせて、「一つになり」ます。
 
   このような 一体感 が、演説家と聴衆の間ばかりでなく、聴衆同志の間で生まれ、
 
   感取されるとき、細波のような、小さな 共感 の輪が、次第に、大きなうねりへと
 
   拡がり、演説会場は、熱気に包まれ、最高潮に達します。
 
    スポーツ観戦やコンサート鑑賞でも同じです。
 
   夫々の会場 (スタディアム・ホール)での熱狂も、最初からではありません。
 
  ゲームの勝敗の行方、華麗なプレイ、演奏家・ミュージシャンの演奏ぶりや音頭取り
 
  によって、徐々に盛り上がる中で発酵して行きます。
 
    この時、観衆も、聴衆も全員の心が、同じ様に揺れ、響き合い、共鳴し、やがて、
 
  一つの大きな塊に。 一体感 へ高揚、そして、 共感 が呼び覚まされ、会場は、
 
  大盛り上がり、興奮と熱情が渦巻きます。
 
   
   以上に列挙しました事例/エピソードを踏まえつつ、
 
  対人関係と 共感の関わりを巡って、その要・不要、或いは、在・不在 について考察・
 
  検討して見ましょう。
 
   要 に関しては、 共感が、対人関係の維持・存続の鍵となっている場合、 ーー
 
  上掲の事例のなかで、:: 級友=旧友の再会 ::、 :: 同居の姉妹 ::、妻の不満 ::、
 
  :: 有能な演舌家 ::、:: 喧嘩友達 :: が挙げられます。 そして、共感 があれば
 
  良かったのに・・・ と、共感 の存在が望まれ、望ましいと見られる場合。 この場合の
 
  事例は、 :: 恋人達 ::、:: 呼び込みの声 ::、 :: 離婚した夫妻 ::に素描・
 
  例解されています。
 
   共感 は、対人関係の’潤滑油’ になったり、’補強材’ になったり、でも、なによりも、
 
  その要(かなめ)であると云えるでしょう。
 
   不要の場合、
 
  共感 は、その対人関係にとって、必ずしも、必要ではない、なくても、つまり、共感
 
  抜きでも、対人関係は、維持・継続されると云う場合。 この状況下での対人関係は、
 
  共感 よりも、同感 や 同調 の次元にあると想われます。
 
   更に、 共感 の在・不在 は、この問題を、顕在性・潜在性 に換置すれば、よりよく
 
  なるでしょう。
 
   共感 が、顕在的ということは、熱気、情熱、熱狂など感情/興奮と共に存在すること
 
  (:: 有能な演説家 ::)。 概して、一時的で、短命、長続きしない傾向が看取されます。
 
  勿論、強い絆で結ばれた同志、仲間には、共感 の顕在が印象づけられますが、
 
    この場合も、 また、意外にも様々な制約に阻まれて永遠にとは行かないようです。
 
     他方、共感 が不在の場合。
 
  と云っても、共感 は、潜在しており、はっきりと見えない、不可視的、不可触的で
 
  あり、且つ、周囲はもとより、当事者にも、殆ど意識・感受されない状態であっても、
 
  存在している場合。
 
   その存在は、ですから、微弱。 儚く、繊細で、壊れやすい(:: 恋人達 ::)。
 
  何処かに、、仄かに存在しているかもしれないという程度なのですが、意外にも、
 
  強靭に生き抜き、状況によっては、本人達の気付かないまま、突然現れ、活動すること
 
  もあります (:: 級友=旧友の再会 :: )。
 
   時には、泡沫 (うたかた)のように消え去る場合も。
 
  その人の何気ない、と云うよりも心無い一言が、長年の友情に、致命的な亀裂を入れ、
 
  絶交宣言と云う破局を招いてしまうことがあります。 共感 も破裂。  この時の悔悟の
 
  念は、余人には計り知れないものでしょう。
 
    共感 は、従って、
 
  対人関係の維持・継続にとって、絶対必要条件と云うほどようなものではなく、その
 
  必要性は、どちらかと云えば、相対的。 ’ 無ければならない、’ ’ 有ったほうがよい、’
 
  ’ 無くても支障はない ’ とその都度の状況に応じて、有ー無、 つまり、在ー不在の
 
  間を行き来するもののようです。
 
   とは云うものの、対人関係世界での人々の関わりの意味深さを考えますと、やはり、
 
  共感 の存在なくしては、、人々の関わり、対人関係について物語ることは、殆ど、
 
  不可能に近いと、想わさるを得ないと云えるでしょう。
 
    
   最後に、
 
  本節で試みた考察・検討の全体を、今一度、概要しますと、
 
   共感 は、empathyに対応する日本語の訳語と位置づけ、その特徴を、もう一つ
 
  の訳語、 感情移入 に依拠しながら、解明を試みました。
 
   感情移入 の原語・原義は、ドイツ語の Einfühlung。 その英語訳が、empathy
 
   です。 感情移入 をより詳らかに分析しましたところ、
 
   それは、自己-投射 と自己-投入に分解することが出来、前者は、自己自身(の感情・
 
  意思など) を対象に投げ掛け、それを対象に帰属するものとして感受、感取すること
 
  を意味し、後者は、対象そのものを、ありのまま、 そのまま、 自己自身の内部に取り
 
  入れることを把握しました。
 
   このような対照的な2種類の 感情移入 は、更に、能動的ー受動的 と云う軸に
 
  おいても分類されました。 感情移入 の能動的タイプ。  或いは、能動的投射 と
 
  感情移入 の受湯的タイプ、つまり、 受動的投入 です。
 
   共感 は、その心的現象が、後者の 受動的投入 である場合が、日常の対人関係世界
 
  にとっては、より効果的で、望ましいことも判明しました。対人関係上の 共感 は、
 
  受動的投入 で特徴づけられると云っても過言ではないでしょう。
 
   次いで、共感 の内容、つまり、その主要構成素/要件へ歩を進めました。
 
  それは、一言で云いますと、一体感。
 
   この 一体感 を吟味しますと、3つの (下位-) 構成素が分別されました。
 
   第一のものは、同一性 或いは、同似性/同様性。  他者(/対象)の心的状態と
 
  自己のそれが、同じようなものであることを意味します。
 
   第二は、融合。 これは、同似性/同様性 の心的状態が、自他の間の相違、差異の
 
  障碍(意識)を焼失され、お互いの心が解け合い、溶け合い、自他無差別を実現し
 
  ます。
 
   このことは、第3の(下位-)構成素: 成一性 を示唆します。自他が、「一つになる」
 
  と云う心的過程・現象です。 それは、「一体になる」と云うことと解釈されますが、 この
 
  場合の 一体 は、物理的な身体的結合ではなく、自他の心が一つのかたち、形、形態、
 
  つまり、体 (たい;てい) を取ることとして想定されます。
 
      上記の3つの構成素に加えて、随伴的ですが、身体的行動の同似性・同様性が考慮
 
  されました。  具体的には、模倣や真似です。
 
   更に、 共感 の主要構成素/要件には、一体感 の他に、もう一つ、 共有 が挙げられ
 
  ます。 共有 を把握するために、対象への志向が、注目され、この (対象)志向の
 
  一致 と 相互承認 が、共有 を再律させると云う認識を獲得しました。
 
  (対象)志向には、無媒介的な・直接的なタイプと媒介的・間接的なタイプが識別されます。
 
  (志向)対象に関しては、自他にとって、同じものではない、或いは、潜在的であったりと
 
  云うように、不完全な形を取る場合もありますが、この場合でも、そこには、 相互承認
 
  の存在が確認されれば、 共有 は、正立すると想定されます。
 
   相互承認 が、不在、欠落する場合、 共有 は実現しないでしょう。
 
                         従って、共感 も、実現不可能となります。
 
  共感 は、 共有 を伴う 一体感 によって生み出されると云ってよいでしょう。
 
 
   共感 への探求と云う、一寸うんざりするような長旅へお誘い致しましたが、
 
  簡潔に云いますと、 共感 の根幹(基本原理)は、「他の人と同じように、見て、
 
  感じて、考えること」  ーー 換言しますと、「相手の身(立場)になって・・・ 」
 
  ということに、更には、英言語の慣用句 ” put yourself in sb's shoes " に
 
  尽きます。
 
   このような日常的な云い回しを最後に、本節を、一旦ここで、お仕舞にすることに
 
  致しましょう。
 
 
 
            Ⅱ  自立  /  自律
 
 
  
   人は、その成長過程においては、最初、周囲の大人達、近親者から情愛、庇護を受ける
 
  依存関係に身を委ねます。
 
   けれども、いつまでも、そのまま、そこに留まり、安らいでいる訳ではありません。
 
  やがて、必ずそのような依存からの自立の時機がやって来ます。 それは、亦、自律の
 
  幕開きでもあります。
 
   此処、本節では、私達の主題: 共感 を、この依存ー自立・自律の文脈関係
 
  に絡めて、更に、考察、検討を重ねて行きたいと想います。
 
 
    先ず、 依存 の吟味から始めましょう。
 
               広辞苑を調べますと、
 
            
          い‐そん
 
          【依存】
 
          (イソンとも) 他のものを他よりとして存在すること。
 
            「 親に__した暮らし」
 
 
   少し簡単過ぎる語釈のようですので、次に、ジーニアス和英辞典を検索しますと、
 
 
           いそん
 
           【依存】
 
           dependence
 
                    〔 ・・・ への〕従属、依存(関係); 〔人など〕頼ること 〔・・・ への〕
 
           依存(状態)。
 
           reliance
 
           〔・・・ への〕 依存; 〔・・・ に対する〕 信頼、信用。
 
 
   次いで、ジーニアス英和辞典で検索しますと、
 
  
           dependence
 
                     ❶〔人などに〕 頼ること; 〔・・・への〕依存(状態)、 依頼 (⇔ 
 
             independence )
 
           ❷〔・・・への〕 従属、依存(関係); 〔aとbとの〕依存(関係)
 
           ❸《正式》 〔・・・への〕 信頼、信用。
 
           ❹〔医〕 依存(症); (薬の)常用
 
 
  依存 は、上記にリストしまっした語釈を踏まえて、再把握しますと、
 
  「他のものをたよりとして存在すること」であり、それは、依頼を従属を内包することと
 
  解釈されます。
 
   このことを、2人の対人関係へ転換しまますと、相手/他者への たより(=依頼、
 
  従属)となります。
 
   つまり、対人関係における 依存 は、先ず、相手の存在が、想定・志向され、
 
  それなくしては、人は、対人関係に成立たない、自らの生存・生活が、危うくなると
 
  いう実際と懸念、現実と危惧を包含すると云うことを包含すると考えられます。
 
    因みに、 甘え も、 依存 の一種。  
 
                       広辞苑に拠りますと、
 
          あまえ
 
          【甘え】
 
          甘えること。  また、その気持。  「__が抜けない」
 
 
          あまっ‐た・れる
 
          【甘ったれ】
 
          ( アマエタレルの転) 馴れ親しみ、こびる態度をとる。 ひどく甘える。
 
          自立心が乏しく他を頼る。 「母に__・れる} 「__・れた事をいうな」
 
 
  依存の語釈は、甘え のような、いわば、外延/外縁的なものも含めて、色々な色付け、
 
  表現がなされていますが、対人関係に限れは、それは、「相手を頼りにする」依存関係
 
  と云えるでしょう。
 
   このこと、それが、 共感 を原初とし、基底・根底に据え、且つ、 共感 を醸造する
 
  契機を孕むと想定されます。
 
   ですから、 依存 と 共感は、或る種相関関係に在る、殊に、例えば、スキンシップの
 
  ような母子の濃厚な依存関係に認められる原初的な形態には、その傾向が顕著で
 
  あると、一見、そのように見えます。が、本節、本稿で問題提起したい事柄は、
 
  実は、依存 の対立概念/現象、即ち、自立。 自立こそが、共感 を生成する契機
 
  となることを洞察し、見做せるのではないでしょうか、と云うことです。
 
   そこで、 自立 を少し詳しく調べてみますと:
 
     ジーニアス和英辞典では、
 
 
           じりつ
 
           【自立】
 
           independence
 
                    〔・・・ からの〕 独立、 自立
 
 
  ジーニアス英和辞典には、
 
 
          independence
 
                    ①(国・政府の) 〔・・・からの〕 独立、自立〔from〕
 
              (⇔ dependence ) (用例割愛)
 
          ②(人の)自立、 自活
 
              * financial independence
 
                                 経済的自立
 
              * She lives a life of independence.
 
                                彼女は自活している。
 
 
   更に、independence の疑義的解釈/分析を続けますと、independence の in は、
 
 
          in-
 
                  「接頭」 ・・・へ、 ・・・に反して、
 
 
  自立 には、先ず初めに、
 
  dependence=依存 があり、それに 反する意味を担う接頭語、in を冠して、
 
  反-依存、即ち、独立、更に、自立 と語釈されています。
 
    人間・社会的な在り様も、dependence=依存 からindependence ーー 
 
  反-依存 ー 独立・自立 へ移行する傾向が認められます。 と云うよりも ーー
 
  自立は、その語源/語義的に云って、この移行過程を写し取っていると解釈した方が
 
  適切かもしれません。
 
   自立 は、ですから、対人関係上から見れば、
 
  原初的形態の依存的 共感 に、’ 反旗を翻し、’ つまり、反対・離反・離脱し、
 
  離脱し、共感 とは相反する心的過程/現象として立ち現れるように見えます。
 
   けれども、この 自立 こそが、既に指摘・提起しましたように、そして、やがて、
 
  解明されますように、真の、或いは、‹成熟した共感› の生成、維持、存続の必須
 
  条件になるものなのです。
 
   換言しますと、 共感 は、 依存 よりも 自立 の方が、遥かに主要な役割を
 
  果たすことが可能と想定されます。
 
     そこで、今一度、 広辞苑へ立ち還って、 自立 を検索しますと、
 
 
           じ‐りつ
 
           【自立】
 
           他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたり
 
           すること。 ひとり立ち。  「経済的に__する」
 
 
  更に、同音の関連語を覗きますと、
 
 
           じ‐りつ
 
           【自立】
 
           ①自分の行為を主体的に規制すること。 外部からの支配や制御から
 
             脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。
 
           ②  〔割愛〕
 
 
  自立 と 自律 の上掲語釈を分解・再編成しますと、
 
 
          「他からの援助や支配を受けず」;
 
          「外部からの支配や制御から脱し」
 
  更に、
          「自分の力で判断し、身を立てたりすること」; 「ひとり立ち」;
 
          「自分の行為を主体的に規制すること」;
 
          「自身の立てた規範に従って行動すること」、
 
 
  と云うように、その特色は、2段階に区分されます。
 
   第一段階の特色は、外部、即ち、対人関係的には、他者からの制約など、影響
 
  (援助、支配、制御など)の排除、排斥。 影響力のある他者との関わりを逃れ、
 
  遁れ、或いは、免れ、他者の束縛から自らを解放すること。ですから、その特徴的
 
  内容は、自立的。
 
   第二のものは、自律的。
 
  自由を獲得した人(主体)が、自身の意思・判断によって設立した規範に準拠しつつ、
 
  自らの行動を方向づけ、規制すること、と云えることでしょう。
 
   このように理解しますと、
 
  自立/自律 は、端的に云えば、「 ゴーイング マイ ウエイ 」
 
                     広辞苑に拠りますと。
 
 
          ゴーイング マイ ウエイ
 
          〔going my way〕
 
          (1994年のアメリカ映画 「我が道を往く」の原題から)
 
          他人の言動を気にせず、自分なりの生き方を通すこと。  
 
                    〈 Going my way 〉= ’我が道を往く’は、ひとり切りの営為、行為、
 
          行動。 1人で生きることが前提となります。
 
 
  ところで、
 
  ひとりは、一人 ーー 独り(ひとり)。 この漢字は、必然的に、孤独、孤立 を連想
 
  させます。広辞苑へ、再び、立ち還って、この2種類の言葉: 孤独 と 孤立 を調べ
 
  ますと、
 
        
           こ‐どく
 
           【孤独】
 
           ① 〔割愛〕
 
           ②仲間のないこと。 ひとりぼっち。
 
 
           こ‐りつ
 
           【孤立】
 
          他とかけはなれてそれだけであること。  ただひとりで助けのないこと。
 
 
  ちょっと簡単過ぎますので、、ジーニアス和英辞典で、孤独 を検索しますと、
 
 
          こどくな
 
          【孤独(な)】
 
          lonely
 
                   ( 人・生活などが ) ひとりぼっちの、孤独な 《◆社交嫌いのため
 
          好んで1人で住むことも含む》 ; 孤独で寂しい
 
 
          alone
 
                    〔叙述〕 〔・・・の点で〕 ただひとりの、 孤独な 《◆ (1) lonely,
 
                   lonesome と違って必ずしも含意しない。 (2) 限定的にはlonely
 
                 を用いる。
 
 
          solitary
 
                  《正式》 (人・気質が)孤独な、孤独を好む、寂しい
 
    
          lonesome
 
                 《略式・主に米》 〔特定の)仲間を求め〕 (感傷的になり)寂しい、孤独の
 
 
         孤独さ
 
         solitude
 
                《正式》 孤独、独居 ; (生活・場所などの)淋しさ; (場所などの)隔離
 
 
 
  更に、孤独 の原語、solitude をOXFORD現代英英辞典へ進んで、調べますと、
 
 
 
         solitude
 
                 the state of being alone , especially when you find this pleas-
 
                 ant   [syn]  PRIVACT
 
         〔 ひとりぼっちの状態、とくに、そのこと〔状態〕が楽しいと想われるとき
 
            「同義」 プライバシー 〕
 
 
  続けて、関連語: lone; alone; lonely; lonesome を、順次検索しますと、
 
 
         lone
 
                 1 without any other people or things   [syn] SOLITARY
 
                 〔 誰とも一緒でなく、何もない 「同義」 ひとりぼっち 〕
 
          ⋆ a lone sailar crossing the Atlanticを
 
                       〔⋆ 太平洋を一人ぼっちで渡る船乗り 〕
 
 
          2 (especially BrE) without a husband, wife or partner to
 
                      share the care of children  [syn] SINGLE   note at ALONE
  
                       〔(特に英国英語で) 子供の世話をともにする夫、妻、パートナー
 
             がいないこと  「同義」 単独; 独り者 ALONEに留意 〕
 
    
           alone
 
                    1 without any other people
 
                         〔 他の誰ともなく 〕
 
                    2 without the help of other people or things
 
                        〔 他の人々の助けや物もなく 〕
 
           3 lonely and unhappy or without friends
 
                        〔 一人ぼっちで淋しく、惨め、或いは、友達もなく 〕
 
           4  〔割愛〕
 
           5  〔割愛〕
 
 
          lonely
 
                    1 unhappy because you have no friends or people to talk to
 
                        〔 話し合える友達も人々もなく、惨めな 〕
 
           2 ( of a situation or period of time ) sad and spent alone
 
                        〔 寂しい、ひとりぼっちで過ごす(状況や期間) 〕
 
           3 ( of places ) where only a few people ever come or visit
 
                           [syn] ISOLATED
 
                           〔 (場所について) ほんの少しの人々でさえ訪れることのない
 
                 処  「同義」  隔離された 〕
 
 
          lonesome
 
                   1 unhappy because you are alone and do not want to be or
 
                      you have no friends
 
                      〔 ひとりぼっちなのですが、そうありたいと想わないので、或いは、友達が
 
             ないので、惨め。 〕
 
          2 ( of a place ) where not many people go ;  a long way
 
                      from people live
 
                     〔 (場所について) 多くの人々が行かない処 ; 人里離れた 〕
 
 
  更に、 孤立 を、ジーニアス和英辞典で調べますと、
 
 
           こりつ
 
           【孤立】
 
           isolation
 
           孤立(させること)、 〔・・・との〕分離。  隔離。
 
           isolate
 
                     〈人・物・事)が〈人・物・事〉を〔・・・から〕孤立させる、 離す
 
           cut off
 
           〈人・地域〉 を 〔・・・から〕 孤立させる
 
           lonely
        
                    〔限定〕 人里離れた、孤立した ; 《主に文》 人気(ひとけ)のない
 
                    lone
 
                    〔限定〕 《文》 〈他の物から〉孤立した
 
 
  以上検索しました各単語の語釈を、恣意的に概要しますと、
 
  孤独、 孤立 に関しては、
 
   第一の特徴は、”ひとりであること、” そして、この 「ひとりぼっち」の状態は、他(の
 
  人・物・事)からの分離・隔離を意味し、更に、これらの意味を踏まえて、2種類の対立的
 
  なタイプに範疇化されdます。 即ち、
 
   孤独・孤立の消極的/否定的な特色は、寂しさと惨めさ ーー 「独りぼっちで寂しい」、
 
  「友達が無く惨め」; 英単語の alone は、このグループで強調されている心情です。
 
   一方、積極的/肯定的特徴は、
 
   「 ひとり (独り)を選び、好む」 ; 「独居を楽しむ」と云うように、「ひとりで生きる」
 
  ことに高い価値と居心地の良さを感じること。  solitary / solitude の意味内容
 
  (語釈)が該当するようです。
 
   ということは、
 
    人は、概して、”ひとりぼっち”、 ”ひとり暮らし”と聞くと、それだけで、怯え、憐憫の
 
  情と共に、独居=寂と惨の心情を構築しがち。 これは、一般的傾向かもしれません。
 
   けれども、
 
   強ち(あながち)そうとは限らないということではないでしょうか。
 
  ひとり(一人・独り) の時間は、空虚どころか、充実の時間。 友達・仲間がいない、
 
  離す相手が見つからない、つまり、他の人々からの対人関係的離隔状況は、逆に、
 
  対人関係的煩わしさからの解放を意味し、自分が好きなように、自分の好きに生きる
 
    ーー まさに、ゴーイング マイ ウエイ (= going my way ) の充実の時・空間
 
  的拡がりを含蓄します。
 
   このように、従来の見方を転換して、孤独・孤立 を積極的/肯定的に把握し直すことが、
 
  考えられてよいでしょう。連想される言葉としては、何よりも先ず、プライバシーが、挙げ
 
  られます。
 
   このことは、OXFORD現代英英辞典の solitude の語釈で明らかになると想われ
 
  ます。
 
    今一度、引用しますと、「ひとりでいる状態、とくに、そのことを楽しいと想われる
 
  とき (引用者訳)」 と記され、更に、丁寧にも、「同義」:privacy が支持されます。
 
   ですから、第二のタイプの 孤独・孤立、 或いは、solitude は、その含蓄において
 
  privacy/プライバシーに連結されてよいと考えられています。
 
     そこで、広辞苑を調べて、
 
 
          プライバシー
 
          【privacy】
 
          他人の干渉を許さない、各個人の私生活の自由。 「__の侵害」
 
 
  ジーニアス英和辞典へ立ち寄りますと、
 
 
          privacy
 
            ①(他人から干渉されない) 自由な私生活。 プライバシー;
 
                      隠退、隠遁(いんとん)、独居
 
             用例: 【privacy】
 
                  ⋆ an invasion of privacy
 
                                       プライバシーの侵害
 
                  ⋆ invade her privacy
 
                                      彼女の私生活を侵害する
 
                                  ⋆ the right to privacy
 
                                       プライバシーの権利
 
                      ② 秘密、内密  (⇔  publicity)
 
                 ⋆ in privacy
 
                    ひそかに
                      
                                 ⋆ He taught himself to play guitar in the privacy of
 
                                    his own home.
 
                   彼は自宅でギターを独習した。
 
 
  更に、OXFORD現代英英辞典を調べますと、
 
 
                   privacy
 
                   1 the state of being alone and not watched or disturbed by
 
            other people
 
                          〔 ひとりぼっちでいて、他の人々に監視されたり、邪魔されたり
 
               しない状態 〕
 
             ⋆ She was longing for some peace and privacy
 
               〔 彼女は、幾らかの平和とプライバシーを切望した。)
 
                         ⋆ I value my privacy
 
                〔 私は、私のプライバシーを尊重する。 〕
 
                         * He read the letter later in the privcy of his own room
 
                〔 彼は、後で彼の部屋で独り、手紙を読んだ。 〕
 
           2 the state of being free from the attraction of teh public
 
                             〔 一般の人々の注目から自由になった状態 〕
 
 
  プライバシー・privacy  は、多少の恣意的な解釈を交えて捉えますと、
 
  (個)人が、他人の干渉を受けず、邪魔されることなく、換言しますと、対人関係的
 
  束縛から解放され、一人っきりの、独居の世界へ〔一時的に〕隠遁、隠棲しつつ、
 
  自由な生、生き方を享受すること、と見えてきます。
 
   独立・孤立 は、その積極的-肯定的な特色を、如上の意味理解でのプライバシー/
 
  privacy に求めることを、ここで、改めて指摘しておきましょう。
 
    それは、他の人々、或いは、他者に頼らず、依存せず、他者との関わりを断って、
 
  距離を置き、他者から自由な、ひとりだけの居場所 ーー 居心地のよい、自由気儘に
 
  振る舞える私人的な、私秘的な時・空間、つまり、 独居 を獲得するということに
 
  なります。
 
     そして、
 
  自立・自律 まで振り返りますと、
 
  共感 に絡む 自立・自律 は、依存 から脱出、乖離を経て、生成され、更に、
 
  そこでの内包を想定される 孤独・孤立 と出会うとともに、その積極的特色、即ち、
 
  プライバシー・privacy を含蓄する 独居 へ至ると理解されます。
 
    ところで、
 
  共感 は、既に触れましたように、その原初的形態 ーー 例えば、母子関係は、
 
  一体感、特に、情緒的紐帯を伴う自他の無分別、未分化を内蔵しており、それは、
 
  それはあたかも ’揺籃’状態にあるのが、特徴的と云えますが、このような状態は、
 
  いつまでも続くことなく、やがて、個(我)の目覚めに連れて意識下、心の深奥に
 
  沈殿・沈殿して行くことを結果します。
 
   自我の覚醒においては、自立・自律 とその随伴現象、プライバシー が優越する
 
  ことが、何よりも強調されます。
 
   何故なら、通常の対人関係的世界では、このような 自立・自律 と プライバシーを
 
  含蓄する自己-覚醒的個人の間にこそ、 共感 が、新しく生成されると想定される
 
  からです。 そして、このタイプの 共感 こそを、‹成熟した共感› といってよいで
 
  しょう。
 
    ‹成熟した共感› をより詳察しますと、
 
  それは、先ず、個人(自我)は、他者から分離・別離、或いは、分立します。
 
  自他府文化・無分別は想定されず、自他の分化・分別に基づきます。 このような
 
  個別的な自我は、いうまででもなく、上で考察・検討しました 自立・自律 及び
 
  プライバシー/ 独居 を構成素 として成り立ちます。
 
   ‹成熟した共感› は、このような個別的な自我を有する自我、即ち、対人関係的
 
  場面の間で、 一体感  ーー 心 (知情意)的 同一性 を分かち合い、共有する
 
  こと ーー  が生気・生成された場合に出現します。
 
   その形態、種類は、様々。
 
  永続するタイプも勿論ありますが、概して、一時的で、仮のもの。
 
  移ろいやすく、状況次第、その都度構成され、アドホック的、その場限りで、一度きり
 
  ということすらありです。
 
    このことはさあに、一時的な隠退、 時には、逃避を示唆します。 つまり、
 
  プライバシーへの隠退・避難。
 
   いつも、いつも、 共感 的対人関係の中で暮らすならば、いつも行動を共にし、
 
  一緒に過ごし、精神的/物理的な時・空間を共有する状況が、恒常化するならば、
 
  人びとは、やがて、煩わしさに苛まされ、鬱陶しく、胸苦しく、窒息状態に追い込まれ、
 
  陥り、遣り場のない苛立ちや怒り等いろいろな感情爆発に襲われ、最終的には、
 
  精神的破綻を招くでしょう。
 
   暫くの間の息抜き、ガス抜きが必要でしょう。
 
   その際、人々に とっては、プライバシーを内包する 私人的・私秘的空間、 即ち、
 
  独居 ーー 精神的であれ、物理的であれ ーー へ引き籠り、暫くのあいだ、隠退、
 
  隠遁することが、最上の咲くではないでしょうか。
 
   ‹成熟した共感› においては、自立・自律 を特徴づけるプライバシーは、その生成、
 
  成立の基礎的な要件であるばかりではなく、それ 〔プライバシー〕 の自在な相さ・操縦
 
  によって、‹成熟した共感› のより一層の強化を図り、発展させる契機となることが、
 
  想定されます。ます。
 
   更に、‹成熟した共感› には プライバシーを伴う 自立・自律の他に、もう一つの
 
  生成・成立要件: 対立 が想定されます。
 
      検討してみましょう。  広辞苑に拠りますと、 対立 は、
 
  
          たい‐りつ
 
          【対立】
 
           二つのものが反対の立場に立って張り合うこと
 
 
  対立 下には、対峙、対決、反対、反抗、抵抗・・・ など、様々な言葉を挙げることが
 
  出来ます。 順次、検索を重ねますと、
 
 
           たい‐じ
 
           【対峙】
 
           相対してそばだつこと。 向き合って立つこと。 「__する両軍」
 
 
           たい‐けつ
 
           【対決】
 
           両者が相対して正否や優劣をはっきり決すること。
 
            「宿敵と___する」  「領有の___」
 
 
           はんーたい
 
           【反対】
 
           ①物事が、対立・逆の関係にあること。 一方が他方を否定する関係
 
             にあること。
 
           ②向こう側に立ってさからうこと。 ある意見などに対してさからうこと。
 
              「増税に __する」 「 __意見」  ⇔ 賛成
 
 
          はん‐こう
 
          【反抗】
 
          てむかうこと。 そむきさからうこと。 抵抗。 「親に__する」
 
 
          てい‐こう
      
          【抵抗】
 
          ①㋐外からの力に対し、張り合いさからうこと。 反抗。 てむかい。
 
             「権力に __ する」
 
            ㋑すなおにうけいれがたい気持。  
 
             「それをするには__を感じる」
 
 
  対立 は、対人関係的に解釈しますと、人(自我)が相手(他者)と向き合い、対峙し、
 
  他者と 「反対の立場に立って」、「張り合う」、「さからう」こと。
 
   もう少し踏み込んで、解釈しますと、自身の立場(気持、思い、意見など)を訴え、
 
  主張し、相手のそれとは、違うこと、その差異、相違を明確にすること。 自他の差別化。
 
  即ち、対立 は、単なるあいての立場への 反対 ( 「逆らうこと」 ) の範囲を
 
  超えて、自他の差別化を含蓄すると想われます。
 
   このような 対立 には、2種類のタイプ: 消極的 ー 積極的 があるようです。
 
   消極的なタイプは、非・活動的。 それは、相手の積極的/攻撃的な相対・対峙、直接的な
 
  対決姿勢を忌避、回避し、相手から離れ、退き、自らの世界、私人的・私秘的生活の
 
  領域 ( 独居 ) に引き籠ることで、相手に対して、対立の立場を表明します。
 
   静かな反対、 静かな反抗 ・・・ なのですが、このような静かな 対立 は、残念
 
  ながら、適切な理解が得られず、負(マイナス)の評価があたえられることが多い
 
  です。
 
    他方、積極的なタイプは、
 
  対決姿勢が鮮明に表示されます。 例えば、我を張る人、自己主張の強い人・・・等
 
  に見られます。
 
   論争を好み、意義を唱え、反論したがる傾向があり、ちょっとした口論の筈が、
 
  深刻な敵対関係にまで発展することすらあります。 相手も乗せられて ーー もう、
 
  こうなりますと、”売り言葉に買い言葉”です。  対決姿勢を強め、応戦し、反論、
 
  論駁しようと試みるからです。
 
   けれども、
 
  このような 対立 は、決して悪いことでも、間違っていることでもないと云ってよい
 
  でしょう。 対立 を嫌悪し、忌避・回避した場合、安直な、安易な 同情、 同感、
 
  同意 へ流れる傾向が現れます。
 
         見せ掛けの平和主義者;
 
         上辺だけの平和愛好家
 
  相手の真摯な対立、対峙の姿勢に対して、それを躱(かわ)して、話し合いや議論を
 
  尽くすことなく、状況を有耶無耶(うやむや)に終息させて、’まあまあ、’ ’なあなあ’
 
  と曖昧な態度を取りながら相手の角を引っ込めさせて、丸く収めることは、必ずしも、
 
  賞賛に価するものではありません。
 
               広辞苑 を調べますと、
 
 
          まあ‐まあ
 
          《副》
 
          ①かなりの程度。 まずまず。 一応。 「__の出来」
 
          ② (相手をなだめる時などに用いる) さしあたりこの場は。 しばらく。
 
              「__そう云わずに」  「__主義」
 
 
 
          なあ‐なあ
 
          《副》
 
          (感動詞 「なあ」を重ねたもの。 軽く念を押す程度で、厳しく確認・
 
          追及せず事を処理することから) 妥協して安易にすませること。
 
           「__主義」
 
 
   対立 への まあまあ や なあなあ 的回避は、たとえば、旧い村落共同体で
 
  原初的形態の 共感 が息づいている場合、そのような有耶無耶な曖昧さが、共感を
 
  支え、支えられていたと考えられますが、今日(こんにち)の対人関係では、むしろ、
 
  それは、苛立ちや緊張、テンションやストレス、フラストレーションや不満などを募らせ、
 
  蓄積させることとなると云ってよいでしょう。
 
    対立 は、それによって、当事者が、それぞれの立場(感情/意思など)を鮮明に
 
  表明」すること。 自他の違い ーー 2人の間の味方、感じ方、考え方の差異・相違
 
  を認識し、この相違、つまり、自他の差別化を踏まえつつ、自身と相手の立場を
 
  再把握し、理解すること、そして、自らへの内省と他者への洞察・分析に伴う自他
 
  の客観化へと発展します。 更に、この心的過程・現象がお互いの相互理解を深めて
 
  行くならば、 共感 の新しい世界の幕開けとなるのです。
 
    即ち、‹成熟した共感› です。
 
  ‹成熟した共感› は、既述のように、原初的な、自他不分別の依存関係から、離反、
 
  離脱し、 自立・自律 をへて、達成されます。  このような 自立・自律という
 
  共感 の生成、成立の契機/条件を、今一度、捉え直して見ましょう。
 
    自立・自律 は、孤独・孤立 に加えて、 対立 をも主要構成素とし、特に、後者
 
  ( 対立 )をその生成、成立にとり入れる 自立・自律 は、人(々)に自他を差別化し、
 
  その上で、或いは、そうしつつ、相互理解を実現させ、‹成熟した共感› を生み出すと
 
  想定されます。
 
   ‹成熟した共感› は、自立・自律 という前提条件なくして、あり得ないでしょう。
 
  そして、この意味での 自立・自律 は、プライバシーが優越する 独居 を内蔵する
 
  ことが指摘、強調されます。
 
   自立・自律 (+プライバシー)無くして 共感 の成熟なし、ということです。
 
  けれども、
 
  「逆は必ずしも真ではない」 ということではないようです。
 
  つまり、 共感 抜きの 自立・自律は、実際に存在し、目撃されるということです。
 
  ですが、それは、寂と惨。 概して、寂寥感と悲惨な気持に苛まされる 孤独・孤立の
 
  姿であり、そこに居心地の良さ、快い居場所( 独居 )が、確保、確立され、つまり、
 
  プライバシーの堅持されることが指示されるものではないと想われます。
 
    とはいえ、
 
  やはり、対人関係においては、‹成熟した共感› は、必要です。
 
  では、そのような 共感 ーー 自立・自律を前提とした 共感 は、どのように、
 
  生成され、成立するのでしょうか。
 
     <間>の存在、その操作・操縦が、そうきされます。
 
  ‹成熟した共感› は、自立・自律 した複数個人の間(あいだ)で生成・成立しますが、
 
  その際、当事者は、共感 する相手との間(あいだ)に<間>を置き、或いは、取り
 
  ながら、対人関係を構成・維持するかに関しては、その経緯と方法について、既に、
 
  前掲拙稿 (《<間>と対人関係》)で考察・検討しましたので、その詳細については
 
  割愛させて頂きなすが、幾つかの点を上げますと、
 
   先ず、‹成熟した共感› は、<間>を必要とする、或いは、<間>(の構成・維持)
 
  には、必須要件だと云うこと、です。 更に、
 
     今少し明細化しますと、
 
  <間>は、対人関係にある当事者の間(あいだ)に拡がる 距離。
 
  それは、様々な状況や形態で現れますが、特徴的には、≺不即不離≻:≺即かず、離れず≻
 
  と ≺ほどほど≻ で明らかにされる特色、主要構成素を内包しています。
 
   このような対人関係的な意味での<間>が、成熟した<間>に作動、作用する
 
  ということは、人が 共感 から、離脱する時 ーー  孤独・孤立 (プライバシー+
 
  独居 ) へ、一時的に引退、退場する場合であれ、 対立 する場合であれ ーー 
 
  共感 する相手との間(あいだ)に、<間>が置かれ/取られると云うことです。
 
   <間>の構成は、当事者の 距離 の拡がり。
 
  この 距離、 或いは、間隔/隔たりは、過大過ぎても、過小過ぎても、共感 は、
 
  歪 (いびつ)になります。 対人関係の当事者がくっつき過ぎたり、離れ過ぎて
 
  疎遠になれば、 共感 は、過熱し、或いは、冷却し過ぎて、やがて、消滅の運命を
 
  辿ることになるでしょう。 ということは、2人の間(あいだ)に適切・適当な 距離、
 
  即ち、<間>を置くこと、取ること。
 
   つまり、≺ほどほど≻ と≺不即不離≻:≺即かず、離れず≻ を基軸に、微妙なバランス
 
  (感覚)の下に、<間>を巧みに操作・操縦することが、‹成熟した共感› を 醸造する
 
  と云えます。
 
   このことは、人が、共感 と自立・自律 の間(あいだ)を、いわば、振り子のように、
 
  行き来することが想定されます。
 
                   ーー 自由に、臨機応変に ・・・
 
   ですから、
 
  人は、いつでも望めば、 共感 から離脱・乖離可能です。
 
  共感 は、対人関係の維持・構成のための至高善ではないのです。 万能薬でも
 
  ありません。 共感 がなくとも、自立・自律 そして 孤独・孤立/ 独居 (+プライバシー)
 
  が、程よく保持されれば、それでよいのです。 対人関係は、生かされるでしょう。
 
                                   その筈です。
 
  何が何でも、 共感 的対人関係の維持・存続を図る努力・奮闘することはないのです。
 
  それ程までしなくてもよいのではないのでしょうか。
 
   時には、 共感 をスパッと捨て去って、 独居 の世界、私人的・私秘的居場所、
 
  プライベートな空間に身を置くということも、 対立 に明け暮れるのも、対人関係も、
 
  の在り方の一つですから。
 
   共感 も、対人関係も、一度、自立・自律 や 対立 のなかで切り離してみれば、
     
  新しい世界が経ち現れるかもしれないのです。 そして、この世界が、人が新しく
 
  自立・自律 を梃に、糧に、 独居(プライバシーの堅持)しつつ、それを享受するものに
 
  なるのか、‹成熟した共感› に裏打ちされた対人関係へ発展するかは、最早、個人
 
  の選択・嗜好、主義・主張の問題ということ云ってよいかもしれません、
 
    と云うものの、
  
   ‹成熟した共感› は、対人関係は、対人関係の維持・存続した 共感 は、その過程が
 
  円滑であればるほど‹成熟した共感≻ の存在と働きが望まれ、推察されると云えるで
 
  しょう。
 
 
 
              Ⅲ   補遺
 
                      ーー 共感 と関連した語彙を巡って
 
 
  本節では、 共感 への考察・検討からは、少し離れますが、猶、何らかの関連性
 
  を内包する用語、或いは、成句の幾つかを掬い上げ、補考を試みておきましょう。
 
  
 
     ⅰ)  共鳴; 共生; 物の哀れ
 
 
            ::  共鳴  ::
 
 
        「 彼の考えには、多くの人々が共感しました。」
 
        「 知人の話に、思わず、共感を覚えた。」
 
  このような場合の 共感 は、殆ど、 共鳴 と同義語的か、換置され得るでしょう。
 
                      広辞苑で調べますと、
 
 
          きょう-めい
 
          【共鳴】
 
          ①〔理〕 (resonance) 物理系が外部からの刺激が固有振動を始める
 
            こと。 特に刺激が固有振動数に近い振動数を持つ場合を指す。 
 
              共振。
 
          ②  〔割愛〕
 
 
          ③転じて、他人の思想や意見に同感の念を起こすこと。
 
 
   ブリタニカ国際大百科辞典では、
 
 
          きょうめい
 
          【共鳴】
 
             (resonance)
 
          (1)振動系に周期的外力を加えて、強制振動させるとき、外力の
 
          振動数の固有振動数に近づくこと。振幅が急に増大する現象。
 
          音や弾性振動では共鳴、電気振動や機械振動では 共振 という
 
          ことが多い。   〔割愛〕
 
          (2)  〔割愛〕
 
          (3)  〔割愛〕
 
 
  更に、OXFORD現代英英辞典へ進んで、resonance を検索しますと、
 
 
          resonance
 
                   1 (of sound) the quality of being resonant
 
                          * Her voice had a strange and thrilling resonance.
 
                   2 (technical) thesound or other VIBRATION produced in
 
                      an object or VIBRATION of a similar FREQUENCY
 
                      from another object
 
                    3 ( formal )  ( in a peice of writing, music, etc. ) the power
 
                       to bring images, feelings, etc. into the mind of teh person
 
                       reading or listening ;  images etc. produced this way
 
                    
             〔 1(音について) 鳴り響いている特質
 
               * 彼女の声には、奇妙でスリリングな響きがあった。
 
               2 (科学技術的) 或る物体において、他の物体から 〔発せられる〕
 
                 同似の振動数の音や振動によって産み出される音や他の振動
 
               3 (正式) (著作や音楽などの作品の中で)読んだり、聴いたり
 
                 している人の心にイメージや気持を持ち込む力; また そのような
 
                 やり方で産み出されるイメージ等 〕
 
                               
    OXFORD現代英英辞典では、VIBRATION (和訳はイタリック部分)と大文字で
 
  特筆されていますので、改めて、念のため、小文字のvibration を探しますと、
 
 
          vibration
 
                   1 a continuous shaking  movesment or feeling
 
                        * We could feel the vibfration from the trucks passing
 
                           outside.
 
                        * a reduction in the level of vibration  〔pl.〕
 
                  (formal) = VIBES
 
                
                         〔 1継続的に揺れる動きや感情
 
               * 外を走っているトラックの振動を感じることが出来た。
 
               * エンジンの振動レヴェルの減少
 
                  (公式)=VIBES   〕
 
                     
 
       VIBES 或いは、vibes は、
 
 
          vibes
 
                   1( also formal vibrations )  ( also 〔sing〕)
 
                     ( informal ) A mood or an atomosphere produced by a
 
                     particular person, thing or place
 
                        * good or bad vives
 
                        * the vibes weren't right.
 
                     
                        〔 1(正式の振動でも〕 (〔単数〕 でも)
 
               (略式)特定の人(物・場所)によって産み出されるムードや
 
               雰囲気
 
                * 良い/悪いバイブ〔レーション〕
 
                * バイブ〔レーション〕は、良くなった。  〕
 
                                                   
 
   共鳴 は、物体が、「物理系が外部からの刺激で固有振動を始めること」 にあり、
 
  更に、近似の振動数で振動し、振幅数を急増させる 共振 という物理的現象の
 
  説明から、人間心理的 ーー 耐震関係的に意味変換され、「 他人の思想や意見に
 
  同感の念を起こすこと」と解釈されています。
 
    この 共鳴 の心理的現象は、より具体的には、「人のなかにイメージや感情を
 
  持ち込む力」 と語釈されていますが、このことから、人は、相手/他者と同じ考えや
 
  気持を抱くようになることが想定されます。
 
   この意味で、共鳴 の内実は、第一義的には、同感 と把握されてよいでしょう。
 
  けれども、
 
   共鳴 は、イコール 同感 のレヴェルでは済まない状況が出現することがある
 
  ようです。 ある種の’振動数の増幅現象。’
 
   ブリタニカ国際大辞典では、「〔振動の〕振幅が急に増大する現象」が指摘されt
 
  います。この現象は、人間世界でも、対人関係上でも、生起することが認められます。
 
     例えば、
 
  相手の話に、 ”そうネ、 そうネ ・・・” と直ぐに相槌を打って、賛同して、
 
  ”実は、私も同じ経験をしたことがあるのよ” と物語り。
 
   対人関係も、ここまでならば、同情、 同感、 同意、そして 共感 も発生している
 
  ようにも、その予知があるようにも見受けられますが、、それ以降は、異なる様相が
 
  展開されます。
 
   彼女の”独演会”。 一人喋り。 その上、彼女の’創作’・’潤色’も交えて、お喋りは
 
  続きます。こうなりますと、 共感 は、最早、他所へ追いやられ、消失。 勿論、
 
  同情、 同感、 同意 も同じ運命です。
 
   唯、彼女の話(し声)が、彼女自身」のなかで、 共振、増幅され、それが外へ向かって
 
   鳴り響いているのみです。 周囲には、甚だ、迷惑な存在。
 
    もう一つの事例:
 
   一人の時は、大人しく、回りにはその存在が気付かれないほど、希薄。
 
  ところが、友達と一緒になると、途端に一変。 大声を張り上げ、時には、奇声を発して 
 
  大騒ぎ。 この場合は、友達 (の言葉や話)の振動に 共振 しているようです。
 
  このような 共振、即ち、共鳴 は、同情 を外れて、異様なほどの興奮 ーー
 
  何が原因なのかは定かではありませんが ーー と共に、空騒ぎへと振動が増幅
 
  していると云い得るでしょう。
 
    少し飛躍して、 群衆心理 は、どうでしょうか?
 
             ブリタニカ国際大百科辞典で調べて見ますと、
 
         
          ぐんしゅうしんり
 
          【群衆心理】
      
            ⇨ 群衆
 
                  と記されているだけでした。
 
 
   そこで、群衆 を検索しますと、
 
 
          ぐんしゅう
 
          【群衆】
 
             (crowd)
 
          共通の対照に関心をもつ一群の人々が一時的にある場所に集まって
 
          いてこれらの人々に互いに類似の仕方で反応が喚起され、一時的な
 
          漠然とした一体感がもたらされる場合がある。 このような状態の一群の
 
          人々を群衆と呼ぶ。これらの人々は、偶発的、一時的、情動的な結び
 
          つきをもつにすぎず、永続的な組織をもたない。 群衆のもつ特殊な
 
          心理的状態として (1) 被暗示性 (2) 残忍さ、熱狂などの情緒性
 
          (3) 無名性 (4) 無責任性などがあげられる。
 
               〔以下割愛〕
 
 
 続いて、ブリタニカ国際大百科辞典で、 群衆行動 を見ますと、
 
 
           ぐんしゅうこうどう
 
           【群衆行動】
 
             (collective behavior )
 
 
           群衆がある同じ出来事を関心の対象として同じように感情に反応した
 
           結果起こる集合的行動をいう。 大衆行動と違う点は、G.ル・Bon が
 
           指摘したようなものであること。構成員が個人としての自己喪失に
 
           陥ること。 多数の人々の間に心理的感染がおこることなどである。
 
               〔以下割愛〕
 
 
   以上の語釈・説明を概要しますと、
 
  群衆〔心理〕/群衆行動 は、その特徴として ⅰ) 同じ対象(/出来事)への関心、
 
  ⅱ)その対象への類似の、或いは、同じ様な(感情的・行動的)反応、ⅲ) 一体感の
 
  出現 ⅳ) 被暗示性、無名性など心理状態の発生が挙げられます。
 
   ⅱ)~ⅲ)の様相で、共感 が生じるように想われます。 つまり、対象への関心
 
  と反応が、人々の間でお互いに振動し合い、共振し始めます。 人々は、同じ思い、
 
   同じ気持で揺れ合い、震え合い、と云う共有関係から、集団感染して行き、やがて、
 
  そこには獏としたとはいえ、 一体感 が醸し出されます。  そうなれば、-共感 を
 
  認めることも出来るでしょう。
 
    このような集団感染は、対象を振動の’震源地’ として、破門状に拡散して行くと
 
  想われますが、この時、共鳴 は、最終の様相、ⅳ)に突入していると見てよいで
 
  良いでしょう。
 
   第4の様相に発展しますと、 共鳴 は、「振幅が急に増大する現象」 になって
 
  います。それまでの 共鳴 的心理状態は、「特殊な心理的状態」に変容し、新たに
 
  特有の特色を産出します。 共鳴 や 共感 の次元は通り過ぎ、制御不能なモンスター、
 
  異次元の、異界の現れです。
 
   人間世界では、共鳴 は、度地として、対象へ過剰な、過激な反応を引き起こし、
 
  呑み込まれ、人々がモンスター化する心的過程・現象を誘発する場合があるという
 
  ことです。
 
 
           ::  共生  ::
 
 
   久しい以前から、
 
  自然への回帰: Uターン/ Iターン現象が取り沙汰されています。
 
  山里や田園、或いは、海辺での暮らし。 そのような生き方への憧憬を実現させよう
 
  と云うムーヴメントです。
 
   自然(の摂理)を無視して、人間の力で、自然を制御・制服しようとする試みと実践が
 
  圧倒的に優位に。 そして、そこでは、《自然との共生》 の感覚は、喪失されました。
 
    今は、復活の時期。
 
  自然の移り変わりに身を委ねつつ、自然に抗わず、自然の’意のままに、’ 従い、
 
  添い合いながら、暮らすことが賞賛されるようになりました。
 
   このように考えますと、《自然との共生》 は、共感 を遥かに超えた、壮大な規模の
 
  次元/世界の体験のように想えますが、その深奥には、共感 が息づいているのです。
 
   共感 なくしての《自然との共生》 は、自然と人が無機質的に隣り合わせに存在して
 
  いるだけ。 それは、あたかも、自然と云う’額縁’の中に、人が、唯、ぽつねんと、
 
  棲息しているようなものでしょう。
 
   そして、亦、《自然との共生》 を実現するために、或いは、《自然との共感 》 を
 
  体験するために、自然への完全回帰を目指して、農村や漁村で  ーー そう出来れば
 
  ベストですが ーー ’田舎暮らし’ をしなければならないと云うようなことでもない
 
  と云ってよいと想われます。
 
   より身近な自然との触れ合いで感受することが出来ます。
 
       個人的な体験ですが、お話しさせて下さい。
 
 
     自然の中にそっと身を潜めること: 
   
              私の場合、裏山でした。
 
 
         始めは、異色々なものが響き合うように聞こえます。
 
         虫の声、微かな羽音、 遠くには、小鳥たちの囀り、そして、何よりも、
 
         蒸せるような草いきれ、陽光‥ 等、 5感が刺激され、何か興奮状態に。
 
         暫くすると、辺りの風景がぼんやりし始め、やがて、自他の差異感が
 
         失われていきました。 
 
          自然のなかに身を潜めると云うことは、(自)意識の弛緩を誘うようです。
 
         それは、自然と私の間の障壁が溶解した瞬間。 自然の一部になった
 
         ような、多分、太古の昔そうであったような不思議な次元の体験でした。
 
        
  裏山での体験は、《自然との共生》、或いは、《自然への共感》 の一場面と云える
 
  でしょう。
 
   それは、自然と呼吸を合わせ、同じ調子/リズムの息遣いをしながら、そこに在りつつ、
 
  自然をそのまま感受し、結び付けられて行きます。 自然との渾然一体 ーー 恰も、
 
  「自然と一つになった」ような 一体感 に浸り、包まれて行くのでした。
 
   このような息遣いを続ければ、《自然との共生・共感》 は、深く、強くなる筈なのですが、
 
  実際は、どういう訳か、暫くの間の出来事でした。
 
    あまり長引くと、このまま裏山の草、木や石になって、最後には、化石になって
 
  しまいそう ・・・、 やっぱり、生ける人間として生きたいという欲望が頭を擡げて来た
 
  のでしょうか。 微睡みから、再び、覚醒して裏山を後にするのでした。
 
    《自然との共生・共感》 は、それが、たとえ、束の間の体験であっても、素晴らしく、
 
                         力強い生命力を与えてくれるものでした。
 
    とはいえ、
 
  自然のそのままの姿は、意外にも、厳しく、付き合い難い場合もあります。 
 
   例えば、池は、時には、湿っぽく、陰鬱な雰囲気。  土の香りは、なんだか泥臭く、
 
  近くの樹の枝には、古くなった蜘蛛の巣が、草草も、しどけなく折重なって ・・・
 
   人手が、少し、飽くまでも、少し、ですが、加えられた自然の方が、居心地の良さ
 
  を感じることがあります。
 
   例えば、雑木林の中の径。 自然のように見えながら、実は、自然石で設えられた
 
  ゆっくりとした段差の、と云うように、その方が、人間にとっては、快い空間に感じ
 
  られるようですが、
 
     人間以外の動・植物の皆さんには、どうなのでしょう。
 
  やはり、人間抜きの方が、心安らぐ生活、自然との共生 が出来るということでしょうか。
 
  自然のままの風景のなかでの生息よりも、少し、人工的に整備された自然のほうが、
 
  認められることもあるようです。 自然と人の共生・共感は、この、少し、人工的な関わり
 
  のある空間に見出せるかもしれません。 但し、飽くまでも、少し。 環境破壊行動
 
  は許されません。 そうなれば、共生 も、共感 も絶滅の危機に瀕するでしょう。
 
 
   ところで、 いうまでもなく、
 
  《自然との共生》の心は、自然への憧憬、敬愛、畏敬の念です。
 
  逆に、この思いを抱かねば、自然との共生 ・ 共感 は、あり得ないでしょう。
 
   驕りやのぼせ(逆上)は、禁止。 慎むべきこと。  自然への冒涜は、《自然との
 
  共生》 には、馴染まないのです。
 
  このような自然と向き合い、自ずと生まれ憧憬、敬愛、畏敬の念は、‹物の哀れ›
 
  の精神に見ることが出来るでしょう。 そこで、これから、この、古くから日本の
 
  伝統的文化世界に底流する理念へ、ちょっと踏み込んでみてみましょう。
 
 
 
           ::  物の哀れ ::
 
 
  広辞苑に拠りますと、
 
 
          もの-の-あわれ
 
          【物の哀れ】
 
          ①平安時代の文学およびそれを生んだ貴族生活の中心をなす理念。
 
          本居宣長が「源氏物語」を通じて指摘。 「もの」すなわち対象客観と
 
          「あわれ」すなわち感情主観の一致する所に生ずる調和的情趣の
 
          世界。  優美・繊細・沈静・観照的の理念。
 
 
  ブリタニカ国際大百科辞典では、
 
 
          もののあわれ
 
           【もののあわれ】
 
          平安時代の文学、生活の美的理念。本来は、もの(対象)によって
 
          人の心に呼起こされるしみじみとした感動を意味する。 人生の不如意に
 
          基づく哀感を基調とし、感情主体によって人事、自然界の事象が共感
 
          されるとき、そこに対象と主体の調和が意識され、「もののあわれ」が
 
          成立する。
 
            〔以下割愛〕
 
 
  上掲の語釈に拠りますと、
 
  ‹物の哀れ› の 物 は、対象/客観、即ち、「人事、自然界の事象」。 哀れ は、
 
  対象/客観 と 人/感情主観・主体 が一致、調和、或いは、共感しつつ、呼び起こす
 
  感動、情趣。
 
   それは、言い換えれば、人が自然と「一つになること」 が、この場合の一致・
 
  調和の基調/基底にあり、自然への敬愛・畏敬の念が、従って、このことを基に、
 
  平安時代の美意識: 「優美・繊細・沈静・観照の理念」と相俟って、「しみじみと
 
  した哀感」に変容したと想われます。
 
   繰り返し強調しますと、
 
  ‹物の哀れ› と云う情趣の世界は、《自然との共生・共感》から成り立つことを
 
                            看過してはならないと云うことです。
 
 
 
         ⅱ) 同情 ; 同感 ; 同意 ; 同調
 
  
   ここからは、前節で試みた 共感への考察・検討の際に、その指摘をするのみに
 
  止まっていました 共感 の関連語: 同情; 同感; 同意; 同調 を、順次、
 
  それぞれの特徴・特色を明らかにしつつ、共感 との類似点、相違点を探りながら、
 
  浮彫して参りましょう。
 
 
           :: 同情 ::
 
 
  共感 を広辞苑で調べますと、 語釈の冒頭に 「(sympathyの訳語)」 と記されて
 
  います。
 
   そこで、sympathy をジーニアス英和辞典で検索しますと、
 
 
          sympathy
 
          〔 原義:共に( sym )苦しむ( path  )こと(y )。 〔 以下割愛 〕
 
                   ❶〔人・事への〕 同情、思いやり (for, with, toward ); (~ies )
 
           悔み ≪◆ 相手を見下す含みはない;pity≫ <antipathy >
 
                    ❷〔人・意見などへの〕 共感、共鳴;  同意; 支持、支援
 
 
   
  sympathy の語釈❶の最初には、共感 ではなく、同情 が挙げられていますので
 
  再び、広辞苑へ戻って調べますと、
 
 
           どう‐じょう
 
           【同情】
 
           他人の感情、特に苦悩・不幸などをその身になって共に感じること。
 
            〔引用文割愛〕  「 心から __ します。」
 
 
  更に、ジーニアス和英辞典辞典で調べますと、
 
 
          どう-じょう
 
          【同情】
 
          sympaty
 
           〔 ジーニアス英和辞典と同じにつき割愛〕
 
          compassion
 
                   〔・・・への〕(助けてやろうという深い) 思いやり。 哀れみ、同情
 
          ≪pityより堅い語≫
 
          pity
 
                   〔・・・に対する〕哀れみ、同情 ≪◆しばしば人を見下した気持を含む。
 
          sympathyは対等の立場での同情≫
 
 
  以上を踏まえますと、
 
   共感、即ち、sympathy という訳語というよりも、同情 という訳語は、sympathy
 
   から出現したものと見ることの方がより適当なように想われます。
 
    因みに、
  
  sympathy の sym は、 syn.  syn をジーニアス英和辞典で調べますと、
 
      
          sym-
 
                   〔ギリシャ語系の語に付いて) 共に、同時に; 類似 〔以下割愛〕
 
 
   syn-には、「共に」 と 「同時;類似」 という、ちょっと紛らわしい2種類の語釈が
 
  提示されており、そのことが、sympathy から2種類の訳語: 共感 と 同情 が
 
  造語されたように見えます。
 
   更に、語釈そのものも、’表裏一体’的 (/’同じコインの裏表’ 的特徴が看取されます。
 
  つまり、 共感 は、既述のように、”自分も全く同じように感じたり理解したりすること”;
 
  一方、 同情 は、他人の気持を”その〔彼の〕になって共に感じること”と説明されて
 
  います。
 
   このように見れば、
 
   共感 も、 同情 も、等価的で、積極的な差異は認め難いような感じがしますが、
 
  両者には、ニュアンス/語感的にも、何処か相違する印象が否めません。
 
   同情 は、共感 に比べて、より情緒的な意味合いが強いと云ってよいでしょう。
 
  同情 と云う日本語的造語は、英単語の sympathy より狭義に解釈され、その
 
  語釈❷ (上掲)は省かれ、その分、日本(文化)的要素が注入され、且つ、情緒的な
 
  側面の、特に、他の人々の悲哀、苦悩、不幸などに強く感応し、従って、喜怒哀楽
 
  の 哀 の部分への心情的関与が、主題となっているようです。
 
   ときには、この 哀 が、語感的にも、哀れみや憐憫の情を誘うことがあり、その意味
 
  ーー つまり、マイナスな情緒的語感があり過ぎるが故に、同情 は、誤解を受け
 
  やすい傾向を担っていると云えるでしょう。
 
    ” 安易な同情の押しつけは、嫌! "  と 同情 そのものが、拒絶反応を受けて
 
  しまいます。 同情 の拒否・拒絶が生じるのは、 
 
   「形ばかりで心が籠らない」場合。
 
  ここでの文脈関係からすれば、他の人と同じように感じ、その身になって、共に感じる
 
  心が、不十分か、欠如しているからと云えるでしょう。
 
   同情 の真骨頂は、同じように/共に感じること。  それは、感情移入 (/共感)
 
  の受動的投入型、自らを空白状態にして、相手の心情・心境を感受すること、そう
 
  すれば、「心が一つになって」、 心が通い合い、こちらの側の真意も伝わり、’形
 
  ばかり’ と云うような非難は、霧散するでしょう。
 
    重ねて云いますと、
 
     同情 と 共感 は、根(心)は、同じ。 敢えて言えば、 同情 は、より情緒的で、
 
  より限定的。 マイナス、或いは、陰の部分、 哀 を受け持っているようです。
 
  ですから、 同情 が、放ち、漂わせる、この陰気な意味合い、語感が嫌われ、疎まれ、
 
  忌避され、 同情 と表現されるはずのところに、 共感 と云う言葉が置き換えられて
 
  いると想われる場合が散見されます。
 
   これは、現代人の自尊の念と相手を思い遣る優しさの故でしょうか?
 
                             そう想いたい気がしますが ・・・
 
 
            :: 同感 ::
 
 
  次に、 同感 について少し考察して見ましょう。
 
    広辞苑に拠りますと、
 
 
          どう‐かん
 
<address>          【同感】 </address><address> </address>
         同じようにかんじること。同じ考え。 「わたしもまったく__」
 
           「友人の意見に__する」
 
 
 
  引き続き、ジーニアス和英辞典を調べて見ますと、 同感 に対する英単語は、
 
  記載されず、用例のみでした。
 
 
           どうかん
 
           【同感】
 
             *その点では、あなたにまったく同感です。
 
              I quite (totally) agree with you on that regard.
 
                       * 「なんてすばらしい光景でしょう」
 
              「私も同感です」
 
              " What a beautiful scene! "
 
                          "I think so, too."
 
                             〔”I agree with you."
 
            * まったく同感せす
 
              You can say that again.
 
 
   上掲の 同感 の意味内容を説明する誤として、 agree が使用されていますので、
 
  この英単語を、改めて、ジーニアス英和辞典で検索しますと、
 
   
         agree
 
                 〔原義:・・・に(a)喜び(agree) を向ける ⇨ 合意に達する、意見が
 
          一致する。  〔以下割愛〕
 
          ❶〈人が〉 〔人と〕 意見が一致する、〔人・考え・意見・説明などに〕
 
            賛成の意を表す〔with 〕 (⇔ disagree )
 
                         〔以下割愛〕
 
          ❷  〔以下割愛〕
 
 
  agree は、上掲の説明に依れば、第一義的には、意見の一致・賛同を意味し、この
 
   限りでは、次に扱う 同意 と重複すると想われます。 殊に、注意すべき点は、
 
  agree に対する訳語: 一致・賛同 は、感情/情緒などが 意思のしんてき領域に
 
  集中していること。 このことが、日本語の 同感 に該当する英単語が見当たらず、
 
  従って、記載されていないと云う理由かもしれません。
 
   そこで、もう一度、広辞苑へ立ち還りますと、
 
  同感 は、「同じように感じること。同じ考え(前掲、イタリック部分引用者)」 と
 
                                  記されています。
 
  強調点は、「同じように」 ーー つまり、同様性にあります。
 
  と云っても、野の場合の、同感 の 同様性 は、「同じ考え」という語釈が挙げられて
 
  いますように、’意見の一致’ と近似値にあるとみられます。  つまり、「同じように
 
  感じること」と解釈されいましても、 共感 の場合のように、「心を一つにする」
 
  (= 成一性 ) による 一体感 を意味する程ではなく、むしろ、感情〔/意思)の
 
  同様性 を想定しているに過ぎないように見えるということです。
 
  とは云うものの、
 
   それが、相互承認され、一体感 が醸造されれば、 同感 は、その奥底に 共感
 
  が意識されることも当然考えられます。
 
   「心から同感します」 と云う表現(がある)ならば、そこのは、共感 が働いている、
 
  或いは、いなければならないでしょう。しかし、実際に日常場面では、「心から同情
 
  します」 の方が、使用されているようです。 この場合の 同情 は、 共感 に
 
  根差したものであることは、いうまでもないでしょう。
 
   ところが、
 
   同感 の 感 は、どちらかと云えば、 感覚 の 感。 5感 (覚) で感受し、
 
  その結果に、より非・感情的な評価を与えます。 感情的・情緒的な執着は、同情
 
  のように深くもなく、強くもありません。 哀 に偏らない、距離を置いた感覚、
 
  情緒的分離が指摘されてよいでしょう。
 
   このような心的過程・現象を、ここで今一度、heart のジーニアス英和辞典による
 
  語釈❷ 2)へ戻って捉えますと、heart は、「(喜怒哀楽などの感情の宿る)心
 
  ≪知性・理性の宿る心は、mind, 魂が宿る心はsoul ≫ 感情、気持、精神;魂
 
  (前掲)」 とあります。
 
   と云うことは、heart=心は、知情意 の 情 に関わり、mind は、知 と 意 に、
 
  解釈されます。
 
   同感 は、mind (=知 と 意 ) の領域にあるとみえる一方で、また、情緒的でも
 
  あるという、中間的な存在と想われます。更に、同感 は、同情 より mind寄り。
 
  ですから、情緒的というより、情思 的、或いは、情意 的という混合形と云ってよい
 
  かもしれません。
 
   日常世界では、 同感 には、 共感 が換置されているように見える場合があり
 
  ます。 これは、 同感 の意味合いの持つ、情緒的淡泊さ、或いは、mind (=
 
  知・意) 的傾向が、日本人の心情にそぐわないのか、それとも、 同感 への深い
 
  熱情を表明するためなのでしょうか。 昨今では、好んで、 共感 が、採用されて
 
  いるようです。
 
    やはり、乾いた現代社会では、 共感 ーー ’一つになる、’ ’共に、’; ’一緒に’
 
   という心境 ーー が、何処かで、何時も、望まれているからかもしれません。
 
 
 
            ::  同意  ::
 
 
    同意 と 共感 の関連性が、どうでしょうか?
 
  同情 よりも、そして、 同感 よりも、 共感から離れていくように想えます。
 
       広辞苑で調べてみましと、
 
 
           どう‐い
 
           【同意】
 
           ①同じ意味
 
           ②同じ意見。 同じ意思。
 
           ③他人の意見に賛成すること。 「計画に__する」 「__を得る」
 
 
  ジーニアス和英辞典では、
 
 
         どうい
 
         【同意】
 
         agreement
 
                 〔 ・・・ との〕 同意、合意
 
         assent
 
                 《正式》 〔・・・に対する〕 同意、賛同、承諾
 
         consent
 
                 〔・・・に対する/・・・する〕 同意、承諾、許可
 
         approval
 
                 〔~に対する〕 是認、賛成
 
 
  agreement について、OXFORD現代英英辞典へ進みますと、
 
 
         agreement
 
                 1  ( omitted )
 
                 2 the state of sharing the same opinion or feeling
 
                       * Are we in agreement about the price?
 
                       * the two sides failed to reach agreement
                      
 
                       〔 同じ意見や気持を分かち合う状態
 
                * その値段で手を打ちますか?
 
                * 両方とも合意に(達することに)失敗した 〕
 
                       
 
                         と説明されていました。
 
  そこで、上掲の 同意:agreement の語釈と引用文を、ここでの文脈関係の 同意
 
  に絡めて再編成・解釈しますと、
 
   同意 には、複数人数間での同じ意見・意思を分かち合うこと。 特に、違憲・意思の
 
  同一性、つまり、一致が汲み取れます。 この意味て、 同意 は、何よりも、
 
  ’意見の一致’ と意味付けてもよいでしょう。
 
   そして、 同意 は、この構成素、意見の一致 の他にもう一つ、当事者(相互の)
 
  承諾/是認、及び、賛同/賛成を含蓄します。
 
   例えば、 
           ”この薔薇、綺麗・・・ ”
 
           ”そうね、ほんとに綺麗 ”   と云う場合。
 
  
  それは、綺麗な薔薇 と云う認識だけでなく、その意見表明 ( 綺麗な薔薇 )を、
 
  相手が、”そうね” と承認し、賛意を示すことを意味します。
 
   ですから、 同意 は、 意見の一致 + 承諾・賛同 といえます。
 
  では、 共感 との関連性は、どうでしょうか。
 
    浅く、薄く、遠くなるようです。
 
  当事者で、 一致 と 承認・賛意 をお互いに分かち合う〔共有する〕ことによって、
 
  それが契機となり、’気が合い、’ ’心が一つになり、’ ’ このような 一体感 から
 
  共感 へと発展して行く可能性は、十分にあるでしょう。
 
  けれども、それは、後の出来事。  同意 にとって 共感 は、必須要件とは
 
  想われません。 また、 同意 は、同感 よりも感情/情緒的な側面が抑制され、
 
  知・意 的なものが優勢になるようです。 この意味でも、 同感 よりも 共感
 
  から遠くなっていると考えられます。
 
 
 
              ::  同調 ::
 
 
   最後に、同調 を検討してみてみましょう。
 
      広辞苑 に依れば、
 
           
          どう‐ちょう
 
          【同調】
 
          ①調子が同じであること。
 
          ②他と調子を合わせること。  他人の主張に自分の意見を一致させる
 
           こと。
 
          ③  〔割愛〕
 
 
  
   対人関係的に見ますと、
 
   同調 は、上掲の語釈①の「調子が同じであること」 ② 「他〔の人〕と調子を合わ
 
  せること」 そして 「・・・ 意見を一致させること」に強調が置かれ、更に、そのことを
 
  表明するために、具体的な行動がとられる場合がある事が、特に、してきされてよい
 
  でしょう。
 
   次いで、関連語の 同調性 も調べて見ますと、 広辞苑では、
 
 
          どうちょう‐せい
 
          【同調性】
  
          社会生活で周囲の人たちと同様の行動をとる傾向
 
 
  ブリタニカ国際大百科辞典では、
 
 
          同調性
 
          〔conformity〕
 
          集団内の大多数の人々が一致して示している行動、態度、集団の
 
          標準、規範などに合致する、あるいは、類似した行動や態度をとる
 
          こと。
 
 
   同調性 の語釈では、やはり、人が取る行動(様式)における他の人々との 同様性/
 
  類似性、そして、 そのような同様な、類似の行動が、たの人々の行動や態度から、
 
  集団基準・規範の合致にまで及ぶことを含蓄すると解釈されます。
 
   更に、進んで、今一つの関連語、同調者 をその原単語、sympathizer の語義を
 
  ジーニアス英和辞典で調べますと、
 
 
            sympathizer
 
                      ①同情者
 
            ②共鳴者、 支持者、 シンパ。
 
 
  ②の語釈を、広辞苑で検索しますと、どの語もみあたらないので、関連語として
 
  支持、シンパ/シンパサイザー を調べますと、
 
 
           しじ
 
           【支持】
 
           ①ささえること。  ささえて持つこと。  「国家の安全を
 
            ___する」
 
           ②他人の主義・政策・意見などに賛同して援助すること。
 
             「__する政党」  「__者」
 
 
           シンパサイザー
 
           【sympathizer 】
 
           同情者。 共鳴者。 左翼運動などに直接参加しないが、指示援助
  
           する人。  シンパ。
 
 
   同調者/シンパは、支持、援助するか、或いは、心情的には支持、援助するけれども、
 
  参加かはしない、つまり、具体的な表明はしないと云うような、具体的な行動が語釈
 
  の基準になっているようです。
 
   同調 の意味理解には、一寸偏り勝ちになってきたようですので、 もう少し解釈を
 
  重ねますと、同調 (者/シンパ)は、 同調 と同じような’意見〔や主張〕の一致’ばかり
 
  でなく、’具体的な行動の一致’ を随伴するとみてよいでしょう。
 
   例えば、或る人が、上を向くと、他の人々の好奇心に動機づけられた 同調〔行動〕
 
  と考えられます。 ですから、模倣 ーー 「他者と類似あるいは同一の行動をとる
 
  こと (広辞苑、一部抜粋)」 ーー も、その意味で、ちょっと乱暴かも知れませんが、 
 
  同調 に分類してもよいかもしれません。
 
  結論として、 同調 は、 同情 (=感情移入+哀感)それ以上・以外の色合いを
 
  持つと考えられます。 つまり、 同調 では、情緒(/哀感)→意思→具体的行動と
 
  順列され、最後の要素に強調が置かれているということです。
 
   共感 は、その語的成立過程を見ましても、感情/情緒面が強いようで、具体的な
 
  行動が顕在する 同調 には入り込む余地はあまりないようです。
 
    共感は、無くても、無くしても、 同調 は、成立可能。 同感 や 同意 の場合
 
  と同じように、 同調 には、 共感 は不可欠な要素ではないと想われます。
 
 
   以上、
 
   共感 の関連語として、 同情、 同感、 同意、 同調 の検討を試みました。
 
  その結果を概要しますと:
 
   同情 は、同じ感情の共有、即ち、 一体感と特定の情感・心情、 哀 の絡み。
 
   同感 は、感情/意思の同一性とその共有。 但し、 一体感 は不在。
 
   同意 は、’意見の一致’と承諾・賛同、情緒的な関与は、希薄。 距離が置かれて
 
   います。
 
   同調 は、’意見の一致’+具体的な行動と把握され、特に、具体的行動の同一化
 
   が強調されます。
 
    この4つの用語を、 共感 を中心軸に配置しますと、
 
   同情 - 共感 - 同感 - 同意 - 同調 と連なり、 共感 より左側へは、
 
  情緒的に纏綿と成、右側へ移行するに従って情緒性は、弱まり、浅く、淡泊になります。
 
  と同時に、 共感 の存在もその必要性が斟酌されます。
 
   対人関係では、 共感 と同様に、時には、よりも、上記横軸の右側3者が、活動・
 
  活躍する場面が、多く見受けられます。 実際、これら3つの言葉は、混同され、
 
   共感 に換置されて、使用されているようですが、それは、 共感 が、何処かよい
 
  人間的なものを感じさせるからと想われます。
 
   人間的なもの ーー 他の人々と共に生きることの心優しさ、安らぎを覚えると
 
  云うことでしょうか。
 
   尤も、昨今では、 共感 という言葉は、少々氾濫気味で、食傷気味の傾向が
 
  現れて来ているように見えますが・・・
 
 
 
        ⅲ)  和して同ぜず;  野次馬;  烏合の衆
 
 
            ::  和して同ぜず ::
 
 
   先ず、論語からの一成句: 和して同ぜず を、共感 を意識下に置きながら、
 
  取り上げて行きたいと想います。
 
       ーー  ちょっと強引な解釈かもしれませんが、お暇があれば、
 
              もう暫くお付き合いくださるように。
 
 
  いつものように、辞典の語釈から入って行きましょう。
 
                     広辞苑では、
 
 
           わしてどうぜず
 
           【和して同ぜず】
 
           〔論語 (子路) 「君子は和して同ぜず、小人は同じで和せず」
 
           意見が同じならば、他人と協調するが、おもねって妥協することは
 
           ない。
 
 
  故事ことわざ&四字熟語辞典では、
 
 
           わしてどうぜず
 
           【和して同ぜず】
 
            「意味」 人と歩調を合わせてうまくつきあうけれども、道理に
 
            合わないことまで同調することはしないということ。
 
 
  次いで、例解慣用句辞典を検索しますと、
 
  
            わしてどうぜず
 
            【和して同ぜず】
 
            人と仲良くするが、理由なく同調するようなことはしない。
 
              〔以下割愛〕
 
 
  更に、日本語常識・非常識〔辞典〕 を覗きますと、
 
 
           わしてどうぜず
 
           【和して同ぜず】
 
           人と争わず、協調してゆくが自分の考えをしっかりもって、道理に合わせ
 
           ないことにはいたずらに妥協したり同調したりしないこと。
    
           〔故事由来〕 「和す」 は親しくする。協調する。 「同図」は同調する・
 
           銚子を合わせる・同意する。  『論語』 には、「和して同ぜず」
 
           (君子は人と調和するが、主体性を失うことはない。 小人は付和雷同
 
           するが、人と調和することはない)」とある。 君子と小人の差異をいった
 
           孔子(こうし)の言葉。
 
 
  上掲の諸辞典から、 和して同ぜず の 和 に関する語釈を救い挙げ、列挙
 
  しますと、
 
       「他人と強調する」;
 
       「人と歩調を合わせてうまくつきあう」:
 
       「人と仲良く ・・・」;
 
       「(人と争わず、)協調してゆく」;
 
       「親しくする。 協調する」;
 
       「人と調和する」
 
 
  協調 が、 和 の語釈で最もちゅうもぬされますので、この語を広辞苑で調べますと、
 
 
                  きょう‐ちょう
 
                   【協調】
 
           (協調調和の意)
 
          ①利害の対立する者同士がおだやかに相互間の問題を解決しようと
 
            すること。 「労使__」  「国際__」
 
          ②性格や意見の異なった者が互いにゆずり合って調和をはかること。
 
            「__性に欠ける」
 
          ③〔生〕生体を構成する諸部分が相互に調整性を保った活動をする
 
            こと。 協調。
 
 
  ここでの関心からすれば、
 
  協調の語釈は、2番目の解釈②が適切だと見ることが出来るでしょう。
 
  その内実は、端的にいえば、「調和をはかること」、 一云でいえば、調和です。
 
  この意味の内に、
 
  「人も歩調を合わせ」 ること、「人と仲良く」 すること。
 
  「うまく付き合う」こと、が入ると云えることでしょう。
 
    翻って、 和 そのもの意味を、広辞苑で探しますと、
 
 
           わ
 
           【和】
 
           ①仲よくすること。   「__を結ぶ」
 
           ②〔数〕 二つ以上の数・式などを加えて得た値。 「__をもとめる」
 
           ③ 〔大和国の意〕
 
                〔以下割愛〕
 
 
  ここでの関心に絡めて考察しますと、上掲の語釈は、余りにも簡単ですので、
 
  ちょっと飛躍して、聖徳太子の御言葉: 和を以て貴しとなす を広辞苑で調べますと、
 
 
          わをもってとうとしとなす
 
          【和を以て貴(とうと)しと為(な)す】
 
          (聖徳太子の憲法十七条第Ⅰ条として有名) 他人との調和が大事で
 
          あるということ。 
 
 
  古事ことわざ&四字熟語〔辞典〕 に依れば、
 
 
          わをもってとうとしとなす
 
          【和を以て貴しとなす】
 
          「意味」 人々が仲よくやっていくことこそこの世の中で最も貴く、たいせつ
 
          なこととだいうこと。
 
 
  そこで、 調和 を、念のため、広辞苑で検討しますと、
 
 
          ちょう‐わ
 
          【調和】
 
          うまくつりあい、全体がととのっていること。 いくつかのものが矛盾なく
 
          互いにほどよいこと。 「部屋に__した家具」 「__がとれている」
 
 
  上掲の語釈は、ここでの関心からは、つり合い/バランス感覚の重視ということで、
 
  少しずれるように看取されますので、ジーニアス英和辞典を調べますと、
 
 
           ちょうわ
 
           【調和】
 
            harmony
 
                    《正式》 (行為・考え・感情などの) 〔・・・との/・・・との間の〕 調和、
 
           一致、和合; (音色などの) ハーモニー、調和; (全体の中での)
 
           バランス
 
              〔以下割愛〕
 
 
  harmony は、対人関係的に考慮しますと、バランス〔つり合い〕感覚よりも、
 
  人自身の心(知情意) 及び行動と他者のそれらとの間の、調和、 一致、 和合 が
 
 指摘されてよいと想われます。
 
   このことを少し敷衍しますと、
 
  「他の人の見るように見、感じるように感じ ・・・」 という 共感 の主要構成素と重なり
 
  合うと想定されます。 一足飛びに云えば、 和 の含意する 調和 は、 共感 に
 
  連繋し、 共感は、更に、 和 の基底/根底をなし、動かす景気であると云えます。
 
  和 の本質は、究極的には、 共感 と云ってよいのではないでしょうか。
 
                   ーー そう提案させて下さい。
 
   和する ということは、ですから、 共感 を包含すること。
 
  共感 を伴う 和  ーー 調和/「仲よくすること」 ーー は、真の 和 とは言い難い、
 
  単なる上滑りの 同調 に過ぎないでしょう。
 
    同じて和せず に陥落します。
 
  それは、どういうことでしょうか。 このことを明快にするために、
 
  和して同ぜず の下の句、 同ぜず の 同 の意味内容を上掲の諸辞典の語釈から
 
  抜粋しますと、
 
 
        「同じ感じ/考え」  (= 同感 )
 
        「意見が同じ」  (= 同意 )
 
        「調子を合わせる/同じ調子」 (= 同調 )
 
           そして、
 
        「妥協」 が挙げられます。
 
 
  同 は、同感 ー 同意 ー 同調 - 妥協 という意味的連鎖が認められますが、
 
  協調は、言うまでもなく、「同ぜず」、 つまり、否定に置かれます。
 
   ということは、 和 (=調和/仲よく)、そして、 共感 ばかりでは、個(自我)は、
 
  廃れ、消滅してしまうということです。
 
   「主体性を失うことはない」ということです ーー {君子は人と調和するが、
 
  主体性を失うことはない」 と前掲辞典に説明されていますように。
 
  「何ぜず」には、個(人)の主体性が、必要。  自身の自由な意見を貫く、よい意味での
 
  我の強い人など、主義・主張が出来ること。 ということは、視覚を変えれば、 自立・
 
  自律 ( 更に、独居・プライバシー/ 対立 ) の実現へ。
 
          それが、 「同ぜず」 (の成立) の鍵と云えるでしょう。
 
  そこでは、是々非々 の理念が望まれます。 広辞苑を覗きますと、
 
 
          ぜぜ‐ひひ
 
          【是々非々】
 
           〔荀子(修身)〕 良いことは良い悪いことは悪いこと。 ことに応じて
 
           判断すること。  「__主義」
 
 
  更に、故事ことわざ&四字熟語辞典では、
 
 
          ぜぜひひ
 
          【是々非々】
 
          「意味」 是は是とし、非は非とする。 つまり、よいことはよいとして
 
          おおいに賛成し、悪いことは悪いとして断固反対すること。 利害や
 
          立場にとらわれずに、けじめをきちんとつけて公平な態度をとること。
 
          〔出典〕 荀子
 
 
  「同ぜず」 は、 是々非々 (の理念/主義)に沿って、反対・反論すべきは、反対・
 
  反論し、決して、容易に、簡単に賛同 (同調) しないこと。
 
  上掲諸辞典へ立ち止まって、 和して同ぜず をめぐる諸辞典の語釈の中の関連
 
  する部分を救い出しますと:
 
         「おもねって妥協することはない」;
 
         「道理に合わないことまで同調することはしない」;
 
         「理由なく同調するようなことはしない」:
 
         「いたずらに妥協したり同調したりしないこと」
        
                                   が挙げられます。
 
 
  (和して)同ぜず は、
 
  他人と調和/仲よくし、和する けれども、 ーー つまり、 共感 するけれども、
 
  「自分の考えをしっかり持って」; 「主体性を失わず」 是々非々に従いつつ、
 
  自立・自律を(すべき時には、或いは、状況次第では) 貫くと云うことと解釈出来る
 
  のではないでしょうか。
 
   但し、自立・自律する個人主体のすべてが、いつも至高善ではないことを銘記しな
 
  けれはならないでしょう。 相手の主張の方が正しく、正当・妥当であったり、こちら側は、
 
  それが間違ってはいなくても、不都合、不具合である場合も否めないからです。
 
   君子の主観は、覆る可能性無きにしもあらず、です。 君子は、誰よりも自らの主観
 
  に留意し、厳しい自己審査・検討に努めねばならないでしょう。
 
    そして、「君子は豹変す、」 です。
 
 
  ここで、以上の 和して同ぜず をめぐる考察・検討は、一先ず終了しまして、
 
  次に、その’対句’ : 同じて和せず の含蓄を吟味してみましょう。
 
   この’対句’ の意味内容は、上掲諸辞典では見出し語としては、残念ながら、取り
 
  上げられていません。 君子の在り様・行動を鮮明にするための補助的語句として
 
  扱われているだけです。 そこで、誤解釈の虞(おそれ)に怯まずに、恣意的に
 
  試みますと、
 
   同 は、大まかに云って、同調 /「調子を合わせること」
 
   和 は、調和 / 「仲よくすること」 即ち、共感 と把握しましたので、 
 
  「同じて和せず」 は、’同調するけれども、共感しない’ ということになります。
 
   この場合の 「同じて」 は、’同調するだけ’ という否定的な響き、心情が看取されます。
 
  それは、軽々しいという修飾語に票されます。 他にも、無思慮な、分別のない、
 
  熟考しない、何の考えもなく、いい加減に、そのばの思い付きで・・・ 等。
 
   このように 同調 には、軽薄ざを帯びることが指摘されます。
 
  軽薄な 同調 は、勿論、自立・自律とは相いれません。 自立・自律 は、既述の
 
  ように、独居、 更に、対立 を含蓄。ひとは、自我(主観/主体性)をはっきりさせる
 
  立場を取ります。 ですから、 「同じて」 は、この自我が、虚弱なので、是々非々の
 
  主張が出来ない場合といえるだしょう。
 
    因みに、
 
  ‹成熟した共感› は、前節で考察・検討しましたように、
 
  自立・自律の出来る、或いは、した個人の間で成立/維持されます。
 
   「同じて和せず」は、自立・自律が、不充分なまま、かrガルしく同調し、その結果、
 
  「他人と調和すること」、 「仲よくすること」 が、できない ーー つまり、‹成熟した
 
  共感› を獲得するまでに至らない場合と見てよいでしょう。
 
   「同じて和せず」 は、けれども、穿った見方をすれば、 共感 や 自立・自律の
 
  関連枠(で解釈すること)なく、対人関係を維持・存続するために考慮し、参考すべき
 
  大切な方法の一つと見ることが出来ると想われます。
 
    いずれにせよ、
 
  「同じて和せず」 という成句は、’小人’の生き様を寸描したものであり、日常生活世界
 
  では、やはり、君子の高邁(こうまい)な精神よりも、’小人’のそれ(精神)に近いような
 
  ですので、卑近な事例に事欠かないように見受けられます。
 
   これからは、’小人’的行動と見られる 野次馬、 付和雷同、そして 烏合の衆 を
 
  検討して行きましょう。
 
 
           ::  野次馬  ::
 
 
  広辞苑によりますと、
 
   
          やじ‐うま
 
          【 弥次馬・野次馬】
 
          ①馴らしにくい馬。 強い悍馬(かんば)。 また、一説に「おやしうま」
 
            の略で、老いた馬ともいう。
 
          ②自分に関係のない事を人の後についてわけもなく騒ぎ回ること。
 
            また、そういう人。
 
 
  野次馬的な「同じて」 は、 対人関係枠で捉えれば、人(野次馬)が、他の人(同類の
 
  野次馬)と同じように、事件現場について”なんだ、なんだ、” と首を突っ込み、
 
  色々聞きまわり、騒ぎ、囃し立てる ーー 同調。
 
   確かに、このような 同調(行動)は、’小人’のすること、そして、この段階で留まって、
 
  それ以上発展しなければ、結構なこと。 何故なら、その状況ならば、「同じて和せず」
 
  で、和 することはしないのでしたら、騒ぎは大きくならないでしょうから。
 
   和 は、調和/「仲よくすること」。  野次馬達が、 和 すれば、つまり、調子を
 
  合わせて、心を通じ合わせれば、彼らの間で事件現場の情報交換・伝達が活発に
 
  なって、その過程から、連帯感 や 一体感 が高揚し、果ては、共感 まで生起
 
  すれば、騒ぎは、共振、共鳴、共鳴し、弥が上にも増大するでしょう。
 
   場合によっては、野次馬の輪が拡がり、暴徒化することすらあるかもしれません。
 
  和 には、冷静な把握、観察・分析に基づく理解が必要ですので、この要素が
 
  働かない場合は、むしろ、「和せず」 である方が賢明。
 
   事件現場が、落ち着けば、野次馬達は、興味を失い、”なんだ、つまらない” と
 
  肩を落とし、何事もなかったかようにその場を去るのが常道のようですから。
 
 
 
           ::  付和雷同 ::
 
 
     広辞苑を調べますと、
 
 
           ふわ‐らいどう
 
           【付和雷同】
 
           自分に一定の見識がなく、ただ他の説にわけもなく賛成すること。
 
            「多数派に __する」
 
 
  より詳しくは、故事ことわざ&四字熟語辞典を検索しますと、
 
 
          ふわらいどう
 
          【付和雷同】
 
          「意味」 定見をもたず、他人の意見に軽々しky同調すること。
 
          「注釈」 「付和」は他人に付き従って調子を合わせる。 「雷同」は
 
          雷鳴に万物が応じて響くの意。 単に「雷同」 とも云う。なお、
 
          「不和雷同」 と書き誤らないように注意。
 
 
  「付和」の 和 は、「同じて和せず」の 同 ーー 本校での意味づけによる 同調の
 
  範疇に入ると想われます。
 
   では、 「付和」の 付 は?
 
  「付和」 を訓読みすれば、’和に付く’ です。 付く を広辞苑で検索、一部抜粋
 
  しますと、
 
 
          つく
 
          【付く】
 
          ❶二つのものが離れない状態
 
            ①ぴったり一緒になる。 くっつく。
 
          ❷他のもののあとに従いつづく。
 
            ①心を寄せる。 従う。 味方する。
 
            ②あとに続く。 追従する。
 
 
  「他人に付き従って調子を合わせる」 ( 付和雷同の前掲語釈 ) と 付く の
 
  語釈② を対人関係的に突き合わせますと、 「付和」 は、他者への随従/追従
 
  から 同調 を段位すると考えられます。
 
   「付和」の 和 は、「和して同ぜず」 の 和とはにて非なるものと云えます。
 
  この意味で、逆に、「同じて和せず」に組み込まれると云ってよいでしょう。
 
     他方、「雷同」は?
 
  改めて、「雷同」 のみを、広辞苑で検索しますと、
 
 
          らい‐どう
 
           【雷同】
 
           (雷が響くとものが同時にこの響きに応ずる意) 自分に定見がなくて、
 
           みだりに他の説に同意すること。  「____雷同」
 
 
  上掲語釈の冒頭の括弧内の説明を踏まえて捉え直しますと、 共鳴 ーー
 
  「他人の思想や意見に同館の念を起こす(広辞苑)」 ーー が相当すると想われます。
 
   けれども、
 
  共鳴 の場合、個人が定見、つまり、地震の確固とした、一定の意見を主張しつつ、
 
  相手と同じ思い・気持を抱くということなので、 雷同 にはならないでしょう。 意見の一致
 
  が看取され、 同感 でしょう、。
 
   ところが、 「雷同」は、他人の意見に左右されやすく、無邪気に、或いは、無知の
 
  まま(であるが故に) 影響されやすい傾向があると見えます。
 
   世論の場合、世論とは、「世間一般の人々が唱える論。社会大衆に共通な意見
 
  (広辞苑)」 ですが、この世論は、例えば、マスメディアの意見表明に、”無邪気な”
 
  視聴者が、扇動され、 共鳴 するならば、「付和雷同」 の度合いは高くなり、危機的な
 
  状況に突入する可能性が生じるでしょう。
 
   このような場合こそ、「和して同ぜず、そして、是々非々 の心構えが、大切
 
  意見を理解し、 同感 するけれども、一歩身を引いて、状況/事の次第の 是々非々
 
  をしっかり吟味し、安易な妥協はしない、そうなれば、「(付和)雷同」 の入り込む余地
 
  はないのです。
 
    逆に云えば、雷同 は、人々が、定見をもたず、惑われやすい限り、日常世界では、
 
  何処にでも、潜在・健在すると云えるでしょう。
 
    ここで、ちょっと飛んで、
   
      echo を取り上げてみましょう。
 
                  ジーニアス英和辞典を調べますと、
 
 
                  echo
 
                 〔原義:こだま →繰り返し → 模倣〕
 
         ❶こだま、反響; 反響音
 
         ❷〔比喩的に〕 反響、共鳴、繰り返し; 〔時に〕 影響
 
         ❸《正式》 (他人の言葉・服装などの)模倣 (imitation);
 
           追従、模倣者 (imitation)
 
 
  echo は、「雷同」の文脈関係で捉えますと、、上掲語釈❸ が当て嵌まるようです。
 
   ですから、例えば、ファションに敏感な人々 ーー 少し辛口で云えば、流行の
 
  ’追っかけ’ (=追従、模倣者)。
 
   この種の人々は、「雷同」タイプ。
 
   自身のファション感覚が確立できず、つまり、定見を持たず、持てず、新しい
 
  コレクションが発表/発売される毎に、それらを追っかけて、右往左往。
 
  容易に影響を受けます。
 
   中には、自身のテイストに組み入れ、調和され、自身のファションを洗練させる人も
 
  あります。この場合、明らかに 「雷同」 ではなく、「和して同ぜず」 の境地でしょう。
 
 
    
           ::  烏合の衆  ::
 
 
  広辞苑に依れば、
 
 
          うごうのしゅう
 
          【烏合の衆】
 
          〔後漢書(耿合伝)〕 規律も統制もない群衆。または軍勢。
 
 
  故事ことわざ&四字熟語辞典 を調べますと、
 
 
          うごうのしゅう
 
          【烏合の衆】
 
          「意味」ただ寄り集まっただけでなんの統一もなく、まとまったことなど
 
          できない人々のこと。
 
          「注釈」 「烏合」は烏(からす)の集合で、鳥の群れ集まったような
 
          まとまりのない群衆ということから。
 
          「出典」 後漢書(ごかんしょ)
 
 
  烏合の衆 とは、人々が一か所に集合していても、バラバラな状態でで、何をして用
 
  のか検討もつかず、従って、起立性も統一性にも欠けるということと解釈されます、
 
  ですが、そうならば、「付和雷同」に陥り易いとみてようでしょう。
 
     アジ(扇動)演説のように強力な指示・刺激があれば、人々は、それに驚き、関心を
 
  見せ、注意を向け、従うという場合もあるでしょう。 驚いて、振り向き、同調行動 を
 
  取れば、雷同。 従えば、付和。
 
   烏合の衆 は、ですから、(付和)雷同 以前の群衆状態。
 
   考えれば、このような状態 ーー つまり、「ただ寄り集まっただけ」の、誰の指示、
 
   命令にも無関心、無行動、影響されず、「まとまったことなどでいない」人々の集合
 
   ーー  であることの方が、或る意味、世の中は、平穏無事ということではないでしょうか。
 
    ここで、 烏合の衆 についてちょっと一云。
 
  上掲の故事ことわざ&四字熟語辞典の「注釈」では、 烏合 は、「烏の群れ集まった
 
  ようなまとまりのない・・・」 と説明されていますが、烏さん達は、私の拙い観察
 
  では、意味もなく、目的もなく群れているように見えませんでした。
 
   何よりも先ず、情報交換。
 
   それぞれの烏さんが収集したものを持ち寄って、何処に餌をみつけたとか、
 
  危険地帯は、何処其処(どこそこ)とか・・・ 多分、生活、生存に直結する情報の
 
  遣り取りのようでした。
 
   それから、連携、連帯、仲間意識の確認、時には、顔を見合わせたり、何か、
 
  以心伝心 の会話をしているようにも見えました。このような行動は、仲間の結束を
 
  和 を強めることになるのでしょう。
 
   一緒に飛び去ったり、また、他の仲間が止まっている屋根上や樹、電柱などに
 
  舞い降りてきます。5,6羽の集団で群れていることが多いようですが、けれども、
 
  「ただの」、単なる 烏合の衆 には見えませんでした。
 
   烏さんの世界では、感情/意思の同一性、 一体感 などから 共感 を抱くことは、
 
  ひょっとすれば、人間以上かもしれません。これは、「和して同ぜず」 の 和 の世界。
 
   一方、一羽だけ舞い上がり、青空を悠然」と旋回している行動も観察されました。
 
  この場合も、「和して同ぜず」の境域と云うことでしょう。 仲間と群れている時は、
 
  「和して」いる、つまり、調和/仲よく の状態・状況であり、一羽だけの単独行動は、
 
  <我が道を往く>。  簡単には、他の仲間と同じ歩調をとらない、同調 しない。
 
  ですから、「同ぜず」と云う解釈が成立するように想えます。
 
   このように観察しますと、烏さん達の行動は、 烏合の衆 のようなには見えない
 
  ないのですが、動物行動学者の方々のご意見は、如何でしょうか。
 
  
   以上、
 
  共鳴 ・ 共生 ・ 物の哀れ; 同情 ・ 同感 ・ 同意 ・ 同調 から、「和して同ぜず」 ・
 
  野次馬 ・ 付和雷同 ・ 烏合の衆 と何等かの形で、共感 と関わりがあると想定される
 
  用語、成句を、 ーー 私的、恣意的な解釈を試みつつ、考察・検討して参りました。
 
   このような用語・成句、換言すれば、多彩な対人関係的諸現象が、程度の差こそ
 
  あれ、その基底/根底には、 共感 の主要構成素、 一体感 が認められ、そして、
 
  更に、 共感 を可能にする必須要件として、<間>を考慮に入れなくではならない
 
  ことを、今一度確認した上で、本稿をお仕舞にさせて頂きます。
 
 
       ご通読、深謝いたします。
 
            長い間、お付き合い頂き有難うございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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                     〔・・・ への〕 従属、依存(関係); 〔人など〕頼ること 〔・・・ への〕
 
           依存(状態)。
 
           reliance
 
                    〔・・・ への〕 依存; 〔・・・に対する〕 信頼、信用。
 
      
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
          dependence
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    
    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
             
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
          
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
          
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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